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怪奇掌編

作者:

 

 これは、わたしの先輩から聞いたお話です。

 まだ中学生だったころの先輩が、夏休みに、友達と一緒に近くのショッピングモールへと出かけました。その時、身も凍るほどの恐ろしい体験をしたというのです。



 そのショッピングモールは、カタカナのニの字のような形をしたニ階建ての細長い造りをしています。モールの中には、たくさんのお店が入っています。

 ほぼ東西に伸びた建物の中心部に広場のような場所があって、そこでは、週末になると何かしらのイベントが催されていました。ミュージシャンによる生演奏の時もありましたし、マジシャンのマジックショーの時もありました。また、芸人を招いたお笑いライブが開かれることもありましたし、有志を募ったフリーマーケットが開かれることもありました。

 わたしもイベントに行ったことがあるのですが、楽しい思い出とともに、かなりのにぎわいを見せていたと記憶しています。

 夏休み期間中だったとはいえ、先輩達がモールに行ったのは平日であったために、その日、イベントは行われていませんでした。ですが、学校が夏休みのただ中ということもあり、家族連れや友達同志など、大勢の人達でにぎわっていたそうです。

 広場のすぐとなりには、大きな階段が一つ、ニ階に向かって伸びています。階段を昇り切って通路を少し歩くと、そこにはアイスクリームのチェーン店が一つ入っていました。

 その日先輩達は、他のいくつかのお店を見てまわった後で、二階のアイスクリーム店に入り、少しの休憩を取ろうとしているところでした。

 なにげないおしゃべりをしながら、楽しく歩いていた先輩達が広場へとさしかかったときのことでした。先輩達の行く先、広場のほぼ中央あたりに、一人の女の人が立っていたのでそうです。長い黒髪にすっぽりと顔を覆い隠した女性でした。まだ遠くからでしたが、すぐに気付いたのだそうです。髪に隠れて顔は見えませんでしたが、それは確かに女性だったといいます。

 なぜ、まだ顔を見ることができなかったにもかかわらず、女性と思ったかというと、それはその人の服装にありました。純白のワンピースを着て、いかにも女性らしい質感の白い手足をしていたからでした。頭の上には、さほど大きさのない麦藁帽子のようなものをかぶっていたそうです。

 表面に露出した透き通るような白い肌が、夏の強い日差しを浴びて、どこかしら異常にきらめいていました。黒曜石にも似た深みを宿す黒髪には神秘的な奥行きがあって、しっとりと雨に濡れたかのようにした光の沢があります。

 ですが……。それらを差し引いてあまりあるほどに奇異だった点が一つありました。

 遠目から既にはっきりしていたことなのですが、その女性の身長が異様に高かったのです。

 にわかには信じがたいことなのですが、その背丈はニメートルを軽く超え、ひょっとしたら三メートルに届く程もあったのではないかというのです。一般的に見られるような、いわゆる背の高い女性とは次元が異なっていました。

 先輩達とその女性との距離が縮まり、先輩達の視界に入るその人の影は、尋常ではない大きさであったかのように思われます。

 ですが……。その時先輩は、決して、あってはならない光景を目の当たりにするのです。女性の影が無かったのでした。

 広場には、モールの建物が造り出す影は、さし込んでいませんでした。その人の影は見えるはずなのです。人であれ物であれ、その場所に存在するならば影ができるはずだったのです。しかし、それがありません。照りつける太陽の下、いったいどのような人が、自分の影を造らずにいられるでしょうか? いえ、それは既に、人とは言えなかったのかもしれませんが、ただもちろんのこと物でもないでしょう……。先輩の言葉では、生々しかったのだそうです。

 その事実に気付いた先輩は、しかしさらにおかしな点を発見していました。どうもその人のことを見えているのが、先輩と友達の二人だけのようなのです。きわめて不可解なことなのですが、周りに居るたくさんの人達は、女の人の存在を気にもとめることなく、その場所を自然に通り過ぎて行ったというのです。

 先輩達は驚き、そして戸惑っていました。

「何あの人……。ヤバくない……?」

「なんか誰も気づいてないよ……」

 と、女の人から顔をそむけるようにして、ささやきあいます。道行く他の人達は、女の人の異様な出で立ちにまるで無関心に、それぞれ広場を通って行ったのです。

 真夏の熱い日差しがさんさんと照りつける中、先輩達は、まるで自分達が凍えてしまうかのような寒気に襲われていました。

 ――ヤバイ。本当にヤバイ!

 まるで周囲の雑音が遠のいていくような錯覚すら生じてくるようで、先輩達は、その場でぴたりと足を止め立ちすくんでしまったのです。

 すると、その時を見計らったかのように、それまで横を向いていた状態だったその人が、ゆらりと上体をゆらしたといいます。何やらゆっくりと体の向きを変え、先輩達に正面から向かい合おうとしていました。

 ありふれた日常であったはずの時間の中に、それとは何もかも異質な女性がすぐそばで立っています。先輩達の様子をうかがっている気配なのです。

 先輩の胸の内は、悪い夢を見ているとしか言いようのない思いで満たされていきました。

 ――なんなのこれは! 夢なら早くさめて!

 ですが、これは夢ではなかったのです。また幻でもありません。また、お話の世界でもありません。これは間違いなく現実世界の出来事でした。

 二人きりの先輩達は、息を押し殺して立ちつくします。周囲の雑音を押しのけ、何か得体の知れない静寂が、体に迫ってくるようでした。横を向いていた時には髪でおおい隠されていた女の人の顔というのが、初めてかいま見えました。

 齢は十六、七歳くらいでしょうか。それほど先輩達と差があるようには見えなかったといいます。ただその顔が視界に入った瞬間に、先輩は、何か体の臓器がねじれてしまうかのような感覚にとらわれたのだそうです。

 目の前に立つその異様な少女は、まるで昔話に聞いた吹雪の女王が化身でもしたかのような、凍てつくほどの白い肌をしていました。先輩の耳には、どこか遠くの方で吹き鳴らされる、悪魔の笛の音が聞こえてくるかのようでした。そこには、ひどく背の高い、そして恐いほど美しい少女が立っていたのです。

 先輩は、瞬く間に残酷な甘美をくちびるで噛み締めることになったのでした。体じゅうを走り抜ける震えが、どうにも止まってくれないのです。刻一刻と時間は過ぎているはずなのに、その感覚すら凍りついていくようでした。

 先輩達は、ただじっと立ちつくしています。それを知ってか知らずか、少し距離を置いて立っていた少女が、恐ろしいことに先輩達へと話しかけてきたのでした。

「……い」

 真鍮の鈴をころがしたかのような音が響きました。それはまぎれもなく少女のもたらした音だったのですが、何を意味する言葉であるのか聞き取れません。怯える先輩達の耳がよく捉えることができないのです。

 はるかにそびえ立つ少女は、ゆっくりと、静かに、あまりにも冷徹な足どりで先輩達に歩み寄ってきました。

「……お……だ……」

 美しいとしか形容しようのない彼女の唇には、なんら動き見えませんでした。にもかかわらず、まるで頭に直接入り込んでくるかのようにして声は聞こえてくるのです。ひどく心を掻き乱す音調に委ねられながら。

 危険ないざないに抵抗するようにして、先輩は自分の心の均衡を保つ位置に、なんとか踏みとどまろうとしています。少女の言葉の断片はまだ抜け落ちています。意味はわかりません。

 すると少女は、さらに自分のつま先を、音楽を奏でるようにして前に進めました。ついに、固まっている先輩達のすぐ目の前まで迫ってきたのでした。

 それは突然の叫びでした。

「×××をちょうぉ、だぁい!」

 蛇のようにまがまがしくその黒髪を振り乱し、死んだ魚のような目をむき出しにしながら、少女は吠えたのです。

 いえ、実は少女は叫んでなどいなかったのです。ただそれまでと同じように、美しく、そしてとてつもなく長い体をそこに立たせていただけなのです。

 しかし……。その時、先輩には見えてしまったのだそうです。その少女の奥底に隠れされた姿というものを。突如として、先輩の心は、恐怖とともに深い悲しみに支配されていきました。

 友達も同じ気持ちになっていたのかもしれず、先輩達はすぐにその場から走り去りたかったはずなのですが、なぜか足が動こうとしませんでした。先輩はもうおもいっきり泣きたくなっていました。

 ――なんなの×××って!

 少女の秘められた姿が、頭の中では、はっきりと映し出されています。しかし、言葉の一部分はまだ聞き取ることができません。

 すると、いきなりのことでした。少女が今まで以上に激しく喉を震わせながら叫んだのです。

「あああぁ、だめぇ、だめなのぉ! もぅお遅おいぃい!」

 見れば、少女の体が自らの黒髪によってぎゅるっと縛られ始めていました。長く美しかった黒髪が、ぬらぬらとした不気味な勢いで伸びていきます。まるで彼女の体をむしばんでいくようにして、その周囲へと巻きついていったのです。

 白いワンピースと白い手足が、みるみるうちに黒い生き物のような動きを見せる髪の毛に飲み込まれていきました。目の前の先輩達は、ひたすら震えながら、お互いの体を抱いていました。そうしているあいだにも、うねうねとうごめく黒い髪の毛に覆われ尽くされた少女の体は、黒くて、やけに長い袋のようなものになっていきます。そしてその袋状のものが、上空に向かって、少しずつ伸び上がっていったのです。

 伸びるにつれて、長大なその袋はぎゅんぎゅんと細くなっていきました。そうして最後には、長い一本の糸になってしまったのです。

 その様子にくぎ付けになりながら、先輩達は何も言葉を出せないだけでなく、もはや頭の中がまるっきり真っ白になっていました。その糸は、風に揺られる火の粉のごとくに宙を泳ぎます。そして、薄れていくかのようにして空へと溶けこんでいったというのです。

 その時になり、初めて先輩達の体は自由を取り戻すことができました。そして二人は、わき目もふらずに、その場から駆け出したのです。その後はもう、ただ一目散にショッピングモールから逃げ出したのだそうです。

 先輩達が見たものとは、いったいなんだったのでしょうか?

 ×××とはいったい……。

 そして、彼女に魅せられてしまったのは、はたして……。

 誰なのでしょう?




 八尺様トリビュート作品です。何か著作権法上の問題がありましたら、すぐに削除いたします。


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[一言]  お邪魔致します、山先生。「糸」拝読いたしました。文章の隙間からじわじわと染み出す、ホラー特有の粘ついた表現、楽しませて頂きました。また、全てを語らない物語の隙間も絶妙です。  先輩達と怪異…
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