エピローグ
長い長い。だから、エピローグという長さでは……。
それから次の日。
メイリーンの元に、男の友人だという男性が、手紙を持ってきた。手紙の中身は、出来るようなら一度話がしたい、話してくれる気があるなら、手紙を持ってきた男に、都合の良い時を教えてほしいというものだった。
メイリーンは、反射的に断ろうとした。会ってしまえば、やはり心は揺れる。万が一乞われることがあれば、頷きかねない自分を自覚しているメイリーンは、まだ会うことは出来ない、と言おうとした。けれど。
「何があったかは知らないけど、あいつ、本当に反省してるみたいだった。出来れば、ほんの少しでもいいから話を聞いてやってくれないか? 勿論、誰か友人を立会いにつけたっていい」
そう言う男性の顔は、友人への心配が溢れていて。
「はい。分かりました」
気付けば、首を縦に振っていた。
「ありがとう、助かる。それで、いつなら都合が良いかな?」
「いつでも。そちらが良ければ、すぐにでも」
下手に時間をおけば、考え込んだり逃げたくなることは分かっている。もうこうなったら、会おうと決めたその時に会っておきたかった。
「分かった。なら、少し待っていてくれるか?」
すぐ呼んでくる、という男性に、メイリーンは近くの談話室を差して、そこで待つと伝えた。
数分後。
椅子に腰かけていたメイリーンの元に、息せき切って男がやってきた。
「待たせてすまない」
言いながら席に着こうとしない男に、席を勧める。
「疲れているでしょうし、お話もしにくいですから、どうぞ座ってください」
男は、メイリーンの傍に来ると、片膝をついてメイリーンに首を差し出すように頭を下げる。
「話す機会をくれたこと、まことに感謝する」
「なっ! や、やめてください!」
それは、通常下の者が上に対して行う動作。伯爵家継嗣が子爵令嬢にやるにはおかしなことで。それを行うのは、相手に対して最大級の謝罪を表す。
咄嗟に立ち上がって叫んだメイリーンに構わず、男はこう告げた。
「今まで、私は貴方を守っているつもりでいた。けれど、本当はそうではなかった。私は貴方を縛りたかっただけだ。貴方が私の他に頼る存在を見つけ、私から離れていくのが怖かった。貴方にまで去られてしまったら、と思って、貴方が身動き取れないように檻に入れて追いつめていたんだ」
「分かりました! 分かりましたから、謝罪を受けますから、立ってください!」
メイリーンの必死の訴えに、男がようやく立ち上がる。
「私は、今までの行動を振り返って愕然とした。私が貴方にやっていたことは、守るどころか貴方のすべてを否定し打ち砕く行為だったと」
「……」
「貴方が私を見限るのは当然だった。それなのに、そんなことすら、気付かなかった」
「……それは」
何か言おうとしたメイリーンだったが、言うべき言葉が浮かばず、結局は口を閉じる。
「今日は、貴方に謝りに来たんだ。今更何を、と言われるかもしれない。こんな身勝手な人間、許せなくて当然だ。会ってもらえなくても仕方がないのに、私の自己満足にしかならない謝罪を聞いてもらって感謝する」
真っ直ぐ頭を下げて謝る男に、声をかける。
「悲しかったのは事実です。私は認めてほしかった。たとえ完璧ではなくても、やれることはあるのだと。貴方みたいに何でもできるわけではないけれど、それでも役に立ちたかった。それを否定する貴方の傍にはいられなかった。でも……」
男はじっとメイリーンの言葉を聞いている。
「私、まだ貴方のこと、好きですよ?」
男は、目を見開き、メイリーンを見つめた。
「私は……」
その、声色で。メイリーンは自分の敗北を知った。
「分かっています。好きな方が、いるのでしょう?」
「……すまない」
心底自分自身を責めているような声に、笑う。
「いいえ。元々が間違っていたんです。間違いを正すのは当然です。貴方は困っている私を見逃せなかっただけ。私は、自分を助けてくれる貴方に甘えただけ。そこに恋愛感情は関係なかったんですよ」
「メイリーン……」
メイリーンは、とっておきの笑顔で答えた。
「だから、元に戻りましょう? 私が困っていたらまた、助けてくださるのでしょう?」
「あぁ。貴方が望んだ時は、すぐに駆けつける」
「そんなこと言って、フィアナ様に前の彼女と浮気してる、と逃げられたらどうします?」
いたずらっぽい表情でねめつけてみると、少し表情を和らげた男が、真剣な声で答える。
「フィアナは言わないだろうが、もし言うなら、一切会わないことを誓う。地の果てまででも追いかける」
その言葉に、なんだか笑えてくる。悪いことした相手に対しての約束を、そんなにあっさり覆すと宣言する男。でも、それは男が全て本心を話してくれているということで。
「カイル様って、結構酷いですね」
「あぁ、そうだな」
「やっぱり、私には無理そうです。貴方に付き合うの」
「………そうか」
「はい。なので、お別れしてくださいね」
「あぁ。……メイリーン、ありがとう」
「いえ。フィアナ様に、今度またお茶に誘ってください、と伝えてもらえますか?」
「あぁ、分かった。……では」
男が去っていった後、メイリーンは暫くぼーっとしていた。
カイル様は、謝ってくれた。そして、自分が望めば、また助けてくれると言ってくれた。
それで、十分だ。十分なんだ。
メイリーンは必死に言い聞かせた。
それから経って、メイリーンが談話室の扉を開けると、すぐ目の前にクラスメイトがいた。
「やあ、メイリーン嬢」
「……」
何故ここにいるのか。意図を測りかねたメイリーンが黙っていると、言いにくそうに頬をかきながら、理由を語る。
「いや、偶々二人が話すというのを見てしまったものだから。勿論、盗み聞きなどはしていないよ」
それは心配していない。談話室は、外から中の様子は見えるが、声は聞こえないようになっている。扉を閉じてしまえば、その内容を聞くことは出来ないのだ。
「ただ、その、二人が別れたという噂が聞こえて。その、少しだけ気になったんだ」
言いながら、怒ってるかな、とこちらを伺う姿に、ぷっと吹き出す。
「えぇ。私とカイル様はお別れしました。……貴方の忠告を無視した報いかもしれませんね」
「そんなことは!」
慌てふためく姿に、胸につかえていた重たい何かが、少し軽くなったのを感じた。
「えぇ、冗談です」
「……」
軽く返したメイリーンに、微妙な顔をするクラスメイト。そんな姿に勇気づけられ、気になったことを聞いてみる。
「何故、気になったんですか? 以前の忠告も、どうしてしてくれたんです?」
あの時は、好きな人が馬鹿にされたと思い、気付くこともなかったが、彼女は確かに私を心配してくれている。
「何故って、クラスメイトだからね」
さらっと答えるクラスメイトに、口をとがらせる。
「その割には、あまり話とかしてませんけど」
そもそも、自分がクラスメイト達と上手く付き合えていれば、男との出会いがあったかどうかも怪しい。あれは、自分がいつも一人でいたからこそ生まれた関係だったのに。
「それは仕方がない。何せ、私はメイフェア家だから」
突然の変わった話に首をかしげる。
そんなメイリーンを見た彼女は、ふっと笑って続けた。
「やはり、気にしていなかったか。メイフェアは、コルト家とあまり仲の良くない家との付き合いが多い。学園では、身分は関係ないものとされてるとはいえ、うちのクラスにはキルトンもいる。あちらは私を気に入らないようだから、私が近づけば、一緒に目の敵にされる可能性が高かったんだよ」
驚いた。彼女は、そういったことを気にしないのではなかったのか。
「けれど、貴方は昨日、正式に教授の助手になった。教授は、メイフェアにもキルトンにも親しい。その助手なら、誰と話していようと文句を言うことは出来ないからね。皆が牽制しあって動かない内に、私が抜け駆けしてしまうことにした訳だ」
「そう、ですか」
メイリーンは、自分がどれだけ周りを見ていなかったのか分かった。これは、男が心配するのも大げさではなかったのかもしれない。こっそりと少し凹んだメイリーンに、明るい声がかかる。
「あぁ。……で? どうかな? 私を友人にしてくれる気はあるかな?」
そういって、にっこり笑って首をかしげる。
「えぇ、喜んで。こちらからお願いします」
こちらも笑って、スカートをつまんで格好をつける。
明日から、また新しく学園生活を送れそうな気がした。