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3.抱きしめてみた。

 私には赤ん坊の頃から前世の記憶がある。

 ここではない世界に生きていた、日本人の女だった。一般家庭に育って、社会人二年目に大学時代からお付き合いしていた圭介さんと結婚して、子供を産んだ。それが勇者様――悠くんだ。

 悠くんが三歳の誕生日を迎える前に私は病気で死んでしまったけれど、今こうしてあの子の前に座っている。二十歳になった悠くんと、二十五歳の私。年齢のズレは、こちらとあちらの時間のズレのせいなのかな。ぶっちゃけ年上でよかった。気分的な問題だけど、我が子より年下よりは年上の方が安心する。


「……かあ、さん……?」


 呆然と呟く悠くんの言葉に、夫が立ち上がって私を睨みつけた。おお、眉間のしわがすごいよ。


「アナベル」


 地をはうような低い声に、悠くんがビクッとする。もう、怖がらせないであげてよ。夫が怒ってる原因は私だけれども。


「あら旦那様、怖いお顔ですわ。どうぞおかけになって?」

「説明しろ」


 怒りが増してしまった。まぁ仕方ないか。だって愛されてる自信あるし、勇者様が母さんと言ったらそりゃあ嫉妬するわ。

 しかも和食を作ってみたり、お箸を使ってみたり、前世とか頭のおかしいこと言って全く違う名前を名乗ってみたりするんだから、意味がわからない夫は余計にご立腹だろう。


「簡単なことですわ。わたくしには前世の記憶があるというだけのことです。かつては相模悠子という名で、目の前にいらっしゃる勇者様を産みました。この料理も相模悠子として記憶していたものです」

「――産んだ?」


 やっぱ真っ先に反応するのそこだよね。愛されててうれしい。


「ええ、相模圭介という方と結婚して、この子を産みました。悠くんが三歳になる前に私は死んでしまったのでどう成長したのかは知らなかったのですが、顔立ちが圭介さんにそっくりですぐにわかりましたわ」


 驚いている悠くんの頬が赤くなっている。顔立ちも、表情も、本当に圭介さんにそっくりだ。懐かしくて愛しくて、そして何よりもあの小さな子が成人している姿を見れることが幸せでたまらない。


「圭介さんは、ちゃんと再婚しましたか?」

「え……、あの、えーっと、その、…………はい。俺が小学生の頃に」


 気まずそうにキョロキョロと視線を彷徨わせた悠くんは、小さな声で肯定した。その気遣いも、正直さも、ありがたい。


「そう、よかった」


 本当によかった。死んだ妻を想ってくれることはうれしいけど、生きている圭介さんは新しい恋をして新しい家族を築いてほしいとずっと思っていた。悠くんにも、母親を与えてほしかった。だから、少し切ないけれどとってもうれしい。


「わたくしはアナベルとしてこうやって結婚し、愛する人と幸せに暮らしているのに、圭介さんがずっと過去に取り残されていたらと思うと胸が痛かったんです」


 さり気なく夫にもフォローを入れてみた。私は夫を愛しているし、幸せだよという地味な主張だ。でもこれは大事な主張だよね。うん。

 立ち上がってこっちを睨んでいた夫も、一応椅子に座りなおしてくれたし、少しは機嫌を直してくれたんだろう。ちゃんとしたフォローは二人きりになってからしよう。


「ねぇ旦那様。どうして前世の記憶を持つ私と関わりのある方が召喚されたと思いますか?」


 次は夫に質問を投げてみる。表情が、嫉妬モードからお仕事モードにチェンジした。言われると気になる事項だったんだろう。


「……お前が召喚の目印だったのか?」

「わたくしがこちらに転生したからその子どもである彼が勇者として召喚されたのか、勇者の素質ある子を召喚するために母であった女がこちらの世界に転生したのか、どちらが先かはわかりませんけど、どちらにせよ前世の記憶を持っているのは、この召喚のためだったのだと思います」


 それに気がついたのは、勇者様が召喚されてその名前を聞いてお顔を拝見した後だけどね。かつての我が子と同じ名前で、圭介さんそっくりの顔立ちとくれば、ほぼ本人だと予想できた。

 そうなると、なぜ私が異世界の前世の記憶を持っているのかという幼い頃からの疑問も、おおよそわかった。卵が先かにわとりが先かって感じだけどさ。

 過去にも勇者様が召喚された記録はあるし、その時も私のような転生者がいたんじゃないかな。今回だけってことはないだろう。夫の話では、召喚魔法は失敗に終わっている記録のほうが多くて、今回の成功は二百年ぶりだったらしい。成功の条件は、私のような転生者の有無だろうね。推測でしかないけどさ。


「……えっと、あの、前世とか転生とか信じられないけど、でも俺がこうやって召喚されて勇者とかになってるし、あれなんだけど、だからその、なんていうか」


 赤い顔で、悠くんがもごもごと訴えてくる。かわいいなぁ。二十歳なのにこんなにかわいくていいのだろうか。それとかわいく見えるのは親の欲目なんだろうか。

 ってか、前世とか転生とかフツーは信じられないよね。夫がなんか納得しちゃってるのは、彼が魔術士でだからだろうけど、あっちの世界には魔法なんてないしさ。


「母さんに会えて、うれしい、です」


 きゅんとした。胸がいっぱいでうるっときちゃったよ。

 実際に召喚とか勇者とか魔王討伐とかに巻き込まれた悠くんは、普通は信じられないことも受け入れてくれて、私に会えたことをうれしいと言ってくれる。なんて幸せなんだ。


「私も二十歳になった悠くんに会えて、とってもうれしいよ。成人おめでとう。立派になったね」


 だから、アナベルとしてではなく、相模悠子として言葉を紡ぐ。あんなに小さかった我が子が、こんなわけのわからない世界に召喚されて勇者を押し付けられても、立派に役目を果たすほど精神的にも強く成長したことが誇らしい。

 立ち上がって歩み寄ると、座ったままの悠くんを抱きしめる。背後から殺気を感じたけどスルーして、ぎゅっとする。

 悠くんは突然の抱擁に驚いたのと、誰かさんの殺気にビビったせいでしばらくためらったようだけど、最終的には私を抱きしめ返してくれた。うれしい。


「悠くんと圭介さんを残して死んで、ごめんなさい。ずっと、気になっていたの。幸せを祈っていたわ」


 赤ん坊の頃から記憶があったということは、愛する人は圭介さんで、慈しむ子は悠くんだった。会いたくて、会えないことが苦しくて、小さい頃はよく泣いていた。今だって、夢を見ては泣いてしまうことがある。

 大事で愛しい記憶。でもやっぱり、それは相模悠子のもので、アナベルのものじゃない。その記憶をベースに私の精神は構築されたけど、違う自我であることも確かだ。

 私が私になれたのは、実はいま背後で殺気を放っている夫に出会ったからだ。親同士の都合で幼い頃に婚約者になったことは相模悠子としては複雑だったけど、アナベルとしては素晴らしいことだった。

 目つきも愛想も悪い彼を、私は慕っていたんだよね。前世の記憶は今でこそ消化して大事に愛でることができるけど、幼い私には辛くて辛くて、でも大事で、苦しかった。なのに彼の傍にいたら安らげた。アナベルと呼ぶ彼の声が、まだ幼く未熟だったアナベルの自我を強くしてくれた。相模悠子としての記憶に引きづられることなく、それを包み込んでアナベルという自我を育てることができた。そのことを、彼は知らないだろう。

 どうして彼にそんなことができたのかといえば、答えは簡単だ。幼い私はよく家に遊びに来るおじ様が連れてきた息子さんに「私の中に私以外の人がいて怖いの」ってこぼしたら、「それもアナベルだ。受け入れろ」って答えてくれたからだ。

 ってか、あの時の私は五歳だったし、彼だって八歳だった。なのになんて会話をしていたのだろうか。私が彼に泣き言を漏らしたのは、目つきも愛想も悪い彼が意外と年下の私の面倒を見てくれた優しい人だと認識していたのと、彼も私も子どもだから、意味不明なことを言っても子どもの戯言ですむと思ったからだ。

 誰にも前世の記憶を話せず、自分の中に別の人格がある事実がたまらなく怖かった私は、弱音を吐きたかった。本当に、ただれだけのことで、慰めは期待していなかった。

 なのに彼は「それもアナベルだ。受け入れろ」と真面目な顔で言ってくれたんだ。そして、頭を撫でてくれた。

 まぁ、もちろん彼が私の言葉の意味をわかっていたわけじゃない。ちょうど私には弟が産まれて両親や使用人達の関心がそっちに向いていた時期だったから、弟にみんなを取られて嫉妬している気持ちが「私の中に私以外の人がいる」という意味だと思ったらしい。嫉妬っていう感情を知らない子どもが、それを知って戸惑っているって感じたんだって。そこまで気が回った八歳児がすごい。

 ともかく、彼の認識は大きくずれてはいたけれど、その言葉は私に響いた。相模悠子は私で、そのうえで私はアナベルなんだと理解した。あの時は「それもお前だ」じゃなくて、「それもアナベルだ」と名前を呼んでくれたのがよかった。主はアナベルなんだと思えたのは、そこが大きい。

 そんなわけで、彼は無自覚に私の人格を安定させた。彼の傍にいると安心できたし、名前を呼ばれると私はアナベルだと実感できた。慕う気持ちが恋に変わるのは、そう時間はかからなかったよ。

 私は――、アナベルは恋をした。相模悠子がどんなに圭介さんを愛していても、会いたいと願っていても、私は彼が好きだ。

 だからこそ、私は圭介さんの幸せを願った。相模悠子はアナベルとして幸せに暮らしているのだから、どうかあなたも新しい出会いをして恋をして、幸せに過ごしてと祈った。それはもちろん、残してきた我が子にも言えることだ。


「長い」


 いきなり腕を掴まれて後ろに引かれた。振り向く前に背後からぎゅっと抱きしめられている。

 悠くんと抱き合っていたのをしばらく我慢していたらしい夫は、ついに限界が来て無理やり引き剥がしにかかったらしい。悠くん苦笑してるじゃん。我が子の前で抱きしめられている図はちょっと恥ずかしいよ。


「母さんは幸せなんですね」

「ええ、とても」


 柔らかく笑った悠くんが、懐かしい圭介さんとの笑顔に重なった。


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