エターナる・リーズン
2012/12/24
エタるな、と人は言う。
ネットという場に出したなら、自分の作品は完結させろ、と言う。それが作者の責任だと。
それが間違っているとは言わない。
けれど、そう言う人たちは、作者に熱を与える言葉をかけたのだろうか。
そして誰からも──読者からも、そして作者からすらも──求められない物語は、存在する意義があるのだろうか。
エタる理由には、作者が亡くなってしまう場合をのぞいて、大きく二種類に分けられると思っている。
一つは作者がキャラや物語を愛しすぎて、そのキャラたちと別れたくないと思っている場合。覚めない楽しい夢を見ていたい、そんな願望を持ってしまうこと自体は責める気はない。実際に身近でやられたら、三日目くらいに蹴り起こす所存だが。
もう一つは、作者が物語に飽きてしまう場合だ。
仕事が忙しい。本人や家人が倒れてしまった。為さねばならないことは生きている以上たくさんある。
でもそれは、ある意味で言い訳だ。
結局は、書きたい衝動が、熱が、それらを上回ることができなかったということだから。
まあ他の人のことについては本当のところは分からないので、僕自身について記そう。
僕は「小説を」書くという行為は、本質的にあまり好きではない。自分の意思の表明として書くということ自体はさほど嫌いではないからこういうものを書いているけれど、基本的には読者だと思う。「こういう話が読みたいなでも無いな仕方ない書くかー」という感じだ。妄想と小説は違う。妄想は一人でやってればいいけれど、小説は他人に読ませるためのものだから、気を使わなければいけない。
怠惰な僕は、それが実のところ、すごく、煩わしい。
また怠惰だけじゃなくて、下手な物を晒したくないと言うプライドと、誉められたい承認欲求がからんだものだから、その思考自体がもう面倒だ。
そして「撃墜法」の方を見た人はなんとなく分かるだろうけれど、僕が読みたい部分はあの程度なんだ。全体の数%にすぎない。読みたいわけではないけれど必要と思われる部分をちまちまねりねりと書いていくのは、わりと苦行だ。
あ、未読の方は三千文字程度なので試しにどうぞ。一話だけだけど、どういう話かはある程度分かると思う。どういうことかはその目でご覧あれ。
そして最大の問題なんだけれど、僕にとって結末が分かっている物語はつまらない。一番楽しいのは、流れを考えている時だ。ある程度の結末が見えないと書き始めないけれど、その段階でもうある程度冷めてしまっている。
だからモチベーションを上げるものは、読んだ人の反応だけだ。
そして僕にとっての反応は、感想だけだ。
なんか面白そうだからとりあえずつけておくか、という人がいると知ったからお気に入りは信じなくなった。増やしていくにつれて下がっていって、いずれ忘れ去られてしまう。残っているのは単に消し忘れにすぎない。僕は本当に続きが読みたい物は、忘れないから。忘れられるなら、その程度のものだったということだろう。
アクセス数など幻想だ。トップページをを開いただけでカウントされる。中身を読んでいなくても。ユニアクが200件行っても、実際に読んでいる人は最大で40人程度だったとあったから、アクセス解析はそれ以降見なくなった。
評価ポイントは見ていない。気にしないんじゃない、気にし過ぎるから精神的に良くないと判断した。そもそも見た人全員が評価をするわけじゃないと理解していても、上を見たらきりがない。下を見ても意味がない。そして、いつつけていただいたのか分からないから、ここ二話のひどさに見切りをつけて去って行かれただけかもしれない。
だから野望の小説情報はかたくなに目に入れてない。
僕は数字を信じられない。
でも、感想は違う。続きを読みたいと書いてもらえたら、そこまでは読んでくれたのだと、この物語は望まれているのだと、確かに思える。わざわざ時間と手間をかけて文章を書いてくれたのだ、本当にありがたい方たちだ。
だから僕にとっての読者様は感想を書いてくださった人だ。その他の人は、ただ読んだ人に過ぎない。
読者様に望まれるなら嬉しい。だから応えたい。欲されるなら、僕にできる限りのものを差し出そうと思う。
でも、欲しがられないなら、そんなものに価値は無い。
作り手本人がどれほど一生懸命になって、いいものを作ったつもりでも、所詮は自己満足に過ぎない。それに価値を見出すのは、結局は他人だ。
無価値なものを放り出すことが、悪いことだとは思えない。
作品を上げるときは、いつも不安だ。「こうしたら面白い」と思って書いていても、何度も読み返していると、だんだん面白くなくなってきてしまうから、どんどん自信がなくなっていく。どうか受け入れてもらえますように、と祈るように送信実行ボタンを押している書き手は、僕だけではないと思うんだ。
だからあなたがエタるなと言うのなら、書き手に熱を与えてほしい。それを怠るなら、エタるなと言う資格は無い。
さて、言い訳はこれで全部だ。全く見苦しいな。
どう言い繕ってもこれは言い訳なんだ。やらない理由にはなるかもしれないけれど、それを正当化するにはいたらない。
価値をつけるのは他人だけれど、それを生み出すのは本人だ。センスでどうにかなる人もいるけれども(そして僕はそれがすごく妬ましいのだけれど)、そうじゃない人は努力するしかない。それを投げ出す輩が、価値をつけてくれと叫んだところで笑いぐさだろう。
だから、もう少し。頑張ってみようと、思う。