今日から僕は 15
「おう、来たのか」
二階の座敷では、すでに上座の鉄板を占拠している嵯峨が、猪口を片手に三人を迎えた。半袖のワイシャツ姿の彼の隣には30代半ばと思われる妖艶な紺色の江戸小紋の和服を着た女性が徳利を持って座っていた。地方都市のお好み焼き屋の女将というより、東都の目抜き通りのクラブのママとでも言うようなあでやかな雰囲気に誠は正直戸惑っていた。
「お春さん。この野郎がさっき言ってたうちの新戦力ってわけ。まあいろいろと未知数だから期待してるんだけど……」
嵯峨は満足げに女将さんらしい女性が注いだ酒を飲み干す。黒い髪を頭の後ろで纏め上げた和服の女性は誠の方をにっこりと笑いながら見つめている。
「新さんみたいな上司を持つなんて大変ねえ」
穏やかなやさしい声に誠は少しばかり心臓が高鳴るのを感じていた。そんな誠を見ていた要が不機嫌そうにカウラを引っ張って座敷に入り込む。
「そりゃあないんじゃないの?お春さん」
お春さんと呼ばれた女性が笑いかけるので誠は赤くなって眼を伏せた。そんな誠を見たカウラは、要に引っ張られた手を離して誠の手を引くと嵯峨の座っている鉄板の隣に引っ張っていった。
「とりあえず今日はお前が主賓だ。後の連中が来るまで勺でもしていろ」
要はどっかりと腰を下ろすと所在無げについてきて彼女の正面に座った誠に向かってそう言った。
「おいカウラ。野郎の勺なんてつまらねえし、酒が不味くなるぜ。お前と……女好きな要。お前等もこっちに座れや。お前等の小隊の新入りなんだからさあ、少しは客扱いしてやろうよ」
嵯峨の口元がにんまりと笑っている。要の表情がその言葉を受けて素早く曇った。彼女は立ち上がって嵯峨が叩いている隣の鉄板の仕込まれたお好み焼き屋らしいテーブルに移動する。誠はカウラにつれられて気恥ずかしく感じながらも上座の席に腰を下ろした。
「叔父貴……今なんて言った?……今なんて言った……」
そのまま下を向いて怒りに震えるようにして要が声を絞り出す。嵯峨は懐からアイシャ達が持っていたのと同じカードを取り出してかざして見せた。
「一応我が娘の性癖と言うか……まあちょっとシャムの奴を絞ったらこいつを差し出してきてね。まあそのなんだ……もう大人だから。特に言うことはないけど……これはねえ……実の娘が縛られるのが好きだったとは……」
嵯峨は衝撃を受けている振りをしていたが、それよりも目の前の姪、要の表情の変化を楽しんでいるように手の中のカードを振っている。
「あたしはそっちのけはねえんだよ!それにしばかれて喜ぶ変態と付き合う趣味はねえ!」
そこまで言って要は誠の顔を見てはっとした表情を浮かべた。
「シバク……シバク……」
誠はおずおずと眼を伏せた。自然と緊縛されて鞭打たれてむせび泣く美女を見下ろして笑いながら鞭を振るう要の姿が妄想される。顔が赤くなっていくのが分かった。
「おい神前!テメエつまらねえこと考えてんじゃねえだろうな!アタシにゃあそんな趣味はないし、第一女同士で……」
「胡州じゃあ上級貴族の家名存続のために女性同士の結婚が最高司法院で認められたという判例もあるんだが……まあ、俺は個人の問題だから結婚したいって言うんなら反対しないぜ」
嵯峨は戸惑っているお春さんの注いだ酒を再び飲み干した。嵯峨の言葉が終わるのを聞くとお春さんは要の方に目を向ける。
「反対しろ!頼むから反対してくれ……」
要が泣きそうな調子で嵯峨に縋り付く。嵯峨は猪口に残った酒をぐいと飲み干してお春が酒を注ぐのを見ていた。カウラは黙ってそんな様子を表情も変えずに見つめている。誠は妄想で一杯になりながらおずおずと要の顔を覗き込んだ。
さすがの嵯峨もお春の視線がきつくなっているのを感じて黙って注がれた酒を飲み干すことにした。
「新さん。あんまり要さんを苛めると後でどうなっても知りませんよ」
そう言いながらお春は嵯峨の猪口に酒を注ぐ。
「そうですか。これは参考になる意見ですねえ」
嵯峨はそう言うと目の前の突き出しの松前漬けに箸を伸ばした。
「要さん。吉田さんとクラウゼさんにはきつく言っておくから安心して頂戴ね」
お春の言葉にほっとしたように要は顔を上げた。誠は自分を見つめる要の目元に少しばかり光るものが見えて鼓動が高鳴るのを感じた。
「ヤッホー!みんな元気かな?ってなんで要ちゃん泣いてるの?」
そんなところにまったく空気を読まずにシャムが乱入してくる。その後ろではアイシャとサラが小声で何かを話しながら部屋を覗き込んでいた。要はさっと立ち上がると一直線にシャムの元へかけて行き胸倉をつかんで持ち上げた。




