とある少女の受難
うーんと、カイルのフォローを、と考えないでもなかったけれど、とりあえず予定通り、バカップル話からお届けです。さて、どちらがより受難なのか。
因みに、とてもいい友達に恵まれたメイリーンはその影響で、ちょっと逞しく、口が悪くなりました。
「フィアナ、まだ怒っているのか?」
「……」
「そろそろ機嫌を直してくれないか? 愛しい婚約者殿」
困ったように後ろから話しかける男に答えず、どんどん前に足を進める少女に、男は首をすくめる。
「仕方がないだろう? あんなにあからさまに誘われて、拒める訳がない。それに、俺としては十分我慢したんだがね」
「誘ってなどおりません!」
きっと振り向き、普段の彼女にあるまじき荒々しい口調で反論する。
「俺の目の前で、ソースを口の端につけているのが悪い。あんなの、俺に舐め取られたい以外に考えられないじゃないか」
「私は自分で拭こうとしましたわ。ずっと付けていたように言うのはおやめくださいませ!」
「そんなことしなくても綺麗になったろ?」
「っ! そういう問題ではありません! あ、あんな公衆の面前で……」
途端、ぷしゅうと湯気が立つのが聞こえそうな勢いで赤くなった少女に、男はにっこりと笑った。
「大丈夫だ、皆、思い思いに知人と食べていたんだ。我々を見ている者など殆どいないさ」
「そういう問題でもありません! しかも、殆どということは、少しは見ている者もいたということではないですの!」
「そうだな」
実は見せつけることが目的だった男は、平然と頷く。
「そうだな、ではありません! 何とも思いませんの?」
「確かに、こんなに愛らしい君の表情を、俺以外のやつに見られていたかと思うと腹立たしいな」
つかみ掛からん勢いで言う少女の髪を一房すくい、口を寄せながら飄々と言う。その視線に少女は固まった。
「っ! だ、誰がそんな状況にしたと……」
「そうだな、今度からは誰にも見せないことにしよう」
にやりと笑った男の影が、少女の顔に落ちてきた。
「と、いうわけですの」
己にかじりつくように掴まっている少女の話を聞き、メイリーンは深いため息を吐く。
「以前は、あんなに優しくて頼り甲斐あって素敵で何一つ欠点の見当たらない完璧でいるだけで心浮き立つ素敵なもう一人のお兄様でしたのに」
えらい長文の惚気だか文句だか分からない愚痴を聞かされる。というか、素敵が二回入ったけど、突っ込みを入れるべきだろうか。
「それが、今では意地悪だしいじめっ子だしすぐに不機嫌になるしますます格好良くなってどきどきさせられるし笑い方変わったし凄いもててるし少し前まで逃げてたのに今は一緒にいない方が少ないくらい一緒にいるし相変わらず素敵だけど以前の柔らかさがなくなったしお兄様じゃなくて男の人って感じで落ち着かないし」
今度はもう既に惚気にしか聞こえない。現に、後ろにいる男が嬉しそうだ。まぁ、良かったね。そして、ノンブレスでそこまで言い切れるの凄いね。
ところで、よかったら誰か私に教えてほしい。
どうしてこうなった。
確かに、余人には理解されないかもしれないが、私たちは今ではすっかり良い友人となっている。流石にこの段になって、男への未練もない。むしろ、今では畏れ多くも少女にサロンへ招待されるほどの仲になり、男よりも仲良くさせていただいているほどだ。
だけど、もう一度言おう。どうしてこうなった。
仮にも私は、二人の仲を裂き、婚約破棄をさせた張本人のはずだ。男にとっては、元カノというやつになるわけで、いくら今は婚約者とラブラブだからといって、本来なら疎まれたり、人の婚約者と話すなと釘を刺されたりしてもおかしくはない立場のはずだ。
それなのに、この状況は何だ。
まぁ、普段は仲良くしていられても、二人の問題の時は一番相談しちゃいけない相手じゃないのか。もし私が、二人が上手くいってないなら、と、男にモーションかけるような人間だったらどうするんだ。一時は自分の愛しい人を奪い取った相手だぞ。
それなのに、私はいま何故、少女に抱きつかれ、男に射殺さんばかりに睨みつけられているのだ。
少女が男に腹を立てているのは分かった。そりゃあ、人前で口の端に付いたソースを舐め取られたら、恥ずかしかろう。ついでに、決して口に出して言えはしないが、噂の二人を盗み見ていた人間は多かったはずだ。きっと、少女が思うよりずっと多くの人間に目撃されていただろう。
その上、抗議しても暖簾に腕押し、抗議する場面を見られたくないからと人気のない場所にいたせいで、真っ赤になった少女が可愛いと、改めてキスされた日には、私だって怒る。我慢してたって何だ、私と付き合ってた時には一回もしたことないだろ、おい。
いや、それは今いい。
少女が怒るのも、口を利きたくないのも分かる。一人だとまた男のペースに嵌るかもしれないので、誰かといたいというのも、まぁ分からないでもない。
が、何故に私。和解したとはいえ、以前の恋敵に、何故縋りつく。しかも、何故そんな、赤の他人には知られたくないことを詳細に教える。知られたくなかったんじゃないのか。復讐か? これは一種の復讐なのか?
そして、そっちで私を睨みつけている方。一応私、元カノだろ。勘違いであろうと、そこらの有象無象とは異なり、本気で結婚まで考えたほどの想いを抱いた過去のある相手に対し、その態度は何だ。同性である私は恋敵にはなりようがないし、二人っきりになるのを阻止しているのは私じゃなくて、愛しの彼女の方だ。
その、この世の全ての恨みをこめたかのような眼差しは何だ。
大体、貴方、一人称「俺」だったっけ? いつも「私」って言うのしか聞いたことないんですけど。キャラも全然違うし、これ本当にあのカイル様か? 実はそっくりさんだったりするんじゃない?
「……フィアナ、これ以上はメイリーンに迷惑だ。一旦帰ろう?」
「……」
「フィアナ」
おいそこ、フィアナ様が全く見向きもしてくれないからといって、何でこっち睨む。貴方の言うとおり、迷惑かかってるのは私、力の限り無視しているのはフィアナ様の方だ。ぎゅむっと抱きついて離れないのもフィアナ様だ。
私は、すっかり引っ付き虫と化してしまった少女に対し、恐る恐る話しかけた。
「まぁ、気持ちは分かりますが、話し合わない事には何も解決しないですし……」
「その話し合いを一方的に中断させたのがカイル様ですわ」
確かに。
それを言われてしまうと、何もいえない訳だが。正直、話し合ってどうにかなりそうな気もしないし。
かといって、ずっと私に引っ付かれていても困る。いや、フィアナ様だけなら、御本人が構わないなら一日くらい一緒にお泊りとかしても構わないんだが。一般寮の粗食で耐えられるなら。
でも、このままだと絶対に引かないであろう存在がひとつ。女子寮だろうが、女子トイレだろうが、付いていけるぎりぎりまで付いてきそうな勢いだ。
流石に、これを引き連れて帰ったら、まず私が追い出される。折角周りと馴染めるようになったのに、こんなところで問題児に逆戻りとか勘弁してほしい。
生贄を引き渡すのが吉か、ストーカーを撒くのが吉か。
私が判断に迷っている間に、当のストーカーが痺れを切らしたらしい。
「フィアナ」
つかつかとこちらに近寄ったかと思うと、おもむろに私からフィアナ様をべりっと引き剥がし、
「なっ! ……んっ!」
無理やり口を塞いだ。うん、己のそれで。
あまりの展開の速さに追いつけず、ぽかんと見ている私の前で、フィアナ様の抵抗が消えるまで、その唇を堪能したカイル様は、くたりと力を失ったフィアナ様を抱え、鼻歌でも歌いそうな明るさで、邪魔をしたな、と去っていった。
嵐が唐突に去った私が思ったこと、それは。
――誰か、過去の私に伝えてください。あの二人には近付くな! って。
しないと決めたはずの、変えられぬ過去への後悔だった。
メイリーン編で、馬鹿にされていたと思っていたプロローグの会話ですが、実は、その後の会話は、こう。
「私だったら耐えられないわね。別れた相手とその恋人の間で、仲を取り持たなきゃならないなんて」
「しかも、全部痴話喧嘩だし」
「突き放して放っておけばいいのに、余程人がいいか断れない性格なのね」
「あの子、最近、二人のお母さんって言われ始めてるみたいよ」
「あぁ、何か納得~」
馬鹿にされているのではなく、同情でした。そのおかげもあり、結構、自分が思っているより周囲の好感度は高かったりします。