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すれ違い  作者: 北西みなみ
カイル編
11/27

悪夢

始まりは、放課後だった。学園の廊下に、あるまじき乱暴な駆け足の音が鳴り響く。


ガラッと一気に扉を開けた女子生徒は、中に目当ての人間がいることを素早く確認し、叫んだ。


「フィアナ様が攫われました!」


「フィアナが!?」


友人との話に興じていたカイルは、愛しい恋人の名に、すぐさま踵を返して駆け寄った。


「どういうことだ!? 何があった!」


「い、痛っ」


上げられた悲鳴に、自分が加減もせずに肩を掴んでいたことに気づき、慌てて手を離す。落ち着くために一度深呼吸をしたカイルは、改めて女生徒に向き合った。


「すまない。だが、教えてほしい。フィアナが攫われたというのは、一体どういうことなんだ?」


先程より落ち着いた声で話しかけられた女生徒は、困ったように答えた。


「どういう、と言われましても。フィアナ様が、見知らぬ男に連れ去られて……」


しどもどと答える女生徒の言葉を遮り、具体的なことを聞く。


「待ってくれ。まず最初に、フィアナはどこで攫われた?」


「え? えっと、特別棟の二階の廊下で……」


「攫われたのはフィアナ一人か?」


「は、はい」


「フィアナは一人で歩いていたのか? 誰か一緒にいたのか?」


「わ、私を含めた数人で」


「名前を教えてもらえるか?」


「め、メイベルとクラエス姉妹です」


「攫った人間は、何が目的だった?」


「はい?」


「フィアナを狙ったのか、身代が取れそうな令嬢を狙ったら偶々フィアナだったのか、それは分からないか?」


「あ、え、えっと、フィアナ様は誰かと言っていたので、ご本人が狙われたのかと」


「見知らぬ男というのは、どんな人物だった? 学園の関係者ではなさそうか? 一人だったのか?」


「は、はい。生徒ではないですし、先生にもあんな人、いません。仲間もいるようには見えませんでした」


「特徴は?」


「え?」


「年は? 身長は? 体格はどんな感じだった? 武器や所持品は? どちらからやってきた? いつそいつに気付いた? そいつの癖や言動に変わった特徴なんかはなかったか? 覚えている分だけ頼む。確か貴方は、絵が趣味だったな。相手の人相を書いてくれないか?」


矢継ぎ早に言いながら、机からスケッチブックとペンを取り出す。渡している間も、質問は次から次へと口から零れ落ちた。


「攫われた際のフィアナの様子はどうだった? あいつはどうやって連れていかれた? どの方面へ向かった? まず、どうして掴まったんだ? そいつはどうやってフィアナを本人だと知った?」


「え、と。あの……」


困り果てた女生徒を見て、カイルは自分がまだ焦っていることに気付く。のんびりすることは論外だが、無用な焦りは、却って失敗を呼び寄せる。カイルは、自分の頬を叩いて気を静めた。


「すまない。一度に聞きすぎた」


「え、あ、えっと……」


戸惑う女生徒に、カイルは自分の疑問を一つずつ説いていく。


「そもそも、フィアナは相応の護身術を身につけている。見るからに怪しいやつが近づいてきたら、警戒して、捕まえるのは容易じゃないはずなんだ。下手な相手なら、今頃フィアナがそいつを取り押さえていてもおかしくない」


いつの間にか隣に来ていた友人が苦い顔をする。


「ってことは、相当の相手ってことか?」


「もしくは、不意をつかれたか、下手に動けない事情があったか、だな」


「事情?」


「相手が刃物や飛び道具を持っていて、暴れさせること自体が危険だったか、誰かを巻き込む位置だったか」


それにしても、フィアナがそう易々と自分の身を他人に奪わせるとは思えない。彼女が、捕まるとしたら……。


「その辺、どうなのかな? 分かる範囲で教えてくれる?」


眉間の皺を固定させてしまっているカイルの代わりに、友人が安心させるようににっこりと笑いながら頼む。


「は、はい」


「まず、相手はどこから現れたんだ? 正面? 後ろから? それとも別の場所から?」


「え、えっと、き、教室です。空き教室から急に……」


「それで貴方達はどうした?」


「え、あの。フィアナ様は誰だって聞かれて……」


「フィアナは、自らフィアナだと答えたのか? そいつを取り押さえようとはしなかった?」


「あ、あの。その、人質がいたので……」


その言葉に、カイルは舌打ちをしたい気分になる。フィアナは、一人なら身を守れる。だが、それはあくまで、緊急時に自分の身を危険から遠ざけるための力があるというだけだ。本来常に護衛に守られている立場のフィアナに、他人を守って戦う力は必要ないからだ。


「人質?」


「は、はい。えっと、生徒が首にナイフ突きつけられてたので、動けなかったんだと……」


「それは、突然の出現に驚いている間に人質にされたということか? それとも、元々人質が一緒に現れた?」


「い、一緒です。人質を脅しながら出てきました」


「その生徒の名前は? 性別や学年は?」


「わ、分かりません。リボンは赤でした」


「そうか。それで、人質は?」


「え?」


「フィアナが捕まって、人質は解放されたのか?」


「あ、えっと、はい。フィアナ様がおとなしく捕まったので、解放されました」


「人質に怪我は?」


「あ、はい。なかったと思います」


「その子がどこにいったかは分かるかい?」


「え、えっと。そう、寮に戻るって言ってたと思います」


「付き添いは?」


「あ、あの、平気だって……」


「君は、いつカイルに知らせに?」


「え? あ、えっと、その後です。なので、彼女が実際にどうしたかは……」


尻すぼみになる答えを聞き流しながら、カイルは考えた。


人質が解放されているのは朗報だ。人質がいたままなら、フィアナはぎりぎりまで相手を守ろうとしただろうから。けれど、事態は最悪に近い。犯人は、フィアナのみを狙っている。しかも、目撃者をそのまま解放するということは、騒ぎ出される前に目的が達成出来るという自信があるということ。単純な身代金目当てではあり得ない。


自分の命すら惜しくはないほどサランディアに恨みを持つ者か、フィアナを欲する者か。前者であればフィアナの命が、後者であれば貞操が危険だということになる。まして、フィアナは無理矢理奪われたところで、大人しく相手に嫁すようなことを承服したりはしないだろう。となれば、目論見が外れ、逆上した相手にそのまま、という道を辿る可能性が高い。


カイルは、今すぐフィアナを探して駆け出したい気分と、闇雲に探しても見つかるわけがない、状況を把握すべきだ、という思いが錯綜して、いてもたってもいられない気分になった。


「ジョッシュ、すまない。手を貸してくれ」


言われた友人は、何を今更、といわんばかりの顔で首をすくめた。


「当たり前だろ。というより、俺だけでなく皆もやる気のようだが?」


友人の言葉に、周りを見回すと、クラス全体が自分達に注目していた。


「メイベル達は、私が呼んでくるよ」


「なら、俺たちは総当りで目撃者を探すか。早くしないと、学校を出ている者も出てくるだろうし」


「人質の方は、どうする?」


「平気そうなら来てもらうとして、駄目そうなら、経緯だけでも聞き出さないとな」


「だな。最低、どうして捕まったのかくらいは聞いておかないと」


「なら、寮だってこともあるし、同じ女がいくべきね。参ってるようだったら残って慰めるために、二人で行った方がいいかも」


「あと、警邏に顔利く家の人間も呼ぶか」


言って、教室から飛び出していく者。


「うちの学園の生徒を連れている人物を片っ端から捕まえさせるか」


「いや、それだと騒ぎが大きくなりすぎる。制服でいるかも分からないし、犯人がどうでるか分からないだろうから、検問で怪しいやつを取り逃がさないようにすべきだ」


救助のための案を出す者。それに頭をつき合わせて考える者。皆が学園の仲間のために、自分の力を惜しまず貸してくれる。


な? と肩を叩く友人に、カイルの拳から力が抜けた。


「あらら、馬鹿力が力いっぱい握りしめるから。そんな血を流しちゃって、後でフィアナ様に泣かれるぞ? 『何故怪我をしてるんですの?』って」


全く似ていない友人の物真似に、もう一度深く深呼吸をして、肩の力を抜く。確かに、後でフィアナに怒られそうだ。


「そうだな。これ以上フィアナの機嫌を損ねる前に、迎えに行かないとな」


ふっと泣きそうな顔で笑うカイルに、友人も明らかにほっとする。


「大丈夫だ。お前はともかく、フィアナ様は学園中に好かれているからな。きっと皆が助けてくれるさ」


「それなんだが……」


「何だ? 何かあるのか?」


「この事件、おかしくないか?」


「ん?」


「犯人は、フィアナを狙う単独犯で、人質を取って、特棟の二階の空き教室にいた。だろ?」


「ん? あぁ、そうだな」


「何故そんなところにいたんだ?」


「何故って……」


「普通、見るからに学園関係者じゃないものが入れば、相当目立つはずだ」


「あぁ、まぁそうだな」


「特別棟は、学園の中心近く。余程学園内に詳しいか、運がない限り、この放課後の生徒があらゆる場所に移動している状態で、生徒に会わないなんてこと、あると思うか?」


「……。無理だな。どこから入ろうが、誰かしらに会うだろう」


「不審者は、すぐに知らされて、放り出される。それなのに、そんなところまで行けたということは、すれ違った生徒や教師が怪しまなかったということになる」


「そんなことあるのか?」


「あぁ。例えば、生徒の父兄なら、生徒に会いに来ていてもおかしくないだろう」


「なるほど。……って、犯人は父兄だってのか?」


「いや、そうと限った話じゃない。それこそ、門の近くに潜んでいて、一人で歩いている生徒を捕まえて、ナイフで脅して父兄の振りをさせて入ってきたという可能性もないではない」


「確かに。生徒と一緒に仲良さそうに話でもしながら歩いていたら、不審には思わないかもな」


「だが、そうすると、何故特棟に行ったのか、という問題になるんだが」


「それは、フィアナ様のいるところへ行ったんじゃないのか? 人質に居場所を聞いて」


「フィアナの教室は、第三棟だ。行くならそちらだろう。それに、フィアナは今日、西棟に行く予定だったはずだ。何故、フィアナが特棟に行ったのか。二階に何の用があったのか、という問題もある」


確かに、特別棟は、用事もなく赴くような場所ではない。友人は、真っ青な顔をした女生徒を振り返った。


「君たちは、特別棟に何をしにいったのかな? それは誰かに話していた?」


「あ、ああの。その」


まともに話せない女生徒に、自分の想定の信憑性が増したことを認めたカイルはゆっくりと話しかけた。


「貴方は、その前に犯人に会っていた。違うか?」


「え?」


「最初に捕まったのは、一人ではなく、二人だったのではないか?」


「どういうことだ?」


「フィアナが特棟に行くとしたら、誰かにそう乞われたから。その誰かが頼んだのは、犯人に脅されて、フィアナを誘導しなければならなかったから、じゃないのか?」


カイルはひとつひとつ、自分の意見を整理しながら話す。


「考えてみればおかしいんだ。犯人は、生徒と共にいるとはいえ、目立つことには違いない。その状態で、必ず来ると分かっている訳でもない場所に、ずっと隠れているとは思えない」


「まぁ、空き教室といったって、誰かがたまたま使おうとしないとはいえないしな」


「それでも、空き教室にいたということは、フィアナは必ず来るという確信があったということだ」


「連れてくる役がいるなら待つ、か。でも、ひょっとすると捕まっていたのは三人だったのかもしれないぞ?」


一緒に捕まったのが彼女とは限らないのでは、という友人に、カイルは首を振る。


「いや、それはないだろう」


「なんでだ?」


「メイベル嬢とクラエス嬢は、一目で姉妹とわかる。誰か一人を捕らえて残りに言うこと聞かせるなら、どちらかを人質にするさ。友人の命より、家族の命を握っていた方が、囮役が裏切る可能性が少なくなるからな」


確かに、血のつながりのある相手を使う方が確実だろう。指示を無視して外部に助けを求められてはどうしようもないのだから。


「なるほど」


「もしくは……」


言いかけて、口を噤むカイルに、友人が首をかしげる。


「もしくは?」


「いや、すまない。何でもない」


何でもないという顔ではなかったが、このまま聞いても答えは得られそうにないので、追求は諦めた。


「しかし……皆、遅いな。ちょっと様子を見てくる」


友人が出て行った後、女生徒が何かを言おうと声を出す。


「あ、あ、あの、私、……っ!」


しかし、言葉が紡がれる一瞬、何かを視界に納めた彼女は、そのまま口を覆ってしまった。


「どうした!?」


カイルも彼女の視線の先を振り返るが、そこには何も映っておらず。聞いても首を振るだけで答えてくれないことに、いいしれぬ苛立ちが募ってくる。


「なんか、皆遅くない?」


「もうそろそろ、誰か一人くらい戻ってきてもいいはずでしょ」


「私、ちょっと見てこようかな」


「私も……」


「カイル様はここにいてください。私達が行ってきますから」


一人、また一人と減っていくクラスメイト達。いつまで経っても戻ってこない彼らに、クラスがざわざわと浮き足立ってくる。


皆の不安が伝播したかのようなこの空気を引き裂いたのは、ようやく戻った一人の生徒がもたらしたものだった。


「カ、カイル様、これ!」


差し出す手に載っていたのは、髪の束。それは、愛してやまない彼女のそれにそっくりな……。カイルの目の前が急に暗くなった。


「裏門に、袋がかけられていて、それで……」


「フィアナッ!」


もう、何も考えられなかった。カイルは目の前の全てのものを押しのけ、走った。裏門までたどり着き、どこへ向かえばいいのかも分からないまま、門を開ける。


「フィアナ……、フィアナ!!」


「はい?」


声が、した。


「どちらへ参られますの? カイル様」


息も忘れて振り返ると、光があった。自分が求めてやまない大切な光。


「カイル様ったら、折角見つけたのに物凄い速さで走ってらっしゃるんですもの。私追いつけないかと思いましたわ」


くすくす揺れる光に手を伸ばすと、光は自ら自分の手に収まった。


「ふぃ、あな?」


「どうしましたの? カイル様。今日は、ご友人に手伝ってほしいことがあると言われていたのではありませんの?」


小首を傾げて言うフィアナを抱き寄せる。


「カ、カイル様?」


そのまま肩に顔を埋め、フィアナを全身に感じて、ようやく呼吸を思い出す。


「フィアナ……」


様子のおかしい恋人を案じてか、フィアナは黙ってカイルの背に腕を回し、ぽんぽんと宥めるように抱きしめてくれた。カイルの震えが止まるまでずっと。

タイトルに嘘偽りがある気がしますが、カイルにとって悪夢そのものの状況であることには変わりないので、悪しからずご了承ください。

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