婚約
そもそも、可愛い愛娘と二歳半しか違わない幼児との婚約が決まったのは、フィアナが生まれてすぐ。
可愛くて仕方がない長女は、跡取り息子が生まれると同時に他家へと嫁ぐ運命となった。私としては、領地に近く、すぐに会えるような相手が好ましかったが、うちは侯爵家。つなぎを作りたい者は多く、結局、他国へと嫁ぐことが決まってしまった。
だから、末の子が女だと分かったとき、決めた。この子は、絶対に気軽に会える場所に嫁がせよう、と。
幸いにも、候補は既にあった。我が親友、グラント家に生まれた待望の子供、カイル・グラントだ。
親友とは、忙しい中、年に数度は会う仲だし、領地もそこまで遠くはない。相手は伯爵だが、かの家は他の伯爵位とは一線を画する勢いだ。普段こちらと親しいところを見せていることもあって、この縁談に横槍を入れられるものはそう多くはない。
早速、出産の報告と同時に婚約を打診する。
「おい、本気か?」
「この上なく」
「流石に、うちの跡取り息子をそちらの領に住まわせるのは無理だぞ?」
「無論。嫁に出したら、そちらでの生活になるだろう」
流石に、そこまでの無理は言わない。正直なところ、嫁に出さないという選択肢すら考えてはいるが、それが娘にとって幸せでないことくらい分かっている。
「そして、義父親が入り浸るのか?」
胡乱な眼を向ける親友に、心外な、と肩を竦めてみせる。
「そうはしない。ただ、時々急に来るかもしれないが」
「……そこまで悔しそうにしておきながら、もう手放すことを決めるのか?」
「どちらにしろ、避けられないことだ。それなら、少しでも条件を良くするさ」
「フィアナ嬢が、カイルと合わなかったら?」
「破談にする」
娘が嫌がるなら、結婚など誰がさせるものか。世界中から非難されようと、私は娘の意向を尊重する。たかが伯爵家との婚約など、即座に握りつぶしてくれる。
「仮にも、その伯爵の前でいうかねぇ……」
呆れを前面に出した親友がぼやくが、それはお互い様だ。
「仮にも侯爵に向かって同等の口を利く伯爵もどうかと思うが?」
「まぁ、それもそうだ」
あっさりと頷く親友。この気安さが長く続いている秘訣なのだろう。
「で? 相手はいるのか?」
「いや、まだだ。いたとしても、事実上の筆頭侯爵家からの申し入れだ。すぐに蹴って、そちらに変えているさ」
当然だな。あれだけ素晴らしい我が娘と縁付けるのだから、他の有象無象など、一考の余地もなかろう。
「なら、成立だな?」
念を押すと、大きく頷かれる。
「あぁ。詳しいことは後でよこしてくれ」
「すぐに送る」
言質は取った。後は、自分の気が変る前に、正式な婚約にこぎつけておかなければ。
「ところで、いつ顔合わせする? 我が息子に、将来の嫁だと言っていいのかね?」
言われて少し考える。
「そうだな、フィアナが六ヶ月くらいになってからでどうだ。首が据わってからがいいだろう。息子に言うかどうかは任せる」
「分かった。会わせてみて、興味を持ちそうなら伝えるとしよう」
振り返ってみると、大概な婚約の仕方だったとは思う。だが、我が侯爵領は、今のままで十分に潤っている。領民も気力があり、これ以上躍起になって、他家との縁戚を結ぶ必要はないのだ。
ならば、可愛い娘の幸せと、自分達の安心を考えるのはおかしいことではない。
私は帰って早速婚約の手続きを整え、書類を親友へ送った。
「どうだ、カイル。可愛い女の子だろう? 将来、お前のお嫁さんになってくれる子だ」
天使のような我が子をじっと見つめて動かない子供に、妻が腕の中の我が子を見やすいように近づける。
「およめさん?」
違う、まだまだ先だ。ずっと先。
「そうだぞ。大きくなったら、ずーっと一緒にいてくれる子だ」
「ずーっと、いっしょ……」
嬉しそうに笑う子供に、思わず「まだやらん」と叫びたくなるのを我慢する。いっそ、不用意に触って泣かれてしまえ、と思ったが、ご機嫌な娘は、子供の指を掴んで離さない。
「……かわいい」
思わずこぼれた言葉に、現金なもので一気に気分が良くなる。
「そうだろう、そうだろう。うちの子は一番可愛いだろう。そんな子と婚約できたお前は幸せなんだぞ」
だから、そう簡単にはやらないぞ、とは、今は言わない。一応、娘の幸せを考えたら、最初が肝心なのは分かっているのだ。
その後も、娘はずっと上機嫌のままで、そんな娘をすっかり気に入ったちまい子供は、振り返り振り返りしながら帰っていった。
「おとうさま、カイルにいさまにあわせてくださいませ」
娘が、初めて会ったころのカイルと同じ年になった。初対面後、ほぼ月毎にやってきていたグラント親子は、すっかりフィアナのお気に入りになっていた。
元々人見知りは少ない娘だったが、カイルがいるときは特にご機嫌で、むずがっているときでも、カイルが抱き上げて、ぽんぽんと背中を叩けば、すぐに笑顔に変わる。そのなつき様は、自分達よりもなつかれている姿に、寂しそうな実の兄姉の姿が哀れを誘うほど。
だが、カイルはうちの家族になつき、特に長男を兄と慕って、うちの間に軋轢をもたらすことはなかった。
勉強やマナーも、父親の巧みな誘導が功を奏し、同年代の中では比べ物にならないくらいに群を抜いている。
これなら、いずれ娘を預けてやってもいいかもしれない。
「おねがい、おとうさま~。カイルにいさまにおあいしたいのです」
――まぁ、まだ当分はやらんがな。
私は、首に縋りつく天使のおねだりを聞き流しながら思った。
「駄目。全くなってない。やる気がないのか才能がないのか」
悔しそうに顔をゆがめつつ、礼をするカイルを手を振って追い払う。
あれから数年。自分がフィアナを守れれば、ずっと共にいられると吹き込まれた少年は、毎年やってきては、自分の成果を見せる。これだけ出来るようになったのだから、フィアナと一緒にいさせてほしい、ということだが、毎回にべもなく断っている。
知識面は正直問題ない。九歳である今の時点で、ある程度大人の会話に混じれるほど。情勢にも明るいし、最近では、近くの視察など、共に連れて行けるレベルになったそうだ。
うちに来る際も、ちょっとした流行ものなどを土産に持参しているが、きちんとそれぞれの好みに合わせており、センスも悪くない。――勿論、一番喜ぶのはフィアナだ。
体力面こそ、まだ未発達の身体のため、大人に勝てはしないが、会う度に動きが良くなっている。何より、状況を視る目が備わっており、むやみやたらに掛かっていくような真似はしない。守ることに重きが置かれた、怪我をしない動きは、将来下に守られる身として、正しい育ち方と言える。
正直、ここまで綺麗に結果を出されると面白くない部分もある。しかし、次期伯爵としては理想以上であり、次代のグラントの未来は安泰と言えるだろう。それは即ち、娘の将来も安泰だということだ。
あえて言うなら、負けて、悔しさを相手に見せるのはまだまだ幼い証拠だが、まだ一桁の年の少年が、そこまで綺麗に押し隠せたら、それはそれで出来すぎだろう。
ひょっとすると、自分の思っているより早めに娘を手渡すことになるかもしれない。私の胸に、寂しいような嬉しいような複雑な思いが去来した。
フィアナが七歳になる少し前。親友が一人、ふらっと訪れた。
「カルディナ? あぁ、お前の妹君か」
「あぁ。嫁家から戻したんだ」
親友の言葉に、儚げで気弱な姿を思い出す。時々しか会わなかったが、兄を慕う細やかな気配りの出来る女性だった。
親友の妹は、とある伯爵家に嫁いだ。しかし、そこで子が授からなかったことで、夫を含めた親族から色々とあったらしい。結局その後、子が出来ないのは、夫の方に問題があることが分かったが、その頃には、自身も子を産めぬ身体にされてしまった。
傷付いた彼女は、実家に戻ったが、気分を変えるために出た社交界で恋に落ちる。相手は伯爵家の家令であり、身分違いだったが、彼女の心が癒えるなら、とグラント家は多額の持参金と共に彼女を送り出した。
それは、紛れもなく彼女への愛だったのだが、それが仇となった。婚家の主は爵位こそ伯爵だが、実態はかなり困窮していた。故に、潤沢な資金を手に入れた家令は恨まれた。婚姻に当たり、伯爵家へも援助を申し出ていたが、同じ伯爵家というプライドのためか、自ら固辞したにも関わらず。完全な八つ当たりである。
常にいてくれると思っていた夫は態ときつい仕事をさせられるようになり、夫婦の日々もなかなか取れぬまま。そして家令の妻なら夫同様に仕えろと、カルディナ嬢にまで魔の手は及んだ。元々、何不自由なく過ごしていた伯爵令嬢に、使用人の真似事など出来る訳もなく。
夫には会えず、畑違いの仕事で責められ、実家から持ってきたものはなんだかんだで掠め取られる。
いつまで経っても連絡がないことを心配したグラント家が、無理矢理状況を調べ上げた時には、彼女の傷はすっかり深くなってしまっていたという。
「出来れば、夫には一緒に来てもらいたかったんだが、伯爵家をどうしても見限れない恩義があるらしくてな」
「妻を殺されかかってもか」
「どうも、ぎりぎりまで働かされていたせいで、自分の妻が伯爵家で働かされているのは知らなかったようだ」
深い深いため息がもれる。それでは、妻を守るなど、到底無理だろう。せいぜい出来るのは、これ以上酷くなる前に手放してやることくらいだ。
「そんな訳でな。多分、フィアナ様の誕生日に行くのは無理だ」
確かに、そんな状態の妹を放って、こちらに来るのは無理だろう。しかし。
「フィアが泣くな」
「まぁ、その分盛大にお祝いを贈る。そのためにカイルも今、色々選んでいるからな。暫くして妹が落ち着いたら、今度一緒に訪ねるかもしれんが」
「あぁ、それは構わない。むしろ歓迎だ」
大好きなカイルに会えないと知ったフィアナは、盛大にぶすくれた。
「何故、カイル様はいらしてくださいませんの? 叔母様がいらっしゃるのなら、一緒にいらっしゃればいいではありませんの」
「叔母様は今、大変傷付いてらっしゃるんだ。動く訳にはいかないんだよ」
「お怪我ですの? なら、お見舞いに参らなくてはなりませんわ」
名案だ、とばかりに手を打つ末っ子に、どう説明すべきか悩む。
「駄目だよ、フィア。彼女は今、人に会える状態ではない」
「そんなに、お悪いんですの?」
「あぁ。見えないところで、物凄く深い傷が出来てしまったんだ」
「そう、ですの……。なら、私お手紙書きますわ。私も応援しますから、早く良くなってくださいって。良くなったら美味しいお菓子をご紹介しますわって」
私は心優しく育った娘の頭を撫でた。
「あぁ、それはいいね。きっと叔母様も喜んでくださるだろう。少し良くなったら、会いに行ってもいいね」
「えぇ。お会いできることを楽しみにしますわ」
けれど、娘がカイルの叔母と会うことはなかった。




