今日から僕は 31
お互いグラブをつけた明石と誠はハンガーの搬入路をわたり切ったグラウンドの上でキャッチボールをはじめた。その様子を暇をもてあましている整備員達がぼんやりと群れを作って眺めていた。。
「肩の調子はどうじゃ?」
明石はおっかなびっくり投げている誠に向かい、そう尋ねた。
「とりあえず痛みは無いですが……」
明石の投げた球をグラブの中で握りなおす誠。明石はそんな誠を見ると笑顔を浮かべた。
「それじゃあ軽く投げてみるか」
そう言うと明石はグランドのホームプレートに向かって歩き始める。
「プロテクターとかは?」
誠はそのままマウンドに向かいながら明石に尋ねた。
「ワシを舐めとるのか?ワレの弱気な球くらい体で止めて見せるわ!」
誠はその言葉にむっとすると、マウンドを馴らしながらじっと右手のミットの中の白球を見つめた。
本当にこれを握るのは久しぶりのことだった。
怖かった。
実際、肩を壊してベンチでじっと自軍の負け試合を応援団に混じって見続ける日々が頭に浮かんでくる。そんな屈辱的な映像が浮かぶのを打ち消すように誠は思わず視線を地面に落とした。
「とりあえず肩馴らしじゃ」
そう言うと明石は中腰のままミットを構える。
誠は軽く明石のミットにボールを投げた。スパンと音を立ててボールは明石の左手に吸い込まれた。
「もう三球。腕を振り切るように投げてこいや」
ミットのボールを誠に投げ返す明石。
誠はボールを受け止めるとそのままセットポジションで投げ込んでみる。
三球ともに思った通りの球筋が明石との間に描かれた。肩に感じるものは特に無い。
「じゃあ今度はストレートを十球。セットアップのままで良いから投げろや」
明石はそう言って座り込む。そしてミットをど真ん中に構えた。
誠もようやく覚悟が決まり、ゆっくりと振りかぶってみた。
体は覚えていた。確かにそれはプロのスカウトに注目されていたころの、自分でも自信を持って球を投げ込める時のフォームだった。
しかし、腕を振った瞬間。その腕に伝わる遠心力が弱っているのを感じて不意に指先の力が抜けていくのが分かる。
投げられたボールは、誠が狙った所より30cmも上に外れた。
「どうしたんだ?コントロールが生命線の投手の投げる球やない!もう一球じゃ!」
そう言うと再び、明石はミットをど真ん中に構えた。
誠は助けを求めるようにして、人垣のほうを見つめた。
カウラと要の姿が目の中に飛び込んできた。特にカウラは真剣に誠の手の動き、指先の動きを丹念に眼でなぞっているのが分かる。
誠は意を決したようにもう一度セットし、再び昔のフォームで今度は力を少し加減して投げ込んでみた。
バシリと明石の構えたミットに寸分たがわぬコントロールで白球が吸い込まれた。
しかし、明石は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「手を抜きおって!本気で来いや!」
そう言って明石は力をこめて誠に返球する。グラブに感じる力のある返球に誠は少しだけ意地になった。
今度は手先に注意して腕を振るった。
ど真ん中に吸い込まれるボールだが、サングラス越しにもわかるくらいに明石は不機嫌そうに球を投げ返してくる。
誠は左手を見てみた。何度もつぶれたマメで硬くなっていた去年までの誠の手と、今のやわらかい皮膚で覆われた誠の手。それだけの時間が何を誠から奪ったのかよくわかっていた。
基礎体力自体は士官候補生訓練校の過程で上がっているはずだった。
だが、ボールを投げる為の筋力は明らかに低下していることがわかってきていた。
『こう言う時は基本に戻ろう』
誠はそう思うとセットではなく正面に明石を捉えて振りかぶった。
全身の力を手の先にこめて振り切る。
ボールはこれまでの二球とはまるで違う切れを見せて明石のミットに飛び込んだ。
「やればできるやないか?もう一丁じゃ!」
口に笑みを浮かべた明石が素早く誠に返球してミットを構える。
誠は同じフォームで六球ストレートを投げ続けた。
忘れていた感覚が次第に全身に蘇る。一球ごとに急速もコントロールも球の切れも上がってきているのが誠にもわかった。
誠がようやく以前のストレートの感触をつかみかけた時、突然明石が立ち上がった。
「じゃあ今度はスライダーじゃ。手はこなれとらんやろうからワンバウンドさせるくらいでこいや」
そう言うと明石はミットを右手で叩く。
久しぶりに投げるスライダー。数十球の投げ込みで肩は十分に温められてはいるが、誠の頭に不安がよぎって自然と野次馬達に目を向ける形になった。
エメラルドグリーンのポニーテールを風になびかせているカウラは真剣に誠のグラブ捌きを見つめている。隣では渋い顔で要が誠の手の動きを真似ながら隣に立っている明華に説明をしているのが見えた。
誠は今度こそ自分のボールを投げて見せると意気込んでグラブの中でスライダーの握りを作った。
明石のミットが右バッターの外角低め一杯に構えられる。
一度目をつぶって高校一年の春にスライダーを覚えた時の頃を思い出していた。すると誠にはなぜか不安は無くなっていた。




