今日から僕は 3
ハンガーの前の熱風とは明らかに違うやさしい風が頬を撫でる。明華につれられてここまで来た誠は、少し離れた空き地に見慣れた背中を見つけた。東和軍の規格とは違う、茶色い開襟将校用制服に帽垂付の戦闘帽をかぶっている。
そして特徴的なのは腰に下げた朱塗りの軍刀。それを胡州帝国陸軍風につるしている。このスタイルは第三次遼州戦争を経験した胡州の高級将校の格好である。そんな男が一人で七輪の前に座っている。
「嵯峨隊長。神前少尉候補生を案内してきました」
これまでの女王様スタイルから一転して、明華は報告口調でそう言った。誠も少しばかり緊張しながら案内された隊長に向かって敬礼した。その言葉にゆっくりと嵯峨の頭が誠達を向いた。年齢不詳。誠の道場に通っている嵯峨を誠はずっと三十前と思っていたが、軍に入ってその略歴を知り、実は四十半ばと知って驚いたことがあった。しかし、その濁った目を見ると確かに世間を見慣れた中年男らしいという雰囲気をかもし出している。
「相変わらず硬てえなあ、明華。俺はそういうのがどうも苦手でね。しばらくぶりだな誠。まあこんなところだから好きにやってくれて良いよ」
明華と誠はそのまま嵯峨の正面に回りこんだ。嵯峨が覆いかぶさっているのは七輪だった。横にはぼろぼろの団扇が見える。そして、その上で焼かれているのがメザシだとわかって、彼の実家の道場に顔を出す時の飄々とした嵯峨らしいと思った。
遼南王家の嫡流、胡州のエリート公家士官、そして遼南内戦を生き抜いて玉座に着いた策士。そのような肩書きがこの男にはまるで似合わない。さらに直接何度も言葉を交わすうちに、これらの偉業が本当に嵯峨と言う男の業績なのか疑いたくもなった。
弁護士を開業していると言う話だったがほとんど毎日のように道場に通って来ては三食食べて帰るという生活である。その後同盟司法局の実働部隊の指揮官になったと知らされても、道場に来る頻度が減ったくらいでほとんどその生活に変化は無かった。
「おい、どうしたの?」
ぱたぱたと団扇で七輪を扇ぐ姿は王族の気品も政治家の洞察力も、それどころか誠が知っている鋭い太刀筋の剣客の面影も無かった。
誠がここにこうして立っている原因を作った張本人だと言うのに、それほど誠に関心を示すそぶりもなく、じっとメザシが焼けるのを待っている嵯峨。明華もそんな嵯峨の態度には慣れているようで香ばしい煙を上げているめざしを眺めながら、嵯峨が何かを言い出すのを待っていた。
「お前らいつまでそこに突っ立ってるつもりだよ。飲むかとりあえず」
そう言うと嵯峨は一升瓶を突き出してきた。手書きのラベルが張ってあるところから見て、どこかの小さな酒蔵の特注の大吟醸かもしれない。食べることと飲むことにはこだわる。誠の家も、嵯峨の差し入れがきっかけで食事が豪勢になるような日があったことを思い出した。
「一応、勤務時間中ですので失礼します」
明華はそういって踵を返し、誠一人が取り残された。振り向こうにも、明華のどこか人を寄せ付けない態度を思い出して、誠は目の前のとぼけた中年男と二人きりの状態になった。
「よし誠お前は……ってどうせ歓迎会で飲まされるんだろうから止めとくか」
嵯峨はそういうと取り出した湯飲み茶碗に酒を注いだ。そのまま嵯峨は茶碗を鼻の前に翳して香を楽しむ。そして一口酒を含むと、目をつぶってその味を堪能して見せた。
「そうだ、こいつなら良いだろ?七輪で焼いたメザシだ。しかもそんじょそこらのメザシじゃないぜ、沖取りの天日干し、手作りの結構いい一品だ。伝があってね。どうにか手に入れたものだけど、みやげ物屋じゃあめったに扱ってないし、置いてあったとしても結構いい値段するんだぜ。まあとりあえず一匹食えよ」
そう言うと欠けた皿の上にメザシを置いて誠に差し出す。かなり火が通っているはずなのに、銀色のその姿には張りのようなものがある。一昨日まで暮らしていた東和軍の研修施設の寮で出るメザシとはまるで別の魚の干物のようにも見える。
誠は仕方が無いと言うように受け取ると頭からそれを頬張った。磯の自然な塩味が口の中に広がる。骨はしっかりしていて噛み砕くのに苦労するが、それを続けると出てきた腸の苦味が口に広がって肉の塩気と混ざり合う。嵯峨が勧めるのも当然だと言うような食べる価値のある一品だった。
「じゃあ俺も食うかねえ」
嵯峨も焼き立ての一匹のメザシの頭にかぶりついた。そして何度か噛んでみた後、茶碗の酒を取り上げて口に運ぶ。次の瞬間相好を崩して、幸せそうな視線を誠に投げながら今度はメザシの下半身を口に運んだ。
「カウラと要には会ったのか?」
あくまで食事のついで、茶飲み話、そんな雰囲気を纏って嵯峨が口を開いた。空になった茶碗に酒を注ぎ終わると、十分に焼けたメザシを七輪から降ろして皿の上に並べている。
「あいつらがお前の小隊の正規の部隊員ということになるんだが……どっちもきついからねえ……せいぜい虐められないようにがんばってくれよ」
誠の方を振り向くこともなく、嵯峨はただ皿の上に並んだメザシをどれから食べるかを悩んでいるように見えた。
誠は二人の上司となる女性のことを思い出した。がさつなサイボーグ西園寺要と何を考えているのかわからない人造人間カウラ・ベルガー。確かにこう纏めてみるとかなり自分の居場所が特殊であることがわかる。さらに嵯峨の言葉がこれからの生活の多くを占めることになるであろう保安隊での生活に不安を掻き立てた。
「一応、会いましたけど、別にそんな怖い人じゃないような……」
嵯峨のためというよりは自分の為、そんな気持ちで誠はそう言った。
「わかるよそのうち。それにしても後悔してるんじゃねえのか?クラブチームや教育リーグならお前の左腕の貰い手あったらしいし、一応東都理科大出てるんだ。中堅のメーカーなら就職活動が遅れたからって入れただろ?」
軍に誘った時にいった言葉と矛盾だらけの言葉を吐く嵯峨に、さすがに気の小さい誠も頭にくる言葉だった。すべて嵯峨の言うとおりである。三球団から教育リーグへの誘いはあった。誠より出遅れた研究室の同期も大学院への進学を考えている者を除けば全員が卒業式までに就職を決めていた。
だが、もう過去の話だ。そう誠は自分に言い聞かせるようにして目の前で二匹目のメザシを口に運ぼうとする嵯峨に話しかけた。
「ロボットとかそういうの興味があったので……それにこの部隊は非常に錬度の高い部隊と聞かされていたものですから」
パイロットとしての自分の適正に疑問を持っていた誠は、幹部候補生の教育研修の終盤に出した希望配属先のリストに、誠はすべて技術部門、開発部門への配属希望を出していた。しかし、次の日には特機教導団の隊員と名乗る人物から飲みに誘われたり、現役の試作特機パイロットと言う触れ込みの男の訪問を受けたりと、志望した部門とはまるっきり違う特機パイロット要請過程の関係者の訪問を受けることになった。
そして最終的には遼州同盟司法実働機関『保安隊』への配属となった。今考えてみれば、誠にパイロットをやらせたかった張本人が目の前でメザシを肴に酒を飲んでいる男かもしれないと思うようになっていた。
「あっそう。まったくどんな説明されたのか知りたくもねえが……おい!タコ!」
嵯峨が話の途中に急に身を乗りだしてそう叫んだ。誠が振り返ったその先には佐官の夏季勤務服に身を包んだスキンヘッドにサングラスの大男がとうもろこしを頬張っていた。
「奴が実働部隊隊長と保安隊の副長を兼ねてる明石中佐だ。一応、あいつにここの案内させるから……って!ちんたらやってねえで早く来い!」
明石は食べかけのとうもろこしを置いたままこちらに急ぎ足でやってきた。184cmある誠よりもさらに一回り大きな身長に、まさに『丸太のような』と言うような形容詞が良く似合う筋張った両腕を持つサングラスの男に、かなり誠は気おされていた。
「こいつがお待ち兼ねの新入りだ。早速案内してやんな」
それだけ言うと嵯峨は再び湯飲み茶碗に手をかけた。
黙って誠の方を見て頷くと、明石は肩で風を切るようにして歩きだした。バーベキューコンロの周りにたむろしていた勤務服の隊員が明石を見ると自然と道を開ける。サングラスでよくは見えないが、正面に固定されたかのように微動だにしない彼の視線がその異様な風体ともあいまって周りの隊員達を威嚇していた。
『まるでヤクザだな』
誠は近づいてきた明石をそう見ていた。立ち止まってそのまま明石は無表情なままでサングラス越しに誠を見つめる。
そしてにんまりと笑って見せるが、誠から見ればそれは彼を安心させると言うより、不安感を増幅させる効果しかなかった。
「よう来たな。ワシが副長の明石清海中佐じゃ。まあここじゃあ何だ、とりあえずハンガーでワレが乗る機体でも見るか?」
見た目とは違ったやさしげな調子で誠についてくるように手で合図する明石。誠は運動場の奥でなにやら準備している勤務服の男女が気になったのだが、嬉しそうに誠をつれてハンガーへ向かう明石の後に続いた。




