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世界は色彩に満ちていた

作者: かめ
掲載日:2026/03/11

初投稿です。

よくある婚約破棄から始まる物語。

『よく覚えておきなさい。次は貴女が行う番なのですから』


そう言われた時から、わたくしの世界は色を失った。




エリニュス男爵令嬢テュシアー。今この時をもってそなたとの婚約を破棄する」


王太子ロクシアスの宣言は表面上厳かに行われた。実際は手に掲げた婚約無効証書の文面を読み上げるだけの、極めて雑なものであったのだが。


「……」

突然の婚約破棄を言い渡された当事者であるテュシアーは、受け取った証書の文字を一文字ずつしっかりと確認した。


闇を切り取ったような黒髪は一筋の後れ毛もないほど固くまとめられ、少女らしい可憐さとは程遠い。

口元はいつも固く結ばれ、彼女の笑顔を見たものは誰もいない。

半眼がちの細い目はいつも誰かを睨みつけているかのようで、相対した人に言いようのない不快感を催させる。


テュシアーは幼少時に王太子の婚約者として選ばれ、以来王宮で教育を受けながら生活してきた。

しかし、肝心の王太子との交流はうまくいかず、王太子は「地味で陰気」な婚約者のことを嫌い、他の令嬢を公然の恋人として扱っていた。

今も王太子の隣には豪奢な金髪を結い上げた美少女が勝者の笑みを浮かべて寄り添っている。


やはり、という声がそこかしこでざわめきとなって波のように広間に満ちる。

王太子がこの婚約者の事を疎んじているのは周知の事実であったのだから。


王太子が続けた。

今度は棒読みではない。王太子自身の言葉で。


「そもそも王国唯一の後継、王太子たる私の婚約者が男爵令嬢というのがおかしかったのだ。しかも両親も亡く、次代の王となる私の何の後ろ盾にもなりはしない。国益の為、自ら身を引くべきであったのだ。それを利己的な我儘でここまで引きずり続けた。恥というものがあればこの場に立つことすら辞退するであろうよ」


テュシアーは静かに、一言も反論せずに立っていた。

その姿が、ロクシアスの苛立ちを煽る。


「大体なんだ、その格好は!ここは葬儀場ではないのだぞ!

いつもいつも、辛気臭い真っ黒なドレス!母上の真似か!?生憎だが高潔な母上と違ってお前ごときが『黒の貴婦人』になどなれるわけもなかろう」


テュシアーはいつも黒衣を纏っている。

王太子の婚約者として王宮に上がった時から13年間、1日も欠かさず。

それは王太子の母、即ち王妃もそうであったからこの宮廷においてマナー違反とは言えなかった。

むしろ、王族に嫁した女性のみが纏うことができる色とも言われている。

何者にも染まらない強い意志こそが国の母の証しであると。


しかし王太子にとっては、代わり映えのしない面白みのない衣装だとしか映らなかった。

彼は母の事も内心では嫌っている。

テュシアーを貶める為に持ち上げたようにしているだけだ。

むしろ、自分に関心を持たない冷たい母への嫌悪を婚約者に対してぶつけているとも言える。


「私はカリス侯爵家のアグライアを妃に迎える!異論のあるものは申し出よ!」

王太子の声に応えたのは盛大な拍手の嵐。そしてあからさまな嘲笑。


「やはりテュシアー様が次期王妃というのは……ねぇ?」

「黒衣はともかく、あのように陰気では国交もこなせまい。いくら有能であっても」

「アグライア様なら由緒正しいお血筋。やはり国の母となるお方ですもの。わたくし達貴族がが尊敬できるお方でなくては」


ざわざわと無遠慮に囁かれる侮蔑の声にもテュシアーは動じなかった。

ただ、ぼそっと一言。


「……アグライア様はそれでよろしいのですか。ご家族の皆様も同意されておいでですか」


恨み言や負け惜しみを言われるだろうと待ち構えていたロクシアスとアグライアは顔を見合わせた。

そしてぷっと吹き出すように笑う。


「何を言うかと思えば!ええ、ええ。当然ではありませんか!娘の幸福な結婚を祝わない親など居る訳がありませんわ。あら失礼。テュシアー様にはいらっしゃらなかったわね」


アグライアの言葉に、周囲にどっと笑いが広がる。


「……そうですか。ではわたくしからは何も申し上げることはございません」


テュシアーは婚約無効証書にサインをすると控えを受け取った。一瞬、不思議そうに指先を見つめる。それから顔を上げて、初めて目を大きく開いて王太子の顔を見た。初めて彼女の口元が緩み、あるかないかの微かな笑みを浮かべる。


「そんな色でしたのね……」


小さな呟きは聞こえたかもしれないが無視された。

テュシアーは最後の礼を取ると、静かに会場を後にした。


「やれやれ、最後まで陰気な奴だったな」

「良いではありませんか。身の程を知って大人しく身を引いたのですわ」

「そうだな。では皆!祝ってくれ、私の新たな婚約者アグライアを!」


「次代の国王と王妃に!」

「王国の未来に!」


グラスを高く掲げ、笑顔を交わし、ダンスに興じる。

誰もが光り輝く明日を疑わなかった。

誰もテュシアーのその後を確認しようともしなかった。




「お前は何ということをしでかしたのだ!」


翌日、ロクシアスは父王イクマイオスと母王妃ケーラの前で昨日の婚約破棄について糾弾を受けた。

父王は頭を抱え、母王妃は極寒の瞳で息子を見つめている。


「父上。私は王国の未来の為に決断したのです。男爵家の孤児より、アグライアの方が遥かに国家にとって有益であるのは明らかではありませんか」

「お前は……」


国王はおずおずと王妃の横顔をうかがう。

王妃は黒い扇で口元を隠し、息子に問いかけた。


「アグライアはそれでよいと言っているのですか。家族も同意しているのですか」


どこかで聞いたセリフだな、と思いながらロクシアスは胸を張る。


「勿論です!アグライアも侯爵も、私の治世を支えてくれると約束しています!アグライアは優雅かつ優秀で人脈も広い。次代は安泰です!」


国王の顔が曇った。

何かを迷っているようだった。


「よろしいのではありませんか。本人も、親も望んでいるのならば。羨ましいこと」

「だが……だが侯爵家だ……侯爵家を……」


国王は苦渋の表情で侯爵家が、と繰り返す。

チラチラと王妃を見て、何か言いたそうだ。

王妃は冷たい瞳で何も語らない。


「侯爵家で一体何の問題があると言うのですか。前のテュシアーは男爵家でした。それに比べて雲泥の差ではありませんか」


「お前は知らぬのだ……!」

「陛下。なりません」


思わずといった体で身を乗り出しかけた国王を王妃が引き止めた。

両親の真逆の反応を見ながら、ロクシアスは少しばかり苛立ちを覚えた。


国王として公式の場にあるときは威厳にあふれ、公正で慈悲深い賢王と臣下にも民にも慕われているのに、王妃の前ではいつも何か遠慮がちな態度をとる。

妻の尻に敷かれている、というのとはまた違う。

引け目、いや罪悪感?

二人の婚姻は、父が強く望んだものだと聞いた。母にとっては不本意なものであったのかもしれない。

それを証明するかのようにロクシアスが子供の頃から二人の仲は冷え切っている。

王国に王子が一人しかいないというのは本来であればおかしいのだ。

不慮の事故、病気。そんなもので万一のことがあったら王国の危機なのだから。

しかも、父王も一人っ子であったため、血の近い親族から養子を取ることも出来ない。

けれど、国王は側室や愛妾を頑なに拒んでいた。


愛しているから?

いや、愛する相手をこんな目で見るはずがない。

あれは、父が母を見る目は恐怖だ。

そして母が父に向けるのは無関心。ただ王妃としてそこに在るだけ。母の瞳には、父も息子も映ってはいない。


この両親の歪な関係を見て育ってきたロクシアスは、暖かい結婚生活を送りたいと思っていた。

だから、まるで母王妃のコピーのようなテュシアーを嫌ったのだ。

アグライアは幼馴染であり、そんなロクシアスにずっと寄り添ってくれていた。

彼女とならば、幸せな家庭を築き、より良い国を育てていくことが出来るだろう。


「分かった……お前がそこまで望むのであればそうするといい……」


暫くの葛藤の後、国王はついに諦めたように肩を落として言葉を絞りだした。

王妃の顔は扇で見えない。


「ありがとうございます、父上!」


やっと出た許しに、ロクシアスはそれこそ飛び上がらんばかりに喜んだ。


「では妃教育の日取りを決めましょう」

浮かれるロクシアスの背中に氷を入れるように王妃が冷たく告げる。


「妃教育ですか?」

そんなものがあるのか?

アグライアは侯爵家で充分な教育を受けている。

今更必要とは思えない。


「王家の伝統です。これを受けない者は妃として認められません。わたくしも婚約した時に前王妃手ずからご指導いただきました。勿論テュシアーも受けています。5歳のテュシアーが耐えられたものを出来ないとは言わないでしょうね?」


侯爵令嬢ともあろうものが。

そう言外に告げられて、ロクシアスの頭に血が昇る。


「当然です!」


「ではそのように。初回は家族との決別の儀式となります。当日は貴方も同席なさい。陛下もお立ち会いくださいますわね?」

「わ、私もか……?テュシアーの時もそなたの時も立ち会いは母上……前王妃のみで……」

「お立ち会いくださいますわね?」


ビクッと国王の肩が揺れる。

しかし、王妃の暗く凍った瞳に突き刺されて力なく頷いた。


「3日後にアグライアとその家族を召喚せよ……家族、全員だ」


国王の命である。

恭しく礼を取り、退出しようとしたロクシアスに、国王が力弱く声をかける。


「王宮図書室の奥の間を知っているな。お前は勿論いつでも入る権利があるが……アグライアにも入室を許可すると伝えよ……」



「ここが王宮図書室ですのね。あちらがその奥の間ですか?」

「ああ、王族以外入室できない特別な部屋だ。父上が許可されたということは、君も王家の一員として認められたということだよ」

「嬉しいですわ。ところでロクシアス様はこちらに入ったことはおありですの?」


図書室の専属司書に来館を告げると、恭しく鍵を渡された。

奥の間へと通じる扉へ向かう。


「いや……実は子供の頃に一度入ったきりだ。古いばかりで興味を引くような本も無かったからね」


鍵穴に鍵を差し込み、ゆっくり回すと、思ったより軽い力で扉が開いた。


普段閉ざされている奥の間の書架には、古びた本が並べられていた。

本の形をしているものもあれば、古い時代の巻物や木板もある。

テュシアーはよくここに通っていたらしい。

暗い雰囲気が彼女と似ていると思った。


「埃の臭いがしますわ」

アグライアはハンカチで口元を覆った。

「ああ、空気が悪いな。父上がわざわざ言うからには何か見ておけと言うことなのだろうが」


貴重な古書を傷めないためか窓はなく、持って入れた灯りも最小限のものだけである。

ぐるりと見回すと、壁の額縁が目に止まる。何気なくそちらに近づくと、その前にある台座に置かれた一巻の巻物を見つけた。


「なんだろう?」

ロクシアスが紐を解くと、見覚えのある名前が連なっていた。


「王統図ですわね」

アグライアの言う通り、初代王から始まって、王国史で教わる王名が並んでいた。

王の横には王妃の名と小さく家名が添えられている。

きっと生家のものだろう。


「あら、この王統図には直系しか書かれていないのですね」


言われてみると、王と王妃の間から下に伸びた線に繋がるのはどの代も一人しかいない。

王位を継がなかった兄弟姉妹は記されていないということだろう。


一番下までいくと現在の国王イクマイオスの名がある。

そしてもちろん横には王妃ケーラ。

そして小さく記された生家の名。

「……こんな家名、あったか?」

ロクシアスの疑問にアグライアは首を傾げる。

「聞き覚えがありませんわ」


王家の後継として、アグライアも上流貴族の娘として、国内の貴族家の殆どは頭に入っている。

しかしその二人ともが、覚えのない家名だった。


「もしかして、王妃様のご出身は国外なのかしら」

「え?」

「だって、王妃様のご実家の事を聞いた事がありませんわ。お名前も当国風ではありませんし……。ロクシアス様は母方の御親戚にお会いした事がありまして?」

「いや……ない」


母王妃はいつも冷たく、ろくに話などしてはもらえなかった。

父方の祖父、つまり先代国王もロクシアスが幼い頃に崩御している為、父方の家族というものにも縁遠い。

だから母方の親戚に会った事がなくても別段不思議だとは思わなかった。


「では私には外国の血が入っているということか?」

王家が婚姻政策によって結びつきを強めるということは、どこの王家でもよくあることだ。

「まあ。素敵ですわ!だからエキゾチックな魅力があるのですわね!瞳の色も青金石のような深い青。国王陛下の緑柱石とはまた違って。王妃様と同じ、いえもっと輝いていらっしゃるわ」

「そ、そうだろうか?」


顔立ちや髪の色は国王にそっくりだが、唯一瞳だけは王妃に似ていると昔から言われていた。


「ええ、わたくし達が国を継いだら、外国との交流も積極的に行いましょう。開かれた国を目指しましょう」

「そうだな。君とならばきっと出来る」


二人は手を取り合い、微笑みを交わした。


そのまま未来の展望を語り合う二人は気づかない。

額縁の中に描かれた絵に。

幸せそうな家族に黒衣の婦人が杯を差し出している。

その表情は王妃に、テュシアーによく似ていた。



そして約束の日。

カリス侯爵家の面々は正装して王宮を訪れた。

侯爵夫妻、後継者である長男、2つ下の妹、そしてアグライア本人。

彼女の胸にはロクシアスから贈られた首飾りが誇らしげに輝いている。ロクシアスの瞳によく似た大粒の青金石。

アグライアの豪奢な金髪にこの上なく映える色彩だった。


王族が非公式に使用する奥向きの一室に通された侯爵家の面々は、国王夫妻と王太子に礼をとってから席についた。それぞれの席の前には空の杯が置いてある。


奥には王族、手前に侯爵家。

アグライアはまだ侯爵家側に居るが、王族側の席が一つ空いていた。

この後、そちらに移るのだろう。


席に着いた一行を数えるように見渡してから、王妃は咎めるような瞳で侯爵を見た。


「一人足りないようですね。弟がいたはず」

末席が一つ空いている。


「恐れながら王妃殿下。息子はまだ幼く、登城できるような年ではございませぬ」


侯爵が慇懃無礼に返答した。

アグライアの弟はまだ10に満たない。

常識的に考えて、その年齢の子供を伴うことはあり得ない。

しかし王妃は扇をぴしゃりと閉じた。貴婦人が不快感を表す仕草だ。


「全員と言いましたよ。年齢は関係ありません。ですが呼び寄せる時間もないでしょうね。仕方がありません。始めましょう」


王妃が一本のワイン瓶を手に取る。


「アグライア。貴女は王家に嫁ぎ王族の一員として国に尽くしてゆく覚悟がありますか」

「はい。わたくしは王太子殿下とともにこの国を愛し導いてまいります」


自信に満ちた声でアグライアが宣言する。

ロクシアスも家族も、笑顔で見守っていた。

国王だけが暗い目で宙を見つめていた。


「ではこれをお取りなさい。貴女自身の手で家族に別れの杯を」


大げさな、とロクシアスは思った。

確かに他家に嫁ぐということは今までの家族に別れを告げることでもある。

だが、同じ国にいて上流貴族なのだ。

これからも交流は続くし、後ろ盾として侯爵と次期侯爵には活躍してもらわなければならない。


一種の儀式のようなものだろう、とアグライアは王妃の手からワイン瓶を受け取った。封は切られており、すぐに注げる状態になっていた。赤い液体がたっぷりと入った瓶は案外重い。


箱入りの令嬢であるアグライアにとっては、人の杯に酒を注ぐなどというメイドのような仕事は生まれて初めてのことだった。

だが、5歳のテュシアーでさえ出来たと言われては反抗も出来ない。

こぼさないよう慎重に、だが優雅に。

アグライアは家族の杯にワインを注ぎ入れた。

妹はまだ酒を飲み慣れてはおらず、少し困ったように瞳が揺らいだが貴族の娘として表情には出さない。


全員の杯に注ぎ終えたところで、アグライアは王族側の席に招かれた。

ロクシアスの隣に座り、にっこりと微笑みを交わす。

王族側の杯には白ワインが注がれている。


王妃は杯を手に取って掲げた。

全員それに倣って杯を持つ。


「では乾杯しましょう。願わくばこの血をもって王国の礎たらんことを」


赤いワインは神の血とも言われている。

乾杯の時の決まり文句のようなものだった。


侯爵夫妻と兄は一気に杯を傾けた。

妹は飲もうとして一瞬躊躇し、しかし王族の前で不作法は晒せない。杯の中身が唇に触れるか触れないか、というその時、前からゴン、という鈍い音が響いた。


「えっ……お父様?」


異様な音に妹は思わず杯をテーブルに戻した。

そして。


「きゃあああああああああ!お母様!お兄様!」


妹の金切り声が響いた。


侯爵がテーブルに突っ伏している。

その横で、侯爵夫人は椅子にもたれかかってだらりと腕を下ろしていた。

兄もピクリとも動かない。


何が起こったのか。

ロクシアスもアグライアも理解が追いつかず、呆然としていた。


王妃が静かに自分の杯をテーブルに置く。


「これが王家代々のしきたりです。外戚の専横を防ぐために初代王が定められた掟」


王族に嫁ぐ者の一族は、後の禍根を絶つために全て死を賜る。


これが王家に伝わる血の掟。


初めて教えられたその事実にロクシアスは混乱しながらピースを拾い集めた。


代々。

王家に嫁ぐと決まった時、すなわち婚約した時。

つまり母も。

テュシアーも。


「まさか……」


直系しか記されていない王統図。

知らない王妃の実家。

……親兄弟のいないテュシアー。


「16歳の時でした。王太子がわたくしを婚約者に望んだという知らせを頂いたのは」


王妃の瞳はいつもと違い、燃えるような光をたたえている。


「戸惑いもしたけれど名誉な事だと思っていました。

……図書室の奥の間に入った時。あの時気づいていれば……家が断絶することはなかったかもしれない」


王統図にはそれぞれの代に一人しか後継者がいない。

それは、この掟を「経験した」王妃が2度も同じ事を行うのを厭うため。

敢えて一人しか産まない事で悲劇を避けようとした結果があの王統図だったのだ。


「テュシアーには可哀想な事をしました。あの娘には拒否権がなかった。他に娘を出せる家門がなかったのです」


娘を出す。

すなわちそれは一家全てが闇に葬られるということである。


公爵家、侯爵家などの上級貴族から選ぶわけにはいかない。

中級・下級ならば良いというわけでもない。

それぞれ派閥や軍閥、外交や商業で役割がある。

生贄になったのがエリニュス男爵家……テュシアーだった。


「テュシアーに王宮は葬儀場ではないと言ったそうですね。そうでしょうとも。葬儀など出せはしなかった。ここは霊廟なのですよ」


テュシアーの、王妃ケーラの黒衣は比喩でも何でもなく喪服だったのだ。


「さて、妹はどうしましょうか」


先ほどからガタガタと震え、椅子からずり落ちそうになっているアグライアの妹は涙で化粧もはげ、ぐちゃぐちゃになった顔を引きつらせた。


「両親や兄と同じように飲んでいればよかったのに」


妹は椅子から転げ落ちるように床に跪き、床に額を擦り付けて懇願した。


「お許し下さい、お許し下さい!誰にも言いません!一生何も言いません!修道院に入ります!神に身を捧げて静かに暮らします!二度と王都には戻りません!どうか、どうか……!」


「アグライア。妹はこう言っていますが?」

「お、お願いいたします。どうか命だけはお助け下さい」


アグライアは席を立って妹の側に駆け寄り、肩を抱いて共に許しを請うた。


だが返ってきた言葉には一片の容赦もない。


「注がれたワインは瓶に戻すことは出来ません。妹が飲めないならば貴女が代わりに飲みなさい」


「ひっ……!」


効き目はたった今見せられたばかりだ。

妹か、自分か。

残酷な選択に、姉妹はしばらく呆然と見つめ合った。


「いや、いや、いやああああ!」


均衡を破ったのは妹の方だった。

ドレスの裾が乱れるのも構わず、扉へ向かって転がるように逃げ出す。

それを見てアグライアもはっと我に返った。

このままでは自分の方があれを飲まされる。


思わず妹を追いかけ、後ろ髪を鷲掴みにする。

倒れた妹の上に馬乗りになった。


「止めてお姉様!痛い!止めて!」

「大人しくしなさい!」


がむしゃらに頬を打ち鳴らし、頭を床に何度も叩き付けると、妹は静かになった。


はぁはぁと肩で息をしながら、アグライアはフラフラと立ち上がり、テーブルの上の杯を手に取る。

小さく呻く妹の口元に杯を押し当て、中の液体を注ぎこんだ。


「はぁ……はぁ……」

「ア……アグライア……」


声にゆっくりとそちらを見ると、恐怖に引きつった顔で自分を見つめるロクシアス。


我に返って足元を見ると、目を見開いたままピクリとも動かない妹がいる。

取り落とした杯が床に当たって硬い音を立てた。


「あ、あ、ああああああ!嘘、嘘嘘嘘よこんなの嘘おおおお!」


絶叫が響いた。


テーブルに突っ伏して動かない両親と兄。

足元で息絶えた妹。

家に残った弟はどうなったのかなんて聞く必要もないくらい。


「わたくしはテュシアーにこう言いました。わたくしが前王妃から言われたまま一言一句違えずに」


『よく覚えておきなさい。次は貴女が行う番なのですから』


アグライアの絶叫が響いた。

国王は何も言えずにうつむいている。

自分が見初めてしまったばかりに一家断絶の憂き目にあわせてしまった妻に。

家族の供養のため常に黒衣を纏う妻。

婚約前の明るさは消え失せ、氷のように冷ややかな態度しか取れないように壊れてしまった。

悔やんでも今更家族が生き返るわけでもない。

せめて賢王として振る舞う以外何ができたというのだろう。

言葉に出さずに責め続けられる毎日は針の筵だった。

そんな父によく似たロクシアスも壊れつつある婚約者を見つめるしか出来ない。



(もっとも次があるかどうかは分かりませんけれどね)


地獄絵図を見下ろしながら王妃は心の中で呟いた。


テュシアー。あの賢い娘。

婚約破棄を言い渡されたその日のうちに身の回りの物だけを持って王城を出た。

その後の行方は知れない。

きっともう国内にはいないだろう。


彼女は何も持っていかなかった 

宝石も書類も何一つ。

だが、国家の重大な機密は紙の上にあるのではない。

全て彼女の頭脳の中にあるのだ。


(西か、それとも北か)


やがて彼女の情報に動かされたいずれかの国がここへ攻め込んでくる。


(ようやく……解放される)


代々、王妃とその家族の怨念が染み込んだこの灰色の霊廟から。


もうすぐ王妃でなくなる、家名もないただのケーラは大きく息を吐いた。

ふと、夫の顔を何げなく見て少し驚いたように首をかしげた。


まるで婚約する前の少女の頃のような仕草で。


「あら、あなたの瞳…そんな色でしたのね」








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