絶望
「そう。それは良かったこと」
「はい、叔母上。そういえば、見てください」
「これは、あの時の小物入れ?」
「はい。父に相談したところ、これくらいなら繕えるかもしれない、と、金継ぎを頼んでくれたのです」
「そう、良かったわね。見せてもらってもよい?」
にっこり笑って手を差し出す叔母に、小物入れを渡す。
ガッシャーン!
「え?」
直ったばかりの小物入れが、床に散らばっていた。
「あらあら。また壊れてしまったわ」
その笑みに、寒気が走る。何故かは分からない。けれど、カイルは今すぐここから逃げ出したい気分に襲われた。
「お、叔母上、私、何か片付けるものを持ってきます」
言って、踵を返したカイルだったが、扉にいた侍女に阻まれる。
「ネイア、掃除用具をお願いできる?」
侍女は、傍にいた仲間に頼み、カイルを部屋に押し戻した。
カチャン。
「え?」
何故、鍵を掛けられたのか分からず、うろたえる。
「どうしたの? カイル」
気がつくと、叔母がずいぶん近くに来ていた。
「お、叔母上? どうなさったのですか?」
「あら、何が?」
「気分でも優れないのですか? 物を落としてしまわれるなど。具合が悪いようでしたら、少しお休みになった方が良いかと思います」
「あら、具合なんてどこも悪くなくてよ。だって落としたのは態とだもの」
叔母は、いつもの通りの口調で、あっけらかんと言った。その変わらない態度に却って恐怖が増す。
「な、何故ですか?」
「何故? そうねぇ。貴方が何か勘違いしているようだったから」
「勘違い、ですか?」
「そうよ。貴方、お兄様に言われて、私を守ると約束したんですって?」
「はい。まだ若輩者ではありますが、一生懸命、務めさせていただきます」
「貴方にそれが出来るとでも思っているの?」
「私の力が足りないのは分かっています。ただ、この家にいる限り、他者の悪意は及ばないと安心してください。父も、貴方が心健やかに暮らせるよう、配慮しております」
「悪意、ねぇ……」
何かを考えるようにする叔母に、カイルは一生懸命訴えた。
「叔母上、ここは、この家には、貴方を害するものは近付かせません。私も叔母上を守りますから、叔母上が不安になることはないんです」
必死に言い募るカイルに、叔母は狂ったように笑い出した。ぴたりと笑い止み、カイルを見据えた叔母の表情は、ぞっとするような笑みを浮かべていた。
「お前が? お前ごときが私を守れるとでも? 私の傷を癒せるとでも言うの?」
「私には、叔母上の傷がどのようなものか、想像もつきません。親戚とはいえ、ぽっと出の私が、叔母上にとって救いになれるかどうかは分かりません。けれど、私は、貴方の家族として、貴方が少しでも楽になれるよう、楽しめるお手伝いをさせていただきたいと思っています」
「馬鹿を言わないで。お前ごときが、何かを守れるはずがないでしょう。ましてや、私の心など、守れるわけがない」
完全な拒絶に、身が竦む。一体どうすればいいのだろう。自分がここにいた方が良いのか、一旦、叔母の心が落ち着くまで姿を見せないようにしたほうが良いのか、それさえも分からない。
「お前は、結局何も守れない。守ると口で言うだけで、守った気になって、悦に入っているだけの馬鹿な子供なんだもの。お前に出来ることなんて、守りたいとしがみついて、自分の手で壊すだけ」
カイルは、どうすればいいのか分からず、黙り込む。下手な反論は、叔母を興奮させるだけだということは分かるのだが……。
「諦めなさい。お前は大好きな彼女を守れない。本人は愚か、薔薇も折り紙も、小物入れですら」
ぐっと唇をかみ締めたカイルは、ふと気付く。何故、叔母が、フィアナの折り紙のことを知っているのか。
「あら、不思議そうね。何を言っているのかわからない? まさか今でも、全部偶然で仕方がなかったんだ、とでも思っているというの?」
「叔母、うえ?」
「そんなもの、態とに決まっているでしょう? 貴方が、あんまり馬鹿なことを言うから、本当かどうか試しただけ。貴方、結局守れなかったわね」
「わ、ざと?」
「そうよ。貴方が大事にして、守りたいと思っていたもの。フィアナ様と関連のあるものなら、何でもよかったのだけれど、そうそう簡単には見つからなくて、残念だったわ」
少し悔しそうに話していた叔母は、しかしすぐににっこりと上機嫌に変わる。
「でもまぁ、いいわ。とってもいいものが手に入ったから」
そう言った叔母は、机の中から、紙の束を取り出して、高々と掲げた。
「こ・れ。なーんだ?」
それは、自分の部屋に大切にしまってあるはずのものだった。
「な、何故……」
「さぁ、何ででしょう。それよりこれ、確か彼女の『心』が詰まってるとか言っていたわね。これが破けたら、彼女の『心』も破れてしまうのかしら?」
ふふっ、と笑う叔母から手紙を取り返そうと、必死に手を伸ばして言い募る。
「返してください!」
「えぇ、いいわ。ほら」
手紙を高く掲げていた叔母は、カイルの言葉に、ぽいっと後ろへ投げ捨てた。火の燃え盛る暖炉の中へと。
『フィアの心、ぎゅーっとつめて、フィアの代わりにおくります』
フィアナの顔が浮かんだ瞬間、手紙に飛びつく。
「フィアナ!」
自分自身に火の粉が掛かるのも気にせず、燃えようとする紙を炎から遠ざける。
それでも少し燃えてしまった紙を見て、叔母が微笑む。
「可哀想なフィアナ様。貴方に守られると信じて、実際には守られずに不幸になってしまうなんて」
「きっと、これも守られずに消えてしまうのでしょうね」
叔母の言葉に反応したカイルは、そこに見覚えのある箱があることに愕然とする。何故、残りの手紙までここにあるのだ。いや、そんなことより。
「やめてください! ……がぁっ」
「きゃあ!」
必死に叔母の裾に縋ったカイルは、次の瞬間、衝撃で息が出来なくなった。全身が熱い。一体自分の身に何が起こっているのか理解できずのた打ち回る。
「汚らしい手で触るなんて、失礼な子ね」
「か……はっ……」
ごんっごんという音と共に、何度も衝撃が自身を襲い、何も見えなくなる。
「ぼ、坊ちゃま……」
侍女の泣きそうな声が遠くに聞こえた気がする。一体、何が起こっているのか聞きたかったが、世界が回り、何も出来ない。
ただ、胸に抱きこんだ手紙を守らなければ、という思いだけが、カイルに身を固く守らせた。
「お、ばうえ、やめ……ぐぅ……」
「ひぃ……、だ、誰か!」
言葉と同時に衝撃が去り、ぼんやりとした視界に、扉へ走る侍女と、その後ろを歩く水色のスカートが目に入る。
カイルは咄嗟にそれを掴んだ。
「だめです、おばうえ……っ!」
侍女を追うのを邪魔された叔母は、忌々しげにカイルの腕を踏みつけた。
「ふん。使えない使用人だこと。まぁいいわ、ゴミはあらかた片付いたことだし」
その言葉に、暖炉を振り向く。
そこには、空になった箱が散乱し……。
「あ……、ふぃ、フィアナ?」
思わず暖炉の中に手を突っ込むが、紙は見つからず。
「お前が手紙を守る、なんて我が侭を言っていなければ、なくなりはしなかったのにね」
体中の痛みで倒れ込み、叔母が耳元で囁くのを最後に、カイルは自分の意識を手放した。
「ほぉら、お前のせいで、可愛い彼女の『心』は駄目になってしまった。次にお前が壊すのは何かしら? 彼女の信頼? それとも……、彼女自身?」
それから暫くのことは覚えていない。
次に気付いた時には、主治医がいて、カイルに何かを飲ませていたのだけ覚えている。すぐに意識が途切れたカイルは、暗闇の中を彷徨っていた。
『お前は何を守れるというの?』
暗闇の中、叔母が問いかけてくる。
「守ります。フィアナも貴方も。皆が幸せに暮らせるように」
心から言ったカイルの言葉に、馬鹿にするような声が響く。
『毎度毎度、侯爵に断られているくせに』
「今は出来ずとも、必ず守れるようになってみせます。父が、侯爵が、大切なものを守っているように」
『』
「」
『』
「」
何かを聞かれていた。自分も何かを答えていた気がするが、それらは自分の耳には聞こえず、何かを答えるたびに、自分から何かが零れ落ちていく気がした。
『フィアナ様は、貴方といたせいで不幸になってしまうの』
違う。
『だから、フィアナ様は逃げてしまった』
違う!
カイルは、反響する声から逃げるように耳を押さえて走った。
『紙切れすら守れない人間に、人の心など、守れるはずがない』
『駄目だな。全くなってない』
『カイル様ぁ』
叔母の声はやがて、試験の不合格を告げる義父になり、最後に自分を呼んで泣く少女に代わった。
「フィアナ!」
蹲って泣く少女に駆け寄り、抱きしめる。フィアナが顔を上げた瞬間、自分の腕が燃えた。炎はフィアナを飲み込み、その肌を焼いていく。
『いやぁ! 熱い! 熱いの、カイル様ぁ!』
カイルは炎を振り払おうとするが、炎はますます激しくなり、容赦なくフィアナを襲う。炎に包まれたフィアナは、弱弱しく「助けて」と数回繰り返し、事切れた。
『あらあら、壊してしまったの。可哀想なフィアナ様』
「う……あ、あぁあー!!!」
叫び声と共に、目を覚ます。自分がどこにいるのかわからなかった。
「カイル、目が覚めたのか?」
父親の声が聞こえたが、何故か体を動かすことが出来なかった。
「あぁ、無理に動こうとするな。お前は今、背中に大火傷して絶対安静なんだ」
「ちちうえ」
「ん、どうした?」
「すみませんでした」
「何を謝ってるんだ、お前が謝るようなことなんてないだろう?」
「おばうえを、まもれませんでした」
「それは違う! もういいんだ、叔母上の事は考えなくていい。忘れていいんだ」
「フィアナも、まもれませんでした」
「何を言ってるんだ、フィアナちゃんは元気だよ。いつものように、お前からの返事が来るのを楽しみにしてる」
父親は、布団をぽんぽんと叩くと、カイルが寝ている間に届いた手紙を見せた。
「早く元気になって、お手紙読んでやれ。だが、まずは眠れ、いいな?」
あやすようなその言葉に、カイルの意識は落ちていった。
『
愛しのカイル様
急な視察で旅立ってから、もう三週間になります。急に入った予定が、ここまで長引くのは驚きですが、それだけカイル様が、おじ様に頼りにされている証拠だと思うと、こちらまで嬉しくなってしまいます。
お母様は、急な別離でも、黙って夫を待ち、家のことを支えるのが妻の役目だ、と仰いました。
そうすると、今回のこれは、結婚する前の妻の役割の予行練習ということになるのかも、と思えて、何だかくすぐったい気分です。
カイル様が帰ってきたら、沢山の手紙を読むことになって驚かれるでしょうか? お戻りになったら、名前だけの手紙でも構いません。カイル様の無事を私にお知らせくださいまし。
それでは。伝書鳥が人を目指して飛ぶようになればよいのに、と願いながら。 フィアナ・サランディア
』
伝書鳥は、鳩じゃなくて鷹です。ついでに、往復式。フィアナとカイルの親が親友同士だったため、往復鳥を作りました。通常の一方通行型と違い、とても面倒な訓練が必要なので、サランディア侯爵家の持ち物です。フィアナがほぼ毎日手紙攻撃を続けられるのは、鷹でやり取りしているからです。フィアナはカイルと自分を繋ぐ鷹が大好きなので、鼠だってさらっとあげられるくらい可愛がってます。
因みに、学園には飛ぶ鷹はいませんでしたが、学園近くへ飛ぶ鷹がいたので、そこから人が運んでいました。なので、学園に行ってからは多少のラグが発生したりします。




