とある級友の心配
その少女が編入してきたのは、本来入るはずのない、中途半端な時期だった。
この学園は、基本半期に一度しか門戸を開かない。同じく中途で編入してきたサランディア侯爵令嬢ともなれば、その規則はあってなきが如しなのは分かるが、たかだか子爵家がそれを打ち破るのは通常不可能である。
学園内は、静かに様々な憶測が飛び交った。
それというのも、この学園では十年~数十年に一度の周期で、そういった身分不相応な中途入学が起こっているのである。その人物達は皆、歴史に名を残すような偉業を挙げている。ある者は王族に見初められ、救国の聖女となったし、ある者は革命ともいえる大胆な発想で、この世界の発展に貢献した。
ひょっとして彼女、メイリーン・コルトもそんな一人なのではないか? そんな噂が流れ、皆、相手が子爵令嬢とは思えないほど熱心に、自分の派閥へと組み込みたがったのだ。
しかしコルト家は、同じクラスのキルトン家から分家し、今でも主家のように敬っているはずである。当然、彼女もそこに入るのだろうと思っていたが、彼女はどこの派閥へも入ろうとしなかった。社交も学ぶ対象である学園では考えられないことである。
それが、噂に一層の信憑性を持たせ、互いが互いをけん制しあい、無闇に彼女に接触できない雰囲気を作り出す結果となった。勝手に彼女に話しかけようとすれば他の派閥に阻まれ、彼女の方から話してきても、『偶然』他から呼ばれて引き離される。
彼女のあずかり知らぬ事情で、彼女は孤立していった。
そんなある日、彼女が、かの氷の貴公子と楽しそうに話しているのを見かける。その姿に、私はそこはかとない不安を覚えた。
ここで、唐突に私の話になるが、我がメイフェア家は伯爵家であり、同じ伯爵家であるグラント家とは隣領という関係になる。従って、我が家とグラント家は、昔からそれなりに付き合いがある。そんな両家に同年代の子供がいれば、自然と会う機会もあるもので。
特に、メイフェアは伯爵としては上でもなく下でもない、それなりの位置にいるが、グラント家は、下手に没落しそうな侯爵家より影響のあるほどに勢いのある家のため、親としては、あわよくば、という思いもあったのだと思う。
後に氷の貴公子と呼ばれるカイル・グラントと出会ったのは、七歳の頃。
アイスブルーの瞳に、白銀の髪、端正な顔立ちにも眼を奪われたが、一番驚いたのは、その年頃の少年とは比較にならないほど、優雅な物腰だった。
今年十一歳になる兄など、つい他の事柄に関心が向いて、礼儀作法が崩れがちなくらいである。かくいう私も、正式な社交の場に出られる及第点はもらえていなかった。
そんな中、かの少年は、完璧ともいえる動作で、幼い私を淑女として扱ってくれた。
そんな彼に、惚れるなというほうが無理な話で。
彼は私にだけ特別に優しいのだ、と勘違いした私は、外に出たがった兄を上手く誘導し、二人で話をすることに成功した。
「あの、ありがとうございます。私、こんな風にきちんとしたレディーとして扱われるの初めてだから、嬉しいです」
「喜んでいただけて光栄です。まだまだ未熟な身ですが、満足いただけるように精一杯努めさせていただきます」
にこりと微笑みかけられ、舞い上がる。
「貴方の様な素敵な方に慕われた方は幸せですね。一生守ってもらえそうです」
「本当ですか? そういっていただけるととても嬉しいです」
その時の笑みは、先程と違う無邪気な笑みで、その声色も心から嬉しそうな響きを伴っていた。
――やっぱり、彼は私のことを!?
初めて会った素敵な騎士様に完全に浮かれていた私だったが、その後、天地がひっくり返る事態に陥ることになる。
「私の兄は、まだまだ落ち着きがなくて。カイル様は、既に数ヶ国語も話せるとお聞きしました。周りにそんな人知りません。カイル様は素晴らしい才能をお持ちですね」
「いえ、特にそのようなことは。ただ、早く大切な人を守りたい、そう思っただけです」
ここで、その大切な人が会ったばかりの自分だと思った私は、相当おめでたい頭をしていたと思う。
「まぁ、そんな誰かが既にいるんですか?」
そんなことを無邪気に聞いてしまった。
私の頭の中では「今までは見つからず探し続けていました。そして、遂に見つけたのです。それは、貴方です」などという甘ったるい想像が展開されていたわけだが。
「えぇ、私の婚約者です。彼女を守ることができる人間になれば、共に過ごすことを許されるのです」
そう、はにかむ彼は、世界中の幸福が降り注いでいるように光り輝き。
「婚約者が、いたのですね……」
「はい。フィアナ・サランディア。『ぼくのおよめさん』です」
はっきり頷く満面の笑顔に、私の初恋は終わりを告げた。
それから会ったのは、片手に満たない程度だったが、その後も少年の『ぼくのおよめさん』に対する想いは変わらず。話に出てくる彼女は、本当に愛らしい女の子であり、いつの間にか同い年のはずの私にとっても、フィアナ様は可愛い妹の様な錯覚に陥るほどだった。
長年会わなかった彼に再会したのは、学園に入学してから。
彼に出会った驚きは、言葉に表せない。
物腰は相変わらず完璧。その麗しいご尊顔も、かの少年が育ったらこうなるだろうと納得のもの。
けれど、表情が違った。確かに、彼はよく柔らかな笑みを浮かべていたが、話にあわせて色々と変化していた。楽しい時には笑うし、意に染まぬことがあれば、硬質な表情になっていた。
それが、今は殆ど表情が動かない。何を考えているのかよく分からない、感情の見えない笑みを浮かべていて、まるでそこから先に立ち入ることを拒んでいるかのようだ。
更には、もっと信じられないことに、彼はプレイボーイだという。来るもの拒まず去るもの追わずで、一旦飽きた者には眼もくれないという、典型的な女の敵。それでも、その能力の高さから、我こそは、と挑戦する女性が後を絶たないらしい。
一体、それは誰の話なのか、と頬を抓りたくなった。私の記憶の中の彼は、婚約者を一途に想う、物語から飛び出した騎士のようだった。その容貌から、他の女性が放っておかないのは分かるが、徒に自分を慕う人間を傷つける様な真似、する人ではなかった。
けれど、現実はいとも無慈悲に、変わり果てたその姿を私に見せ付けた。
年月とは、こうまでも人を変えてしまうのだろうか? 幼いころ憧れた理想の騎士様の見るも無残な姿に、この学園へきてしまったことを呪いたくなった。
そんな思いが少し変化するのは、かのフィアナ・サランディアが転入してからのこと。
フィアナ様は、侯爵家だけあって、立ち居振る舞いも社交も完璧だった。学園では貴賎の差はない、という学園の趣旨を理解し、どんな生徒にも丁寧な態度を崩さず、親切にはどれだけの身分差があろうと礼を言い、誰にでも笑いかけ、手を伸ばした。
かといって、自分の虎の威を借ろうとする相手には毅然と対処している。公明正大でありながら人としての暖かみも感じさせる彼女は、流石侯爵令嬢といわざるを得ない。
そんな彼女の完璧さが崩れるときがある。それは、氷の貴公子ことカイル・グラントに関する時だ。
まず、フィアナ様は編入してきた初日、カイル様のところへ早速突撃したらしい。実際には見ていないので、詳しいことは知らないが、何でも「貴方に会うために学園へ参りました」と宣言したらしい。
それから、有言実行のフィアナ様は、カイル様の下へと日参した。
初日は、カイル様が教室に戻ってくるのを待っていたが、ぎりぎりまで戻らなかったカイル様とは会えず。クラスの者に、明日も来ると伝えて戻っていった。
クラスメイトはそれを告げるも、カイル様は制止を振り切り、いずこへと行ってしまう。
会う気がない、と言外に告げられたフィアナ様は、追うことを決意。ここから、学園恒例の追いかけっこが始まった。
入学したばかりだというのに、自分の家の庭のように縦横無尽に探し回るフィアナ様。他の生徒との社交を疎かにしないよう、頑張っても二回程度だったが、必ず一日一回は現れる。対して、クラスメイトに行き先を告げておきながらも逃げ果せるカイル様。決して誰にも見つからない場所に篭っているわけでもないのに、上手くフィアナ様の行動を先回りして、すれすれのタイミングでさらりとかわす。
それはあっという間に名物となり、それぞれ応援が付くほど。特にフィアナ様には、カイル様の目撃情報が寄せられ、後一歩というところまではいくが、最後の一歩で届かない。
それならば、カイル様を身動き取れなくすれば、という意見も出たが、クラスの男子が束になって掛かったところで、連携のない烏合の衆を見極め、数の多さを逆手に取られ、見事に逃げられる有様。
時々逃げないときもあったが、そのときに限って何故かフィアナ様の方が現れず、カイル様にはフィアナ様の位置を常に感じ取る超能力が備わっているに違いないという噂がたつほどだった。
私も、何度か逃げるカイル様を見かけたことがあったのだが。
逃げている時のカイル様が、心の底から楽しそうで。あの、何を考えているか分からない笑顔は見られなかった。
その姿に、何だかほっとしてしまった。
カイル様やフィアナ様が気付いているかは知らない。けれど、カイル様はフィアナ様のことをきっと今でも好きで。変わらずに、世界の中心にはフィアナ様が据えられているんだな、と思ったら、大丈夫だ、と思えたのだ。一番肝心な部分が変わっていないなら、大丈夫、と。
とはいえ。カイル様が根幹は変わっていないからといって、女性の敵ということには変わりない。むしろ、自分の運命は既にたった一人に決めているくせに、ほいほい誰とでも付き合っているのだから、ただのプレイボーイより性質が悪い。
そんな不良物件に、クラスで一人孤立して不安になっている少女が安易に惚れたら、取り返しの付かない事態になりかねない。ゲーム感覚で挑戦して、勝手に本気になって傷付く人達とは訳が違うのだから。
私は、みんなの隙を伺ってメイリーンに話しかけた。けれど、結果は大失敗だった。
流石に、根拠が自分の勘というだけで、カイル様には好きな人がいると教えるわけにはいかなかったため、取り敢えず距離を置きたくなるような事実を突きつけてみた。だが、考えてみれば、普段近寄ろうともしない自分が、突然好意を持っている人間の悪口を言ったら、反発されるのは当然だ。
どうやら、自分は相当焦っていたらしい。彼女の孤独の一因に、私自身も関わっているという負い目が私から冷静さを失わせていたようだ。
言い方を間違えた、と気付いたときには力の限り逃げられてしまった。
そして暫く後、二人は付き合うことになる。
最初は、自分が下手なことを言ったせいで、却って彼女の想いを煽ってしまったのではないか、と不安になった。だが、こうなってしまっては仕方がない。
幸い、彼女の場合はいつもと違い、カイル様の方からアタックしたという。今まで自ら付き合おうとすることはなかっただけに、ひょっとすると、フィアナ様はカイル様にとって大事な妹であり、恋人として好きになったのはメイリーンの方なのかも知れない。
メイリーンが捨てられたりしないか、はらはらと見守っていたが、垣間見ることのできた二人は楽しそうで、一方的に捨てられることはなさそうに思えた。
その内、メイリーンが教授の手伝いを行うことになり、その関係で、他の生徒とも話すようになった。
これは良い傾向だ、と思いつつ、自分の失言を謝れないかと機会をうかがってみたが、メイリーンが時々暗い表情をしているのを見て、二の足を踏む。失言を謝ろうとして失言にならない可能性がないとは言えない自分だ。弱っているメイリーンを下手に追い詰めてしまいかねない。
一瞬、ひょっとして、と思うも、カイル様は相変わらずメイリーンに優しいし、教授の手伝いも、さり気なく完璧なフォローを行っている。二人の間に何かあったということはなさそうだ。きっと、教授の手伝いに加え、急に多数の生徒とも話すようになったため、疲れが出ているのだろう。
本当に辛くなるようなら、カイル様が何とかするだろうから心配ないし、忙しい時期に焦って話すより、きちんと余裕のあるときに考えて話すほうがいい。
これ以上余計な心労を与えないように、謝る機会は、彼女が現状にもう少し慣れてからにしよう、と思った。
ところで、我が学園には『自由行動』なるものが存在する。これは、健やかな精神を持つ紳士淑女を育てるという理念に基づいたもので、基本的には何をやってもいい。
メイリーンのように教授の助手をやっていれば、それだけで随時考査が行われている状態だし、フィアナ様のような大貴族ともなれば、サロンを開いてお茶会を行うだけで、立派な社交術実践レッスンだ。これは、ホスト側だけでなく、招かれた側も、客としてのレッスンをしたことになる。
マナーの先生が判定者兼客として招かれるため、皆それなりの緊張感を持って行うらしい。
そして、一般的な女生徒に人気なのは、孤児院の慰問である。私も、これだ。
なぜ女生徒に人気なのかは、まぁ、察してほしい。本当は子供は苦手、という者もいないでもないが、考査の眼があるため、そこまであからさまに嫌う者はこない。
勿論、ただ行って終わりではなく、その孤児院で足りないもの、あると喜ばれそうなものを用意し、それを持って訪問する。他の生徒と被らないよう、どこにどんなものを持っていくのかは公表されるため、時々驚くほど値段をかけようとする者も現れるが、本当に必要かどうかがポイントなので、無駄なものがいくことはない。
私は、一応本当に子供が好きなので、調査から予定組みまで、自分でやったため、一日の大半を『自由行動』に費やすという事態になっていた。
事件が起こったのは、慰問が終わった翌日。
何とか自分でも満足いく結果となったことに大きな達成感を感じていた時、噂が耳に飛び込んできた。
「カイル・グラントとメイリーン・コルトが別れたんですって」
「えぇ? 結構仲良いように見えたけど、もう飽きちゃったの?」
「それが、振ったのはメイリーン・コルトの方らしいわよ」
「えー!?」
さぁっと血の気が引いていくのが分かった。
何があったのか分からないが、やはりあの表情を無視すべきではなかった。またもや判断ミスをしたことを痛感した私は、噂が事実かどうかを確認するために走った。
残念ながら、噂は事実らしい。
いつもは二人で話しているのに、今日はメイリーンは教室で一人。
話しかけようとしたが、男との交際を忠告した自分が、別れた瞬間に話しかけるのってどうなのだろうか。馬鹿にされてるように感じられるのではかと思うと、私が話しかけるのは彼女を追いつめるだけかとも思う。
ぐだぐだと迷い、一人歩くメイリーンを後ろからつけている状態の私は、我ながら怪しかったが、その時は気付くだけの余裕はなかった。
そうして、迷っている内に、メイリーンに声をかける者が現れた。確か、カイル様とよく話しているのをみた気がする。その人物から手紙を手渡され、少し話していたメイリーンは、首を縦に振り、それと同時に男が駆け出していく。恐らく、カイル様を呼びにいったのだろう。
………。
少し考えたが、覚悟を決めた。
これからされるのが、どんな話であるかは分からない。しかし、恐らくメイリーンにとっては辛い話になるだろう。そんな時、独りでいるのは良くない。もし私が誤解されても、私に対する怒りで力が出てくるのなら、そちらの方がいいはずだ。
そう結論付け、二人の話が終わるのをこっそり待つことにする。
果たして、カイル様はすぐに走って現れた。
永遠とも一瞬とも思える間、二人は談話室で話していたが、出てきたのはカイル様のみだった。
彼に見つからないようにやり過ごし、更に待つこと数十分。メイリーンが出てきた。予想していたのにも関わらず、一目で泣いたとわかる顔に、色々と考えていたはずの言葉が吹っ飛んだ。
「やあ、メイリーン嬢」
我ながら、不審な人物だ。
「……」
メイリーンは返事をしなかった。顔にありありと「え、何で?」と書いてある。
とりあえず覗きはしていない、と訴えてみたが、何から話していいか分からず、段々と尻すぼみになってしまう。
「いや、偶々二人が話すというのを見てしまったものだから。勿論、盗み聞きなどはしていないよ。ただ、その、二人が別れたという噂が聞こえて。その、少しだけ気になったんだ」
自分で言っておきながら、怪しさ全開の台詞だが、信用してくれたらしい。むしろ、必死な様子に吹き出されてしまった。思ったより元気そうだと安心したが、ふっと悲しそうに言われて慌てふためいた。
「えぇ。私とカイル様はお別れしました。……貴方の忠告を無視した報いかもしれませんね」
「そんなことは!」
必死に言い募ろうとすると、今度はいたずらっぽい笑顔でさらっと言われる。
「えぇ、冗談です」
もう、どちらだか分からない。途方にくれた私に、メイリーンは何故自分を構うのか、と尋ねてきた。私としては、クラスメイトだから気になっただけなのだが、彼女にとってはあまり納得のいく理由ではなかったらしい。
「その割には、あまり話とかしてませんけど」
確かに、殆ど話していないが、それは仕方がない。理由もなく話しかけるには少々敷居が高すぎたんだ。
「それは仕方がない。何せ、私はメイフェア家だから」
一番彼女にとって分かりやすい例を出したのだが、きょとんと首を傾げられてしまう。どうやら、実家同士の付き合いといったものに関しては、全く気にしない性質のようだ。
思わずくすりと笑ったのを誤魔化しつつ、説明をすると、彼女はぽかんと口を開けた。……これは流石に、家の影響とか考えなさすぎだろう。いずれ少しずつ教えておいた方がいいかもしれない。
ともあれ、今はドサクサ紛れに友人の座を確保してしまおう。今この時点で、自分の失言を謝るほど、場にそぐわない対応もない。こうなったら、謝罪は彼女への態度でこっそり示していくことにする。
決意をこめて、彼女の友人に立候補すると、にっこり笑って淑女の礼を取られる。すぐに私も返して、見事彼女の学友第一号の座を手に入れたのだった。
因みに、その後知った、あれだけ学園中の噂となっていたことの真相とは。
「え? 途中から編入した理由? うち田舎じゃない? 王都へ行くための橋が、竜巻で壊れて、復旧に数ヶ月掛かったの。いつもなら海からいけるんだけど、その時期だけは潮の関係で、海は使えなかったのよねぇ」
最初から入学していたが、来られなかっただけ、という落ちだった。
次、カイルの過去か、フィアナパパの話かどっちにしようかなぁ。
両方関連あるから、どっちが先か、ちと悩む。。