ぼくのおよめさん
さて、カイルの過去編に突入です。
カイルがフィアナにあったのは、カイルが三歳になる前のころ。
「どうだ、カイル。可愛い女の子だろう? 将来、お前のお嫁さんになってくれる子だ」
父親に促されて見た先には、ちっちゃな赤ん坊が、手足をバタバタさせている。普段、周りには自分より大きな人間しかいないカイルにとって、自分より小さな生き物がいるというのは、とても不思議な感じだった。
「およめさん?」
「そうだぞ。大きくなったら、ずーっと一緒にいてくれる子だ」
「ずーっと、いっしょ……」
「ほら、触ってみろ。あったかくてやわらかくてぷにぷにだぞ」
赤ん坊の方へ背中を押され、恐る恐る手を伸ばしてみる。
「あー。だぁー。あ、あ、うぅー」
赤ん坊は、目の前にやってきた指を自分のためのおもちゃだと思ったのか、自ら掴もうと手を伸ばす。驚いたカイルは、反射的に手を引っ込めてしまい、赤ん坊は不満そうに声を出した。
「ほら、この子も触ってほしいって言ってるぞ。遠慮せずに触ってみろ」
再度促され、もう一度手を伸ばすと、ひしっと掴まれた。
「あー、うっうー」
赤ん坊は、ご機嫌そうにカイルの指を食み、にこーっと笑った。
「……かわいい」
「そうだろう、そうだろう。うちの子は一番可愛いだろう。そんな子と婚約できたお前は幸せなんだぞ」
まだ幼いカイルには、お嫁さんや婚約という意味はよく理解できなかったが、大きくなったらずーっと一緒、という言葉だけは、強く印象に残ったのだった。
次の日、昨日の赤ん坊の笑顔が気になったカイルは、朝食を取った後、父親に話しかけた。
「ちちうえ、きょうはあの子にあいにいかないのですか?」
「あの子?」
「はい、ぼくのおよめさんです」
大きくなったらずっと一緒というが、それは一体いつなのか。カイルは赤ん坊に会いたかった。あのきらきらした笑顔をずっと見ていられたら、きっと楽しいだろう、そう思ったのに、父親の返答はそっけないものだった。
「今日は無理だな」
「ぼく、ずっといっしょがいいです」
カイルが必死になって訴えると、父親は言った。
「フィアナは小さな女の子だからな。誰かが守ってやらないとならないんだ。お前はまだあの子を守れないだろう? だからずっと一緒にはいられない」
「じゃあ、ぼくがあの子をまもれるようになれば、ずっといっしょになれますか?」
父親は、真剣な顔で尋ねたカイルの頭をポンと叩き、頷く。
「そうだな。お前があの子をきちんと守れるようになったらな」
「ぼく、がんばります。ぼくのおよめさん、きちんとまもります」
「じゃあ、お勉強も頑張らないとな」
「はい」
それから、カイルは努力した。フィアナを守るには、礼儀も知識も体力も満遍なく身につけていく必要があると教わったからだ。
「歴史や、それぞれの人の背後関係を知っておく事は重要だ。その人の人となりや利害関係が分かれば、相対するときに、何を気をつければよいかが分かる。フィアナは侯爵家令嬢だ。邪な感情で近づく人間は多いだろう。そんなやつらから彼女を守るには、敵について知らねば、何に注意すればいいか分からない」
「フィアナが疲れて動けないとき、お前まで動けなかったら守れないだろう? だから、彼女が疲れ果てるほど動き回っても、自分は動いて、彼女を助けてやれるくらいの体力を持っていないと駄目だ」
「知識というのは力だ。いきた知識は、どんな困った時でも物事を打開するための力を与えてくれる。色々なことを学びなさい。そして、学ぶだけではなく、それを活かすことを覚えなさい」
父親は、同じ年の子に比べて、遥かに高い水準の成果を要求してきたが、フィアナを守って一緒に過ごすという目標を持ったカイルは、懸命にくらいついた。
一生懸命頑張れば、次にフィアナに会う時「ずっと一緒にいていい」と言ってもらえるかもしれない。そう期待しては毎回、フィアナの父親に、にべもなく拒否されていたが、自分を見つけたフィアナが全開で喜びも顕に飛びついてくるため、カイルのやる気は途切れることはなかった。
「カイル様、カイル様ー。今日は何をなさいますの?」
毬玉が跳ねるような勢いで、背中に小さな塊が衝突してきて、カイルはたたらを踏む。
「おっと。お早うフィアナ。急に人に抱きついては危ないよ」
慌てて抱きとめ、注意するが、少女は大好きなお兄ちゃんと一緒に遊びたい、という気持ちで頭がいっぱいになっている。
「はぁい。それで、どんなご予定ですの? フィアもいっしょに連れていってくださいまし」
全く反省している様子のない少女に、ため息を吐く。
「反省しない子には教えられないよ。フィアナは今日は、一人で遊びなさい」
意識してそっけない言い方をすると、みるみる内に少女の眼が潤んでいく。
「いやぁ! やだ、カイル様いっちゃいやー。ごめんなさいするからフィアを置いていってはダメぇ!」
絶対に離さないとばかりにしがみついて泣き出してしまった少女を抱き上げ、視線の高さを合わせたカイルは、優しく話しかけた。
「フィアナ、僕が何で急に人に抱きついてはいけないと言ったか、分かるかい?」
「……びっくりしたから?」
「それもある。だけど、一番は、怪我をするかもしれないからだよ」
カイルは少女の長い髪を手で梳きながら、ゆっくり言い聞かせる。
「いきなり人に抱きついて、抱きつかれた方が受け止められなかったら? そのまま転んでしまって、抱きついたフィアナも一緒に地面に叩きつけられてしまったら? フィアナの可愛い顔に傷が付いたり、頭を打って大変なことになってしまうかもしれない。そんなことになったら、僕は泣いてしまうよ?」
「……ごめんなさい」
「うん。フィアナが、僕に会えて嬉しいと思ってくれるのは、僕だって嬉しい。だけど、だからといってなんでもしていい訳じゃないんだ。二人でずっと一緒にいられるように、やっちゃ駄目、と言われていることはやらないようにしないとね」
「はい。ごめん、な、さい」
俯いてぽろぽろと涙をこぼす少女をぎゅっと抱きしめ、あやす。
「さぁ、遊びに行こう。君のお兄さんに、とても綺麗な眺めの場所を教えてもらったんだよ」
「はい! カイル様!」
途端にぱぁっと笑顔を見せる少女を連れ、一面の花が咲き誇る野原へと歩いて行った。
「もう帰ってしまわれますの?」
カイルの裾を掴み、悲しそうな眼でじっと見つめるフィアナに、思わず帰らないと言いそうになるのをぐっと耐える。今回もフィアナの父上からは許可がもらえなかった。
「一週間という予定だったからね。あっという間だったけど、楽しかったよ」
「もう少しだけ、いられませんの?」
頭を撫でて宥めるも、俯かれてしまう。
カイルは己の非力をかみ締めながら、そっと抱きしめ、言った。
「僕だって一緒にいたいけど、帰ってやらなければならないことがあるんだ」
だから、と続けようとするカイルに、フィアナの瞳の堤防が決壊する。
「ふっ、うぇーん。カイルさま、フィアを見すてないでくださいましぃ」
滂沱の涙のフィアナに慌てて背中を叩くも、フィアナはいやいやとばかりにしがみついて、忘れちゃ嫌だと訴える。
「何を言ってるの、フィアナ。僕が君を忘れる訳がないだろう?」
「だって、だって、カイルさま、フィアいつも来てっていってるのに、ぜんぜん来てくれないし、すぐ帰ってしまうんですもの」
ひぐっとしゃくりあげたフィアナは、一息に叫ぶとカイルを責めるように号泣してしまった。
「きっとフィアのいないところで楽しいことしてフィアのことなんか忘れてしまってるんですわー!」
「フィアナ、フィアナ、聞いて。僕はフィアナといるのが一番楽しいんだよ」
宥めるように抱きしめ、決して顔を上げようとしないフィアナの頭にチュッと音を立てる。
フィアナがびくっと泣き止んだのをいいことに、優しくなでながら、ゆっくりと語りかけた。
「フィアナ。今、僕は、フィアナの父上に、フィアナと一緒にいさせてくださいって頼んでるんだ」
途端にがばりと顔を上げるフィアナに、笑って涙に濡れる頬に手を伸ばす。
「お父上は、僕がフィアナをきちんと守れるようになったら、ずっと一緒にいていいよって言ってくださってる」
「ずっと?」
「そう。朝も夜もずーっと。フィアナが僕と一緒にいたいって思ってくれる限り、二人は一緒にいられるんだよ」
カイルの説明を聞いたフィアナは、途端にじたばたと暴れだす。
「なら、フィアが言いますわ! とーさまに、カイル様がフィアのこと守ってくださるって!」
そのまま走っていきそうなフィアナをしっかり抱きしめ、カイルは慌てて言った。
「待って、フィアナ。僕にはまだ、フィアナを守る力がないんだ」
「そんなことないもん! カイル様、フィアのこと守ってくれるもん!」
ずーっと守ってくれてたもん、と訴えるフィアナに、胸がぎゅっとなる。
「フィアナ。僕もフィアナのことは守りたい。だけど、僕はまだ子供で、大人の力にはまだ敵わない。可愛いフィアナに危険が来ないようにするには、やっぱり人の手を頼らないとならないんだ」
フィアナはそれでも、でも、だって、とぐずる。
「でも、僕も頑張ってるから。うちに帰るのは、フィアナをもっともっと守れるよう、勉強するためなんだよ? 一日でも早く、フィアナと一緒にいられるように」
「いっしょに?」
「そう、ずーっと一緒」
暫くべったりとカイルの腹に頭を貼り付けていたフィアナは、カイルを見上げ、真剣な眼差しで聞いた。
「フィアのこと、わすれない?」
「もちろん」
「ずっといっしょ?」
「フィアナを守れるようになったら」
「……なら、フィア、がまんします。がまんして、フィアもカイル様守れるようになりますわ!」
爛々と目を輝かせて宣言するフィアナに笑みがこぼれる。
「それは頼もしいな。なら、そんなフィアナを守れるように頑張るよ」
「フィア、おてがみ書きます。会えなくても、カイル様がさみしくないように」
「あぁ、それは嬉しい。フィアナの話を聞いたら、勉強も捗りそうだ」
「いっぱいいっぱい書きます。フィアの心、ぎゅーっとつめて、フィアの代わりにおくります」
「ありがとう。フィアナが素敵なレディになる頃には、僕もフィアナを迎えにいけるようにするから、待っててくれるかい?」
「はい!」
満面の笑みを浮かべるフィアナに、カイルも同じように笑って返す。少しでも早く、少しでも多くの力を身につけ、フィアナに会いに来ようという決意を新たにして。
それは、カイルに絶望が訪れる前の、幸せの一コマ。
最後のラブラブシーン(五歳と七歳)の裏の一コマ。
「帰れ帰れ、さっさと帰れー」
「お前、仮にも現侯爵が……。うちの息子にも劣る野次ってどうなんだよ。大体、前回、カイルがお前のいない間に帰ったからって、荒れただろ」
「当たり前だ! ちょっと仕事で会えなかったくらいで、自分の親に挨拶せず帰る子供がどこにいる!?」
「いや、お前はまだカイルの親じゃないだろ」
「あぁあ、あの小僧、まぁたうちの天使泣かせやがって」
「落ち着け、別れが辛くて泣いてるだけだ。我が息子が好かれてる良い証拠じゃないか」
「あ、あ、あのマセ餓鬼、フィアを拘束するなんて、誘拐するつもりか!」
「あれはどう見ても、フィアナちゃんの方が貼り付いてるだろ。あそこで引き剥がしたら、フィアナちゃんに嫌われるぞ」
「……っ!!!!(ぱくぱくぱく)」
「……あー、まぁ、許してやってくれ。子供のやることだろう? 第一あれは、お前の愛する奥さん直伝だぞ。『フィアナが泣いて下を向いた時は、頭にキスすると驚いて上を向いてくれるはずよ』ってな。文句があるなら、まず奥方に言ってくれ」
「フィアが! フィアがこっちに駆けてくるのを邪魔するとは!!」
「いや、今来られたら困るのお前だろ。どうするんだ、カイルに守られるからずっと一緒にいさせろ、と言われたら。すげなく拒否して『とーさまのいじわる! だいっきらい!』と言われてショックを受けるのはお前だぞ」
「(ぎりぎりぎりぎりぎりっ!)」
「フィアナちゃんはいつだって楽しそうに笑ってるだろ。お前の前でもあぁやって笑ってくれるんだから、娘が幸せなのを喜べ。まだ人生経験、端数しかない子供に本気で妬くのはよせ」
「あらあら、二人とも、とっても幸せそうねぇ。お嫁さんに出す日も近いかしら?」
「「シルフィア!?」様!?」
うん、楽しそうですね。親は勿論、全部見てますよ。だって帰りの馬車に乗る直前なんだもの。使用人だって見守ってます。カイルも一応、周りは意識してますが、一番大事なのはフィアナの機嫌なので、気にせず全開です。慣れてます。因みに、カイルの母親は、既に他界しています。なので、会話は三人なのです。




