プロローグ 中国の原型
この物語はフィクションです。
「中国四千年の歴史」とは、中国史を出されるときに必ずと言っていいほど引き合いに出される文句だ。
その四千年の期間を説明するとき、伝説上の夏から始まり、殷、周、秦、漢、晋、隋、唐、宋、元、明、清、中華民国、中華人民共和国の順で政権が移り変わってきたとも説明される。
だが、その細部を見ていくとどうか。
中国を始めて統一した国は始皇帝が建てた秦である。
それ以前、いわゆる先秦時代は各地に邑といわれる小規模な氏族が住む集落が無数に点在していた。それらは数百の王族、豪族の支配下にあった。殷は、その中でも巨大な都市であり、周辺の邑を支配した。
その後の周も政治体制はさほど変わらかった、771年を境に大きく力が衰え、各地で支配下にあった邑による反乱が起こった。
春秋戦国時代だ。これを勝ち抜いたのが秦である。
先秦時代は、いわば「中国の原型」と呼べる体制であった。
実は中国は統一されていた時より、分裂していた時のほうが回数、年数ともに多い。
先秦時代に始まり、三国時代、五胡十六国時代、五代十国時代などがそうだ。統一王朝が存続していた期間でも、地方を複数の政権が支配していることも珍しくなかった。20世紀も例に漏れない。
1912年に清が崩壊すると、後には中華民国が成立した。発足当時袁世凱の統治期は安定したものの、死後権力基盤であった軍閥が各地を支配し、あたかも紀元前に逆行した状態となった。
そんな中、南京を本拠地とする中国国民党は、圧倒的な武力で軍閥を制圧し、支配地を拡大し1928年までに全土を掌握する。
一方、中国共産党も農村を中心に勢力を拡大し、国民党との対立を深め、やがて武力衝突へ発展する。
しかし日本軍が侵攻した事により一時的に休戦し共闘関係を結ぶ。日本軍が撤退すると再び内戦が始まり、共産党は国民党を台湾へ放逐する。1949年、中国共産党の指導者である毛沢東は、現在の中華人民共和国を建国する。
今も分裂の状態は続いている。台湾の中国と本土の中国。21世紀に入ってもその状態は変わらなかった。
だが、転機は突然訪れた。遥か遠くの地から・・・。