第13話『激戦前夜』
深い微睡みから目が覚める。
ゆっくりと顔を上げると、時計は既に、放課後時を示していた。
「……げっ」
仕事中でありながら、深い眠りに落ちていたと気づいて、思わず柚葉は呻き声を上げた。
更に慌てて立ち上がると、どうやら肩に上着がかけられていたようで、パサッと地面に落ちた。
(……楓、気づいてたなら起こしなさいよ)
クスクスと笑う補佐の姿が、目に浮かぶようだった。
ガックリと肩を落としながらも、落ち着きを取り戻して椅子に腰をかける。
確かに最近、しっかりと眠れてはいなかった。
夜中は遅くまで、任務に出ることもあったのだ。主に、〈日本都市〉周辺での魔族の目撃例が増えたことが原因である。
「理由は分からないけど……、生徒達が危ない目にあう前に、なんとか対策したい所ね」
そうボヤきながら、確認の終わっていない書類に目を通し始める柚葉。
その時、彼女の端末に通信が入り、仕事を遮られて頭を掻きながらも、通信を受け取る。
ちなみに、発信者は将真であった。
「はいはい、どうかした__」
『柚姉、頼みがある!』
「な、何よ急に……」
いきなり切迫した表情で切り出されたために、面食らった柚葉だったが、画面に向こうでぐったりとしている、意識を失った状態のリンが目に映る。
「ちょ……」
『学園長、お願いします! はやく、早くリンさんを!』
莉緒もまた、今まで見たこともないような、悲嘆と焦燥が混ざりあった表情で捲し立てる。
勿論これで、ゆっくりしていられるはずがない。
座り直したそばからまた立ち上がる柚葉は、学園長室の窓を開け放ち、そこから飛びだした。
薄暗い研究室の中で、空色の髪の女が眠っていた。
ソファーの上で、ダサい眼鏡をかけたまま、ボサボサの髪を気にすることも無く。
不健康で小柄なために、どうしても少女に見える彼女だが__実際は、成人している立派な女性であった。
そして、〈花橘家〉と比べて、まともな方法で〈日本都市〉を支える研究者__出雲華蓮である。
そして彼女のこんな様子は、別に珍しくもなかった。
自分の事は二の次、研究第一なのだから。
それでも学生時代、一時期学園最強だったという成績もあるのだから、知ったものは皆驚きである。
そんな彼女の研究室が、突如開け放たれた。
自動ドアになっているので、開け放つも何も無いが。
「__華蓮さん!」
「ひょあっ」
眠っていたところに突然、それも大声で呼ばれたために、流石に驚いて華蓮は飛び起き、ズレたメガネを直しながら声が聞こえたドアの方を振り向く。
そこに居たのは、柚葉と、彼女が背負っているリン。さらにその小隊仲間である将真と莉緒だった。
そして華蓮は、人目見て気がついた。
時雨リンという少女の、何とも言えない、違和感。
「全く、騒々しいネ。人が眠っている時にサ」
「あの、申し訳ないんですけど、頼みがあります」
「いいヨ、言ってごらん」
とはいえ、彼女たちを一目見てから、大体のことは察していた。リンのことについての頼みであろうことは。
そして案の定、柚葉が切り出したのはその事だった。
「この子の体に起きている異常について、調べて欲しいんです」
「……私は医者じゃないんだけどナ。まあいい、詳しい話を聞かせてもらおうか」
将真たちと合流した柚葉は、リンの状態を見て愕然とした。
もちろん、リンが不調続きであったことはよく知っていた。だが、これはもはや、そういうレベルの話ではない。
普段はもっとリンから感じ取れる彼女自身の魔力が、簡単には感知できないくらいに小さくなっていた。
今にも死にそうな顔色でぐったりと項垂れている様子を見れば、流石に柚葉の焦りも頂点に達していた。
贔屓、と言われればそうかもしれないが、リンは柚葉にとっても妹のような、特別で失いたくない存在なのだ。
急いで将真たちを連れリンを病院へと送り、暫しの間、リンの検診が行われた。
その結果、とりあえず命に別状はないとの事だった。
一同はそれを聞いて一先ず安心、と思ったのだが、紛れもない異常現象で、魔導医師でも、何が起きているのか分からなかったのだ。
それで急いで、リンを連れて、恐らく〈日本都市〉で最も魔導的な異常現象に詳しいと思われる人物に会いに来たのである。
「……魔導医師でも、何が起きているのか理解できなかったか」
「そうなんです」
華蓮の問いに柚葉が頷く。
すると華蓮は、思案の表情を浮かべて小さく唸る。
その時間は、一分にも満たなかったが、焦燥に駆られていた柚葉たちからしてみれば、長く感じてしまうのは仕方の無いことであった。
「よし、わかった。私でよければ調べるヨ。ただその前に、柚葉。お前は特に落ち着きを取り戻して欲しいネ」
「えっ、私ですか……?」
「当たり前だヨ。他に誰がいる? 学園長のお前が動揺していては、生徒達の不安を煽るだけサ」
「う……」
痛いところを指摘されて、柚葉は顔を顰めた。
将真やリンは優秀な生徒だが、それでもやはり、二人よりも実力があり年長者。さらには学園長という立場も相まって、柚葉が与える影響というのはどうしてもある。
柚葉が動揺することで、二人の中で無意識の内に、不味い事態なのだろうと感じてしまうのだ。
「き、気をつけます……」
「そうだナ。あと調べた結果、この子がもう戦えない体になっている可能性もある、という事は考慮しておくように」
「えっ……」
「ど、どうして、いや、どうにかならないんですか!?」
華蓮の申告に、莉緒と将真は声を上げる。
そんな二人を、華蓮は呆れたようにため息をついて睨んだ。
「確かにお前達は優秀だ。が、そういう生徒達は結構、勘違いをしていることが多い」
「勘違い……、ですか?」
「そうサ」
将真が聞き返すと、華蓮は深く頷いた。
「例えどんな容易い任務であったとしても、こと戦闘においては、自分たちが命懸けで戦っているのだという事を、忘れてはいけない。だが、優秀な生徒ほど、危機感を忘れていくものでネ」
優秀、と言っても、学生が許可されている任務の難易度は、自警団ほど高くはない。
将真たちのように、不幸にもその場の巡り合わせで急に難易度が跳ね上がることはたまにあるが、そうなった時に無事で帰ってくる例は少ない。
運悪く何度かそういうケースに陥りながら、無事で帰ってくることに成功している将真たちは、だからこそ甘く見ているのだと、華蓮は指摘しているのだ。
例え何があっても自分たちは大丈夫だ、とか、そんな悪いことが起こるはずない、という、根拠の無い自身が、甘いのだと。
「もちろん、大したことない可能性もある。あくまで可能性として考慮しておけ、という話だからナ。あまり気にしすぎるのも良くはないゾ」
「……分かりました」
指摘された事で、自分の認識の甘さを理解した将真は、落ち込んだように沈んだ声で返事をした。
ふざけていたつもりはないし、危険であることは勿論理解していたが、どこかゲーム感覚でいたところは否めない。慣れ始めてしまえば尚更だ。
仲間も強く、大変な事態に陥ることがあっても乗り切ってきたから、命懸けという認識が、薄れていたのかもしれない。
「それじゃあ今から、少し調べてみよう。邪魔はしてくれるなヨ?」
「ええ、勿論わかっています。部屋の外で待っていればいいですか?」
「そうだナ、そうしてくれると助かるヨ」
柚葉は了承すると、落ち込む二人を部屋から連れ出してドアを閉じた。
そうして脅しのような忠告を受け、心中を不安が掻き乱してはや二時間ほど。
将真と莉緒は、再び病院へと戻っていた。
返送された、リンを見舞いに。
途中まで共に居た柚葉だったが、彼女の立場上、ずっと付きっきりでいる訳にも行かず、心配そうな面持ちで一足先に仕事へと戻って行った。
とはいえ、時間も時間なので、あるとすればそれは学園長としての仕事ではなく、自警団としての仕事であろうが。
それにしても、だ。
「……拍子抜け、とはまた違うのかもしれないけどさ」
「そっすねぇ。何だかすごい疲れちゃったっすよ……」
あんな風に脅された事もあって、魔導師生命に支障はない、と伝えられた時は、疲労感と脱力感で意識がどこかへ行ってしまいそうだった。
だが、まだ全てを安心できる訳では無い。
リンの今の状態に関する重大な話を明日、聞かされることにはなっていた。
将真も聞いた事がなく、莉緒でも知らない、恐らく生徒で知っているものはいないと言われた、それほどの秘密が、リンには隠されている。
「……一応、俺と莉緒はほぼ五体満足で帰ってきてるのにさ」
「……うん」
「なんか……、いつになく疲れたよ」
「そうっすねー……」
リンの身に起こった一大事。
その結果が出る度に、安堵したり不安を抱いたりの繰り返し。精神的に疲弊するのも、仕方の無いことであった。
「目覚めても数日の間……、って言ってたよな」
「言ってたっすねぇ。……じゃあ、自分たちも一旦戻って、休みます?」
「……その方がいいよな」
本当は、リンが目覚めるまでそばで見守っていたかったが、見守るも何も、ここに彼女を脅かすような存在はいない。
いたとして、〈日本都市〉唯一の魔導病院であるここのセキュリティを突破できるとは、到底思えない。
ならばあとは、病院の職員に任せて、一度自分たちも体を休めるべきなのだろう、という判断であった。
「リン……、また明日な」
目覚めない彼女にそう言って、将真と莉緒は、自分たちの寮へと戻って行った。
その日の夜、あまりよく眠れたとは、言い難かったが。
「__戻ったぞ、〈魔王代理〉」
「思ったより早かったな」
そう言ってリーダーが目を向けると、立っていたのは貴族の吸血鬼二人のみ。
確か行きの時は、一般吸血鬼を三人同行させていたはずだが。
「……残りの三人はどうした?」
「ちょっと相手の力量を見誤ってな。捕まった」
少しおちゃらけたような物言いとその内容に、リーダーは二人を強く睨めつける。
その眼光に、一瞬怯んでしまった一方の吸血鬼に対して、もう一方の吸血鬼は、相変わらず巫山戯たような雰囲気のままだ。
「そう怒るなよ。ちゃんとやる事はやってきたから」
「ならば成果をちゃんと見せろ」
「勿論、そのつもりだ」
そういうと、怯んだとはいえ直ぐに気を取り直した吸血鬼の方が前に出て、懐からその成果となる物を取り出しリーダーに見せる。
おぞましく禍々しい色とオーラを放つ、闇の湛えた黒い球体。
それをリーダーはゆっくり吟味する。
するといつの間にか部屋に現れた〈大賢者〉__実際には人影だけだったが、それが球体を視界に入れた。
『……おや、ちゃんと成功しているようですねぇ』
「そうか。ところでお前達」
〈大賢者〉の答えを聞いたリーダーは、さして興味もひかれなかったようで、直ぐに次の話へと移る。
「魔王様の方も、同じ方法で取り戻せたのではないか? なれば、何故やってこなかった」
「そう言われてもなぁ」
『魔王様は無理ですよォ。なにぶん力が強すぎるので、この球体の中に収めておけません』
「そうなのか」
『そおですよォ』
「ならば仕方あるまいな。ああ、あと一つ聞いておくが、この力を奪った子供……、時雨リンだったか?」
「そうだな」
リーダーの確認の意図がよく分からないながらも、吸血鬼は顔を見合わせて頷く。
するとリーダーは、また少し険しい表情で二人を睨んだ。
「……ちゃんと死んだか、確認したか?」
「……は? これ使ったら死ぬんじゃないの?」
今度はふざけていた方の吸血鬼も驚いたようで、目を丸くしていた。
それについては、製作者でもある〈大賢者〉が答えた。
『確実に殺せるアイテムではありませんよォ。あくまで相手から力を抜き取るだけですからねェ。とはいえ抜き取る量がごっそりと行くものなので、死んでもおかしくはないですし、たとえ生きていても、魔導師としては終わっているかもしれませんがァ』
「そうなのか……。それは悪かったな、そういう事なら確認しておけばよかったか?」
『いえいえ。別に殺すことが目的ではありませんからねェ。どうですか? 魔王の宿主は、動揺してくれましたか?』
「ああ、随分とあっさり暴走しかけていたよ。その時に漏れだした力だけでも、化け物だってのがよくわかった。あれが暴走しだしたら、俺たちじゃ歯が立たん」
『なるほどそうですかァ。これはいよいよ目覚めの時も近いようですねェ』
そう。〈大賢者〉の目的は、時雨リンを確実に殺すことではなかった。
魔王の宿主である将真の精神に強い揺さぶりをかけ、現在の〈魔王〉の状態を確かめるためだったのだ。
そしてもう一つ。
『それではその球は、こちらで回収させてもらいますねェ』
「……構わんが、何をするつもりだ?」
『複製するんですよ。オリジナルより強い、怪物を』
そういうと、〈大賢者〉は気味の悪い笑い声を立てて肩を揺らした。
その様子に、リーダーは頭を炒めるように溜息をつき、〈大賢者〉からは目を離して吸血鬼二人に新たな指示を出す。
「その作業がいつ終わるかもわからん。数日後にはまた直ぐに出立する。それまで少し体を休めて次の作戦に備えろ」
「次は何するんだ?」
吸血鬼の問いかけに対して、リーダーは静かに答える。
「__〈日本都市〉への侵攻」




