出会い
メイリーンと彼との出会いは、秋。特殊な事情で期の途中から入学したメイリーンは、既に派閥の出来上がっていたクラスになかなか馴染めず、困っていたときのことだった。
次の授業が突然場所移動となり、用意をしている間に皆移動してしまった。元々の教室が前の授業で使用不可な状態となったため、急遽、普段は使用されていない教室を使用することとなったらしい。
慌てて移動しようとしたが、一度も行ったことのない場所だったため、見事に迷った。迷っただけなら、誰かに聞けばいいだけの話だったが、運悪く囲まれた。
「貴方が、ぶつかったのは誰だと思っているの?」
「アイリア様にぶつかっておいて、そのまま去ろうだなんて、恥を知りなさい」
メイリーンとしては、謝ろうとしたのだが、本人に謝る前に、取り巻きに囲まれ、言うに言えなくなってしまっただけなのだが。
その上、逆上したお嬢様方が、ノートを盛大に踏んでしまっている。このノートは恐らく、新しいのを買う必要があるだろう。ただでさえ迷子なのに、一旦購買に寄らなければならないとなると、時間の猶予は殆どないと思っていい。
早くしないと授業に遅れる、と焦ったメイリーンの元に、静かな声が降ってきた。
「こんなところで何をしているんだ?」
「カイル様!」
自分を囲んでいた集団が、黄色い声を上げる。そこにいたのは、氷の貴公子と呼ばれる、メイリーンでも知っているほどの有名人だった。
「見た所、一人を大勢で囲んでいるようだが、そういうのはあまり感心しないな」
アイスブルーの瞳に見詰められた周りの女子達がびくっと怯える。
「ち、違いますわ。私達は、少しお話をしていただけで」
「えぇ。話は終わりましたから、失礼いたしますわね」
その速さに呆気にとられていたメイリーンは、そそくさと去っていく少女達を見て、ふぅと息を吐いた男が、そのまま去っていこうとしたのを見て、はっと我に返った。
「ま、待ってください!」
慌ててその腕をつかむ。
「何?」
さり気なくつかんだ腕を引き抜こうとする男の笑顔は、いつものメイリーンなら裸足で逃げ出すほどの冷気を放っていたが、必死だった彼女は、それに気づかなかった。
「あ、あの! 購買と第二理科室どこですか!?」
泣きそうな勢いで切羽詰まった声を上げるメイリーンに、一瞬ぽかんとした顔をした男は、ふっと笑い、購買にまで案内してくれたのだった。
数日後、メイリーンが廊下を歩いていると、後ろから腕を引かれる。慌てたメイリーンは悲鳴をあげようとしたが、続くもう一つの腕がメイリーンの口を塞いだ。
「おっと、すまない。驚かせるつもりではなかったんだが」
何が起こるのかと震えたメイリーンだったが、聞き覚えのある声に、ふっと力を抜く。
「すまない。以前のお返しのつもりだったんだが、少し悪ふざけが過ぎたようだ」
はたして、振り返った先には先日助けてくれたカイルがいた。
「カイル様。いえ、いきなりで驚いてしまって申し訳ありません。先日はありがとうございました」
「授業に間に合ったか?」
「はい。おかげ様で助かりました。お礼が遅くなりまして申し訳ありません」
深々と頭を下げるメイリーンに、男は笑って否定する。
「礼なら、別れる時に十分言われたさ。理科室まで行けなかったから、間に合ったか少し気になっていたんだ。間に合ったならよかった。それでは失礼した」
そういって去っていこうとする男に、メイリーンは咄嗟に声が出た。
「あの!」
ん? と男が振り返ったが、何も考えていなかったメイリーンは慌てた。
「どうした? まさかまた迷子中だったのか?」
「え、と。その。しょ、職員棟はどちらかな、と」
咄嗟に、今行く必要もない場所が口から出てくる。何言ってるの、私!? と、あわあわとするメイリーンに、まさか本当に迷子とは思わなかった、と呟いた男は、そのまま腹を抱えて笑い始める。
目尻に涙まで浮かべ始めた男に、恥ずかしくて死にそうになったメイリーンは、穴を掘って埋まる代わりに戦線離脱することにした。
「あの、すみません。大丈夫です、それでは!」
ぺこりと一礼をして去ろうとしたメイリーンだったが、男につかまってしまった。
「すまない、笑いすぎた。職員棟はそちらじゃないよ」
そういって、腕を引いて歩きだす男に、さっきのは嘘ですと言えなくなったメイリーンは、そのまま職員棟に連行されていった。
「用事は終わった?」
折角職員棟へ来たのだから、と用事を済ませたメイリーンが外に出ると、先ほど別れたはずのカイルが待っていた。
「え? カイル様!?」
驚いたメイリーンが叫ぶと、にっこり笑って近づいてくる。
「ここは複雑だから、帰りに貴方が遭難しそうな気がしてね。迷子になる前に監視に来たんだ」
さらりと告げられた台詞に、嬉しいやら恥ずかしいやら悲しいやらで、複雑な気分になる。
「さぁ、どこに行きたい?」
けれど、笑顔で差し出された手は、自分を心配してのもの。学園でそんなに親身に考えてくれる存在のいなかったメイリーンは、躊躇いつつもその手を取った。
「ところで、貴方は私の名前を知っているようだが、私は貴方の名を知らない。自己紹介してもらっても構わないかな?」
「あ、はいすみません。私はメイリーン・コルト。基礎科の一年生です」
「メイリーンか、良い名だ。改めてよろしくな」
「は、はい。毎回ご迷惑をおかけいたしまして……」
考えてみれば、身分も学年も全てが上の相手に、毎回道案内をさせている。これは男のファンクラブに袋叩きにされてもおかしくない事態だ。それに、本人にも申し訳ない。
恐縮するメイリーンに、男は笑うと、軽く手を振っていった。
「何の、気にすることはない。我が幼馴染殿が、目を離すといつの間にか迷子になる時があったのでね。必死に探し回る羽目になるんだ。それに比べたらまだまだ」
そう言って向けられた男の微笑みに、メイリーンの胸がはねた。
「そ、それじゃあ、道案内は慣れているんですね」
どきどきなる心臓の音を誤魔化すように聞くと、男は頷いた。
「そうだね。迷子の誘導は年季が入っているからね」
少し自慢そうに言う男の顔に、メイリーンの心臓は、一層うるさくなったのだった。
それから、男はメイリーンを見つけると、挨拶代わりに迷子になっていないか聞くようになり、二人で会話をすることも増えていった。
いつも繰り広げられる他愛無い会話は、友達が出来なかったメイリーンにとって、何よりも安心できるものだった。
彼の話は楽しく、特に数度聞かされた、犬のようにどこにでも付いてきて、時に迷子になってしまう小さな幼馴染の話は、男がその子を本物の弟のように可愛がっているのが伝わってきて、思わず自分まで一緒に可愛がってみたくなるほどだった。
そうして過ごしていたある日、クラスメイトに声をかけられた。
「メイリーン嬢、少しよいかな?」
それは、最初に少し案内等してもらっただけで、あまり話したことのない人だった。彼女はメイリーンとは違い、最初から学園にいたにもかかわらず、派閥というものが面倒だといって、一人孤立するようになった異端児だったからだ。
「何でしょうか?」
彼女はメイリーンを人のいない教室へと誘うと、話し出した。
「率直に言うと、カイル様にあまり依存しないほうがいい、ということだ」
その直接的な言い方に、メイリーンの顔が歪む。
「あの方は、誰にも本気にならない。求められれば誰とでも付き合うが、一旦付き合った人間とは、二度と付き合わない。そして、あの方が一人の女性に飽きるのは、驚くほど速いんだ」
あまりな言い分に、思わず握りしめた手に力が入る。
「付き合っている間は優しい。だから、軽い気持ちで付き合った女も、例外なく本気になる。だけど、本気になったころには、皆一言で捨てられているんだ。君もそうなる前に、考えておいた方がいい」
傷つくのは自分だぞ、と言われた時点で、メイリーンの堪忍袋の緒が切れた。
「私は……私は、別にカイル様と付き合いたいと思っているわけではありません」
「そうなのか? ならいいんだが……」
「それに、カイル様はそんな方じゃありません! あの方は、困っていた私に手を差し伸べてくれた。失礼な態度を取った私を助けてくれたんです。人を傷つけるような人なんかじゃありません! 失礼します!」
メイリーンは、まだ何かを言おうとしているクラスメイトを無視して、教室を飛び出した。
何で、自分を助け、学園生活を楽しくしてくれている優しいカイルが、まるで女性を例外なく傷つけるような言い方をされなければならないのか。
メイリーンは悲しくてたまらず、ただひたすら走った。
「ここ、どこ……?」
気付くと、メイリーンは見知らぬ場所に来ていた。この学校は似たような校舎がいくつもあり、外から見ただけでは区別がつかないのだ。
一旦近くの校舎に入ってみるか、それとも自分の校舎の目印である花壇を探すか途方にくれていると、後ろから声をかけられた。
「メイリーン?」
その声に安堵し、力が抜ける。
「カイル様ぁ……」
泣きそうなメイリーンを見た男は、メイリーンがおかれている状態を把握する。
「ひょっとして、また迷子か?」
「うっ」
呆れたように言われた言葉に返す言葉もない。
「まぁ、ひとまずこちらへおいで」
そういって、男はメイリーンを校舎の一室へ閉じ込めた。そのまま机の下に押し込められたメイリーンは、訳も分からず疑問の声を上げる。
「カイル様?」
「しっ」
口に指を立てて制す男に、メイリーンは口を閉じる。
男は、メイリーンが静かになったのを見て、自分も机に全身が隠れるように身を隠す。
メイリーンが、訳が分からず首をひねっていると、ノックの音が聞こえ、いきなり教室の扉が開いた。
「失礼しますわ。カイル様……いらっしゃいませんわね」
扉から聞こえる声は、隠れる二人に気付かず、扉を閉めて去っていった。
足音が去ってしばらくして、男が机の下から顔を出す。
メイリーンも一緒に顔を出して、聞いた。
「あの方は……、ひょっとしてフィアナ様ですか?」
自分と同じように中途半端な時期に編入してきたフィアナ・サランディアが、自分と一切会おうともしない婚約者を追いかけているのは、有名な話だ。自分はいつだって婚約者に会いたいのだと明言し、あまりに堂々と追い回す姿に、今では見かけただけで情報提供し、応援する者までいるという。
「あぁ。私の婚約者だ」
そのさらりとした言い方に、胸が痛む。彼は、何故婚約者から逃げているのか。婚約者のことをどう思っているのだろうか……。
「さて、取り敢えず今の内に抜け出すとしよう。行先は基礎科の校舎で大丈夫か?」
「はい」
色々な疑問を飲み込んで笑うメイリーンに、男はにっこりと手を差し出した。
それから、メイリーンは男について調べた。クラスメイトの言い分を鵜呑みにしたくなかったし、知りたかった。
クラスメイトの言うことを肯定する話は沢山あった。男に捨てられた相手は沢山いたし、一旦振られた女が、どんなに泣いてすがろうとしても「君じゃない」の一言で、相手にもしてもらえないそうだ。
けれど、自分と話すときの彼は、相変わらず優しくて。とてもひどい態度をとるとは思えなかった。
とある生徒がこう言っていた。
「カイル様は、とても残酷な方。あの方は、決して浮気はしない。噂では来る者拒まずなんて言われているけれど、誰かと付き合っている時は、他の方を受け入れるような真似はせず、その人のみを甘やかしてくれる。けれど、一度振ってしまえば、もう顧みることがない。例え相手がどんなに愛していても」
彼が、いつでも誰でも付き合うプレイボーイという噂は、振られたことを認められない少女達が縋り付いた結果だった。彼は、確かに付き合うペースは速いのかもしれないが、あれだけの容姿と身分、そして頭脳まで持ち合わせているのだから、少しくらい人よりもてるのは仕方がない。
付き合いたいと思ってくれた女性と向き合い、恋人として愛せないようなら、下手な期待を持たせることなくお別れする。それは、男が誠実だということではないだろうか。
それに、付き合ったという女性の中に、男から付き合いを申し出た者はいなかった。それは手あたり次第付き合っている、というのとは違うのではないか。
――私は、カイル様を信じる。噂の彼じゃなく、自分の目で見た彼を。
自分を信じることにしたメイリーンは、今まで通り、カイルと付き合うことにした。
幸いなことに、クラスメイトは時々、何か言いたげにこちらを見る程度で、それ以上邪魔しようとすることはなかった。
いつも笑顔で楽しい話を教えてくれる彼。そんな彼が、時折苦しそうな、辛そうな表情をするのに気付いたのはいつだろう。
元々、眼力が強く、笑っていない時は睨まれているのかと勘違いされがちな彼は、それをよくわかっているのか、いつでも笑っている。
そんな彼が、眉を顰め、親の仇を見るように険しい表情となる、それは、決まって彼の婚約者が近くにいる時だった。
彼は、婚約者が近づくとすぐに逃げ出すが、時々、すぐ近くにいるカイルに気付かず、他人と話している少女を観察している時がある。その時の彼の表情は、本当に辛そうで、見ているこちらまで苦しくなってくるほどだ。
メイリーンは、そんな苦しみから助けてあげたくて、腕を引いて注意を促すが、そんな時の男は、ぼうっとして、その後の会話も殆ど弾まない。そんな彼を見るたび、メイリーンは泣きたい気分になったのだった。
いつものように、男との待ち合わせ場所に向かったある日。カイルはいつもと違い、ぼうっとしていた。手を伸ばせば触れられるほど近付いても気付かない様子の男に、言いようのない焦燥感が走る。
「カイル様? カイル様、大丈夫ですか?」
「あぁ、メイリーンか。どうしたんだ?」
途端、いつもの笑顔になる男に、何も言えなくなる。
「メイリーン? 何故泣いている?」
気付くと、メイリーンの眼からは涙がこぼれていた。
慌てて顔を背けようとしたメイリーンは、男に腕をつかまれ、反射的にそちらを振り向いた。
「私の前で無理はしなくていい。理由が言えないなら、それでもいいから、ここで泣いておけ」
男は、メイリーンを抱き寄せると、メイリーンが落ち着くまで頭をぽんぽんとなで続けてくれた。
「す、すみませんでした」
「いや、気にすることはない」
「制服、ぐちゃぐちゃにしちゃって……」
「なに、破れたわけでもない。洗えば済む程度で、貴方の気分を晴らすことができるなら、そちらのほうが嬉しいさ」
照れるような台詞を、麗しい笑顔で囁かれ、未だ男の腕の中にいたメイリーンは、顔が上げられなくなった。
何というか、恥ずかしすぎる。
ぴしっと固まったメイリーンに、くすくすと笑った男は、真剣な声で告げた。
「メイリーン、私はどうやら、貴方が好きなようだ。出来れば、貴方をずっと私の手で守らせてほしい」
「え?」
「付き合ってくれないか?」
その言葉が頭に染み込むまで、しばらくの時間を要した。
「え? あの、え?」
あの、決して自分から交際を求めることのないという噂の男が、自分に交際を申し込んでいる!?
これは夢か、幻聴か、それとも頭がおかしくなったのか。パニック状態になったメイリーンだったが、男が真剣な眼で自分を見ているのに気付き、顔が赤くなる。
「あの、は、はい。よろしくお願いします……」
最後は、消え入るような声で返事をしたメイリーンに、男は笑って言った。
「あぁ、よろしく」
付き合うことになった二人は、彼の婚約者のところに行った。今まで逃げ回っていた少女に向き合い、メイリーンのことを紹介するために。
「お久しぶりですわね、カイル様。お会いできて嬉しいですわ」
にこにこと笑う少女に、男は淡々と告げる。
「あぁ、こうして会いに来たのは他でもない。君にお願いがあったからだ」
「お願い?」
きょとんと首をかしげる少女に、男は頷いてメイリーンを見る。
「彼女はメイリーン。この度、彼女と付き合うことになった」
ぱちりと瞬きした少女を真っ直ぐ見据え、男は告げた。
「すまないが、君との婚約を反故にしたい」
もう一度瞬きをした少女は、変わらない抑揚で問いかけてくる。
「それは、彼女と婚約を、ということですの?」
「あぁ、正式に婚約はしないが、いずれ共になれれば、と思っている」
「では、私は、もうお役御免ということですの?」
「婚約者としては、そうなる。勿論……」
「分かりましたわ」
言いかけた男を制し、少女は頷いた。
「カイル様に慕う方が現れたこと、心から祝福いたします。お幸せになってくださいまし」
にっこり微笑む少女に、男も嬉しそうに笑う。
「あぁ、ありがとう。感謝する」
「では、ご機嫌よう」
「あぁ、また」
そのまま足早に去っていく少女の姿が見えなくなって、メイリーンは思わず息を吐いた。
はっきりと避けられていると分かっている相手を執拗に追い続けるような少女が、こんなにあっさり二人を認めてくれるとは思わなかった。必ずなにがしかの波乱はあるだろうと思っていたメイリーンは、ほっとした。
少女に婚約者への想いは特になかったのだろう。なら、これで良かったのだ。見ているだけでカイル様が辛くなるような相手と別れ、自分も好きな人と一緒にいることができるのだから。
「カイル様、よろしくお願いしますね」
「あぁ、こちらこそ」
思えばここが、メイリーンにとって一番幸せなときだったのかもしれない。
ところで、今気づいたんですが、お気に入りの数がなんか物凄いんですが。。。ついでに、アクセスもなんか尋常じゃないんですが。更新もしてないやつなのに。
だ、大丈夫ですか? 実は、類似タイトルで大人気作品があって、間違ってくるとかそういうのですか? ある日いきなり、うちの作品使ってハイエナするなー、とか抗議が来たりしません? 気付いてなかっただけに、今更びくびくしてる北西なのでした。