今日から僕は 22
警備室でいつものように部下を説教しているマリアに一声かけると、誠はカブを走らせて工場の統括事務所の隣にあるこの工場の生協に向かった。菱川重工の私有地である路上でノーヘルの誠を咎めるものはいなかった。
地理勘には比較的自信があったので、すんなりとロードローラーのラインが入っている巨大な建物を抜け、エンジンの積み込みのため通路を横断する戦闘機を乗せた荷台をやり過ごし、圧延板を満載したトレーラーを追い抜いて、ちょっとしたスーパーくらいの大きさのある工場の生協にたどり着いた。
ラインの夜勤明けの従業員で、食料品売り場は比較的混雑していた。若い独身寮の住人と思われる作業服の一群が寝ぼけた目をこすりながら朝食の材料などを漁っているのを避けるようにして冷凍食品のコーナーに足を向けた。
「カウラ大尉はメロン……ってとりあえずシャーベットがあるな、西園寺中尉はイチゴのカキ氷でいいかな?」
誠は自分自身に言い聞かせるようにして独り言を口にしながらアイスを漁っていた。
アイスを漁りながら腰をかがめていた誠がいったん背筋を伸ばして眼を正面のロックアイスに向けた時、後ろに気配がした。
振り向く前に硬く冷たい感触を背中に感じた。誠の頭の中が白くぼやけた。
「声を出すな。仲間がすでに出入り口は抑えている。もし騒げばこのビルは血の海になるぞ」
低い男の声が誠の耳元に届く。
誠は手にしていたアイスを静かに置くと、手を挙げて無抵抗の意思を示した。寝ぼけたライン工達が誠達のことを不審に思わないことは明らかだった。さらに自分はあの保安隊の作業服姿だ。誠は保安隊隊員のはちゃめちゃな武勇伝はこの数日で散々聞かされていた。誠達を見つけたところで保安隊の馬鹿共がまたふざけて遊んでいるとしか思われないだろう。
もう一人の懐に手を入れた背広の男が誠についてくるように促す。誠は黙ったまま静かに彼の後ろに着いて行った。
生協の正面にはこんな工場の中には似つかわしくない黒塗りの高級車が止まっていた。誠はその中に、突き飛ばされるようにして放り込まれた。
すでに運転席にはサングラスの若い男が待機しており、三人が乗り込むと車は急発進した。挟み込むようにして座っていた銃を突きつけている男は素早く誠に布でできたシートをかぶせた。相変わらず硬い拳銃の銃口の感触を感じながら、割と自分が落ち着いていることを不思議に感じながら誠はじっと息を潜めていた。
「あんちゃんよう。別に俺等はあんたに恨みがあるわけでもなんでもないんだ。クライアントからあんたを連れて来いって言われてね。まあ俺等のことは恨まないでくれよ。騒がずにクライアントに届けることが出来ればウチの組織の仕事はおしまいと言うわけだ。それまでの間、仲良くしようじゃないか?」
視界をふさがれている誠の隣で背広を着ていた男が穏やかな調子でそう話した。誠から見ても慣れた段取りは彼等が「東都戦争」と呼ばれた暴力団同士の抗争劇を生き抜いてきた猛者達であることを証明していた。誠は無駄な抵抗をやめて静かに昔のことを思い出すことにした。
誠は昔からあまり気の強いほうではなかった。中学時代も漫画研究会に入りたかったのに、その体格と左利きと言うところから野球部に入れさせられた時も、何も抵抗できなかった。いつの間にかエースとなり東都大会で準優勝した時、野球の名門校でなく地元の公立の進学校に進んだのが野球部の監督に対する唯一の抵抗だった。
そこでは期待もされない弱小野球部と言うこともあり漫研との掛け持ちも出来たが、彼の加入で妙に勢いづいた父兄会の後押しで好きな漫画からも遠ざけられて、ひたすらランニングとキャッチボールに明け暮れる日々だった。
ざるに近い守備では東東都大会準々決勝まで残ったのが奇跡だった。それなりに勉強法と言うものだけは知っていたので東都理科大の工学部に進んだが、そこでも先輩からの野球部入部の誘いを断れなかった。
6部リーグと言う中間のリーグでは彼はそれなりのピッチングが出来た。周りがもてはやすのに乗っかって3年の秋、調子よく勝ち進んで3部リーグ昇格の入れ替え戦まで来たとき肩に違和感を感じたのが最後だった。
メスを入れた肩では球速が20キロ落ちていた。それまで三振を取れたスライダーがあっさりとはじき返され、弱気な配球は四球の山を築いて監督を落胆させた。そうしてスカウトからも見放され、就職活動もする気にならず、ただ道場の師範代だった嵯峨の言われるままに東和軍に入って……。そのまま誠は朦朧とした意識の中、時間を浪費していた。
押さえつけられた姿のままで何度と無く車が加速したり止まったりすることを感じながら誠はじっとしていた。豊川の田舎町から東都の都心部にでも入ったのかと、まるで他人事のように考えていた。
「着いたぞ。とりあえずしっかりと目隠しをさせてもらうぞ」
先ほどの男はそういうとシートの下の誠の顔にさらに布の袋をかぶせた。
『また、捨てられるのかな』
そんな言葉が脳裏に浮かんでは消えた。




