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7・後片付けは後味悪く

微グロ描写あり、R15くらいかな、と判断しました。

「まあ、あまり気に病まれぬ方がいいですよ」

 あっさり断じればじろ、と些か座った目で睨まれた。

「というか、サーフェイ導師。……先般の『フェイ』とはどういう酔狂だ?」

「……だって俺が、自分で厨房に入り浸って料理の試作に励んでるなんて、知れたらやっぱりまずいでしょう。特に伯父、王宮魔導師長なんですが、そんな話を聞いたら苦情を言ってくることは確実なので」

「あ、ああー……あの人、身内ですか」

 トパジェが微妙な声を上げる辺り、彼もサーフェイの伯父を知っているのだろう。王宮では宰相と並び称される政治家でもある人物は、トパジェの実家とも関わりがあるはずだ。

「食い物をどうこう言う暇があるなら魔道を練れとうるさくてね。その割にベーコンも醤油も大喜びで持っていくんだから酷い人だ」

 冗談めかして愚痴れば少年達もつられて笑う。

「まあ、こう言うことになればゴルディリアも学園にはいられない。魔力封じをして、追放と言うことになるだろうが、それがあの人の役割だからね」

 王宮魔導師長、というのは言ってしまえば国内の魔導師すべてを統括する職だ。それは今回のように、魔力の扱いが下手な者、魔道を用いて罪を犯した魔導師の処遇を決める権限を持っている。彼女のように扱いきれない魔力は封じて自分でも使えなくすることは今までにも行われていた罰だ。

 ゴルディリアの家族は故郷、ソルの村に健在であるはずだがこれだけの不始末をしでかした娘を温かく迎えてくれるものかどうか。また彼女は昔から、己のその高い魔力を見込んで傲岸不遜に振る舞っていたという。実のところそんなに魔力があることを自覚していたのなら、本来はもっと早くこの学園に来なくてはならなかったはずだ。

 その辺りを考えるに、彼女の罪は重くなりそうだ。おそらく二度と学園に戻ることも、或いは彼等の前に姿を現すことさえ出来なくなるのかもしれない。


「導師、今日はこれなんですか」

 パルミナの呆れた顔にサーフェイは肩を竦める。

「ソルの実家から卵をたくさん送ってきたんだ。ほら、パルミナの実家からもらった屑玉蜀黍、弾けないのを餌にしたら鶏が元気になって産卵数が増えてるらしくて。料理にも使うけど、何か考えてくれないかと頼まれてな」

「……それで何でそんなことに」

 パルミナが微妙な顔でうめくのも仕方がないだろう、すっかりサーフェイの専用調理室になった部屋には、既にエイメッドがソルと二人で一生懸命卵を泡立てている。腕力があるのはこの二人なので、結構こう言うときには有り難い。

「うぉーい、こんな感じか?」

 息を荒げながらソルがそのボールを傾けてみせる。泡立てられた卵白がふわふわもこもこになっているのを確認する。

「良さそうだな、それじゃ砂糖を入れて……エイメッド、そっちは?」

「こちらも、それなりには」

 前世のサーフェイは料理男子だったが、さすがに甘味はそれほど詳しくない。ただ、シフォンケーキとドーナツは好きで経験もある。重曹の代用品が少ししか見つけられなかったので、それを必要としないお菓子を作ってみることにした。卵を泡立てさせている間に自分は果物を煮てコンポートを作っている。

「パルミナ、ちょっとこれ味見して。こんなもん?」

 差し出した小さじを受け取ったパルミナは小首を傾げる。

「おいしい、とは思いますが……ベリーを甘くされたのですか?」

「ああ、砂糖で煮てみた。甘すぎない?」

「……個人的にはもう少し甘くてもいいくらいかと」

「もう十分に甘いと思いますが」

 パルミナの言葉に慌ててエイメッドが割って入ったのは、彼は甘いものがあまり得意ではないからだ。

「うるさいよ。そっちは粉をふるって混ぜる」

「あいよー」

 気をつけても粉が舞って結構散らかる、それを片づけながらサーフェイは他のものもいろいろ用意していた。

「そういえば殿下とトパジェはどうしたんですか」

「ああ、せっかく甘いものを試すんだから女性陣の意見を聞いてみようと言うことになってな。ブランシュの令嬢方を招いてくる」

「はあ……」

 ブランシュ公爵令嬢プラティナがアダティス殿下の婚約者、その従姉妹であるシルヴァイナ・ブランシュ子爵令嬢はおそらくトパジェかエイメッドに娶されるのでは、という噂がある。その辺の真偽はサーフェイも知らないし、おそらく当人達も意識していても正確な話は判らないだろう。パルミナが部外者ながら気にする気持ちが判らないではないが。

「失礼しまーす」

「どうだ、準備は?」

 そのアダティスとトパジェがやってきたのは、型に入れたケーキを予熱したオーブンに入れたところだった。この温度調節が出来るオーブンもサーフェイの発案で、魔道具として魔導師長が開発を進めている。

「準備中ですよ、お掛けになってください。もうそろそろ出来るんで」

「……あの、導師……」

「私達、なぜ呼ばれておりますの……?」

 二人に連れられてきた令嬢、どちらも銀の髪に淡い色の瞳と互いに似通った顔立ちの少女達はそろって不安そうだ。それにサーフェイは呆れた顔を隠さない。

「お二方、ちゃんと説明しないで連れてきたんですか? そんなに情けない顔しなくていい、ちょっと今新しいお菓子を作ってて。女性陣の意見を聞きたいだけだ」

「だから心配するようなことはない、といっただろう。サーフェイ、私は一応説明したのだが二人が信用してくれなかったのだ」

「いや殿下、それ威張って言うことじゃないですから」

 真顔のアダティスにトパジェが突っ込む。苦笑して、サーフェイは彼等にも座るよう促した。ソルと二人で、火の様子を伺う。

「まあ、気を楽にしなさい。甘いもの、嫌いじゃないか?」

 尋ねれば少女達は顔を見合わせた。こうしてみると従姉妹と言うより双子の姉妹といっても通りそうによく似ている。

「嫌い、ではございませんが……あまり量は食べません」

「私もです。少し頂くくらいがちょうどいいかと」

 本人達もそれを判っているのだろう、わざと髪型を変えている。長い銀髪を半分ほど結い上げているのがプラティナ、左右に分けて結い上げている方がシルヴァイナだ。実際には目の色も違うのだが、普通男性と話すときはそこまで接近したりしない。どちらもぱっと見には、淡い色としか判らないがプラティナが水色の、シルヴァイナが碧の目をしている。

「お、いい匂い」

 ふんわりと甘い匂いが漂い始める。鼻をひくつかせるソルにケーキの様子を見させ、サーフェイはもう一つにさっきから湯気を立てている鍋を覗いてみた。

「んー……こっちもそろそろ良さそうだな」

 その間に、パルミナが人数分のお茶を煎れてくれている。これがなかなか上手く、美味しいお茶を煎れてくれるのだ。

「フェイ、こっち綺麗に膨らんでるよ」

「あー、じゃあ出しといて。冷めないと切れないから」

 指示しておいてサーフェイは鍋から、幾つかの器を取り出す。持ち手のないマグカップのような陶器は人数分より少し多めに用意してみた。こちらも魔法で少し冷ますと、甘い匂いが広がる。

「なに、何だ?」

 既に彼が出すものは大概の場合自分の知らない美味だと学習済みのアダティスは目を期待できらきらさせているし、トパジェやパルミナもそれは変わらない。ただエイメッドは甘いものが苦手だからだろう、微妙な表情だ。そして呼んでこられた令嬢は訳も判らずいささか警戒気味。

「まあ、まずは……ご婦人方、ちょっと召し上がってみて。器熱いから気をつけて、底にソースが溜まってるから」

 二人の前にそれを一つずつ置き、小さな匙を添える。顔を見合わせた二人は、とても複雑な表情だ。

「……サーフェイ先生、これは……?」

「何、ですの……? 匂いは甘いけれど……」

 甘い匂いにそそられはする、けれど正体不明な代物を気安く口にするわけにもいかない。その板挟みでますます困惑の様子に、サーフェイは気負いなく他の少年達にも同じものを出してやった。

「エイメッド、おまえのこれ、ソース少な目なんだ。これ、ソースが甘いから」

「それは、お気遣いありがとうございます」

「プラティナ、シルヴァイナ。おまえ等が先に食ってくれないと俺は食えないのだが」

 生真面目に宣うエイメッドに対し、アダティスは湯気を立てる器を見つめたままこぼす。顔を見合わせ、シルヴァイナが匙をとった。

「でしたら、私が先にお毒味させていただきますわ。構いませんわね?」

「あ、僕もいただきます」

「俺も俺も。そんな姫様方に先に毒味していただくなんて畏れ多い」

 パルミナはどうか判らないが、ソルはただ単に食べたいだけに違いない。苦笑してサーフェイはさっさと自分の匙を突き立てた。

「じゃあ作った身としては、お先に味の確認を」

「ずっるいー!」

 悲鳴を上げるのは男性陣のみ。それを無視して掬い取った中身を口に運べば、とろけるこくのある甘さ。

「ん、上々」

「……美味い」

「うわぁ、とろけます」

 頷いたサーフェイに続いたソルとパルミナの慨嘆に一瞬きょとんとしたシルヴァイナはきっと表情を引き締め、自分も匙を突っ込んだ。何の手応えもなく吸い込まれるそれに警戒の表情を崩さず、ほんの少しだけ口に運ぶ。

「……シルヴァイナ、それだけで味判るのか?」

 思わず突っ込んでしまったサーフェイの言葉は聞こえなかったものか、彼女は目を丸くし、そうしてぱちくりと瞬いた。

「……美味しい」

 思わず、といった調子で漏れた呟きに今度はプラティナがきょとんとし、そして意を決したのか表情を引き締めて自分も一掬い口に運ぶ。

「……え、何これ……美味しい……この下の、ソースが甘苦くてすごく合う」

「もういいだろ、トパジェ! 食わせろよ、何の拷問だ!?」

「あー、はいはい。いただきましょうか」

 とうとう我慢が効かなくなったアダティスが声を上げ、さすがに自分も我慢できなくなったのだろうトパジェも頷いて匙を進める。

「……うわ、本当にとろける……」

「あー、本当……このソースって前に爆弾玉蜀黍(ポップコーン)に使ったやつじゃないかな」

「私のはソースは少な目だな。しかし確かにこれは美味しい、卵なのか?」

 蒸し料理があまりないこの世界には多分無かったこれはプディング。本来なら堅くなったパンに卵液を染み込ませて蒸すが、今回は茶碗蒸しをイメージして柔らかく仕上げてみた。バニラが見つからなかったので、代わりに甘い香りの別の植物(ハーブ)を使っている。底に入れたのはトパジェの言うようにカラメルソースだ。

「……美味しい?」

 聞くまでもなかったが尋ねてみたら全員が計ったように同じタイミングで頷いた。

「美味しいです、サーフェイ先生!」

「本当に……口に入れるととろけて無くなってしまうなんて……」

 特にさすがに女性陣は、このスイーツに魅せられてしまった様子。うっとりと夢見心地になっている。それに頷いてサーフェイは調理台に向き直った。

「まあ、この調理法(レシピ)は後で教えるとして。今日のメインはこっちだ」

 そろそろ冷めたシフォンケーキを人数分に切り分ける。

 わーい、とアダティスは諸手をあげて大喜びだが二人の令嬢は既に呆然としている。

「……まだ、あるのですか?」

「しかもそちらがメインって、これより美味しいものが……?」

「それなりに美味しいとは思うんだけど、好みの問題もあるからなあ。これもふわっと溶けて無くなる系だから、好みに応じて果物の砂糖煮とか生クリームつけて試して」

 それも殆ど熱狂的に受け入れられた。ふんわりと口の中で溶けて無くなってしまう絶妙な舌触りはこの世界でも今まで無かった分、強烈な体験だったらしい。

「あ、あのあの、サーフェイ導師……この調理法をいただけるというのは、本当でしょうか」

 目を潤ませて尋ねてくるプラティナにサーフェイは苦笑して肯定する。

「うん、基本の調理法だけど。まあ温度の調整できるオーブンがないとケーキは難しいかもしれないけど、プディングはそこまで厳密じゃないから、料理人ならそれなりに作れると思う」

「よろしいのでしょうか、そんな貴重なレシピをいただいて」

「俺としては広めたいのでね、できたらいろいろ試してみてほしいんだ。。地域によって違う味になるのもいいと思うし、蜂蜜を使うのもいい」

 更には甘みを抜いてスープを使って食事のおかずにすることも出来る、つまりは原型の茶碗蒸しだ。

 極上のスイーツで気持ちがほぐれたものか、二人はポツポツと少年達とも打ち解けた会話を交わした。元々社交界にデビューはしていなくても(デビュタントは基本的に学校を出てから)この学内で付き合いはあるし婚約とかそういう話を抜きにしてもそれなりの付き合いはある。最近距離を置いていたのは、偏にアダティスが厄介な存在を抱えていたからだ。

「……殿下、お噂ではゴルディリア・エンハートが学外追放になったと伺いましたが」

 言い出したのはシルヴァイナだった。彼女は自分の地位を弁え、従姉妹の盾たろうとしている様子が伺える。先ほどの『毒味』がいい例だろう。

 ちらりと側近の少年達と視線を交わし合っておもむろにアダティスは頷いた。

「ああ、まだ詳しい処罰ははっきりしないのだが。彼女が学園に帰ることはもうない」

 きっぱりと言い切る。それも間違いない事実だ、何しろアダティス王子の襲撃(紛い)が無くとも彼女の成績は一向に振るわず放校寸前の低空飛行を続けていた。その、もって生まれた魔力の高さが惜しまれていただけで周囲の忠告や訴えに耳を貸さなかった彼女を惜しむ声は聞かれないと言う。

「惨めなもんですね」

 ぽつん、と呟いたトパジェにシルヴァイナが食ってかかる。

「あなたが言えた義理ですか? 彼女の無軌道ぶりを放置していたのはあなたでしょう、むしろ増長させたのではなくて?」

「……心外ですね、シルヴァ。俺は何もしていませんよ」

「それが怠慢だというのです!」

 いきなりの舌戦にソルとパルミナはちらっと視線を交わし、我関せずと決めたらしい。要は、御貴族様のなされることは、我々庶民には理解できません、という態度だ。

 では当の貴族はと言えば、プラティナは関わるまいと言うようにお茶を啜っておりアダティスはちょっと目を丸くしたものの彼も敢えて口を挟む気はないらしい。そしてエイメッドはひっそり溜息を吐くと、サーフェイに向かって話しかけた。

「サーフェイ導師、先日の乾酪の菓子はどうなりました? あれではいけなかったでしょうか」

「いや、そんなことはない。さすがにそんなに食べないだろうし、土産に持って帰らせようかと思って保冷の術をかけた箱を用意してある」

 エイメッドの実家で作ったというフレッシュチーズでレアチーズケーキとベイクドと、二種類やってみた。こちらは記憶も曖昧で自分でもいろいろ試行錯誤の結果なのだが、割に美味しくできた、と自画自賛。あと菓子には必須の重曹、要はベイキングパウダーの手掛かりにもなりそうなものも見つけたので自分としては上出来の部類。

「先生、まだ何かあるのでしょうか」

 さすがに気詰まりだったのか、プラティナはこちらの話に食いついてきた。肩を竦めてサーフェイはそれに応じる。

「ええ、チーズの菓子をね。少しだけどお土産に持っていかれるといい。これもレシピはつけますよ」

「まあ、ありがとうございます。……あの、チーズも最近出来たもののようなのですが……」

「牛乳は保存の魔法を掛けておいても味が落ちますから、加工して保存するのも一つの手段だと思います」

 それにしてもやはり魔法で熟成の時間が大幅に短縮できるので助かる。本来なら数ヶ月は寝かせて初めて口に出来るものが一晩で食べられるようになると言うのは大きい。

 最近はヴェルディリア領だけでなく、あちこちの酪農地帯でも生産が始まってきたらしい。そしてそれは彼女の領地、ブランシュ領でも同様だそうだ。

「癖もあるので嫌いな人もいるでしょうが。パンに乗せて炙るんでもいいし生地に練り込んでもいい、ソースにも使えるしお菓子にもなる、となかなか使いでがありますよ」

 魔法が発達した分、食物の保存という概念の弱いこの世界。それを反映してか調理方法も単調であまり凝ったことはしないから、素人だったサーフェイの意見も結構重宝されているのだ。

「チーズはね、野菜に乗せて焼くだけでもなかなか美味しいです。まあ野菜にもよるけれど」

「そういえばこの前、薫製肉ベーコンと一緒にパンに挟むサンドイッチが食堂でも大人気だったな」

 雑談にいつの間にかトパジェも混ざってくる。ちらり、と伺えばシルヴァイナはむっつりふくれてプラティナの隣に落ち着いている。

 ある意味でとても可愛らしい思春期だなあとしみじみ思う。

 そしてあまり可愛らしいとは言い難い、むしろ恋愛にまで至っていなかったことが共通する別の少女のことを思い出す。

 ゴルディリアは、結局この世界が恋愛ゲームだと思っていたらしいのだがそれにしては実のところ恋愛にさえ辿り着いておらず、攻略以前の問題だったことに気づいているのだろうか。

 アダティスは確かに彼女の力を見いだし、ここに連れてきた。しかし当人がそれに報いるでもなく、今まで辺境の村では得られなかった王都ならではの華やかな楽しみに溺れ、ちやほやしてくれる一般の男子生徒や若い教師に甘え、体の線を露わにする改造制服で彼等の視線を釘付けにすることを楽しんでいた。魔法を使う実習は比較的熱心だったが座学は私語や居眠りの常連、もちろん筆記の試験も成績はいつも最下位。さすがに最後の方は教師や普通の学生は近寄らなくなっていて、それにも苛立ちを覚えていたらしい。

 だからといってあのような暴挙に出られては堪らない。伯父の王宮から送ってくる報告書によれば、彼女はほとんど錯乱状態らしくてまともに調書も取れないらしい。ただその「戯言」と言って書き取ってきた言葉にサーフェイは心当たりがあった。曰く、「るーと分岐がおかしい」「ふらぐいべんとも起こらない」。

 結局彼女はサーフェイが危惧した転生者だったわけだ。しかも余りに愚かで本来得られるはずだったものも掴み損ねてしまった、哀れな存在。

 彼女の目論見は結局サーフェイにも理解できないし、おそらく取り調べている伯父たちにはもっと理解できないだろう。そう思っていて彼等に出来る助言もない。

 もう彼女のことは忘れて、自分の人生を精一杯生きた方が建設的だな、とそう見切りをつけたのだが事はそれでは済まなかった。


 数日後。王宮から届けられた緊急連絡に、サーフェイは学園長に告げる暇さえ惜しんでそちらへ急行する。

「伯父上!」

 王宮の魔導師達が集まる塔では、どこか不穏なざわめきが感じ取れた。それは何も雰囲気の問題だけではなく、その空気に含まれる微かな魔力が、ただならぬ事態を告げている。

 案内を、出てくる下位の魔導師達を振り切らんばかりに急いでサーフェイはその中を抜けた。伯父の、王宮魔導師長という立場上彼はこの塔でもっとも高い地位にある。当然その執務室も塔の最上階、もっとも高ランクの部屋だ。

「……サーフェイか」

 伯父は、その執務机に就いていた。サーフェイの来訪を予期していたのか、そこに驚きはない。あるのはむしろ、申し訳ないという感情のようだ。

「思ったより早かったな」

「転移陣を使いました。事は一刻を争うのでは、と思いましたので。……遅かったようですが」

 王宮に着いてすぐ、サーフェイは自分が遅きに失したことを理解した。伯父からの知らせは多分、意図的に遅らされていたのだろう。

 サーフェイの答えに僅かに視線をさまよわせた伯父は、サーフェイを追って駆け込んできた他の魔導師達を見やった。

「おまえ達は下がっていなさい。彼には、私から説明する」

 それに顔を見合わせながら、魔導師達の重鎮達は引き下がっていく。

 ここでサーフェイを知る者は多くない。実を言えば伯父の元で学んでいた間も彼は基本的に学園に住み着いていて、王宮の魔導師達とは殆ど付き合いがなかった。そもそも魔導師というのは己の能力、魔導の力を強めることに専心する研究者タイプと、それを政治的に利用して出世を目論見むタイプに大きく分けられる。王宮は後者の巣窟で、サーフェイには鬼門と言っていい。

 彼の父、王宮魔導師の弟もそれを厭って自分の好きな研究に思う存分耽溺するため、跡継ぎのない叔父の後継者として国境近い田舎の領地に引っ込んで好き放題やらかしていたわけだ。

 そしてその妻、サーフェイの母も似たもの夫婦だった。彼女は元は隣国の貴族の娘、しかしこれも魔導狂いと陰口を叩かれるような令嬢だったらしい。貴族令嬢としてより女性魔導師として在りたいと、女性の魔導師が殆どいない(というか認められていない)隣国からこの国にやってきた。そこで似たような価値観と必要なだけの地位を持つ魔導師と出会い、さっさと結婚して一緒に研究三昧の(少なくとも本人達はとても幸せな)新婚生活を送ったらしい。

 ただしサーフェイが物心つく頃には、彼等の間にも暗雲が立ちこめていた。それも貴族の婚姻で良くある不貞だとか財産関係のもめ事とかではなく。彼女の持って生まれた強力な魔力を使いこなせない、そのことによる軋轢だったらしい。

 一般にこの世界の魔導師は男性が多い。それには理由があって、新たな生命をはぐくむことの出来る女性の体というのは生物にとって特殊な力である魔力との相性があまり良くないのだ。隣国の、魔導師は男性だけ、という不文律も故がないわけではない。

 ただし希に。本当に珍しい話ではあるが、男性以上に強大な魔力を持って生まれる女性がいないでもない。大概はその力を馴染ませ切れず、死産になることも多いがごく僅かながら男性以上の魔力を持つ女性は存在する。それがサーフェイを産んだ母であり、或いはゴルディリアだ。

 そもそも母がサーフェイを産んだのも、子を成すことによって自身の強大な魔力を御せるようになるのでは、という予測もあったためらしい。それをどこまで信じていいかわからないのだが、そういう説もあることはある。母の考えについては、彼女自身が書き残していたのでまず間違いはないのだが。

 しかし子どもを産んでもいっこうに制御は利くようにならなかった。悩んだ彼女を哀れんだのか自分もその研究に打ち込んでいただけか、父親が編み出したのがその強大な魔力を他者が制御出来るようにする術。しかしそれは未完成、というか失敗して母は昏睡状態、父親はその術が解けないことに衝撃を受けてこちらも寝たきり。

 しかし父の術は完全に失敗だったわけではない、彼女のその強大な魔力は未だにその寝たきりの体からあふれており、別の術でもって魔石に充填することも出来ている。実はそれが、サーフェイの実家、正確に言えばその領地であるブリュー公爵領の収入の一角を支えている。そういう意味では、この状態になって初めて彼女は婚家のために役立ったと言えるかもしれない。

 そして今回。父が編み出したその術を、伯父は改良の上とは言え、ゴルディリアに施したのだ。正確には試してみようと思っている、という連絡を受けてサーフェイは取るものもとりあえずここに来たのだが既に実行済みだったというわけだ。その事実を聞いてはいないがサーフェイにははっきり判る。空中に存在する魔力の源、その不安定なぶれが何よりの証拠だ。他の誰にも判らずとも、母と父の経験を知っているサーフェイにだけは察知できる。そしておそらくは、此度もまた失敗だったという事も。

「……伯父上。私は、お止めしたと思いますが」

「うむ。……おまえの言葉は、実に正しかったな」

 伯父としても不本意だろうし、どう言えばいいものかと危惧してもいるのだろう。言葉に迷って視線をさまよわせながら、一枚の紙を取り出した。魔導の術式を目に見える形でまとめたもので、魔導師ならばそのまま実行は出来なくとも何をどうしてどんな効果を導くものかは判る。此の書式についてもサーフェイが大きく関与していた。基本的に魔導師は職人肌の独りよがりが多く、自分だけ判っていればいいという節がある。それでは技術が伝承できないと、少なくとも登録された魔導師が新しい術式を編み出した際にはこれを記入して魔導師協会に提出することを義務づけたのは此の伯父である。

 ざっとそれに目を通してサーフェイは眉を顰めた。

 基礎(ベース)になっているのは彼の父・カイエ・ブリュー公爵が自分の妻に施した術だ。それを改良し、対象者への干渉を弱めるとともに魔力を制御するための部分は強化され、かつその使い方にも独自の工夫を見て取れる。先日サーフェイが提示した魔力を魔石に溜める術を応用している部分も見られた。

「……逆に伯父上。これでも、駄目だったんですか」

 最初からこの術で母の魔力を操作しようとしていたら出来たかもしれない、そう思うくらい完成度は高い。さすが王宮魔導師長という、この国でトップの実力者だけのことはある。

「……駄目、というか……そうだな、彼女自身はアイオラとは違って意識もある。会話も出来る状態だ」

「……では何が失敗だったと?」

 ようやく状況を語り始める伯父にサーフェイはますます眉を顰める。母のアイオラと違い、意識もあって話も出来るのなら術自体は成功したのではないか。しかし空中に漂う魔力の源はひどく不安定で、これは強大な魔導が失敗したとき特有の現象だ。この不安定さを感知できない人間は魔導師にはなれない。

「……術の介助に、魔導装置を使ったのだ。彼女の魔力をいったんそこへ溜めることで、制御できるように」

「ああ、そういう術式ですね」

 その辺で人力ではなく、ある程度安定した術を継続できる魔導具を使う、というのが伯父の着眼点だった。かなりの道具を自分の裁量で使いこなせる、彼の立場故出来る手段とも言えよう。

「それから、切り離せなくなった。ゴルディリアはこの先、一生魔導装置と共に閉じこめておくしかない」

「……その、装置というのは一体どれくらいの代物なんですか」

「そうだな、この部屋くらいの大きさで……魔石やそれに合わせて魔鉄鋼を使っているからずいぶん重い。ついでに言うなら、王宮内の魔力回路とも直結だ、切り離すリスクが他にも大きすぎる」

「……そもそもそんなものをつながないでください!」

 思わず悲鳴を上げてしまうのは仕方がないだろう、王宮内に魔力を供給する回路とは例えば前世で言うなら電線、或いは発電機だ。王宮内に照明や侵入防止・或いは汚損防止の術を発動させておくために必要で大量に魔石を消費するし万が一落ちたら上つ方にも大変な迷惑をかけることになってしまう。

 正直言って王宮魔導師というのは、その回路が無事動き続けるようにすることが一番大事で重要な仕事だそうで、そのためにゴルディリアの強大な魔力を利用と考えるまでは納得がいく。しかし動作確認をせずにつなぐような、そんな無茶はさすがに想定外だ。

 もっとも、サーフェイの剣幕に伯父が渋々もう少し詳しい説明をしたところによれば、彼の指示だった訳ではないらしい。元々伯父はゴルディリアの供述をまとめ、その魔力を何らかの形で利用できないかと画策はしていた。そう、思うだけの潤沢な魔力ではあったのだ。しかし彼女の言葉は支離滅裂、こんなはずじゃないのにと恨み言をいったかと思えばサーフェイやその他学園の教師達やプラティナ達他の女生徒、或いは一般の生徒達、思いつく限りの者達に呪詛の言葉を並べる勢いだったらしい。

 魔力を見いだされたといっても彼女は所詮一般市民、その立場は本来極めて低い。少なくとも高位貴族の一員であるサーフェイやプラティナを侮辱することの許される地位にはない。その発言に他の魔導師達も思うところがあったらしい、彼等も基本的には貴族の端くれが多い。中には自分の能力だけでのし上がってきた者もいるが、そうした者にとっても自分の持つ能力を生かすための努力もせず、そのことを棚に上げて他者を罵るゴルディリアには思うところがあったようだ。彼等が、魔導師長の編み出したこの術を勝手に使おうとしたらしい。

 結果として、彼女はその魔力を測定するため、という名目で装置につながれた。実際、王宮での魔力の安定供給は極めて優先順位の高い問題だ。上手くいって彼女の魔力を王宮の維持に変換できればよし、そうでなくとも一時的に魔力を溜めておけるならそれでも上等、という勝手で適当な判断だったらしいが結果はもう少しややこしいことになった。

 ゴルディリアの魔力と、その装置が強く結びついて切り離せない。無理に、物理的にでも切り離せば彼女もまたサーフェイの母と同様植物人間と化すことが予想される。また今の状態のゴルディリアは、食事も睡眠も排泄もない。いわば空気中に漂う魔力の源を魔力として生成するだけの装置と化している。だからこそ彼女は死ねない。装置を切り離し、放置すればおそらく死ぬがそれくらいなら魔力を供給するためだけでも活かすべきでは、と判断した。

「……あまりに勝手ですね、伯父上」

「否定はせんよ。しかし、しでかしたことの責任をとる意味でも、これが最上ではないかね」

「……どうかなぁ。今は良くとも、この先彼女が息絶えたらどうします。生物である以上、あり得る話だ。今の彼女の状態を「生き物」と言っていいかどうかはちょっと迷いますが」

 それに一応彼女は国元に親兄弟がいるはずだし、アダティスも或いは学園の校長達にも話は通しておかなければなるまい。こうした人でなしの所行を彼等に説明するのはしでかした当人達の義務のはずだがそれはどうするのか、とか。

「確か彼女はブリュー領の出だろう。もちろん実家には謝罪にいかせる、サーフェイも立ち会ってはくれないか。王子や学園長には私が説明する」

 もちろんサーフェイにとってはとんだやぶ蛇、いい迷惑以外の何物でもない。だがしかし父の遺した術式を葬らなかったという点において、責任の一端はあるかもしれないと思う。

「……本人と、話はできますか」

 溜息と共に尋ねれば伯父は如何にも意外そうな顔をした。

「話すのかね」

「一応は。……本人はどこまで事態を理解してるんですか?」

「さて、一通りのことは説明したのだが……あの様子では、まともな理解は望めまいよ」

 ひどい人だな、と他人事のように思ってそれからサーフェイはもう一度小さく溜息を吐く。人でなしの所業だとは思うけれど、伯父の意も理解できないわけではない。事態がここまで至ってしまえば、どうしようもないのだからそれを極力有効に利用しようと考える、それはある意味で実に合理的な人でなしだ。


 ゴルディリアがいるのは、或いは彼女に接続された装置がおかれているのは王宮の中でも本宮の裏手、滅多に人のこない建物の地下だ。しかしここは宮殿に動力を供給する電機室ならぬ魔力室であって、厳重な警戒が敷かれている。

 装置はサーフェイが見たことのある似たような機能のものより大きく立派だ、つまりそれだけ魔力生成能力も高く出来ることも多いのだろう。そしてその、ちょっとした小屋ほどもあるその装置のすぐ傍らに。椅子に拘束され、身動き一つ取れないでいる少女がいた。

 金の見事だった髪はぼさぼさとほつれ、身につけているのは何の飾り気もないうすっぺらな一枚布のワンピース。貧しい病人か、或いは囚人に着せるようなものだ。椅子の肘掛けに固定された腕は細いというより骨ばって僅かに裾から覗く足もそれは同じだ。

 呆然と、虚空を見たまま微動だにしなかった彼女が不意に瞬いた。サーフェイを認め、顔をひきつらせる。

「……なに、何しに来たのよ……!」

 吐き出す言葉は嗄れ、ずいぶんと長く喋っていなかったらしいことが伺える。

 サーフェイの知る少女は、明るく笑っているか楽しそうに喋っているか、いつだって賑やかで自分が世界の中心と信じているような存在だった。あるいは実際そうだったのかもしれない。自分はこの世界の主人公であり、誰からも愛され求められる唯一無二の存在だと、そう信じていたのか。

「……気分はどうだ、ゴルディリア」

 声を掛けながらサーフェイは被っていたフードを落とす。ぎょっと目をしばたたくゴルディリアは、先日学園で捕らえられてからほんの十日ほどしか経っていないのに恐ろしく年経た印象になっていた。面やつれしたこともあるだろう、けれど目だけぎらつかせているその様子は、自分が世界の中心だと信じていたあの輝きとは程遠い。

「い、いいわけないでしょ! さっさと放して、学園に帰って王子に会わなきゃ……!」

「無理だな。説明を聞かなかったのか、今のおまえはその装置から切り離されると死ぬぞ」

「そんな、そんな下らない脅しになんか引っかかるもんですか! いい、この世界は私が主役なんだから、私がいなかったらどうなるか判らないじゃない!」

「未来なんてのは、何が起こるか判らないもんだろ。……この世界には攻略本もチュートリアルもないんだよ」

 哀れみを込めていえば、彼女は目を見開いた。ただでさえやつれた顔の中で大きな目は、それこそ文字通りこぼれ落ちそうだ。

「……何、それ……」

「大体ゴルディリア、主役にしちゃ一番難易度の低いはずのソルも落とせてなかったじゃないか。あいつ、おまえのこと本当に興味なさそうだったぞ」

「だ、だってだってソルは田舎の農民じゃない! 落とすんなら王子か、せめて貴族のトパジェかエイメッドじゃないと!」

「ソルは、身分こそ平民だけどあいつのじいさんが結構成功して相当な財産家になってる。パルミナも故郷の神殿が繁盛してきたらしいけど、二人とも全然好感度あがってないし」

「そ、そんなことないわ! きっとあんたや、あの悪役令嬢とかが邪魔してるに違いないんだから!」

「邪魔するつもりはないけど、っていうか邪魔するまでもなかったというか」

 溜息を吐いてサーフェイは彼女の向かいに引っ張ってきた椅子に腰を下ろした。

「やっぱり前世の記憶持ちか。しかもゲームの記憶もある。……自分が主人公なのに舞い上がって、好き放題やらかした、と」

 訳知り顔で頷く彼にゴルディリアは真っ青になってそして真っ赤になる。むしろまだそれだけ血の気があるのかと、それがサーフェイには驚きだ。

「な、何よ何よ! それってつまり、あんたもそうなんじゃない!」

「今頃気づくなよ。……力をちゃんと成長させないと、バッドエンドになることくらい知ってたんじゃないのか。今となっては俺もおまえにしてやれることなんかない」

「だ、だってだって! 何が起きるか教えてやれば村のみんなはすっごく喜んでほめてくれたし好きにさせてくれたし! その調子でやれば絶対大丈夫だと思って!」

「全然失敗じゃん。……クリアはしたのか?」

「当たり前でしょ! 王子ルートはやりこんで、セカンドに備えてたんだから!」

「何でそれで失敗するんだ……」

 この状況だというのに異様な自信満々で言い放つ彼女にサーフェイは頭痛を覚える。

「王子ルートも、自分を高めてちゃんと魔道師になれなかったら駄目じゃなかったか。そういえばパルミナを落とすつもりじゃないのに何であの台詞を言ってんだよ」

 あれはキーワード、パルミナルートに入るための言葉だ。彼を落とすつもりがないのなら言うべきではないし現にパルミナはよけいに彼女への不信と嫌悪を育ててしまっている。

「だ、だって……どうせなら、彼も落とせば守ってくれるかもしれないし……」

「無理だろ、それは」

 支離滅裂な彼女の言葉を要約すると、転生者で記憶持ち立った彼女は幼児期、予言めいた言葉で周りの大人達を驚かせた。容姿も他の子どもよりずっと可愛らしく(主観)ちやほやと可愛がられたのが嬉しくてかなりその大人を振り回したらしい。

 もっともその辺りについては今更サーフェイの方からどうこう言おうとは思わない。取り戻す術だって無かったはずはないのに自分を甘やかして楽な方へと逃げていた、結局本来なら得られたはずの制御や判断力もないままのゴルディリアには何もしてやることは出来ないしそのつもりもない。ただ、ひどく哀れだと思うくらいだ。

 必死に喚いていたゴルディリアに、サーフェイは水鏡を見せてやった。そこに写っているものが何なのか、最初彼女は理解できず呆然とする。

「……こ、これ……、何……?」

 愚かではあるがある意味で当然なのかもしれない。愛くるしい美貌の輝くような少女は、驚くほど面変わりしている。頬はこけ、目ばかりがぎょろぎょろと大きく目立ち、瑞々しく張りつめていた皮膚もがさついた樹皮のような色になっている。

 それはある意味で、この世界には当然のことだ。彼女は既に食物も水さえ摂らずとも生きていける、この装置につながれている限りは。それはつまり、世界に満ちあふれる魔力を受け止める器となった、ということであり他にそうした存在は植物なのだ。世界に満ちる魔力を受け止め、その葉や皮、或いは花や果実として他の生物にも利用できるようにしてくれる。

 そうした存在に近づいたからこそ、彼女も人間の少女と言うより植物に近い存在として作り替えられつつあるのだ。

「ど、どういうこと……!」

 悲鳴に、これまでのようにヤケクソの意固地さはない。彼女の寄って立つプライドであったその容姿を失った、その恐怖と驚愕、或いは絶望の故だ。

「……本当に、残念だよゴルディリア。君はやり方さえ間違えなければ救国の英雄にだってなれたのに」

 呟いて背を向けたサーフェイに、意味をなさなくなった彼女の悲鳴がいつまでも聞こえていた。


 それが耳に残って、というわけでは毛頭ないのだがサーフェイは彼女を指導できなかったこと、自分がいる場で王子に攻撃を許したことを反省するという名目で学園の職を辞した。もちろん伯父を始めとして学園長や他の教師達にも慰留されたのだがその全てを拒んで郷里に引っ込むことにした。

 それに合わせたわけではないが伯父がゴルディリアの家族に詫びると言ってその郷里まで追いかけてきた。一応立ち会いはしたが、その家族もゴルディリアを扱いかねていたらしいのが見て取れた。実際、見た目は綺麗で力もあるが家族以外に甘やかされて人の話を聞かないような娘はどうしたものか、と苦慮する対象だったらしい。

 仮初めにもそのゴルディリアの家族はサーフェイにとって領民でもある。出来るだけの援助はするよう、伯父に頼まれたこともありサーフェイはしばらくその領地でおとなしくしていることにした。

 もっとも、久しぶりに戻った屋敷は彼以外の家人が世話を出来るわけもなく荒れ果ててまずは家中の大掃除から始める羽目になってしまったのだが。

「おーい、サーフェイ。人手、要るかー?」

 そういってソルが姿を見せたのは、サーフェイが郷里へ帰って十日ばかり経った頃だった。

「ソル? おまえ、何でまた……学園はどうした」

「いろいろ相談して卒業扱いにしてもらった。俺だけじゃないんだぜ、そういうことになったの」

 仮にも一国の公爵家という臣下としてはもっとも高い地位にありながらサーフェイは人を使うことが苦手だ。屋敷の片づけに現状を承知しているソルの祖父やその他、領民達からも人手を貸しましょうかと言われながらそれに頷かず自分だけで黙々と片づけを進めていた。おそらくそれを案じた彼の祖父や誰かが、彼を寄越したのだろう。

「それは、却って悪かったな」

「気にすんなって。とりあえず、人手を紹介するから」

「え、『人手』って……」

 満面の笑顔で示された人物達を見てサーフェイはぽかんと口を開けた。それから、それ以上はものも言わずソルの頭を殴る。

「人手とかそういうレベルじゃないだろ!」

「いてっ、だって当人達が何でもするから連れていけってー。俺も脅迫されたんだぞ」

「にしたってな」

「まあ、ソルを怒らないでやってくださいな、サーフェイ導師」

「……他人事みたいに言ってるが、おまえも怒られる立場だぞトパジェ」

「えぇぇー」

 冷ややかに睨みつけられてトパジェは情けない声を上げる。その隣でエイメッドは神妙に頭を下げた。

「申し訳ありません、サーフェイ。却ってご迷惑になると言ったのですが、聞かなくて」

「……誰一人として、か」

「はい」

 はっきり言ってエイメッド一人で友人達を止めるのは無理だ。しかも友人というだけでなく、将来の主もその気になっていると来ては気の毒になってしまうくらい。

「出来るだけのことはさせてくれ、許可は取ってきたのだ」

 妙にアダティスが溌剌として見えるのは気のせいではないのだろう。元々王宮で窮屈な生活をするより地方を回って治安の維持に務め、時に民草の生活を見守り、お忍びで下々の暮らしに紛れてみたりするのも好む型破りな王子だ。

「必要なことを指示いただければ、我々で判断いたしますよ」

 パルミナも目を輝かせている。彼は元々ここではないが田舎育ちで、こうした鬱蒼とした森や農地の広がる土地は決して嫌いではないらしい。

「それに実を言うと、ブランシュの令嬢方も同行したいと駄々をこねられまして」

 真顔で言い出すトパジェにサーフェイは眉間を押さえる。

「さすがにそれは不味いから、落ち着いたらご招待いただけないかと頼んでみるとは、言ってきました」

「……微妙なところだが、妥協点はその辺か……」

 従軍経験のある騎士でもある貴族子息はまだしも、貴族令嬢が訪れると言えば彼女達だけでは決して終わらない。侍女だの護衛だの、一個小隊は必要になる。

 仮初めにも公爵家の屋敷であってそれだけの客人を受け入れる余地がないわけではないが、圧倒的に人手不足だ。

「……ソル」

 しばらく考え込んだサーフェイは、幼馴染みの名を呼んだ。

「ん、何だ?」

「……おまえんとこの爺さんに頼んで、人を寄越してもらってくれ。屋敷の掃除と片づけ、その後屋敷で働いてもいいって人間。……人がいないと確かに回らん」

「そんなこと最初っから判ってたんじゃん!」

 あっけらかんと笑われてサーフェイとしては大変に不本意かつ複雑極まりない心境だ。






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