【1】怪しげな求人広告
【1】
ーー日本ーー
「………ああ、行きたくない」
私は一人、出窓の側でぼんやりと夜空を見上げながら呟く。
私、『天宮 輝夜』は新天皇が即位した改元と同じ日に30歳を迎えた。現在はワンルームの安アパートに住む独身の独り暮らしで、高卒から就職した中小企業の会社の経理事務を長年担当している。
そんな私は確実に己に押し寄せる明日からの恐怖と不安をなるべく考えたくないばかりに普段はあまり飲まないビールで自棄酒をしながら改元おめでとう一色のテレビ番組に八つ当たりともいえる管を巻いていた。
「ううっ………何が改元おめでとうなのよぅ~ しかも『この10連休で海外旅行に行ってきましたぁ~ すっごく楽しかった! でもぉ、お金いっぱい使っちゃったから今月マジ、ヤバい! お休みがいっぱいあるのも困っちゃう~』だあ? ふざけんなっ!! 超ムカつく!!
本当の10連休の庶民の苦しみを知らないくせして、あんた達は散々散財して遊んできたんだろーが!! だったらしばらく白飯だけ食って我慢しろっ! そしてテレビの帰国インタビューにも答えんな! それを見てるこっちの方が苛々するわっ」
ーーブツッ
私は己の行き場のない憤りをテレビにぶつけ、そしてリモコンでテレビを消すと同時に勢いでテーブルに突っ伏したせいで額をゴツンと強めに打ち付けてしまい、その痛みに額を押さえながら低く唸る。
「くうっつ、超痛いぃんですけどぉ。ああっ!!もう嫌だぁ~ なんで私だけこんなに不幸なのよぉ。ずっと真面目に生きてきたはずなのに神様は美人やお金のある人間だけを幸せにするんだから世の中、不公平と無情で出来てるんだわぁ~ ーーううっ、そしておでこ、痛い………」
私は額を押さえながら目からは涙がボロボロと流れ出ている。
ああ~ヤバい。酔いがかなり頭に回っている。やっぱ500mlビール缶一本で止めておけばよかったカモ。さすがにそれを三本も開けたら泥酔状態にもなるわ。しかも明日明日から仕事なのに、なにやってんだよ私!?
ーーうう~でも飲まないとやってらんない!! だって地獄の毎日が始まるんだよ? それでなくても昔とは違って今は経理から労務まで事務仕事一般を全て私が一人でやっている。
以前は常勤事務員二人で分担してやっていた仕事だったが、その一人が寿退社をした事で人件費削減とかで常勤がパートに代わり、残った私は必然的に1.5人分の仕事をさせられるはめになった。そしてそのパートも退職すると今度は私一人で年々上がり続ける社会保険料ですぐに無くなりそうなわずかの昇給だけで二人分の仕事をやらなければならなくなった。それが今現在の私の現状だ。
勿論、退職も一時考えた事もあるが、この世知辛いご時世、常勤の事務を募集する会社は殆ど無くなり、独り暮らしで生計を立てている身で先の見えない新しい世界に飛び込むわけにもいかず結局、不満や将来の不安を抱えたまま長年ひたすら真面目に働いてきた。
それなのに、それなのにーー新天皇が即位し改元するのに伴い4月末からゴールデンウィークに合わせて前代未聞の10連休にすると政府からの発表が正式になされた時、私は頭が真っ白になり脳内の思考が全て停止したーーー
「う………うそでしょう?………10連休?? む……無理、絶対無理だから」
しかもよりにもよって何故5月?? 連休明けったら7日でしょ? ウチの会社の給料日が15日なんですけど。200人分の従業員の給料計算、私一人でしかも電卓叩いて計算してるんだけど。更に給料明細も全部手書きで作ってるんだけど。それらを銀行の振り込み関係で13日までに全部終わらせないとならないんだけど。
そして新年度だから書類も全部新規で作り直さないといけないし、新規採用者、退職者の社会保険の手続きも早急にやらないといけない。それに請求書も作って各社に送らないといけないし先月分の売り上げ集計書類も作って本社に送らないと…………黙黙黙。
時刻はもうすぐ深夜の零時になる。ーーああ、明日が来る。地獄の一丁目から九丁目までこの世にある気がしてきた…………
私は再びビールをかっくらいながら、おもいっきり鼻をかみスマートフォンを手に取る。
お祭り騒ぎのテレビは見たくないし、かといって眠ればすぐに明日が来てしまう。なので転職する気はないものの、何気に無料求人サイトを開いて現在どんな仕事があるのか見ていると、そこに一際変わった求人が目に留まった。
『天の神子急募! 職務内容~龍王育成業務。募集人数4名。経験不問。高給優遇。衣食住有り。特典として天神の加護及び神通力付与ーーー』
「………なんじゃこりゃ? 神社の求人募集? にしては『神子』とか『龍王』とか変じゃない? もしかして龍神を祀る神社とか? しかも特典に『天神の加護』とか『神通力』とかわけわからん。めっちゃ怪しすぎるじゃん! こんなの求人に載せちゃってもいいの?」
そんな怪しげな求人広告を見て変なサイトに繋がったらヤバいと思い、すぐさま画面を閉じると画面には深夜の零時の時刻が表示されている。
「はあぁ~とうとう『今日』が来てしまった。この8時間後には地獄の日々が待っているのかーーさすがにもう寝ないとヤバいよなあ………ううっ、会社行きたくないよぅぅ」
私は側にあったお気に入りのパンダのぬいぐるみを抱き締めながら窓の外の夜空に浮かぶ綺麗なまん丸のお月様を見つめる。
「………ああ~私も輝夜だけに、かぐや姫のように何もかも捨てて、あの月に還れたらなあーーー」
ーーなどと呟いたその時だった。突然スマホから地震速報のアラームが鳴り出し驚いてスマホを手に取る。
「ちょ!何!? まさか、でっかい地震が来るの!? ーーって、あれ? 画面表示が出てない?」
アラームが鳴り続けているスマホの画面には地震の表示はなく画面が白く点滅している。
「え? うそ? スマホ壊れてる??」
ーーと次の瞬間、スマホの画面から膨大な白い光が爆発するように私を含む全てを呑み込み、私の意識はそこで完全に途絶えたーーー
【1ー終】