10 最愛
侍女に案内された客室には大きな窓があり、マリジュはその窓にピタリとはりついていた。
厚い硝子越しに外の風景が見える。
夜の闇と夜の空いっぱいに輝くまんまるに満ちた月。
雪化粧をした背の高い木々が、月影を纏いポツリポツリと孤独に立っていた。
窓から見える外、月の青みを帯びた雪が一面にひろがるその方向は、翁の木があった方角だった。
「ここからは何も見えないだろ」
「見えなくてもいいんです。ただ見たいのです」
ちんまりと窓辺に座るマリジュは3~4センチ。菫の花のように小さい。
花の衣装のせいか、濡れた花のうちしおれたような風情の儚さで、外の雪と同化して消えてしまいそうだった。まるで水面にたったひとつ咲くまろい睡蓮のようだ。
ひう、
ぽろりと涙がこぼれた。
ひうひう、
たくさんたくさん泣いたのに、外を見ているだけなのに、止め処無く涙がまた流れ出す。
ひうひう、
小さな体をさらに小さく丸めマリジュが泣く。
ひうひう、
外には雪しかないのに、木も村も見えないのに、涙が止まらない。
「マリジュ」
ふわりと抱きしめられてビックリして顔を上げると、ハランドが小さくなっていた。小さいといってもマリジュの倍ほどの身長はある、12センチくらいだろうか。
「……ぴ……?」
理解できなくてマリジュは言葉も出ない。
「魔法で小さくなったんだよ。おまえを大きくするのは難しいが、自分の体だと魔力も練りやすいからな」
ハランドは天才の域をこえた規格外だった。無尽蔵の魔力も他の追随を許さない魔力制御も練度も。
無敵、死神、化物、全てハランドを指差して人々が囁く名前だった。
ハランドはお気に入りのちっちゃなマリジュの手を握った。
「ちっちゃいな。小さくなったのに、マリジュは俺の半分くらいか。でも、成長は速いと言っていたから、あと4~5年で子作りできるな?」
「子作り!?」
ビックリしすぎて涙がビキリと止まった。
「夫婦なんだぞ。当たり前だろうが」
かたまったマリジュにハランドが楽しげに笑いかける。
「4~5年後と言っただろ。まだまだ手なんぞ出さないから安心しろ」
そして握った手に息を吹きかけた。
「窓にぴったりくっつくから手も体も冷たくなっている。ほら、温めてやろう」
ハランドの魔法がやさしくマリジュをつつむ。冷えた手も体も湯につかっているように温かい。
ハランドはマリジュを抱きあげた。
「小さくなるとおまえに触れられるのがいいな」
嬉しそうに目を細める。
突然の浮遊感にマリジュはハランドの首にしがみついた。
すりりとハランドがマリジュの頭に頬をすりつける。
「マリジュは可愛いな」
「……だんな様」
「おう、俺はマリジュの夫だ。俺とおまえは家族だ。マリジュは一人ではない」
家族だと、一人ではないと、ハランドは今までも何度も言ってくれた。
幼い頃から死神と呼ばれ、ハランド自身が孤独も寂しさも知っているからだろう。
「とは言え、いきなり家族だ、夫だ、子作りだ、と言われてもマリジュは困るだろう? だから、ゆっくりと夫婦になろう。時間はたっぷりあるんだから。おまえは賢いが、まだ子どもだ。ゆっくりゆっくり育てばいい」
ハランドの言葉がマリジュの体に染み込んでいく。
やさしい言葉。
あたたかい言葉。
ハランドの腕のなかは安心できる。マリジュはこてんとハランドの肩に頭をあずけた。
「……眠いです……」
マリジュの体が疲労を訴えて睡眠を要求している。ハランドの言う通りマリジュはまだ子どもなのだ。
「おう、眠れ。眠りの国で体も心もやすませろ」
ポンポンと、ゆったりとしたリズムで背中をたたかれマリジュの目蓋が落ちる。
「……だんな様、結婚式の誓いのちゅう……」
小さな花色の唇が小鳥のように触れて、そのままコテリとマリジュは眠ってしまった。
だから、マリジュは見ていない。
ハランドが幸福そうに笑った顔を。
愛しげにマリジュを見つめる眼差しを。
俺の最愛、と呟いた甘い蜜を含んだハランドの声を。
いつも誤字報告ありがとうございます。
とても助かっています。