エピローグ『見え始める甘さ』
1章完結。
次回から2章です。
柚葉は、少し足早に病院の中を歩いていた。
こんな世界でも常識というものはあるようで、病院内を走り回るような者はいるはずもなく、そして静かであった。
そして柚葉は、目的の病室へと到着する。
扉を開けると、ベッドに横たわる莉緒と、彼女についている看護師がいた。
その光景を目にして、柚葉は特別驚くこともなく莉緒の側まで歩み寄る。
「……莉緒はどんな感じ?」
「すごい生命力と精神力ですよ。今どきの魔導師の子はみんなこんな感じなんですか?」
「つまり無事なのね」
「まあ彼女は特に、しばらくの間絶対安静ですが」
序列戦も近いというのに、大丈夫だろうかと考えるが、それは莉緒の回復力に賭けるしかない。
まあ、彼女の実力であれば、今回1度落としたところで、また次回復活するだろうが。
「帰ってきた1年生の子達も、一応安静にしなくてはいけませんがね。特に男の子二人は、相当魔力の消耗が激しいようでしたし、長いこと外の悪環境に晒されたのではね」
「大きな怪我がなかったことは救いね」
まだ詳しいことは聞いていないが、戦った相手の強さを考えると、全員無事で帰ってきたのは奇跡的だ。
莉緒が無事とは言い難いが、命に別状はないのだから問題ないだろう。今後の魔導師としての活動も、完治すれば支障はないという。
安心していると唐突に、自分の端末に通信が入ってくる。看護師に促されながらそそくさと病室を出た柚葉が通信に出ると、学園長室で待機させていた楓からであった。
「どうしたの?」
『弟さんがいつもの子と任務の報告に来てますよ』
「あら、そう。それじゃあすぐ行くからそこで待たせておいて」
『了解です』
通信を切ると、柚葉は不意に思い出していた。
一番激しい戦闘をしていたのは将真だったはずだ。そしてそれなりのダメージを負い、〈魔王〉の力も使っていたのだとすると、その負担は大きい。
本来なら、動けるような状態ではないと思っていたのだが……。
(まさか、怪我ひとつないどころか、いつにも増して快調だなんて)
〈魔王〉の侵食が進んでる証拠かもしれない。
服はボロボロで、確かに傷を負ったような痕跡はあるのに、どこをどう調べても、怪我はなかった。
加えて、将真の体内を循環する魔力が、普段よりも割り増しで強力なために、疲労も吹き飛んだように、ピンピンしていたのだ。
「喜ぶべきでは……、ないかもしれないわね」
ボソリと呟くと、柚葉は可能な限り急いで病院を出て、学園長室へと向かうのだった。
「__さようなら」
『__っ!』
その言葉に、思わず戦慄を覚え、構える将真たち。
だが、〈ウィッチ〉は仕掛けてくる様子はなく、そんな将真たちの様子を見て、驚いたように目を見開いていた。
直後、思わずと言った様子で〈ウィッチ〉が吹き出していた。
「ふっ、ふふふっ。さようならの意味を殺されるって捉えちゃったのね。いいのよ別に、今あなた達を殺すつもりなんて欠片ほども無いもの」
「どういう事だ……!?」
「あら、あなたが1番理解していると思ったのだけど」
〈ウィッチ〉の発言に理解できないというように声を絞り出す将真だが、逆に〈ウィッチ〉が、将真を諭すようにいった。
「道端の石ころに気を止める事なんて、まず無いでしょう?」
「い、石ころって……」
リンが複雑そうな声でつぶやく。
興味すら持たれていないことに、安堵もあれば釈然としない、という感情が湧き上がってきたせいだった。
(ボクが弱いのは分かるけど……、〈嫌悪〉を倒した将真くんでも、道端の石ころ程度なの?)
将真と違って、明確に〈ウィッチ〉の強さを測れないリンは想像することしか出来なかったが、それでも十分、戦慄に値する強さを持っていることだけは理解した。
「あなた達程度が何人束になろうと私の相手じゃない。でもそれは、あなた達が未熟だからではないのよ。大人の魔導師たちですら、大して変わりはしないわ」
「……団長たちでもか」
「そうだね……。うん、強いけど、数が足りないかな」
少し考え込むように唸ると、〈ウィッチ〉満面の笑みを浮かべてえげつない事を言ってのけた。
団長たちでも、数が足りないから勝てないと言われるくらいなのだから、もう彼女が魔王なのではないかと思えてくるような強さである。
すると、〈嫌悪〉が薄笑いを浮かべて将真たちを睥睨する。
「無駄だ。お前達では勝ち目なんかない。彼女は、〈無邪気〉の称号を持っているのだから」
「そいつも称号持ちかよ……」
「そういう事。だから精々、今の生を謳歌するといいわ。どうせ近々戦争が起きることはわかっていると思うけれど。それに私の目的は今も昔も変わらず、人間の滅亡。それは魔王と共に成し遂げる事であって、今はどうでもいいわ」
最後に好きなだけ言うと、〈ウィッチ〉は〈嫌悪〉を抱えたまま反転して、虚空へと姿を消した。
(……どうやって移動したんだ)
そんな疑問は口に出さず、心に押し殺した。
こうして風間優との接触以来の危機から、拍子抜けするほど容易く脱した将真たちは、急いで〈日本都市〉へと帰還したのだった。
「報告は以上です」
「ふぅん……」
将真とリンの話を聞きながら楓が書き記した書類を再度確認して、柚葉は少し考え込む。
「マッドの〈嫌悪〉にウィッチの〈無邪気〉ねぇ。しかも片っぽは裏切り者で片っぽは優さんに匹敵するほどの化け物か……。頭痛くなってきそうね」
柚葉はそう言うが、特に後者だろう。
風間優ですら不安要素だというのに、彼と同等以上の魔族が確認されたわけなのだから。
今の将真でも倒せたのだから、1度捕捉してしまえば、〈嫌悪〉くらいなら自警団で問題なく処理できるので、そこまでの脅威とは見なされなかったが。
「なんでその、〈嫌悪〉てのは、魔導師裏切ってまで向こうに行ったのかしらね」
「流石にそれは聞いてないけどな」
そんな悠長な事を話し合う余裕はなかった。
殺し合いをしていたのだ。そして、〈無邪気〉が出てこなければ、勝利した将真が〈嫌悪〉を殺す事になっていただろう。
逆に、〈無邪気〉の気分次第では、将真たちの皆殺しもあったかもしれない。
「まあとにかく、よくやってくれたわね。相手の強さと目的を考えると、今回は大した被害もなくてあ安心したわ」
「いや、結構大きな被害だったと思うんだけど?」
「まあ、空たち……、特に陸と海は安静にしてなきゃいけないし、莉緒はそれよりさらに酷い怪我だったけど、命に別状はなかったじゃない。安静にしていれば完治するとも言われてるから、後遺症も残らないはずよ」
「まあ、そうだけど……」
柚葉の言うことは理解できるが、簡単には納得出来なかった。そんな2人をみて、少しオロオロしていたリンだが、意を決した用に将真の手を引く。
「そ、それじゃあ報告も終わったし、莉緒ちゃんのお見舞いに行こう?」
「……そうだな」
少し表情は険しいままだが、リンにあまり気を使わせるのも申し訳なく、将真はとりあえず不機嫌を心の中に押し込めようとした。
だが、学園長室を出ようとした手前で、背後から柚葉の呼びかけが。
「将真」
「……なに?」
「……将真のそういう所、私は好きよ?」
「……あっそ」
少し面食らったような表情を見せた将真は、照れ臭そうに顔を背けてそのまま学園長室を後にした。
そして柚葉は、将真を見送りながら思っていた。
(莉緒の話だと、将真が〈嫌悪〉にとどめを刺す事を躊躇ったって言ってたわね……)
柚葉は、そういう所は好きだと言ったものの、少し心配でもあった。
将真のそれは、どちらかと言うと優しさより甘さだ。
勿論、将真が今まで倒してきたのは、いかにも魔族といった相手や、RPGなどではよく出てくるような魔物ばかり。今回のような人を相手にした経験は少なく、まして殺さなくてはいけないシチュエーションというのは初めてだろう。そういう意味では仕方がないのかもしれない。
だが、いずれは必ず迎える事になる〈魔王軍〉との、生存を掛けた大戦までには、克服してもらわなければならない問題だ。
将真の魔力量は、〈魔王〉が関係しているとはいえ、現状おそらく柚葉の5倍は下らないだろう。そんな彼が、この戦争に参戦させられないわけがない。どう足掻いても、何らかの形で関わることになる。或いは、最前線という可能性も。
(まあ、それ以上に将真の力が暴走しないように気をつけなきゃいけないわけだけど……。将真、あなた自身も、そろそろ踏ん張りどころだからね)
勿論、柚葉のそんな心配を、将真が知る由もないのであるが。
所変わって、魔族たちの現拠点中心地。
そこでは、〈魔王軍〉の幹部達が集まり、そこに〈無邪気〉と、連れ帰られた〈嫌悪〉が途中参加していた。
「ごめんねみんな。ちょっと遅くなっちゃった」
「仕方がない。それより〈嫌悪〉が無事で何よりだ」
「仲間としてもそうだけど、やっぱり戦力的にも失うのは痛いしな」
幹部の中でも、少し雰囲気の変わった男が、安心したように息を吐く。
彼は現状、〈魔王〉という柱が不在の中で、その代理を務めているもので、実質リーダーである。
そしてそんな彼に同意するように口を開いたのは、軽薄そうな雰囲気を纏うコボルド。
さらに同感を示すように頷く二人の魔族。
1人はゴブリンだが、同じ種族とは思えないほど筋骨隆々の、いわゆる〈キングゴブリン〉。
そしてもう1人は、逆に種族の中では小柄なオークの男だ。
「これはまた、勢揃いだな……」
「そうは言うが、全員ではないぞ?」
「そうだな。私としても、全員集まって欲しかったところだが」
「何かあるのか?」
〈嫌悪〉の問いかけに、リーダー格の男は肯定を示す。
「そもそも今回のお前に与えられた仕事は、〈大賢者〉からの、よく分からないものだっただろう?」
「ああ、その通りだ」
「とりあえず、あいつが何を考えて行動しているのかがいまいち読めん。それについて、問い質さねばな」
なるほど、と〈嫌悪〉は頷く。
とは言え、〈大賢者〉と呼ばれるその人物は、呼ばれて姿を現すことは無い。
向こうの都合がいい時に、それでも何らかの形で間接的な接触のみだ。
例えば、今回のように、魔法の鏡のようなものに自身の姿を映して、自分勝手に話し始める時か。
『やあどうも、ご機嫌麗しゅう』
「随分とまた急だな。それと、こっちの機嫌はさして良くはないぞ」
『おや。それをわざわざ私に言うということはァー……。原因は私ですかねぇえ?』
「分かってるなら話が早いな。お前、今何を考えて行動している」
リーダー格の男が、〈大賢者〉と呼ばれた者を睨めつける。その威圧感たるや、代理とはいえ魔族たちを率いるものに相応しい迫力だった。
その迫力に、参ったを示すように、画面の向こうの人影が頭を振る。
『いやぁ、流石古き世代の魔族は底知れないですねぇ。しかしご安心を。私が考えているのは、今も昔も魔王様のことだけですとも』
「どうだかな。それで、何を考えている?」
再度の問いかけに、〈大賢者〉は渋々と言った様子で語り始める。
『えぇ、まあそうですねぇ……。そろそろ、魔王様の復活を、と思いまして』
「……出来るのか?」
『一応、作戦は立ててますとも。〈嫌悪〉も、最低限の働きはしてくれましたしねぇ』
「どういう事だ……?」
〈大賢者〉の指示は、あの遺跡を仮拠点としたいから魔導師よりも先んじて場所を取れ、という事だったはずだ。
その目的は、戦争時における中間点。
極めて重要という程ではないが、確かにあれば大きい。
だが、その任務を邪魔され、魔導師たちに遺跡が見つかっただけでなく、奪い取られるという始末。これで1人も殺せなかったのだから、最低限の働きすらできた覚えは、〈嫌悪〉にはなかった。
『あなたは、片桐将真と戦ったでしょう?』
「片桐将真? 確か、魔王様の宿主となっている人間だったか?」
勿論、その情報はリーダーの耳にも入っていたが、まさか本当だとは思っていなかったのだ。
そんな少年に宿っているのだとしたら、魔王は容易く精神を食い破り、現界していてもおかしくないはずなのだ。
だが、〈嫌悪〉はリーダーの想像に異を唱える。
「あれははっきり言って化け物だ。戦っていた時は頭に血が上って気がつけなかったが……、あれでまだ未完成だ。魔王の力を無しにしても、センスの塊としかいいようがない。あんな奴が完成した強さを手に入れたら……」
「手に入れたら?」
「……秀才止まりの俺では図りきれないが、おそらくランディと肩を並べるくらいには」
「……そこまで行くと、確かに我々にとっても十分障害になるな」
リーダーが唸るように考え始めると、〈大賢者〉が〈嫌悪〉に同意を示す。
『彼に自覚があるかは分かりませんが、無意識のうちに強靭な精神力で、魔王様の力の暴走を抑えている。それが片桐将真の現状なんですよねぇ』
「だから、簡単に魔王化はしないと」
『簡単であれば、回りくどい真似はしませんよぉ』
それもそうか、と〈大賢者〉の言葉に妙に納得したリーダーは、話の続きを促した。
『まあ要するに、どんどん〈魔王〉の力を使わせよう、という魂胆なわけですよぉ』
「するとどうなる?」
『単純な話です。いくら精神力が強かろうと、そんなものは時間稼ぎにしかなりませんので、使えば使うほど、侵食は否が応でも進んでいくのですよぉ』
つまり、〈嫌悪〉は〈大賢者〉のいう最低限の働きをきちんとこなしていたのだ。
将真と戦い、〈魔王〉の力を使わせるという、〈大賢者〉の目論見通りに。
『ついでに何処まで効果はあるかわかりませんがぁ、彼に精神的な揺さぶりを与えると共に、〈日本都市〉にダメージを与えられる『かも』しれない作戦がある訳ですがぁ』
「それで魔王様は顕現されるのか?」
『次の1回で行けるとは断言できませんねぇ』
だが、〈大賢者〉の目測は大体正確なところまで来ている。
この作戦が成功すれば、顕現までは行かずとも、その後の一押しで将真の中の魔王が体の主導権をを奪い、顕現できる程度には侵食が進むはずだと。
「だが、片桐将真は神器らしきものを持っていたぞ? 加えて、それを使うだけの技量も持ち合わせていた」
『関係ありませんねぇ。要は魔王の侵食が進めばいいんですからぁ。それにその神器は、おそらく〈魔王〉の力と反発して同時使用はできないものだとおもうのでぇ、〈魔王〉の力を使わなければならないくらいに徹底的に追い詰めれば、使わせることは可能だと思いますよぉ』
『……』
「……まあいい」
一同が黙り込む中、リーダーが静かに口を開く。
その口調からは、どこか諦めのようなものを感じた。
「そこまで明確なビジョンがあるのなら、任せても問題なかろう。魔王様が顕現し、帰還するまでは、作戦を任せることにしよう」
『光栄の至りにございますぅ。それでは作戦の準備に取り掛かっていくので、私はこれにて失礼__』
そう言い残して、〈大賢者〉は通信を切った。
こんな大事な話をしているにも拘らず、姿を見せないというのは胡散臭いと思わざるを得ない。
だがそれは、今に始まった話ではなく、〈大賢者〉の知恵が〈魔王軍〉を支える柱の一つであることも否めないため、今更攻める気にもなれなかった。
「……そういうわけだから、すまんな。あいつに招集された場合は、とりあえず従って行動することを推奨する」
『了解』
「では、今回はこれで解散だ。急に集めて悪かったな」
リーダーの一言により、話し合いは終わりを迎えた。
散り散りに、自身の領地へと戻っていく彼らを見送り、彼は空を見上げた。
「早く目を覚ませ。お前の悲願まで、もう少しなのだから」
届かないと分かっていながらも、かつて肩を並べ戦った、仲間に向けた言葉を口にして。




