1 不香の花の朝の出会い
雪催いだった空から、とうとう白い花が降り落ちてきた。
マリジュは寒さに震えながら木に寄りかかった。
ごめんなさい、
もう動けない。
生成りの寝間着は真っ赤に染まり、両手も両足も血だらけだ。
祖父の血だった。
祖母の血だった。
父の血だった。
母の血だった。
兄の血だった。
姉の血だった。
皆、一番小さなマリジュを庇って、その身を盾にして犠牲にして逃がしてくれた。
でも、
もう動けない。
天からの不香の花が無慈悲な女王のように、小さなマリジュに触れる度にヒヤリヒヤリと体温を奪っていった。肺の中まで氷の楔を打ち込まれたかのように冷たい。
花のように美しく、しかし香りがないため不香の花とマリジュの一族に呼ばれている雪は、その白い世界の中にマリジュの痕跡も存在も消してくれることだろう。
マリジュの一族を狩り尽くし、家族を殺し、世界樹の肥料とした傲慢なエルフから。
雪は花氷のようにマリジュを凍らせ、純度の高い銀のごとく輝く冷たい世界に閉じこめ、見られることも知られることもなく覆い隠してくれる。マリジュの死体はエルフのものにならない。
転生して、
やさしくあたたかい家族に愛されて、
今世は幸せだったなあ…。
マリジュは最後の息を涙のように落として雪の中へ倒れこんだ。
その寸前、大きな手がマリジュをすくいあげた。
いや、誰!?
いや、エルフはいや!
いや、助けて!
でも、もう目を開けることもできなかった。悲鳴を上げることすらできないほど弱っていたマリジュは、静淵な水面にポチャンと沈むように意識を失った。
マリジュが目覚めた時。
マリジュはすっぽんぽんで男性の生肌に張り付いていた。魔法で固定されていたが、補助的なもので弱かったため動くことはできた。
布地をかき分け顔だけをソッと出す。
ハランドの開いた襟元から、小さな顔を出しているマリジュを最初に見つけたのはハランドの副官だった。
「隊長!胸のところに!」
その声に他の隊員たちもハランドを注目する。皆驚愕のあまり声もなくマリジュを凝視している。口をパカリと開けている者も多い。
マリジュは体長6センチ。
成人しても10センチほどの大きさの、森の守り人との敬称がある種族の子供だった。
その大きさと種族特性ゆえにマリジュの一族はほぼ発見されることなく、幻のあるいは伝説の種族と言われ、他の種族と交流することもなく穏やかに森の中で暮らしていた。
エルフじゃない。
人間だ。
安堵のあまりマリジュは大きく息を吐き出した。ついでに自分をあたためてくれた人物を見ようと顔を上げた。
顎と鼻の穴が見えた。耳は尖っていなかった。
「マリジュです。助けてくれてありがとうございました」
小さなマリジュの声がはっきりと聞こえて、副官は疑問の目をハランドに向けた。
「魔法を色々このちまいのにかけてある。魔法の補助がないと会話すらできないだろうからな」
国一番の高魔力持ちのハランドは息をするように魔法を使う。
「ほれ、ちまいの。服の代わりだ」
絹のハンカチを渡され、マリジュはハランドの服の中でぐるぐると体に巻きつける。6センチのマリジュにはハンカチすら大きすぎるのだ。せめていつもはいているカボチャパンツが欲しいと切実に思った。
服の中から取り出され、ハランドの掌に乗せられたマリジュはハンカチの隙間からちっちゃな顔を出し、ちっちゃなちっちゃなミリセンチの手でハランドの人差し指をひしっと掴んでーーとても可愛いかった。
ブハッとキレイな放物線を描いて鼻血を吹き出した者が数名。鼻を押さえてうずくまった者も数名。
マリジュは思った。
もしかして前世のハムスター的な立ち位置にいるのかも、と。
可愛いさだけで人間を虜にする、見ているだけで癒やされる、6センチのマリジュはまさにそれだった。
ハランドも、マリジュのちっちゃな手の感触に心臓が締め付けられるように苦しく、じたばたと足を踏み鳴らし身悶えしたかったが必死に自制した。わずかな手の震えもマリジュにとっては地震と同じとわかっていたからだ。
ゆっくりとテーブルの上にマリジュは下ろされた。
ここでようやくマリジュはハランドの全体を見ることができた。
金髪の超美形だった。
しかし神のごとき美形であっても下から見上げるマリジュにとって、まず最初に鼻の穴が目にはいってくるので観賞用にもならなかった。
「マリジュです」
ハンカチに包まれた6センチのもこもこが頭をピコッと下げる。
その場にいる男たちは、可愛いすぎて身悶えしたいわ叫びたいわで感情が渦巻きの坩堝となって、もはや無表情だ。
ゴホンと咳払いしたハランドが、
「ハランド・クルーガーだ。ロメーヌ王国第三部隊の大隊長をしている。ここにいる者は俺の部下たちで、ワイバーン討伐のため森にきたところ、君を今朝見つけた」
と尋常でない精密さを持った魔力制御力でもって、マリジュにやさしく回復魔法をかけた。
「どうだ?体に違和感はなかったか?すでに回復魔法を三回かけてあるので体はもう大丈夫だと思うが、ちまいの、死にかけていたんだぞ?」
「ちまいのじゃない、マリジュ!」
「よし、マリジュ。元気だな?じゃあ食事だ。食べて体力回復だ」
「ごはん!!」
パアァと花が咲くような笑顔全開のマリジュの可愛いことと言ったら。可愛いすぎるマリジュに部下の一人が言ってはいけない一言を言ってしまった。
「かわいいなぁ。他にも欲しいものがあれば言ってごらん」
「ええと、でも…」
「遠慮しなくていいんだよ」
別の部下が口を添える。
マリジュは甘えてもいいのかなぁ、ちょっと恥ずかしいし?という雰囲気でもじもじしている。それがまた可愛い。6センチなのだ。ちまちま動くしぐさだけでも極上にかわいかった。
「あのね?」
ごはんも欲しいけど。
ハンカチの下はすっぽんぽんのマリジュの願い、それは。
「パンツが欲しいです!!」
「パンツ…」
大貴族の子息が呟いた。
「パンツ…」
大貴族の子息2が呟いた。
「パンツ…」
大貴族の子息3が呟いた。
ハランドの部下たちは高位貴族が多い。
魔力のある世界だ。
しかし平民の持つ魔力は少ない。逆に貴族は高魔力持ちばかりだ。特に高位貴族ほど血を重ねに重ねて、飛び抜けた魔力量となるので、王国最高峰の魔法騎士部隊であるハランドの部下となる者も高位貴族出身が多数を占めることとなるのである。
「え?マリジュちゃんのパンツって1センチくらいかな?1センチのパンツ、売っているのかな?」
「売っているわけないだろう!?そも、1センチのパンツをつくれる奴がいるのか?」
「1センチって小指の先くらいの大きさだよな?」
部下たちは自分の小指をじっと見た。
「無理だろう!?」
「無理なの?」
マリジュはしょんぼり肩を落とした。ぺたんとちんまり座りこむ。
その暴力的なまでの可愛いさに、無敵の名を持つハランドさえも怯んだ。
「今は無理だが、王都に戻り次第テーラーに注文しよう」
気の毒に、と部下たちは思った。注文されるテーラーの青ざめた顔が想像できる部下たちだった。
「だったらマリジュ、自分でつくる!」
小さな手をきゅっと握りしめミリセンチの拳を上げる。
「大きな花弁のお花と針と糸をください。お花でパンツつくります!」