今日から僕は 143
「怖い顔しなさんなって。君も少しは覚悟くらい出来てるだろ?」
悪党の悪事をなし終えた後に出る笑み。嵯峨の表情を今の近藤はそう読むことしか出来なかった。まさに憎むべき敵。そう思うとなぜか安心して力が戻ってくるのを感じる。
「そこで優しい俺はそこで三つの提案をしたいんだが、どうだろう?」
近藤は目の前の化け物に対峙するには自分が以下に非力な人間かということを感じていた。
「一つ目は腰にぶら下げている拳銃の銃口を咥えて引き金を引く。きわめてシンプルで効率のいい方法だ。簡単だろ?俺もそうしてくれると助かる」
そう言うとゆっくりとタバコをくゆらせ、廊下から逃げ出そうとするブリッジクルーを見送る嵯峨。
「二つ目はちょっと俺が仕事をしなければならんな。ここからそっちまで一気に跳んで、そのまま君の首を落とすという寸法だ。まあ確実に墓場へ秘密を持って帰りたいと言うならこの方法も悪くはないな」
「三つ目は?」
近藤は思わず叫んでいた。それでも嵯峨の余裕の笑みは消えない。
「君も誇り高き胡州海軍の将校だろ?なら言うまでもないんじゃないか?」
そう言って笑う嵯峨。かつて遼南で数知れない反政府ゲリラをなで斬りにしたと言うこの化け物。その矛先が自分に向いているというのに近藤の心は穏やかになっていく。きっと嵯峨にとって見れば潤沢な資金を用意して同志を増やすなどと言う自分のやり口など生ぬるくて鼻歌でも出るような事柄なのだろう。そして自分がどのような最期を迎えようと目の前の悪党には何の関心も無い出来事にしか映ることはない。そんな自分が胡州軍人らしい最期として選ぶもの。
「腹を切れと言うのか?」
嵯峨の笑みが狂気ともいえる色に染まる。
「分かってるねえ。さあ、どうする?時間はないぞ」
そう言うと嵯峨は吸殻を足元に捨て、踏み消す。
「介錯はしてもらえるんだな?」
ゆっくりと短刀を引き抜く近藤の手には震えは無かった。
「焦りなさんな。刀を腹に突き立てて、横に引くところまで待ってやるよ」
近づいてくる嵯峨、肩に背負った刀から血が滴り落ちているのが見える。
近藤は静かに座ると、短刀をじっと見つめる。
「何か言い残すことは?」
事務的な嵯峨の言葉。おそらく自分と同じ境遇の人間の介錯をしたことがあるのだろう。近藤は大きく息をして嵯峨を見上げた。
「遺書は執務室にある」
そう言うと近藤は自らの腹に短刀を突き立てた。
焼け付くような痛みがこみ上げる。
「うっう」
息が漏れ自然と声が出る。腹からの焼けるような痛みに短刀を握っていた手がずれてもう一度短刀を握りなおす。
「静かに横に引け」
明らかに見慣れていると言うような顔をした嵯峨がゆっくりと刀を振り上げる。
「うっ」
ようやく傷口が広がりかけたところで、嵯峨の顔を見上げる近藤。
「地獄で待ってな!」
そう言うと嵯峨は刀を振り下ろした。近藤の首は床に転がり、胴体もしばらく痙攣したあと倒れこんだ。
「でもすまんな、俺はしばらく行けねえんだ」
そう言いながら嵯峨は荒れた息を整えた。




