とある侍女の煩悶
私はエルダ。サランディア家の侍女であり、現在、学園にてサランディア家令嬢フィアナ様のお付をしている。
護衛一人に侍女一人のこのポジションを確保するために、壮絶な争いを繰り広げたのは記憶に新しい。かといって、別にサランディアの他の仕事が人気がないわけではない。
天下御免の侯爵家でありながら、使用人を家族のように扱う、働く場所としてはこの上ない良い職場である。奥様は常に、私たち使用人を気にかけ、旦那様も心無い貴族の横暴から私達を守ってくださる。次期侯爵であられる坊ちゃまも、使用人が困っていれば手を貸してしまうくらい気安いお方だ。
では、何故お嬢様のお付きがそんなに人気だったのかというと、お嬢様が学園に行く理由にあった。
お嬢様は、生まれた時から婚約者がいた。それは、貴族社会ではそう珍しいことでもない。
けれど大変珍しいことに、婚約した二人は、他が目に入らないほどの純愛をみせたのである。
お嬢様が赤ん坊のころから、カイル様はお嬢様一筋だった。毎月家に来ては、真っ先にお嬢様に会いに行き、何かと世話をする。
お嬢様も、カイル様がいらっしゃると、いつでもご機嫌になって、カイル様に手を伸ばしていた。
小さな子供が赤ん坊を必死に抱っこしている姿は、思わず絵師にその光景を描かせ、永久に留めたくなるほど。
お嬢様が少し大きくなってくるころには、流石に毎月来るということはなくなっていたが、それでも年に数回、訪れがあった。その時のお嬢様は、親を見つけた迷子のように一目散に駆けていき、力の限り付き纏った。カイル様も、そんなお嬢様を優しく抱き止め、嬉しそうに笑っていた。
この時のお嬢様の最大の敵は、ご家族だっただろう。何せ、ご家族の方がカイル様に話しかけると、カイル様を取られてしまうのだから。
特に、坊ちゃまがカイル様と一緒に遊ぼう、というと、お嬢様はついていけない。カイル様は、待っていてね、と言うのだが、離れたくないお嬢様がついていこうとして、行方不明になったことが何度あったか。当時坊ちゃま付だった私は、坊ちゃまに、フィアナ嬢様も一緒にいられる遊びにするよう、窘めていたものだ。
大騒ぎで探す中、見つけるのはやっぱりカイル様だ。どうやって探し出すのかは分からないが、皆があちこち探す中、多分こっち、と探す方向に、大抵いる。そして、迎えに来たカイル様に、嬉しそうに飛びつくのだ。
やがて、お嬢様が外に出ることもできるようになってくると、お嬢様がカイル様の家に訪問することも出てきた。
私はお供したことがないが、一緒に行った仲間によると、やっぱり全開でお互いを構い倒すらしい。カイル様がお勉強の時間も、お嬢様が机にかじりついて、必死にカイル様に話しかけないよう、悲痛なまでの顔で頑張っているらしい。その必死の努力がカイル様の気を大いに散らしてしまうため、お嬢様がいる期間の勉強は、カイル様がお嬢様を膝に乗っけて、自分の学んだことをお嬢様が理解できるように分かりやすく伝える訓練の時間ということになったくらいに。
そんなお二人は、成長しても、心変わりもせず、相変わらずラブラブだった。恋愛感情としてはどうなのかは、いまいち分からないところもあるが、お互いが互いをどれだけ大切に思っているかは分かる。
出会うと幸せな空間を作り出す二人に、ついつい私達もにこにこと見守ってしまうのだった。私達使用人は『二人の幸せ見守り隊』を結成し、陰ながら応援していた。
そんなほのぼの空間がなくなってしまったのは、お嬢様が十歳のころ。
カイル様が、学園へと入学したことにより、お嬢様と会えなくなってしまったのだ。少しくらい、休みを取って、お嬢様と会えるようにしてもいいと思うが、どうも難しいようだ。どうも、ご実家にも戻られていないらしい。
ひょっとすると、カイル様は、お嬢様を本気で娶るため、旦那様のテストに合格する力をつけるまで会わないのではないか、と、使用人たちは噂しあったが、真相は分からない。執事が何かを知っているようだが、私達には教えてくれないし、お二人の話になると、やんわりと窘められるようになったため、カイル様の様子を、他家の使用人に聞いたりするのも憚られた。
ただ、お嬢様は変わらず手紙を出し、多少頻度は落ちたものの、返事も必ず来た。
カイル様からの返事がある時は、お嬢様は大事そうに両手で抱き、スキップでもしそうなほど軽い足取りで自室へ向かう。そこで、一人じっくり何度も読み返すのだ。
その日は一日、お嬢様の顔が緩んでいるので、一目瞭然である。毎年贈られてくるプレゼントなど、先祖代々の家宝かのように大事に大事に大事にする。
そんなお嬢様が、カイル様のいる学園へといくことになったのだ。
分かってくれるだろうか? これは、お互い成長して、美男美女となった(に違いない)お二人が感動的な再会を果たす瞬間を、この眼で目撃するチャンスなのだ。最近出番がなかった『二人の幸せ見守り隊』の面目躍如のこの時に、付いていかずして何とする!
我々は、戦った。何故か、唐突に学園へ赴くことになったお嬢様のために、誰がお付きとなるか、皆で決めたのだ。
学園へ付いていける使用人は、二名まで。そうなると、護衛一人、世話役一人、という話になる。
熾烈な争いだったが、最終的には、私に軍配が上がった。自衛の心得があることが決め手だったと思う。護衛の邪魔にならず、いざという時にお嬢様を逃がせることは重要だからだ。学園は安全に力を入れているとはいえ、何が起こるか分からない。大切なお嬢様を守るため、考え過ぎるということはないのだから。
さて、そうして見事狭き門をくぐり、掴み取ったこの立場。期待に胸ふくらませていると、旦那様からお呼び出しがあった。
学園でのことだろうと思いつつ、緊張して部屋に入ると、衝撃な事実を知らされた。
カイル様が、学園で、何人もの女性と付き合っては別れを繰り返しているというのだ。あれだけ自分を一途に愛してくださるお嬢様というものがありながら!
それと同時に、お嬢様も知らない、カイル様を襲った不幸も知らされた。
何と痛ましいことだろう。確かに以前、カイル様の叔母様の話題が出ていた時期があった。暫くして後、旦那様がお嬢様達に、カイル様の前で叔母様の話題を出さないように仰っていた。その時は、急に別の場所へ去っていってしまった叔母様の話で、寂しい思いを思い出させないように、と説明されていたが、実際には、そんなことがあったなんて。
それで、どうしてお嬢様との未来が断たれたと思い込んでしまわれたのかは分からないが、カイル様はお嬢様と別れないとならないと思い込んでしまわれたらしい。
旦那様は、二人が会えば、誤解はいつか解けるはずだと仰っている。私も、旦那様とカイル様を信じて、お二人が元通り仲良く過ごせるよう、自分の仕事を全うしたいと思う。
そして、実際に学園へ来て。
分かっている。分かってはいるのだ。カイル様は、お嬢様を嫌っているわけではない。ただ単に、自分に自信を無くしているだけなのだ。
それに、お嬢様は偶にとはいえ、カイル様を自分の目で見ることの出来るところに来れただけで、それなりに楽しそうなので、部外者である私が思うことではないのかもしれない。
けれど、け・れ・ど・も、だ。それとこれとは別の話で!!
「もぉー!!! いい加減捕まりなさいよ! あの色男!」
むかつく気持ちは止められない! 毎日毎日、うちのお嬢様を振り回して!
「本当に。そろそろ諦めればいいだろうになぁ」
「いっそ、闇討ちして逃げられないようにしてやろうかしら!?」
「おいおい、カイル様の侍従の前で言う台詞じゃないぞ。というより、お前が闇討ちしても、とっ捕まるだけだ。あれでも強いぞ、うちの坊ちゃんは」
「だ、け、ど! お嬢様があれだけ必死に追いかけてるのよ!? さっさと捕まって、お嬢様を優しく抱きしめて『今まで悪かったね、これからはずっと君を放さない。愛してるよ、フィアナ』くらいのことは言えないのー!?」
「いやぁ、うちの坊ちゃんがそんなこと……言うな。うん、ばっちり声が聞こえる。顔まで浮かんだよ、おい」
「貴方の空想の中じゃなくて、現実で言いなさいよー!」
「いや、それは坊ちゃんに言ってくれよ……」
むしゃくしゃした私は、旦那様に詳細な報告を送った。それを受け取った旦那様は、態々ご自身で、私に対する礼と、これからも頼むというお言葉をくださったので、私はどんなことでも書くようにした。
すっかり学園恒例となった追いかけっこが、いつ決着するかと思っていたある日、お嬢様から、メイリーン・コルトに関して調べてほしいと言われる。
早速調べてみると、何と、最近カイル様が気にかけている女性らしい。都市へ向かうのに使える道が一つしかなく、そこが封鎖されたせいで入学が遅れたというくらい、田舎の貴族。
性格は悪くないようで、付いてきている使用人も、一人だけだが、苦痛には思っていないらしい。何故か、クラスでは派閥に所属せず、皆から少し浮いた存在となっているのが気にかかるが、こっそりと自分で観察してみた限りでは、特に問題があるとも思えなかった。
けれど、特にこれといって特別光るものがあるという訳でもなく。正直、身びいきは多分に含まれるとはいえ、うちのお嬢様の方が美しいし素晴らしい。彼女に構う暇があるなら、お嬢様にきちんと向き合え、と思う。
なのに。
表情を失ったお嬢様から無理矢理聞き出した話は、信じられないものだった。
「婚約、解消、ですか?」
「えぇ。カイル様に、愛する方が現れたのですもの。私は応援しないとなりませんわ」
「で、ですが……」
「私は、いつだってカイル様に幸せをいただいておりました。カイル様がいつだって守ってくださったから、私は何でも出来ました。だから、私はカイル様の一番の味方になると決めましたし、お役に立てることがあるなら、何でもしたいと思っているのですわ」
「しかし、旦那様は、了承してくださるでしょうか?」
「お父様は、二人の未来は二人で決めるものだと仰いました。例え、道が別たれるとしても、それは構わないと。その時があっても、無理強いはしないと。きっと、分かった、と言ってくださいますわ」
まだ言いたいことがあった私だったが、結局口を噤んだ。血の気のない表情で、それでもカイル様を悪者にしないため、使用人さえも説得しようとするお嬢様がいたたまれなかったからだ。
文句を言うべきは、お嬢様にではない。あの男にだ!
拳を握りしめ、無礼にも直談判しようと繰り出した私だったが、途中で失速する。
言って、何を言うというのだろう。相手の気持ちは、もう他に向いている。その時点で、婚約を続行する方がお嬢様にとって酷だ。
心変わりが酷いと訴える? それをして何になる。お嬢様が望んでいるわけでもないのに。
そもそも、想いなんて、自分でどうにか出来るものでもない。お嬢様より愛しい人に会ってしまったのなら、それはどうしようもないではないか。
まして、私が勝手に抗議に行けば、その責はお嬢様にいく。カイル様は、使用人が文句を言った程度で咎めるような方ではないが、使用人が、他家の主に向かって堂々と意見をするなど、主の醜聞になる。
お嬢様は、そうなっても私を責めはしないだろうが、ご自身のせいでカイル様に嫌な思いをさせ、私に心配させたことを悲しまれるだろう。さらに、私が替えられることにでもなったら、自分のせいで迷惑をかけたと悔やんでしまわれるかもしれない。
私の勝手で、誰も喜ばない事態を引き起こしてしまうことに気付いた私は、がっくりと項垂れながら、元来た道を引き返した。
それから暫くの間。今までが幻かのように、お嬢様からカイル様が消えた。まだ無理をしているのは分かっている。不自然なほど、接触がないのがその証拠だ。
お嬢様は決して表には出さないが、会うのは辛いのだろう。カイル様にも、お相手のメイリーン・コルトにも一切接触しない日々を送られている。
そんなある日。
お嬢様が、動揺も顕わに佇んでいた。カイル様と関わらないお嬢様は、優雅さを崩したりなさらないので、大変珍しい。
「お嬢様、どうなさいました?」
「あぁ、エルダ。……カイル様に、お会いせねばなりませんわ」
今まで会おうとしなかった相手に会うという。一体何があったというのか?
聞くと、カイル様とメイリーンが別れた、とのこと。ふらふらと様子のおかしいメイリーンに話しかけたお嬢様は、そこで二人が別れることになったと聞いたらしい。
「けれど、メイリーンは、まだカイル様が好きなのです。カイル様だって、きっと同じですわ。だから、私、行かないと」
それは、お嬢様だって同じでしょう? 別れたのなら、もう一度ご自身を見てもらおうとは思わないのですか? とは、言えなかった。
お嬢様の顔には、カイル様を助けたい、という思いしか見えてこなかったから。
果たして、カイル様と話に行ったお嬢様は、泣き笑いの表情で帰ってきた。
「カイル様はきっと、やり直せますわ。きっと、大丈夫……」
その日の夕食は、お嬢様が特に好きなものを揃えたが、一番好きだったものは、全てカイル様と一緒の思い出のあるものだったことに、こちらまで泣きそうになった。
それから、数日後。
カイル様に腕を回され、顔を真っ赤に染めたお嬢様が戻ってきた。
え? 何が起こったの?
カイル様は、お嬢様を部屋に入れると、愛しげにお嬢様の頬を撫で、髪を一すくいキスをして、また明日、と去っていった。
呆然と、見送りの挨拶も忘れてしまった私だった。
それから、まるで過去の二人がそのまま育ったかのように、いちゃいや……いや、仲睦まじいお二人を見ることになる。
カイル様は、まるでこの世にお嬢様以外はいないかのようにお嬢様を甘やかすし、お嬢様は最初は恐る恐る、最近ではすっかりそれが普通とばかりにカイル様に甘える。
私がここに来た当初の目的であった、お二人の幸せを目に焼き付ける、は、唐突に達成されることになった。
正直、どうかという思いはある。お嬢様をあれだけ悲しませて、今更そんな当たり前の様に、お嬢様に近づくな! と、思う気持ちもないではない。
けれど、そんなこと吹き飛んでしまうくらい、お嬢様が幸せそうで。カイル様も、自分が幸せなだけでなく、お嬢様がどうすれば喜んでくれるかを考えているのが分かって。
終わり良ければ総て良し、でもないけれど、お嬢様よければ総て良し、と思ってしまうのだ。
旦那様や奥様も、復縁の報告を殊の外お喜びになって、屋敷中お祝いをなさったらしい。私にもお裾分け、と、自分では決して手が出ない高級なお菓子が差し入れられた。
カイル様は、何度かサランディア本家に出向いているらしい。
あと何回かは追い払うから、もしカイル様や使用人から、取次やアドバイス等を求められても、取り合わずにおけ、という指令が届いた。
特に、婚約が続行している事実は、お嬢様にも絶対に内緒にしておくように、とのこと。
お嬢様への秘密は心苦しいが、カイル様へは元々絶対に教えるつもりもない。
精々、旦那様と奥様にたっぷりと絞られればいいのよ。
私達のお嬢様を悲しませた罪、一生お嬢様に償っていただきますからね! 幸せにしてください、カイル様。
「カイル様~」
「ん?」
「だーい好きですわ」
「あぁ、俺も君を愛してる」
私は、今日もカイル様の膝の上で幸せそうに微笑むお嬢様を見守るのだった。
お膝にだっこ。小さいころからの癖が、さらっと定着してますな。だっこすると、ぎゅーって抱き付きやすいし、距離も近いし、両方のお気に入りのようです。
カイルは皆の前でも平気だし、フィアナは使用人や家族なら見られて恥ずかしくないので、使用人の前で存分にいちゃいちゃします。
フィアナが皆の前だと恥ずかしがるのは、両親(主に母親)の教育の賜物です。基本的に、フィアナは母親が言うことは、結構無条件に信じます。なので、婚約者同士は、会ったら挨拶としてほっぺにチューするというのが普通(義息子の訪問参照)で、出会い頭のキスには恥ずかしがりません。それ以外は、皆の前では恥ずかしいと思ってます。見事な洗脳ですねー。




