第15話『リンの目覚め』
「……馬鹿だろお前」
思わず、呆気に取られてそう言ったのは、魔族たちの頭〈魔王代理〉を務めるリーダーだ。
そして、その言葉を投げかけられたのは、〈大賢者〉である。
丁度昨日、仕事に送り出して、無事に帰還した二人の吸血鬼の貴族から〈大賢者〉はあるものを受け取った。
それが、仕事の一環で手に入れた、リンの力の源を封じ込めた黒い球体。
〈魔王〉を封じ込めておくことは出来ないこの球体。だが、〈魔人〉であるリンの力を永続的に抑え込むことも不可能で、特別頑丈な作りではないのだ。
だから〈大賢者〉は、それを受け取り、まともな器としての形を与えて操る事で、生体兵器として使おうと考えていたのだ。
そしてリーダーの言葉。
あれは、〈大賢者〉が失敗したから投げかけられた……、というものではなく。
「まだ完成には数日、かかるものと見込んでいたのだがな」
『いやぁ、柄にもなくはしゃいでしまって、恥ずかしい限りですよォ』
その生体兵器は、一睡もせず調整していた〈大賢者〉の手によって、僅か一日足らずで終わっていたのだ。
どうやらその分、調整が甘くなっていて、幻術を使って操っているようだが、それすらも完全ではないらしい。
肉体を得て、〈魔人〉としての力は十分に有しているが、魔族側にとっての兵器と使うには、些か中途半端に過ぎた。
『ですがそんなことをしていては、一体どれだけかかるか分かりませんしねェ。最低でも一ヶ月くらいは、見て置いて貰いますよォ?』
「……そんな簡単に、幻術が解けるわけではないか?」
『いくら甘いと言っても、流石にそこまで安くはないですよォ。それに、強さだけなら軽く吸血鬼の貴族を上回るレベル。奴らのトップクラスと殴りあわせても、結構いい線行くと思いますがねェ』
「ならいい。進軍を開始する。お前は時間ギリギリまで調整をしながら待機しろ。休むのはそれからにしてくれ」
『御意』
〈大賢者〉は、芝居がかった振る舞いで頭を垂れる。
リーダーがその場から立ち去ろうとした時、〈大賢者〉は妙な笑い声を漏らしていた。
『いやぁ、しかしあの少女にこんな施しをした者達には、感謝と同時に驚かされましたよ』
「……驚かされた?」
〈大賢者〉ですら驚くような事象。聞いておく価値はあるかもしれない。
リーダーが先を促すと、〈大賢者〉は口が裂けるような、大きな弧を描く不気味な笑みを貼り付けていた。
『知ってか知らずかはわかりませんがねェ。彼女に施されたのは、大昔、禁忌とされた大魔法の一つですよォ』
「古代の禁忌魔法だと?」
『ええ。それもとりわけ非人道的と言われていた魔法__魂の分離ですよォ』
深い意識の中、リンは漂っていた。
ただ、そこにはないもない。
あるはずのものもなく、真っ暗で、何も無い虚無な世界。
目を開けているかどうかもわからない。目を開いているような気がするのに、どこに視線を移しても、自分の体すら視認することは出来なかった。
その事実に、リンは身震いする。
真っ暗闇の世界に、一人だけ。その孤独に、恐怖を覚えていた。
だが、どうする事も出来ない。
ただ暗闇の中を、何も変わることの無い黒い景色の中を漂い続けるだけ。
恐怖が半ば、絶望へと変わり始めた、そんな時。
リンは唐突に、目を覚ました。
外はもう、日が沈んで暗くなっていた。
時間は既に、午後七時を回っている。
少し前までは、莉緒がリンを見守っていたのだが、流石に一人がずっとそうしている訳にも行かない。
将真の次は交代で杏果が入る予定だったが__
なんの前触れもなく、リンの両眼がカッと開かれた。
その様子に少し驚きながらも、将真は安心して胸を撫で下ろす。
まだリンの意識は覚醒し切っていないかもしれないが、とりあえず彼女に異常はないか、声をかけてみることにした。
「おはようリン。大丈夫か? これ何本に見える? どこか痛い所はないか?」
「…………将真、くん?」
矢継ぎ早な将真の質問に、キョトンとしているリン。質問に対する答えは貰えなかったが、それは特に期待していた訳では無いので気にしていない。
それよりも、特に異常がなさそうだという点に、将真は安心していた。
「よかった、大丈夫そうだな。ちょっと待っててくれよ、みんな呼んでくるから__とぉ?」
立ち上がり、部屋を出ていこうと背を向けた将真。
その服の裾をグイッと引っ張られて、バランスを崩した将真は、ベッドの上に尻餅をついた。
「おいリン、今のはちょっとビックリしたんだが__」
少し不機嫌そうに将真が文句を言うと、リンは将真の手を、両手で包み込むようにして、胸の前でギュッと握りしめていた。
「…………あの、リンさん?」
思わず動揺して、リンに敬称をつけて呼びかけてしまう将真。だが、少し様子を見ていると、リンの肩が震えていることに気がついた。
「……リン?」
「……行かないで。一人に、しないで……」
か細く、掠れるような声で、懇願するようにそう言ったリン。
おそらく孤独を恐れているような、そんな言葉。
将真の体温を感じ取ろうとするように、リンは強く、将真の手を握り続ける。
一方で、将真はリンの手から、冷たさを感じていた。
確かに死にかけていたし、冷え切っていたようなものなのだが。
(……どうすればいいんだろうか)
リンの様子に、将真は戸惑いを隠せないでいたが、リンは多分、気づいていないだろう。
将真は、辺りを見渡し、誰の気配もないことを確認。
(まあ、莉緒当たりがまた、気配消した状態ですぐ近くにいるのかもしれないけどな……)
その辺は仕方がないと思う事にして、将真は深呼吸をする。
今からやろうとすることに、ここまで緊張を覚えたことは無い。だが、将真は意を決して、行動に移した。
「……!」
「大丈夫だよ。俺はここに居るから。俺だけじゃない。誰も、リンを一人になんてしないから」
「……うん」
リンは、急に抱きしめられる感覚に驚いていた。
だが、戸惑うことも無く、将真の行動を受けいれて、心を満たす恐怖が落ち着くまで、将真の体に身を寄せていた。
流石に十分もそうしていれば、お互い冷静さを取り戻した。
それと同時に、羞恥と気まずさを覚えていた二人は、顔を合わせることも出来ずにそっぽを向いていた。
そうしているうちに、身を寄せあっていたのと同じくらいの時が過ぎていた。
このままこうしているのも良くないかと思い、将真は自分から話しかけていく。
「えっと……、もう大丈夫か、なんて、聞くまでもないよな……」
「う、うん……」
「……き、急にあんなことして悪かった。まあ、その……、嫌だったら言ってくれ」
「そ、そんなことは無いよ。私の方こそ、弱気になってて……、ごめんなさい。迷惑かけちゃったよね」
「いや、気にすることは無いけど……」
しかしながら、気まずさが晴れることは無かった。
とりあえず、リンが落ち着きを取り戻したようなので、将真は今度こそ、他の見舞いに来ていたメンバーを呼んでこようと立ち上がる。
「そ、それじゃあ俺は、みんなを呼んでくるよ」
「あ、それなら自分が言ってくるんで、将真さんはそのままリンさんのそばにいてあげたらどうっすか?」
「そ、そうか? それじゃあ任せようか……」
『…………』
返ってくるはずのない所から反応が返ってきたので、驚いた表情で声がした方を振り向くと。
いつから居たのか、何やらやたらとニコニコしている莉緒と目が合った。
「ひぇぃっ、づっ!?」
驚きの余り、舌を噛むほど動揺したリンが、口元を抑えて涙目で丸くなる。
それと比べると、いくらか落ち着いた反応の将真。
その様子を見た莉緒は、拍子抜けとでもいいだけな表情を浮かべていた。
「なーんだ、将真さんは驚かないんすね」
「いや、驚かなかったわけじゃねーけど……、気配もなかったし」
とはいえ、いるんじゃないかと思っていたのは事実だ。
そして、それにも構わず、リンを落ち着かせるためとはいえ抱き締めたのは、莉緒になら見られたところで、からかわれる程度で済むからだった。
(あらぬ誤解で、いらん噂とか流されても嫌だしな……)
莉緒には分からないように、少し顔を背けて顔を引き攣らせていると、小さくため息をついた莉緒が、くるりと反転して歩き出した。
「まあ、言い出しっぺですし? とりあえず、みんなを呼んでくるっすよ」
「あ、ああ、そうか……。それは助かるよ」
「……できるだけゆっくり戻ってくるんで、その間にお話でもしてて下さいっす」
「……そうだな。そうさせてもらうよ」
莉緒の行為に甘えると、彼女はニヤッと笑みを浮かべて、そのまま病室を後にした。
その笑みの意味を、二人は理解することが出来なかったが、とにかくこれで、ようやく落ち着いて話ができるようになった。
「……リン。俺だけじゃないけどさ、柚姉に聞いたよ。お前の昔の話を、わかる範囲でだけどな」
「……そっか」
そして再び、気まずい沈黙。
だが、今度の沈黙はそう長くは続かず、そして切り出したのはリンの方だった。
「じゃあ、私からも少し、昔のお話しようかな」
「……いいのか?」
少し話を聞いただけだが、あまり話したくないもの、思い出したくないものだって、あるはずだ。
それを彼女は、自分から話そうというのか。
「うん。柚葉さんが、ある程度の事情を知っているとはいえ、それだけじゃわかりにくいところもあったと思うし……。みんなにも話さなくちゃだけど……、その前に、聞いて貰っていいかな?」
「……ああ。構わないよ。いくらでも話してくれ」
そうして彼女は、自分の体験を語り始める。
将真はそれをただ、黙って聞いていた。
自警団の本部は、〈日本都市〉を守護するようにそびえ立つ山脈に建てられた、城壁も兼任している。
それはもう、一般人ですら知っている程に周知の事実だった。
そしてその城壁を起点に、〈日本都市〉をドーム状に覆う結界が、〈日本都市〉を護る要だ。
出ることも入ることも非常に困難な、高位魔族の強力な攻撃にすら耐えうる、頑丈な結界。
だがもちろん、出入りするためのゲートは存在している。海に続く南には存在しないが、残る北、東、西の三つ。
だからこそ、一番結界の効力が弱く、侵入されやすいその場所は、自警団の中でも優秀な魔導師を数人で警備に回すことで、常に厳戒態勢を敷いていた。
弱い魔族や魔物ならまだしも、知能の高い魔獣や、高位魔族に侵入されようものなら、どれだけの被害になるか、わかったものでは無いからだ。
そして今日の西側ゲートの担当は、自警団の中でも百位以内を狙えるような優秀な魔導師三人。
特別な名称はないが、自警団において、百位以内を狙える、序列三百位までの彼らのような魔導師は俗に、〈二軍〉と呼ばれていた。
島の外の任務となると、序列百位以内のものでないと難易度が高く、安全に達成することが困難となるため、そちらに手を取られる上位の魔導師は常に、人数が不足している。
だが、島内の任務ともなると、最優先は〈日本都市〉の防衛であるため、〈二軍〉と呼ばれる彼らが警備に選ばれるのも当然だった。
ともすれば、最も名誉な任務であるのだから。
勿論、全てを任せられる訳ではなく、もしもの時は足止めをするための役割もあるのだが。
三人の魔導師は、多少は会話を混ぜながらも、任務に集中していた。
だからこそ、その気配に気づくことが出来たのだろう。
「……誰だ!」
暗い茂みの奥で、何者かの気配を感じる。それも強力な。
三人の警戒は、一気に強まる。
一人が炎で暗がりを照らすと、茂みの奥から現れたものが明らかになった。
そして、三人の中で一人だけ、彼女の事を少しだが知っていたために、彼は怪訝そうな声を出した。
「……時雨リン、か?」




