学園騒動記
学園の昼休み。授業が早く終わった方が、もう片方の教室の前で待つ。いつの間にか、そんな暗黙の了解の元、今日待っていたのはカイルの方だった。
「カイル様、お待たせいたしました」
「いや、行こう」
ぱたぱたと寄ってきたフィアナの手を取り、個室へと向かう。周りに人がいなければ、フィアナは小さい頃と同じようにひっついてくるので、心置きなく可愛がれることが分かったからだ。
「フィアナ、これ」
食事が用意されている間、ふと思い出して、箱を取り出した。
「まぁ、何ですの? お菓子?」
「あぁ。先日の石鹸の礼だ」
それは、沢山のギモーヴ。可愛く整列する色とりどりのお菓子に、フィアナの目が輝く。
「わぁ、綺麗!」
思わず手が伸びたフィアナに、カイルがぺしりと頭を叩いた。軽く触れる程度の予定だったが、カイルの予想以上にきっちりとぶつかってしまった。
「きゃっ」
「あ、すまん。痛かったか?」
慌てて撫でるが、フィアナはふるふると首を振る。
「いいえ、つい声が出てしまっただけですわ」
「そうか、ならよかった。だがフィアナ、昼の前に食べるのは駄目だ。食後にしなさい」
ほっとしながらも、言うべきことは忘れないカイルに、フィアナは素直に謝る。
「はぁい、ごめんなさい」
「いい子だ」
頭を撫でながら、叩いてしまったおでこにチュッと口付けるカイルと嬉しそうに目を細めるフィアナをよそに、昼の準備は着々と行われていく。すっかり慣れている使用人だった。
「次はどれが食べたい?」
フィアナを膝に乗せたカイルは、先程のお詫びにと、好きなギモーヴを取って、食べさせていた。
「えーっと。次は桃色のやつがほしいですわ」
フィアナが真剣に選んだものを手に取り、口まで運ぶ。
「ほら、あーん」
「んー、美味しいです。カイル様も、食べないんですの?」
「これは、フィアナのために買ったものだからな。遠慮せず、食べろ。ほら、もっとほしいか?」
「はい。いっぱいくださいませ」
雛鳥のようにギモーヴをせっせと食べさせてもらうフィアナに、使用人たちも微笑まし気にお茶を提供する。これまた日常の風景だった。
その日の放課後。
同じクラスの一人が、カイルの元にやってきた。が、人の前まで来ながら、何故か不自然に話そうとしない。この後フィアナと会う予定だったカイルは、さっさと済ませるべく、自分から問いかけた。
「何か用か?」
「あー、うん。……お前、サランディア嬢に手を出したって本当か?」
「は?」
「噂になってるんだよ、お前がサランディア嬢にって。だけど、その反応だと、間違いってことか?」
少しほっとした表情で言う級友に、ショックを受ける。昼の一件が、そんなに大きな噂になっているとは。自分は、そんな簡単に女性に手を挙げるようなイメージを持たれているのだろうか?
女性にも男性にもそんな真似はしたことないのに、と軽く凹みながら、ややばつの悪い顔で答えた。
「いや、それは事実だ」
「へ?」
同時にざわっとさざめいたクラスに、思ったより注目されていることが分かる。フィアナの人気を喜ぶべきか、自分の信用のなさを戒めるべきか。
「だが、言い訳させてもらうなら、あんなにきつくやるつもりはなかった。ただフィアナの動きが思ったより速かったせいで、想定より深く入っただけだ」
「そ、そうか」
「あぁ。それに、フィアナだって驚いただけで痛くはなかったと言っているし、その後、たっぷり甘やかしたからな。フィアナは全然気にしてないぞ?」
むしろ、口を開けるだけで、自分の食べたいものが食べられる状態に、却ってご機嫌だったくらいなのだが。雛鳥のように、もっともっととせがむフィアナの可愛さときたら……。
「お、おう。えっと、つまり、手を出したのは事実だが、サランディア嬢は納得の上だと」
昼間のフィアナの様子を思い出していたカイルは、級友の言葉に、元の世界に戻される。しまった、頬が緩んでいたりしなかっただろうか?
「あぁ」
微妙な顔で黙り込んでしまった級友に、少し心配になり、恐る恐る尋ねた。
「……そんなに、噂になってるのか?」
「あぁ。多分、学園のほとんどが知ってると思うぞ」
いくらなんでも、皆、暇過ぎないだろうか。何の理由もなく暴力をふるったわけでもなく、その後もフィアナと一緒にいたのが、フィアナだって叩かれたことについては納得しているという紛れもない証拠だというのに。
「うーん、一応皆の目につく場所で、フィアナに謝っておいた方がいいか?」
「やめておけ。そんなんで謝られたら、サランディア嬢に泣かれるぞ。それに、お前たちの関係なら、まぁ許される範囲なんじゃないか?」
学園に知られたらどうなるかは知らないけどな、という級友に、ひっそりため息を吐く。確かに、あちらは侯爵家でこちらは伯爵家。下の者が上の者に対して手を上げるなど、学園としては大問題だ。
ついつい、互いの家にいるときのように接してしまったが、揚げ足を取られぬよう、身分は弁えるように気をつけよう。
そんなことを考えていると、当のフィアナが姿を見せた。
「カイル様」
「あぁフィアナ、すまない。態々来させてしまって」
「早くお会いしたかったから来ただけですわ」
にっこり笑うフィアナに近付き、先程叩いてしまったおでこに触れ、髪を梳きながら尋ねる。
「乱暴にしてすまなかった。大丈夫か?」
ぱちくりと瞬いたフィアナは、すぐに首を振る。
「いいえ。あれはカイル様が悪いのではありませんわ。私がいけなかったのですから、お気になさらず」
「だが、もう少し気をつけるべきだった」
「カイル様ったら、考えすぎです。怪我をしたわけでもないのですから、もう忘れてくださいまし。さ、そのようなことより参りましょう?」
「あぁ。それでは失礼する」
「ごきげんよう、皆様」
それから数日後。
「カイル様!」
珍しく、早足でフィアナが教室に入ってくる。
いつもは、クラスの誰かが許可するまで中には入らないのに、今はカイル以外のものが何も見えていないかのように、真っ直ぐ突撃してきた。いや、実際に見えていないのだろう。いつもなら、決して他人に見せない落ち着きのなさに、カイルは首を傾げた。
「どうした、フィアナ?」
「カイル様! 私、赤ちゃんが出来ましたの!」
両手を握りながら言われた内容に、クラスどころか、廊下の通りすがりまでもがぎょっとそちらを振り向く。
フィアナ様、ご懐妊!?
そんな悲鳴が響き、報告されたカイルに注目が集まる。一体彼は、どんな反応を示すのか。
暫く停止していたカイルは、フィアナをそっと抱きしめる。
「あぁ、フィアナ……」
腕の中の彼女をそっと撫でながら、カイルは震える声で告げた。
「今すぐ結婚しよう。……大丈夫だ、義父上には、俺から伝える」
おぉ! と、クラス中が沸き立つが、カイルは周りなど気にしている暇がなかった。フィアナに子が出来たということは……。
「フィアナ、言いたくなければ言わなくていい。……誰なんだ?」
「はい?」
きょとんとした顔のフィアナを抱きこみ、必死に柔らかく笑う。
「いや、いい。忘れるんだ。大丈夫だから。……早く式を挙げよう。腹が目立つ前に。大丈夫、フィアナは何も考えなくていい」
その声に潜む悲壮感に、段々とクラスが静まっていく。どう見ても、父親になる幸せな男には見えない。
「だがフィアナ。一つだけ、確認してもいいか?」
「はい、なんですの?」
喜びを分かち合おうと思っていたフィアナは、予想と大分違う反応に、少し不安になりながら答える。ひょっとして、子供は嬉しくないのだろうか?
「フィアナ。その子を育てるか?」
「え?」
予想外の確認に、頭が真っ白になった。
「フィアナが産みたいというのなら、協力しよう。その上で、生まれた子が愛せそうにないなら、どこか養子に出したっていい。その子が一生フィアナを探してくるような真似はしないようにする。我が子だと思えるなら、俺にとっても愛する子供だ。全力で守ろう。だが、その腹の存在がお前を苦しめるようなら、堕胎ろしたって構わない。辛いようなら捨てて構わないんだ」
「か、カイル様?」
完全についていけない頭で、名を呼ぶが、相手は、何も考えなくて良いんだ、と、フィアナを強く抱きしめてきた。その手はかすかに震えている。
「大丈夫だ。お前に苦しみを与えたやつは、俺が必ず排除する。忘れてしまっていい。……気付かなくてすまなかった」
搾り出すような謝罪に、ざわめいていた教室が完全にしんとなる。つまり、フィアナ様の腹の子の父親はカイルではなく……。
重すぎる空気を破ったのは、フィアナだった。
「一体何を仰っていますの、カイル様? 私が子を授かったこと、喜んでいただけませんの? カイル様と私の赤ちゃんなのに!」
「はっ!?」
「え?」
途端に、へなへなと座り込み、頭を抱えてしまったカイルに、フィアナが慌てる。
「どうなさいましたの、カイル様? 立ち眩みですの?」
あわあわと医者を呼ぼうとするフィアナを止め、手近な席に座ってぽんぽん、と膝を叩く。フィアナが大人しく膝に乗ると、おでこをこつんとあわせて尋ねた。
「フィアナ、教えて? どうして赤ちゃんが出来たと分かった?」
「メイリーン達が、教えてくれましたの。私、赤ちゃんがいるんですって」
これは後でメイリーンとじっくり話をする必要がある、と固い決意を胸に、やんわりと首を振る。
「フィアナ……、聞くんだ」
カイルは、フィアナと眼を合わせ、ゆっくりと話した。
「赤ん坊が出来るのには、父親と母親の協力がないと出来ない」
「はい?」
いきなり始まった、即席講座に、クラス中が聞く体制になる。
「女の子は、お腹の中に、赤ちゃんの基を持って生まれる。けれど、それは、そのままで赤ちゃんになる事はない。何でだか分かるか?」
「いいえ、分かりませんわ。お父様がいらっしゃらないから?」
カイルは一つ頷くと、説明を続ける。
「それは、赤ちゃんになるための材料はあるが、赤ちゃんになるようにっていう命令がどこにもないからだ」
言って、いまいち理解の追いついていない様子のフィアナに、丁寧に説明する。
「女の子のお腹の中にある赤ちゃんの基は、例えるなら、パティシエが、キッチンにお菓子の材料を用意して待っている状態、と言えるだろう。後は作って、と言われれば作る事はできるが、誰からも作るように言われてないから、実際にお菓子が出来上がることはない」
「対して、男は、そんな赤ちゃんの基は持っていない。けれど、その赤ちゃんの基に対して、赤ちゃんになるよう命令するものを持っている。パティシエにこんなお菓子を作ってくれ、と頼む注文書だ」
「赤ちゃんが出来るっていうのは、男がその注文書を、女の子に受け渡して、赤ちゃんの基にそれがたどり着いて初めて出来るんだ」
ふんふん、と頷くフィアナが、自分の言った内容をきちんと頭に入れたのをみて、がしっと肩を掴む。
「そして、フィアナ。ここが肝心なんだが、俺は、フィアナにその注文書を受け渡すようなことをしたことがないんだ」
「え?」
「だから、今の時点で、フィアナと俺の子供が生まれることはあり得ない」
「え?」
「もし、フィアナに本当に子供がいるとしたら、他の男が、ということになるんだが……」
「え? え?」
完全に想定外の事態に混乱しているフィアナを見て、ほっと息を吐く。
「そんなことがあったら、フィアナが今、思い当たらないはずないからな。今回は、子供がいるということ自体が間違いだろう」
「赤ちゃん、いませんの?」
「あぁ」
フィアナは少し残念そうにお腹を撫でた。
「そうですの」
しゅん、としたフィアナを優しく抱き寄せ、そっと囁く。
「俺達はまだ、結婚もしていないんだから、赤ん坊はもっと後でいいだろう? 焦って子供に不十分な愛を注ぐより、きちんと準備をして、万全の環境でのびのび過ごせるように育ててやりたいと思わないか?」
「そう、ですわね。まだ早いですものね。ただ、私にも赤ちゃんが来てくれた、と思ったので、いなくて少し残念だっただけですわ」
「きっと、俺達がきちんと親として迎える準備が整ったら、来てくれるさ」
「はい」
まるで、この場に二人しかいないかのような甘ったるい雰囲気に、クラスメイト達が避難しようとし始めた時。フィアナが無邪気に話しかけた。
「ところでカイル様」
「ん?」
「注文書の受け渡しって、どうやりますの?」
頭を撫でる形のまま、ピシリと固まったカイルは、暫く後、ギギギとぎこちない動きで肩を掴み、厳かに言った。
「……………フィアナ。それは、結婚してから教えようか」
「今じゃ駄目ですの?」
「駄目。特に絶対に他の人に聞いてはいけない。いいね?」
その真剣な顔つきに、フィアナは思わずこくこくと頷いた。
「分かりましたわ」
「いい子だ、フィアナ」
にっこり笑って、頭を撫でていたカイルだったが、続く言葉に、再び笑顔のまま固まることになる。
「その代わり、その時はカイル様がちゃんと教えてくださいましね?」
「………………あぁ。全部教える」
「約束ですわよ?」
「あぁ、約束だ」
無邪気に指切りをするフィアナと、やけのように据わった眼をした笑顔のカイルに、クラス全員の生温い視線が突き刺さった。学園は今日も平和だった。
はい、よくあるお約束ってやつです。フィアナは、生まれてすぐに婚約者が決まっていたため、そういう系については、全く教わっていません。家族(主にパパん)が、そういった話題を力の限りシャットアウトしたため、その方面の駆け引きも重要となる貴族にあるまじき知識のなさです。コウノトリさんが運んできてくれるの、と言わないだけまし、というレベルです。カイル、即興で頑張った。
因みに、事の真相
・フィアナが『フィアナの薔薇の香料入りの石鹸』を贈る
・フィアナとカイルの纏う香りが一緒に
・ひょっとして二人は……、と噂
・カイルが『フィアナに手を出したのは事実』と認め、体調を気遣った → 二人は既に夫婦!
・ならば、ひょっとして既に子供が? → 伝言ゲームで、メイリーンの元に『フィアナが妊娠したって』という話がくる
・メイリーン、フィアナにお祝いを述べる
・お祝いの理由を聞いたフィアナ、びっくりしてカイルに報告
でした。
本当は、同時にカイルの方にも、噂の真相を聞きに来たクラスメイトがいて、話が見事に喰い違っていき、手袋(決闘)が必要かどうかを検討しているところでフィアナ登場だったんですが、長くなったので割愛。いきなりで慌ててもらいました。




