6・美味しいご飯のためなら努力は惜しまない
食べ物を粗末にしてはいけません。攻撃魔法を人に向けてもいけません。
しかしチーズは熟成に時間がかかるし、稲作にしても数ヶ月は要する。
幸いヴェルディア領は港を有していた。海産物で何か有用そうなものがないか、実家から資料を送らせるから見てほしいという。サーフェイの方からは、魚の一夜干しについて聞いてもらった。そうした魚介も農産物に負けず劣らず収穫の幅はあるはずでたくさん取れたときに余剰をどうしているのか、興味がある。まさかその全部を状態保持魔法に掛けているわけではないだろう。
と、思っていたのだがそのまさかだった。
「……ヴェルディア領では、魔道師が多いのでしょうか?」
口調が微妙なのは今日は魔道師のマントも凝ったものでフードもかぶって「サーフェイ導師」モードだからだ。彼に実家からの報告書を手渡して少し考える様子のエイメッドは落ち着いたものだが(もっとも彼はあんまりにも表情が変わらないので、正直サーフェイには彼の情動は見えにくい)。
「さて……私もよその領地はあまり知りませんので。……ただ、あちらではあまり魔道師の出番がないのは確かです」
実際彼が何をどう考えているのか、サーフェイには未だよく判らない。
「少なかったら、余剰の漁獲全部に状態保護魔法を掛けたりは出来ないと思うのですがね」
ヴェルディア領から届いた報告書にちょっと驚き呆れているサーフェイにエイメッドは淡々としたものだ。その地で育った彼にとっては当たり前すぎて意識していない話なのかもしれない。
サーフェイも自分の領地以外のことはあまり知らず、学園にきたこの数年でいろいろ学んだ。当然ながら土地柄によって産物も土壌もそして気候も違う。であれば一律に同じ作物を作らせても収穫高は安定しないし、耕作地の広さにも比例しない。そんなことを伯父に向かって言って、ちょっと騒ぎになった挙げ句に一部の地域では国内で多く作られる麦以外の作物を作ることも許されるようになったという。まあ、ほんの幼子だったサーフェイの言葉がどうこうと言うより、王宮魔導師長の伯父から聞いたことを宰相が取り上げたのが発端らしい。
この宰相という人物も長らく国を盛り立ててきた傑物だ。年は既にこの世界の平均寿命を越え、その地位についてからも長い。ちらちらと伝え聞く噂では、謹厳実直ながら進取の気性も豊かで、伝統を守りながら新しいことを取り入れるにも躊躇いのない人物だという。
「祖父から、サーフェイ導師に礼を言うよう頼まれました。教えてもらった魚の処理の仕方が、ずいぶん評判だそうです」
「……それは、良かった。では余剰をそうして加工されれば、魚の捕れない時期にも間に合いますね」
ヴェルディア領はいざ知らず、他の漁港では穫れすぎた品を加工することはあるようだ。ただ、あまり量はないしあくまでついで、という格好。ただごく一部で沖漬けにする技術を使っている地方があってそこで作っている魚醤を見つけたのがサーフェイにとっては大きかった。癖の強いそれを、「他のものでは出来ないでしょうか」と言い出して豆で作らせ、醤油っぽいものを作ることに成功している。
この醤油も、まだまだ完成にはほど遠いのだがアダティスに渡したものが王宮の料理長にまで届いたらしく問い合わせが来た。作っている村やその製法を紹介し、出来れば広めたいと考えていることを伝えてある。
醤油の材料である大豆に似た豆は、この国ではあまり一般的な食材ではない。けれど痩せた土地でもある程度の収穫は見込め、殻は牛馬の飼料にも出来るし或いは麦藁程度の燃料にはなる。ただあまり食べ方に種類がなくて、煮ただけとか茹でて付け合わせるくらいのことしかされていなかったのだ。絞って油を取ることを始め、それで収穫が一気に増えた。
また、サーフェイはソルの協力の下、豆腐や油揚げをほぼ完成させている。まあ醤油が出来ても主食がパンでは今一つ合わせ難く、今のところは内輪で試食しているレベルだが。次は味噌か、納豆は厳しいよな、とか胸を躍らせている。これで米が出来ればもっと楽しみは広がる。一方チーズが出来るようになれば、パン食もまだまだ可能性は広がるだろう。それが、食いしん坊のサーフェイには何よりの楽しみだ。
「……サーフェイ導師は、本当に知識に優れた方ですね」
しみじみと慨嘆するエイメッドに面映ゆくなるのは、彼自身自分の原動力が何であるかをよく承知しているからだ。
「私は、単に食い意地が張っているんですよ。美味しいものを食べるためであれば、努力は惜しまないんです」
それはソルや、或いは伯父にもばれている話だ。同好の士であるソルはともかく、伯父には渋い顔をされるのだが他のことも頑張っているアピールもして何とか認めてもらっている。それに何のかの言っても伯父もサーフェイの開発した食料品については結構楽しんでいるし余得もあるらしい。それまで無かった薫製肉のベーコンやハム、ソーセージは今や王宮の食卓にも上るという。最初にそれを製造したソルの祖父の商会は国内でも有数のものに成長した。ただし、その製法は広く公開されていて他でも開発が進み、新しい味が生み出されている。それもサーフェイが頼み込んだことだ、独占せず広めてほしいと。
他で、どんな風に発展していくか楽しみにしている部分もあるし最初はともかく後はこの世界に任せたいという気持ちもある。
「今度、アンドレアス領の収穫を持ってこられるので試食会をするそうです。殿下やトパジェ殿も誘って来られるといいでしょう。是非、パルミナにも声を掛けてきてください」
「はい。……そういえば、パルミナは講義は出るようになりましたか」
「ええ、少しずつですが。……彼は元々能力がありますから、真面目にしていれば十分ですよ」
それに、本来の気性は真面目で勉強熱心なのだ。いろいろ思い悩むこともあるらしいが、勉学に打ち込み己を高めることに集中することで憂いが晴れれば良い、とも思っている。
「……サーフェイ導師、ありがとうございます」
「何が。礼を言われることをした覚えはないんですが」
真顔で頭を下げるエイメッドにサーフェイは(見えないのを承知で)わざとらしく目を丸くする。
「いろいろお気遣いいただいていると思いますので。……試食会には、いらっしゃいますか」
「あー……そうだな、行かせてもらいます。あまり食い意地の張ったことばかりしていては、魔導師長に叱られますがね」
ばれたら説教の一つもされるのだろうが。実際、サーフェイ個人としても試食は楽しみにしているのだ。
「えー、わざわざのおいで、ありがとうございます」
満面の笑みでソルが言う、その試食会当日。
調理設備のある部屋を借りて集まっているのはそのソルと材料提供のアンドレアス侯爵、張り切ってやってきたアダティスとその護衛であるトパジェ、エイメッド、パルミナ。下拵えには他の料理人の手も借りたが、現場に残っているのはソルとサーフェイだけだ。今日は『サーフェイ』としての参加なので魔導士のマントとフードもかぶったままだが、一応手伝いもするために普段のものよりずるずるしていない。いつもの格好では腕を伸ばした弾みで袖が焦げたりソースが付いたりしかねないのだ。
が、さすがに貴族の第一位である公爵位にある彼が直接料理を手伝う、と聞かされた他の人間がどよめく。
「ちょ、サーフェイ導師!?」
「いやあの、そこまでお気遣いいただくわけには」
ぎょっとしたようにアダティスが声を上げ、アンドレアス侯爵もさすがに表情をひきつらせる。
「自分が好きでやっていることですから気にしなくて結構ですよ」
実はこの場で、彼の家位は王子に次ぐ。しかもトパジェやエイメッドと違って当主代行でもある(一応彼の父親はまだ存命だ)。
さすがにどうかと思ったのか、ソルと同様平民であるパルミナがおそるおそる申し出る。
「あの、もし良ければ私がお手伝いさせていただきますが……」
「ああ、じゃあ『手伝って』もらえるかな。ソル一人に任せるのは気の毒だ」
「っていうか、自分でやりたいだけだろ!?」
しれっと応じるサーフェイにソルが遠慮なく突っ込んでくる。回りがそれを咎めるより先に、サーフェイは手元にあった木杓子でぽこんと彼の頭を叩いた。
「やかましい。……いいじゃないか、やりたかったんだ」
「もー、わがままなんだからー」
ソルとサーフェイの付き合いは長い。子どもの頃、サーフェイが前世の記憶を取り戻し掛けた頃からだ。その頃ソルの家は経営が傾いており、サーフェイの両親も些かこじれていて、自然に二人の子どもは互いの存在にすがった部分がある。その後ソルの家はサーフェイの知識を得て持ち直し、サーフェイの両親はどちらも助からなかったが、遺された彼をソルの祖父初めとする大人達が助けてくれた。今も本来サーフェイが管理すべきブリュー公爵領は、そちらから派遣された代官がみてくれている。
なので、付き合いは長いし気心も知れているが回りはさすがにちょっと驚いている様子。それにサーフェイは内心苦笑する。この反応をおおむね予想していて敢えてその振る舞いを許しているのは、さすがに彼等に自分を偽っているのは無理があると感じてきたこともある。
「始めようか。……ではアンドレアス侯爵、お願いしていた品はよろしいでしょうか」
「あ、ああここに」
口火を切ると年の功という奴か、真っ先に気を取り直した侯爵が準備していたものを取り出した。まだ籾が付いたまま、辛うじて乾燥だけ終わっている状態の米を確認し、サーフェイは頷く。
「確かに。……では、これをまず脱穀します」
この段階から始めるために、食堂の厨房ではなく設備のあるこの部屋を借りた。普段はあまり使われない調理設備だから、次に使うまでに清掃する余裕はある。ある程度散らかり汚れることを見越しての選択だ。
脱穀・精米後、研いで吸水は時間短縮の魔法を使う。その頃になるとアダティスもトパジェも興味津々で覗き込んできており、パルミナやエイメッドも一歩引いてはいても好奇心は隠せない。アンドレアス侯爵に至っては掛かる時間や状態、その他についていろいろ質問してはメモまで取っている始末。まあ彼の場合、生産者である領民にそれを説明する必要もあるのでいっそう熱心になっているわけだが。
「こんなもんかな。……じゃあ、火を入れます」
「このまま? 挽かないのか?」
サーフェイの言葉にトパジェが目を丸くする。それに軽く頷いてサーフェイは書き付けの束を広げた。
「古書から書き写してきたんですが、このまま食べられるそうです。普通の麦より水気の多い湿地帯で育つ、これは『米』という作物。粉にしてパンを作ることもできるらしいんですが、今回はとりあえずこのまま」
簡単に流して説明する間に、ソルが鍋を火にかけて準備を整える。
「最初は弱火。それから中火にして……」
前世でいうところの『初めチョロチョロ中パッパ、赤子泣いても蓋取るな』という奴だ。もちろんそのために蓋も重めにしてあるが吹き上げて粘る汁が吹き上がるのにどよめきが生まれる。
「だ、大丈夫なのか?」
「大丈夫です。でも殿下、触ると火傷しますから気をつけて」
独特の匂いも慣れない者には不審に思えるのだろう、微妙な顔をしている彼等に敢えてそれは触れずサーフェイはその間にソルと他のおかずも少しばかり用意した。先日、アダティスが実家から送られてきたという魚の干物を焼いておく。
「パルミナ、これの身を解しておいてくれませんか。骨を取ってくれればいいので」
「は、はい……」
こんがり焼けた魚の開きを皿ごと渡されてパルミナはさすがに困った様子だが、素直に骨を取り始める。しかし箸など当然無いので細いフォークでおっかなびっくりつついているから、解そうと思わなくてもそちらは出来そうだ。
「後は?」
「こっちは、どうかな。……殿下、先日の豆の醤を使いますが大丈夫ですね?」
「あ、ああ。他は何だ、魚と?」
「野菜もどうせなら、今までには無い食べ方を。癖があるので、お気に召さないものも少なからずあるかもしれませんが試してみてください」
豆腐と、胡瓜等の実野菜を塩で浅漬けにしたものや酢漬け。ソーセージと共に根菜を煮たもの。コンソメもそれっぽいものがなくてちょっと魔法で手順を省略しながら作ってみた。トマトも水煮にして瓶詰めにしたものをソースに使ってみたり、ベーコンを他の野菜とオムレツ風にしてみたりといろいろやってみる。
「そろそろいいかな」
テーブルに料理を並べたところで蒸気を吹き上げていた鍋も静かになっていることを確かめる。さて蓋を取ろうか、という辺りでいきなり。
「殿下、いるー?!」
よく通る高い声と同時に、部屋の扉が開かれた。先日もそんなことあったな、と思う間もなく風の塊が飛び込んできてテーブルが大きく傾く。
「うわっ!」
「ちょ!」
「だっ!」
咄嗟にサーフェイは鍋を支えた、一瞬大きく揺らいだそれがひっくり返りでもしたら彼やソルだけでなく見物している者達にも被害が及びかねない。もっともそこまで考えたわけではなく、殆ど反射的な行動だったのだが。
がしゃんがしゃん、と派手な音を立てて料理の皿が床に落ち、サーフェイのフードもまくれて外れる。
「あっつつ!」
もっとも本人は咄嗟に何の防御もなく鍋を押さえたおかげでそれを防ぐどころではなかったのだが。こちらも咄嗟にアダティスを守るように彼の前に立ったエイメッドとトパジェ、それに反射的に手を出したものの辛うじて手元の皿一つだけしか救えなかったパルミナが彼を見て揃ってぽかんとする。
「「「……フェイ?」」」
「フェイ、大丈夫か?!」
呆然としている彼等に対し、ソルが慌てて声をかけてくる。それはフードが外れていることを注意するつもりだったのかもしれないが、今のサーフェイはもうちょっと直接的な問題があって。
「……手ぇ火傷した」
「ちょ、ちょっと失礼」
それを聞いて皿を置いたパルミナがそのサーフェイの手を取る。両手を自分の手で包み込み、治癒の呪文を唱えるとひりつく痛みはすぐに収まって赤くなっていた皮膚も元の色を取り戻した。
「さすが神官位を修めただけのことはある、見事な腕だな」
「っ……そういう問題ではありませんよ!」
素直に感心するとパルミナも混乱したように声を荒げた。
「ちょ、ちょっと待て……え、フェイ? サーフェイ導師は……え、あれ?」
アダティスも結構混乱しているし、トパジェはきょときょとサーフェイとソルを見比べている。その問うような目線からそっぽを向いているソルはともかく、アンドレアス侯爵とエイメッドはどうしているのかと言えば。
「何事だ、ゴルディリア・エンハート」
「いきなり魔法を打つとは、襲撃と判断されても文句は言えまい」
扉のところで、立ち尽くすゴルディリアに二人揃って左右から剣を突きつけている。
それも無理はないだろう、この場合貴人(アダティス王子)がいるところへ、断りもなく押し入って魔法で攻撃を加えた訳だ。とてもではないが『悪気はない』で済ませられる問題ではない。護衛のエイメッドはもちろん、教師であって生徒の身を守ることも仕事のうちであるアンドレアス侯爵も看過できないに違いない。
「え、だってぇ。……みんないないから、どこにいるのかと思って探してたのよ?」
しかし当人だけは状況を理解していないのか何か勘違いしたままなのか、甘えた声で二人を見比べる。長い睫に縁取られたつぶらな瞳が瞬きして、どこか人形めいて愛らしい。
しかし二人の方は全く気配を緩めない。二人が使っているのはどちらも細身の長剣で、特にエイメッドが使うものは一般より長く、よく手入れされている。ぎら、と物騒な光を放つその切っ先を彼女の細い首に触れそうなところへ突きつけたまま、微動だにしない。
「己の成したことを考えろ。その程度で済まされると思うのか」
口調は堅く、冷ややかな中にもはっきりとした怒りの感情がある。しかしそれさえ、ゴルディリアには理解できないらしい。
「わざわざ探して来たのにー。そんな言い方ないと思うー」
ぷぅ、と頬を膨らませて言い募る様子は、状況さえ間違っていなければ大概の男は懐柔されそうな愛らしさだ。本人も自分の魅力をよく判っていてそれを十二分に発揮している、という風。
ただもちろんこの場は、そんな場合では全く無い。判っていないのもおそらくは当人のみだ。
「ゴルディリア。君の振る舞いにはもともと問題が多かったが、今回の行為は既に許される範囲を超えた。教師の名において、たった今から謹慎処分とする」
アンドレアス侯爵が剣を突きつけたままきっぱりと言い放ち、彼女の腕を掴んだ。
「えっ? 何、やだ、痛い!」
きょとん、としたゴルディリアはついで捻りあげられた腕の痛みに悲鳴を上げ、逃れようと身をよじるがその鼻先にエイメッドの剣が突きつけられて動きを制限する。その間にアンドレアス侯爵は、後ろ手に拘束した彼女に猿ぐつわを噛ませた。相手が魔道師であれば呪文一つで大規模攻撃を行うことも出来るのだから、これは必要な措置なのだ。だがしかし未だに自分のしたことに実感がないのか、彼女は怯えた目で何故誰かが助けてくれないのか、訴えかけるように少年達を見ている。
一つ、溜息を吐いてアダティスが一歩だけ踏み出した。
「……アンドレアス侯爵」
途端、ぱっとゴルディリアは表情を輝かせるが王子は彼女に目を向けず、静かに告げた。
「面倒をかけて済まない。……私の見る目がないために、迷惑を掛けたな」
「いえ、お気になさらず。……私はこれで外しますが、少し試食を残しておいていただけると有り難いですね」
「ああ、もちろん。……この場において、以降私がゴルディリア・エンハートを必要とすることはない。その旨、伝えておいてくれ」
「承りました。サーフェイ道師、後はお願いします」
「はい。……トパジェ、麻痺の術は使えるな? さすがに侯爵もあのまま運ぶのは大変だろうし、ちょっと手伝ってくれるか」
「あ、あーはいはい」
不意に振られてちょっと目を丸くしたトパジェはしかしすぐに心得てそちらに歩み寄った。むーむー呻きながら身をよじるゴルディリアに、呆れたような困ったような笑みを浮かべる。ゴルディリアは、常日頃から彼とは冗談も言い合うしちょっと内緒の話もする、普通の学友というよりずっと親密な存在だから自分を助けてくれる、と思ったのだろう。しかしすがるような目をしている彼女に、トパジェは淡々としたものだった。
「何だってあんな、無茶な真似をするのかな。殿下や俺達にだって庇えないレベルがあるんだって。それが判らない君だから、もうここにはいられないよ」
あくまで淡々と、いっそ優しく言って囁く呪文は彼女の動きを止める。凍ったように動かなくなった少女を軽々と担いで侯爵が出ていくと、トパジェはくるっと振り返って殊更に明るく言った。
「で、サーフェイ導師? 俺の魔道はどうでしょう、高得点?」
「悪くはないけど良くもないな。まだ目がきょろきょろ動いてたぞ」
それにあっさりと応じてサーフェイは手を洗った。
火傷は既にパルミナのおかげで癒えたし、ひっくり返った料理は取り戻せないにしてもせっかく炊いた白飯くらい美味しく食べたい。
「ちょっとおかずが無くなったが、まあこれだけでも食べてみるか」
こうなるとおにぎりだが、具も大したものがない。状況を見て取ったパルミナも床にまき散らされた料理を片づけ始めた。サーフェイもそれを手伝おうとしたが、彼にそれはいいですから、とソルの方へ行かされる。
せっかく手も洗ったことだし、死守した鍋の蓋を開けてみるとふわっ、と湯気が上る。
「おー。具合はどう?」
「ん、大丈夫だろう」
覗き込むサーフェイにソルも首を伸ばして尋ねてくる。それに頷いてサーフェイは用意してあった杓子を取った。スープを掬うためのものよりずっと浅くて平らな、このために作ってもらったものだ。それをちょっと湿らせ、中につやつやと炊けている米をほぐす。それをとりあえず一膳、椀に取った。
「……それ、が『米』か?」
「ええ。これ自体にはあまり味も付いていないので、ここは塩でいきましょうか」
興味津々で尋ねてくるアダティスにさらりと応じ、サーフェイはまだ熱いそれを掌で受けた。もちろん、ここで魔法を使わないでどうするというのか。掌に熱を遮る防護魔法を掛けているから熱くても火傷はしない、それでおにぎりを握る。
「導師、導師、俺もやるから」
「はいよー」
声を掛けながら両掌を差し出すソルにぴっと防護魔法を掛けてやれば、彼もさくさくおにぎりを握る。
いろいろ指示したり相談したりでソルもすっかり米の料理には慣れてきた。今まではサーフェイが個人的に栽培した僅かな米しかなかったが、これでアンドレアス領から入るようになれば、他の料理人達にも教えなくてはならないだろう。とはいえ、今はさほど凝ったものは出来ない。
醤油があるから焼おにぎりにした。焼きながら醤油を刷毛で塗っていくと、香ばしい香りが広がって少年達の誰かが(或いは誰もが)、ごく、と唾を飲む。
「はい、こんなところかな。……焼いたのも美味いけど、塩だけで握ったのもそれなりにいけると思いますよ」
言いながら自分でかぶりついた塩にぎりは、少しばかり水分が多い気はするが十分許容範囲だろう。
「どうぞ、また毒味はトパジェかな?」
大皿にこんもりと盛った塩にぎりを示して言うと、トパジェ本人は嬉しそうに手を出そうとしたがしかめつらしくエイメッドが割って入る。
「いや、いつもトパジェに矢面に立たせては悪い」
「いやいやいや、俺全然問題ないから!?」
「でもそうですね、いつもいつもトパジェ殿では割に合わないと言いますか」
「ちょ、パルミナまでこういう時に出てくる?」
思わぬ伏兵にますますうろたえるトパジェの珍しい様子に、笑いながらソルがもう一つの皿に盛った焼おにぎりを出してくる。
「ていうか、エイメッドもパルミナも食いたいんだろ、食べればいいじゃん?」
「誰でもいいからさっさと食ってくれ、でないと俺が食えないじゃないか!」
アダティスの声はほとんど悲鳴だ。その間に塩にぎりを平らげたサーフェイは焼おにぎりにも手を伸ばす。
「うん、こっちもまあ……もうちょっと焼いてもいいかな」
「この匂いこれ以上我慢できないって!」
その批評に今度はソルが悲鳴を上げる辺り、彼としても結構限界だったらしい。
しばらく、そうして彼等は食べる方に熱中した。十代終わりの青少年と言えば立派に食べ盛りだ。腹に溜まる炭水化物は、こういう少年達にはすごく受けがいいだろう。特に騎士として体を動かす鍛錬を欠かさないアダティスやエイメッドの食いつきがいい。どちらも行儀良く、けれどすさまじい早さで食べていく。ちなみにソルもだが、彼はちょっと行儀は悪い。それに比べればトパジェやパルミナはそれほどでもない。美味しいと喜んで食べている様子に嘘はないだろうが、そこまで食べないのは消費の差か。
「はー。いや美味いわ、これ」
「ひどく単純なものだと思いますが……けれど滋味がありますね」
「これは、先日の豆のソースでしょう。こんなに合うものなのですか」
三人の護衛の正直な感想に、アダティスも至極満足そうだ。
「うん、何というか……元気が出るな。腹に溜まるし……これ、薫製肉を塩胡椒で焼いたのと合わせたい……!」
「あっ! 殿下それ絶対美味いっ……」
その意見に思わず、とばかりにトパジェが声を上げる。パルミナやエイメッドも想像したのか、唾を飲みそうな表情だ。思わずサーフェイはソルと顔を見合わせる。
「まあ、確かに合うな」
「後あれ、サーフェイがやってた卵に火を通しきらないやつ。あれとベーコンとこのご飯も最強」
「実野菜の浅漬けも美味いんだぞ」
「……こ、今度作ってくれ、サーフェイ導師、ソル、頼む!」
二人の会話にまだまだ美味があることを察したアダティスの懇願は切羽詰まっていた。それにサーフェイは苦笑する。
「そうですね、機会さえあれば是非。アンドレアス侯爵にも、また温かいものを食べていただきたいですから」
途中で退席した彼のためにはもちろんおにぎりを残してある。冷めてもそれなりに美味しいとそれを確かめてほしいという気持ちもあった。
「……侯爵には、貧乏くじをお願いしてしまったが」
ふっと溜息を吐いてアダティスが口火を切る。彼の言わんとするところを察してサーフェイは軽く頷いた。
「埋め合わせはまたいずれ。……問題は、彼女のことだな」
「あの子もねぇ。……最初は、あそこまでのことはなかったと思うんだけど」
トパジェが苦笑混じりで首を傾げる。それにソルが反論した。
「いやでも、昔っから変な思いこみは激しかった。そんで妙に自信たっぷりに縁起でもない予言とかしたり」
「それ、当たってたか?」
サーフェイが口を挟むと彼は苦い顔で頷いた。
「結構当たってた。しかもろくでもない話、悪い予言ばっかりで……殿下達には悪いけど、あの、村を襲った魔物の群も本人は判ってたんじゃないかと思う」
躊躇いながら言うその言葉にアダティスは考え込み、トパジェとエイメッド、パルミナは視線を交わし合う。
「……ソルは、確か彼女と同じ村の出身だったのだな」
「ああ。ただあいつは……昔っからそんな調子で、同じ年頃の子どもなんか一緒に付き合えない、大人でも自分をちやほやする連中しか相手しない感じだったんだ」
ソルと同郷、ということはつまり彼女・ゴルディリアもサーフェイの領民と言うことになる。けれど彼女はそんな調子で諫めようとする自分の家族ともあまりいい関係を築いていなかったらしい。
サーフェイが彼女を認識したのは、彼女がアダティスによって見出されこの学園に通うようになってからだ。その大本も今ソルの言った、彼等の故郷を襲った魔物の群。
その出現はともかく、他の不吉な予言を当てたという彼女はひょっとしたら本当にサーフェイ同様の転生者なのかもしれない。
元のゲームでは、オープニングで幾度か災害が起こって人心が不安に揺れていたという描写がある。最終的に主人公はその国を覆う闇を祓う、救世の英雄として王子の隣に認められるのがトゥルーエンドなのだ。実を言えば本来アダティス王子には公爵家令嬢の許嫁がおり、彼女は主人公が王子と親しくなることに嫉妬して喧嘩を売ったり嫌がらせをしたりして余計に王子の不興を買う。
この世界でも王子の許嫁は実は同じ学園に在籍しているのだが、王子とは普通に友人でいちゃいちゃするわけではないが仲は悪くない。ゴルディリアを連れてきた当初は若干悶着もあったらしいのだが、一応は落ち着いた、というのが学園の噂だ。むしろアダティスは彼女に、ゴルディリアが学園にとけ込めるよう指導してやってほしいと頼んだそうなのだが当のゴルディリア本人がそれを激しく嫌がった。余りに拒絶が激しいので公爵令嬢達もたじろいで、彼女とはすっかり距離を置いている。そして肝心のアダティスとゴルディリアも、その許嫁が嫉妬するほど親しくなりきらなかった。
公爵令嬢達は女生徒達のトップに立つ少女だ。普段は在学生の中でもっとも位の高いアダティスを立て、引いた位置で令嬢や家の位を持たない少女達をまとめている。思い上がった貴族の子弟が、庶民の少女に難癖を付けたりしないよう保護することも己が仕事と弁えているようなしっかり者達だ。
複数で語られる通り、実はその公爵令嬢は二人いる。正確には片方が公爵家の長女、もう一人は彼女の従姉妹で子爵家の一人娘。この子爵家は当代公爵の弟が功績を挙げて賜った家名で、一代限りの予定なので彼女は彼女で嫁ぎ先を必要としており、やはりゴルディリアを虐めるルートもあった。
が、少なくともこの学園内での従姉妹達は成績優秀、家柄も良く身を守る程度の武術や魔道も身につけ、気位は高いが下の者達の面倒見も良く真面目で努力家であると評判も高い。サーフェイも教師として知ってはいるが、その評判は概ね正しいと思う。
ただ、そのどちらもアダティスには好意を抱いていても恋愛感情まで育っていない気もする。どちらにしても政略結婚、そうした感情は不要といえば不要だが。
「……いずれにしても、今度のことでゴルディリア・エンハートは学園を去ることになるかもしれません。あの魔力の大きさは惜しいけれど、本人が使えないのでは如何ともしがたい」
サーフェイがかなり確率の高い可能性について語れば、アダティスは微妙な表情で頷いた。
「ああ。それはもう仕方がないと思う。……そもそも、俺がここへ連れてこなければ良かったのかもしれないが」
「それは言っても始まりませんよ」
「殿下は、するべきことをなさっただけです」
彼の苦悩を、トパジェは実にあっさりとそしてエイメッドは生真面目にいなす。二人はこの学園に入る前から彼に付き従っていて、ゴルディリアを見出したときもその場にいた。その持つ力に驚嘆し、それを国のために生かすべきと考えたのは彼等も同じだろう。
ゲームでもそれは確か変わらなかった。違っていたのは、学園に編入してからのゴルディリアの一途な頑張りが彼等の義務的な態度を崩し、感情を動かして恋する青少年に堕ちること。
どうもその辺を考えるに、やっぱりこの学園内の出来事についてもある程度知識があってやっていた、つまりは彼女もまたこの『世界』の知識を持つ転生者だったのではないかと思わずにいられない。