今日から僕は 36
誠が初めて見るアイシャの目がスケッチブックの絵を見つめている。慎重にページをめくる手も、いつもの軽薄さを感じない。
そんな姿を察して少し声をかけるのはやめようと、誠は右手でボールの握りを確認しているカウラに声をかける。
「カウラさんて、右投げですよね?」
その言葉にボールを見つめていたカウラが誠に目をやった。
「ああ。明石中佐が体が柔らかいならやってみろというので、アンダースローで投げている」
ボールを何度と無く握りなおしている。誠は机の上にもう一つ置かれていたボールを左手で握ると彼女の前に座った。
「球種は、何を投げますか?」
カウラの手はストレートの握りから多少指をずらしてみると言う動きを繰り返している。それを誠は見つめていた。
「まだ始めたばかりだからな。ストレートとシュートだけだ。とにかくコントロールさえ間違えなければどうにかなるというのが、明石中佐の助言なのでな」
そう言うとカウラはストレートのボールの握り方で誠の目の前に右手をかざした。
「シンカーとか、ライズボールとか、横だけじゃなくて縦の変化もつけたほうがいいですよ。その方が相手バッターの意表をつけますから。それとチェンジアップ……」
そう誠が言いかけた時、いつの間にか部屋から出ていたサラがドアの前で手招きしているのが見えた。気がつけば島田もいなくなっている。
カウラはそれぞれ誠の言った球種の握り方は知っているらしく、手にしたボールに集中している。
誠はその隙を突いてサラのほうへと出て行った。
「何ですか……」
誠が言いかけた時、サラの隣に人影があるのに気づいた。
要が手に携帯用の灰皿に吸殻を落としていた。
「たまたま近くをバイクで流してたら、サラから連絡があってな」
要が言い訳のように誠と目もあわせずにそう言った。
「ああ、そうなんですか」
「たまたまだからな!」
聞かれてもいないのに要は、吐き捨てるようにそういった。
「ここにいたら二人に聞かれるよ。踊り場のほうに行ったら?」
サラが気を利かせてそういうのを待たずに、要は身を翻して廊下を先に進んだ。
「西園寺さん」
二階の踊り場のソファーにずかずかと歩いていき、どっかと腰をすえる要。誠はそれについていくしかなかった。
「お前のことだからアイシャにからかわれて泣きでも入れてるんじゃないかと思ってな。一応お前の上司だし、部下の面倒を見るのが上司の……」
語尾に行くにしたがって自分の言葉が言い訳じみてくるのが嫌なのか、要は視線を落としてしまった。
「免停中じゃなかったでしたっけ?」
誠の冷静な突っ込みに、烈火のごとく怒った要の顔がこちらを向いた。
「うるせえな!見つかんなきゃいいんだよ!ったく……」
要はそう言うとタバコを取り出す。
「あの……喫煙所は一階なんですけど……」
誠がそう言うと要はきつい視線を誠にぶつけた。
「馬鹿野郎!どうせ島田のアホが決めたことだろ?アタシは中尉だ。あいつの上官だ。なんであいつの決めたルールを守んなきゃいけないんだよ!」
そう言いながら携帯灰皿をテーブルに置いて要はタバコをふかした。




