第2話『任務再開』
「遅い」
既に集まっていた美緒小隊と杏果小隊。
みんなを集めた杏果は、待たされて不機嫌気味に、両手を腰に当てていた。
「ご、ごめんね杏果ちゃん……」
「……まあいいわ」
だが、申し訳なさそうなリンの顔を見ると、硬い表情はすぐに解れて消えた。
杏果は、やはりリンには甘かった。
「そんな気がしてたし」
「どういう意味だよ」
「そのまんまの意味よ」
杏果たちは、将真たちが後輩との面倒なやりとりがあったことを知らないはずなので、どう足掻いても遅刻するのではと思われていたという事になる。
まあ将真たちも、今朝遅刻したばかりの身なので、あまり強気に出られないのだが。
待ちくたびれたとばかりにため息をつく猛と、その隣で苦笑を浮かべる佳奈恵が口を開く。
「おら、さっさと行くぞ」
「そんなに遠くないんだよね?」
「そうっすね。とはいえ、国外ではあるんすけど」
莉緒の言う通り、目的地は日本にはなかった。
任務の目的地となるその場所には、特に名前などなかった。
何せ、ただの荒野だ。
元より、当たり前のように魔物が彷徨いているような場所ではあるのだが、今回問題となったのは、その数にあった。
普段の凡そ数十倍ともなれば、確かに異常だろう。
最近まで〈表世界〉にいた将真は、ある程度なら世界地図がわかる。
その場所は、自警団南支部から海を西に出てすぐ、〈表世界〉で言うところの中国。
ここには大きな魔導国家が存在するが、それはもっと内陸部に存在する。
ちなみに将真は、〈裏世界〉の地図を見て大いに驚かされていた。
本来なら、すぐ西にあるのは韓国辺りであるはずなのだが、原因不明の巨大なクレーターのせいで国はなく、そのまま海に沈んでいたのだから。
ともあれ、約半日かけて、目的地に到着。
もう遅い時間であるため、安全な場所を探して夜営するしかなかった。
いくら実力者で、さらに実力もつけてきているとはいえ、魔属性の魔力に犯された外気は、まだ学生魔導師には少し辛いものなのだ。
「なのになんであんた達は平然と数日かけてんのよ」
だから、杏果のこの疑問も当然のものだった。
勿論それ相応の準備をしていれば、一般的な魔導師でも、数日かけての外出任務は問題ない。
だが、莉緒小隊にはそれなりの理由があった。
「自分はちょっと、詳しい事は言えないんすけど。家の事情もあるんで」
「ボクは自分でもよくわからないんだけど、なんかそんなに辛くないんだよねー」
「それで将真は……、まあ、聞くまでもないわね」
「言うまでもなく、〈魔王〉の影響だろうな」
莉緒とリンの魔耐性が高い理由は不明だが、将真だけは明確だった。
将真の中に宿る〈魔王〉。この外気の濃密で、一般的な魔導師には有害ですらある魔属性魔力は、そもそも〈魔王〉が原因らしい。
なれば、その〈魔王〉の影響を直に受けている将真が平然としているのは、何も不思議ではなかった。
そして当然、莉緒が家の事情で理由は言えないものの、そういう理由で魔耐性が高いならば、美緒もまた同じであった。
猛もまた、将真に似たような理由だが、体内に残された魔王因子の影響で、それなりに高い魔属性への耐性がある。
では、佳奈恵はどうなのかと言うと、
「何か、前に先生に聞いてみたんだけど、〈多属性〉とか〈二属性〉の魔導師って、単一属性の魔導師と比べると魔耐性があるみたい。〈二属性〉だと気休め程度だけど、〈多属性〉だと、それなりの耐性があるんだって」
「って事は……」
「あー、そっか。杏果や響弥が外だとへばるの早いなぁと思ってたんだけど、違うんだ。私が二人より魔属性に対する耐性が高いだけなんだ」
「そういう事になるね」
佳奈恵の説明を聞いて、静音は納得を得たように、何度も頷いていた。
つまり、第1中隊は、かなり高い魔耐性をもつメンバーばかりとなる。魔耐性を持たないのは、杏果と響弥のみ。
まあ魔耐性がないからと言って、すぐさま外で悪影響を受けるということはないが。そんなことがあれば、既に二人の体はボロボロだ。
魔耐性は、あくまで外気の魔属性に、どのくらい耐えられるか、という基準に基づくものなのだから。別に、活動できなくなるとか、そういうことは無いのである。
それに、外での夜営や長期任務に備えられる魔導アイテムも存在する。
例えば、小さな正三角錐型の結界装置がある。これは、一般的な拠点防衛用のアイテムのひとつだ。
一定量の魔力で充電すれば、かなり大きな正三角錐型の結界が展開され、約半日ほどその効果は持続する。探知機としての効果もあるため、何かが結界をすり抜けたり破壊したりすれば、即座に警報によって知らせてくれるという優れた代物だ。
「そうだ、それじゃあ杏果さんと響弥さんにはこれあげるっすよ」
そう言って、莉緒がしゃがみ、自分の影に手を突っ込んだかと思うと、漁るように手を動かしてあるものを取り出した。
それは瓶だった。中には、沢山の錠剤が入っている。
「……これって、魔導薬剤よね?」
「そうっすよ」
「副作用とか大丈夫なやつでしょうね?」
魔導薬剤も、長期任務に備えられる魔導アイテムの一つだ。
これは、1年生の授業で触り程度に聞いたことだったが、魔導薬剤には、色んな効果がある。
そして今回、莉緒が用意したのは、長期任務でよく使われている、魔耐性を一時的に向上させるものだ。
だが、魔導薬剤には、リスクもあった。
そのリスクは、安全なランクCから、副作用の強いランクAまでとランク付けされている。
杏果が心配する副作用というのは、そういう事であった。
「大丈夫っすよ。ちゃんとランクCの物を選んでるっすから」
「ならいいけれど……」
ちなみに、それぞれの危険度の詳細だが、ランクCは、『副作用がない。または僅かにあるものの、殆ど問題は無い』。ランクBは、『副作用があり、使用に注意が必要』。ランクAは、『強力な副作用があるので、余程のことがない限り、使用しない事』という規定がある。
杏果が受け取った魔導薬剤は、決して副作用がない訳では無いが、少なくとも危ないというほどのものではなさそうだった。
「あっ、でも服用回数は1日に1錠っすよ。あともう1つ大事な注意点があるっす」
「え? 結局危ないってオチ?」
「リスクについては問題ない」
杏果の不安に答えたのは、莉緒ではなく美緒だった。
そしてその表情は、若干引きつっているように見えた。
「私も飲んだことあるから分かるけど……」
「分かるけど?」
「……すんごい不味いから、気をつけてね」
『……え?』
杏果と響弥が、その言葉の意味を理解すると、錠剤の入って瓶に視線を落として思わずそんな声を漏らした。
そして今の二人には、瓶が異様な気配を放っているように見えていた。
「……響弥、あんた先行きなさいよ」
「やだよ、お前がいけよ! もし俺が食って駄目だったら、お前食わねーだろ!」
「そ、そんな事はないわ……?」
「疑問形じゃねーか!」
「バカ言ってないで二人で食べればいいじゃない。今それが必要なのは、杏果と響弥だけなんだから」
『ぐっ……』
子供みたいに押し付け合うところを、静音に窘められた二人は、苦々しい表情を露わにする。
少しの間、フリーズしていた二人だったが、やがて意を決した用に瓶の蓋を開ける。
一見普通に見える、薄黄色っぽい三角形の錠剤。
だが、味の想像はつかず、ただ不味いことだけは分かっている恐怖が、二人の手を止めていた。
それを傍から見て、少し面白そうな表情を浮かべている莉緒だが、その袖を誰かに引っ張られる感覚があり、振り向く。
莉緒の袖を引っ張ったのは、ソワソワとした様子のリンだった。
「どうしたんすか?」
「えっと……、ちょっとお花摘みに行きたいんだけど……」
「あー、そう言えば」
コソコソと耳打ちされて、莉緒は納得したように頷いた。
ここまで来るのに、あまりそういう休憩を取っていないことを思い出したのだ。
「了解したので、とりあえず早いところ行ってきたらどうっすか?」
「そうなんだけど、その……、つ、ついてきてくれない?」
「いや、なんでっすか……って、ああ。リンさん、くらいのダメなんでしたっけ」
莉緒に言われて、リンは少し恥ずかしいそうにこくこくと頷く。
よく考えてみれば、暗いのがダメ、という以外にも、今のリンがこんな見通しの悪いところでもし魔族や魔物に襲われでもしたら、と思うと、確かに一人で行かせるのは危ないかもしれない。
結界の範囲からは出る事になるし、任務地には到着しなかったものの、ここは既に、その近場ではある。
少し考えた結果、あることを思いついた莉緒は、少し邪悪な笑みを浮かべた。
「ちょっと待つっす」
「え? う、うん。わかった」
そう言うと、訝しげなリンを置いて、莉緒は仲間の輪に戻っていく。
そして暫くすると、戻ってきたのは莉緒ではなく将真だった。
将真は、戸惑うように口を開く。
「なんか、莉緒に『リンさんについてって』って言われたんだけど……」
「えっ、えぇぇっ!?」
リンが少し大袈裟に声を上げる。
だが、本人からしてみれば、当然焦るのは無理もない。
タダでさえ恥ずかしいことを頼んだ自覚があるのに、それでも莉緒だから大丈夫だと思ったところに、ついてくるのは将真である。
リンとしては正直、絶対に拒否したいところだった。
しかしここで、問題がある。
(ど、どうしよう。もう我慢が……)
少し前から行きたくなっていたリンは、もうこれ以上のんびりしている余裕がなかったのだ。
そしてそれを自覚出来ているからこそ、リンは覚悟を決めた。
「うん、わかった。お願いします……」
「ああ。それで、どこについて行けばいいんだ?」
「……お花を摘みに」
「ふーん……、えっ」
適当な返事を返した将真だったが、言われた意味を理解すると同時に、将真は絶句した。
「だ、だからその、見たり聞いたりしちゃダメだからね!?」
「し、しないしない! てか、なんで莉緒はそんな役目を俺に押し付けたんだ……?」
ふと、莉緒の悪意を感じた将真は、気のせいだと信じて首を振る。
そうして何事もなく、リンの用が済んで戻ると、魔導薬剤のあまりの不味さに吐きそうなほど悶絶する杏果と、不味さのあまりに真っ白に燃え尽きた響弥。
その混沌と化したその場を見て、将真とリンは、顔を見合わせて苦笑した。
そして翌日。
「酷い目にあったわ」
「全くだぜ……。俺も猛見たいに〈魔王因子〉とか入れられないかなぁ」
「やめとけ、ろくなもんじゃねえぞ」
「わかってるって、冗談だよ」
起床後、それぞれ用事を済ませてその場を片付けると、すぐに将真たちは出発した。
移動を初めて大体1時間ほどすると、現場が見えてきた。
すると、莉緒がどこからとも無く、魔導アイテムを取り出す。
「それは?」
「魔物やら魔族やらを探知するアイテムっす」
「なんか……、形がド〇ゴンボールレーダーみたいなんだけど……」
「なんすか、それ?」
「いや、何でもない」
物を見た将真の感想に首を傾げる莉緒。どうやら、彼女に通じる話ではなかったようだ。
後ろで「あー……」というような表情をしている響弥をみると、彼には通じたようだが。
「それで、どんな感じ?」
「そうっすねー……、って、うわぁ……」
「どうしたの?」
「……前倒した時の総数より、増えてるんすけど」
『えぇぇ?』
将真やリンだけでなく、他のメンバーもまた、声を上げて探知機を覗き込んだ。
そしてその反応を見て、全員の顔が引き攣る。
「これ、何日かかるかしら?」
「いや、頑張ればそこまでは行かないんじゃね?」
「でも、二日は見積もった方がいいんじゃないかな」
「まぁなんとかなるっすよ」
「莉緒はなんでそんなに楽観的なの」
思わず美緒は、呆れたようにため息をついた。
将真たちは、すぐに戦闘準備を終えて、魔物の群れが一望出来る、少し高いところに登った。
深呼吸を揃えると、意識は任務状態へと切り替わる。
一応、この中隊におけるリーダーである杏果が、気合いと共に声を上げた。
「__行くわよ!」
『おおっ!』
威勢よく返事をした一同は、一斉に魔物の群れに向かって駆け出していった。