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凡場と悪魔祓い

作者: 折田高人
掲載日:2025/12/10

 風野稔はどこにでもいるような普通の女子高生だった。

 容姿はそれなりに整っていると彼女自身は思っている。ただそれも、異性の目を殊更引くようなレベルには達していないと理解していた。

 せいぜい、クラスで四、五番目に可愛いとされるくらいか。とても上位三位には入れそうにはない程度の可愛さ。

 運動神経も普通。成績に関しては……入学できない事が奇跡に近いとされる程に入試が簡単な堅洲高校の生徒をやっている時点で、察する事ができた。

 とかく地味。その事実は、稔のコンプレックスになっていた。

 彼女とて年若い乙女である。綺麗、可愛いとチヤホヤされたい欲は日に日に大きくなっていく。流行りの服を見繕ったり、口コミで聞いた化粧品を試してみたり……校則にひっからない程度のお洒落には余念がなかったのだが、さして話題にならず。

 彼女にとって不幸だったのは、入学した年の女学生達のレベルが例年になく高かった事であろう。

 僅か一代で世界有数の大財閥へと成長した滋野財閥総帥の孫娘、滋野妃。歴史的な重みでは他の追随を許さない程の名門の血筋である龍王院一華。そんな入学する場所を誤ったのではないかと思えるような血筋の令嬢達を筆頭に、容姿だけならアイドルとして十分に通用するような美少女達が雨後の筍の如く生えてきた訳で。男子学生達の注目は最早、クラス一の美少女程度では射止める事ができなくなっていたのだった。

 それでも無くならない承認欲求。それを満たす為に稔はついつい、裏垢に手を出してしまったのだった。

 注目と称賛を得る為に段々過激になっていく写真や動画。学校ではついぞ得られなかった満足感。そのお陰で、鬱屈とした気持ちを抱かず、穏やかに学校生活を送れていたのだが。

 稔はその日、自分の選択の甘さを嫌というほど味わう事になったのである。

 何時もの登校時間。先日のアカウントに送られていた好意的なコメントを思い出しつつ、ややにやけた顔で校門をくぐった稔の前に三人の巨漢が現れた。

 先程までのいい気分はどこまでやら、自身の行く手を阻む厳つい顔に睨まれて、冷や汗が止まらない稔。

 この三人について、堅洲高校で知らぬ者はいないだろう。ヤクザですら手を焼くと噂されている、札付きの不良達であった。

「ああああの、なにかごよーでしょーか?」

 震える声で問いかける稔に対し。

「これ、あんただろ? 放課後、ちょっくら俺らに付き合ってもらおうか?」

 男達はそう言って、稔に携帯電話の画面を突き出した。

 映し出されていたのは、あられもない姿を晒した稔自身の姿。

 稔の顔が真っ青に染まった。

 バレている。秘密の趣味がバレている。よりにもよって、こんな不良達に。

 自分はどんな目にあわされるのか。決まっている。裏垢に流した姿が可愛く思える程の痴態を、あの男達によって晒されるに違いない。

 成人指定待ったなしの事案に絶望した稔を苛もうとするがごとく時間は早々に過ぎ去り、放課後がやってきた。

 校門にはあの男達が待ち構えている。最早、稔に逃げ場などなかった。


 カーテンが閉め切られた薄暗い室内に、艶めかしい喘ぎ声が響き渡っていた。

 恐怖に支配された声にはしかし、僅かながらの歓喜の色が含まれている。

 パソコンの画面に映し出された、これまでの稔の配信。何度も何度も、白い素肌を晒す姿が繰り返されている。

 稔はそれを虚ろな瞳で見つめていた。

 何故、こんな事になっているのだろう。何故、私はこんな事をしているのだろう。

 手にはコーラとポップコーン。むさ苦しい男達と共に、延々と自分の痴態を眺める稔。

 ここは不良達の暮している学生寮……という名の事故物件。

 戦々恐々として男達に付いていった稔を待っていたのは、お子様閲覧禁止の桃色空間……等ではなく。自身の動画の鑑賞会であった。

「ひいっ!」

 突如として停止された動画。それを見て、不良の一人が悲鳴を上げた。学校の生徒達を震え上がらせる程の強面もどこへやら。クッションに顔を押し付けて震えている。

「おおお落ち着け江下! こういう時はそうだ! 画面に映るかざのんだけに視界を集中するんだ!」

「そうっすよ! ほら、それ程整っているわけでもない所が逆に艶めかしいかざのんボディを目に焼き付けるっす!」

「へ……へへへ……かざのんかざのんかわいいね~……」

 ぎゃあぎゃあ喚きながら、かざのん……稔の媚態に集中する不良共。しかし、恐怖に怯えたその声、表情は、色欲で誤魔化す事などできない様子で。

 強面を恐怖に歪める男達。その有様を、パソコンで動画をチェックしていた男は呆れた表情で見つめていた。

「……ったく、どうしたんだよお前ら? ヤクザ相手にすら噛みついていたいつもの威勢はどこ行った?」

「無茶言わないでくださいよ、凡場さん」

「そうっすそうっす! ヤクザなんて所詮は俺らと同じ人間じゃないっすか!」

「殴れば動かなくなるヤクザ連中と、そもそも殴れるかどうかすら怪しいお化け連中を一緒にしないでくれよ!」

 凡場久秀。堅洲高校最強の不良と称されていたその男は、泣き言を漏らす舎弟共の情けなさに溜息をつく。

 とは言え、強くは咎めない。怪異に分からされたのは凡場も同じだからだ。

 悪霊共に取り憑かれて宝嶺寺に駆け込んで。そこで素質を見込まれた結果、坊主としての修業を叩き込まれ。今ではすっかり怪異に慣れてしまった凡場であった。

「……ここにも居ますね。先程までの方々と姿が違いますし、これで五人目でしょうか?」

 鈴の音のような声が稔の耳に届く。

 決して大きい訳ではないのにもかかわらず、稔の脳裏に確かに刻まれるような涼やかな声色。それを発したのは、この部屋の中で一際小さな……小学生程の背丈の人物であった。

 一見して少女にしか思えないこの少年の名は武藤雅。

 今時珍しい和装姿。白磁のような肌に流れる滝のような黒髪。人形を思わせる無機質な美貌の持ち主はしかし、この薄暗い部屋の中では若干ホラーに映る。

 どうやら怪異に対してかなり詳しいようだ。稔の投稿していたはしたない動画を全て確認しながら、問題となっている場所を的確に停止していく。僅か一瞬。サブリミナル映像じみたその怪異を見逃さない雅の動体視力に稔は開いた口が塞がらなかった。

 そう、怪異である。

 不良達に呼び出された稔が聞かされたのは、彼女の投稿した複数の動画の中で奇妙な……幽霊じみた存在が映っているという突拍子もない話であった。

 そんなまさか、と思った稔であったが、突きつけられた証拠……自身の投稿動画の静止画には、間違いなく怪異が映り込んでいたのだ。どことなく人の姿に見える靄のような人型や、見知らぬ少女の横顔。セピア色の薄ぼけた怪人に、画面そのものを覆いつくすような鍵十字型の影。

 今、画面に映っているのも焼け焦げた焼死体を思わせる何か。こちらを睨んでいるように見えるのは、はたして稔の気のせいか。

「あの……本当に、こんなのが私の体に取り憑いているんでしょうか?」

 おどおどとした様子で、稔は雅に声をかけた。他の面々にも話を聞きたくはあったものの、彼らは札付きの不良達。善良な一般人たる稔が話しかける相手としては強面すぎた。

「稔様は動画投稿を三ヵ月前から始めています。その間、動画からは怪異が絶えていないとなると、まず間違いないかと。撮影した場所に彼らが取り憑いている可能性も考えたのですが……」

「北川達から連絡を受けて、ここに来るまで藤に風野の寮を調べて貰ったんだがな。これと言った異変は見られなかったそうだ」

 そう口にした凡場の制服の袖口から、にょろにょろと小さな蛇が顔を出す。この蛇が藤なのだろう。そう考えていた稔だったが、ふと蛇が自分を注視しているように思えた。ぎゅっと、凡場の腕に巻き付く蛇体に力が籠る。まるで、凡場は渡さないと牽制しているようだ。

「それで雅さん……俺ら、どうなっちゃうんですか?」

「呪われた? 呪われちゃいました? スマホとかパソコンとか、お焚き上げとかしなきゃいけないんすかね?」

「何か最近体がだるくて……クシャミも酷いし、悪霊の仕業でしょうか?」

「……作江様は恐らく単に風邪気味なだけかと」

 小柄な少年に平身低頭の不良達。どことなく滑稽な光景ではあるものの、不良達は必死であった。

 稔は知る由がないが、雅は堅洲において魔王と恐れられる存在である。

 魔王といっても、ごく一般的なイメージと浸透している悪魔の王、或いは魔界の王ではなく、雅は魔女の王であった。

 純潔の魔女からは魔女しか生まれず、混血の魔女に至っては子供すら残せない。にも拘わらずに生まれた男性個体が魔女達からは魔王と呼ばれていた。

 何故、魔男ではないのか。それは、魔王が魔女とはあまりにもかけ離れた存在であるからだ。

 植物にしか生み出せないはずの魔力を生成し、死しても七日あれば蘇る事ができる。一方で、魔力を体内で加工できない為に魔術は使えず、魔女との間に子供も残せず、永遠に成人せずに子供のまま。

 ただただ魔女に都合のいい能力を備えた変異体。女神に仕え、女神の為に死ぬ祭司……森の王こそが魔王の在り方であった。

 しかし、である。雅が恐れられているのは人間達が抱く魔王と言う肩書の力によるものだけではない。戦国の世を生き抜いてきた武士としての確かな実力こそが、彼を恐怖の魔王たらしめている理由であった。

 北川、江下、作江の不良三人組も、凡場に紹介された雅を見た時は、自分達のリーダーに馴れ馴れしく接するガキとしか思えなかった。それを面白く思わず、大人げなくも三対一での喧嘩を挑んだものだったのだが。

 北川達の攻撃は全く当たらない。一方で雅はと言うと、眼球や喉、股間と言った急所を容赦なく的確に狙ってくる。その癖、全ての攻撃は寸止めで済まされたのだ。

 ただの喧嘩自慢の不良と、殺し殺されの日常を生きてきた戦国武士。格の違いをまざまざと教え込まれた結果、今では雅に対して全く頭が上がらなくなっている不良達なのであった。

 加えて、怪異に詳しいと来たものだ。北川達が縋りたくなるのもむべなるかな。

 そもそもにおいて、稔の動画に違和感を見出したのは彼らであった。

 外では大いに恐れられている不良達ではあったが、やはり年頃の男児には違いない訳で。律儀にも成人指定をしっかり守りつつ、しかしお色気が摂取できる稔の動画は彼らにとってとても有難いものであったのだ。

 動画配信者のかざのんが、自分達と同じ高校に通う稔である事には薄々気が付いていたが、それをバラしたりすればこれ以上動画を配信しなくなるかもしれない。下手をすれば、身バレを恐れて動画を全て削除されてしまう恐れがある。よって、学校では遠くから彼女に感謝の意を示しつつ、動画上にて盛り上がるのが最近の彼らの日課であった。

 つい先日。これまで同様、動画の停止と再生を駆使して、気に入ったシーンを穴が開くまで堪能していた三人組は、動画に奇妙なものが映り込んでいるのを見つけた。

 異様なまでに真っ白な少女の横顔。それが、動画に紛れ込んでいる。

 再生すると消えてしまったその横顔。動画の再生時間を覚えておいて、もう一度同じシーンを停止してみる。居た。

 何だこれは、と不良達は興味をそそられた。その一瞬だけ、彼らの脳内から色欲は消え去り、ただただ純粋な好奇心が体を突き動かしていた。

 何度再生しても、同じシーンにその横顔が現れる。決して見間違いじゃない。それを確認する為に、何度も何度も再生して……とある事に気が付いて、不良達は悲鳴を上げた。

 その横顔が、徐々に正面を向き始めていたのだ。これは動画に映ったものではないのか? データとして再生されているものではないのか? もし、この顔が真正面を向いたら、一体何が起こってしまうのだ?

 恐怖にかられた北川達は、寺で修業を始めた彼らのリーダーに助けを求めた。

 凡場はそれを了解し、もし悪霊に取り憑かれていたのなら大変だとの事で、稔を連れて来いと指示を出していたのであった。

「それで風野とやら。あんた、本当に体に異常はないんだよな?」

「あ、はい。むしろ堅洲に来てからやけに調子が良いくらいで……」

「でしょうね」

「はい?」

「稔様の魔力量は魔術も知らない一般人のものとは到底思えません。常人の五倍の容量が確認できます」

 頭を捻る稔。どうにも、魔力を溜め込む為の器が人間では有り得ない程に大きいとの事だった。

 魔力とは植物が生み出す一種の生命エネルギーである。それが完全に体を満たした状態になると、魔族ではない存在でも体の調子が良くなるそうだ。

 ただ、魔力を溜め込む為には周囲にそれなりの魔力が存在する事が必要となる。魔力は植物が生み出すものである以上、緑の少ない市街地に住んでいれば、一般人の器ですら中々容量を満たす程の魔力は集まらないはずなのだが、そこは魔王の御膝下の堅洲町。雅によって垂れ流される魔力で満たされたこの町では、魔力の取り込み方を碌に知らない稔ですら、容易く器を満たす事ができたのであった。

「しっかし、よく体が無事でいられるな。俺が滋野の御嬢様に唆されて悪霊共に取り憑かれた時には、体のあちこちが悲鳴を上げたものだったんだが……」

「そこが気になるんですよねえ。稔様、最近記憶が飛んだり、意識のないまま行動したりした痕跡はありませんでしたか?」

 稔は首を横に振る。

 特に体への異変は感じた事はなかった。目が覚めたら見知らぬ場所にいたとか、泥と血で塗れた服を着ていたとか、そういった夢遊病の疑いもない。

 そもそも稔は大多数の堅洲の生徒と同じく寮暮らし。学生寮代わりに用いられている事故物件の一軒家には、他の寮生もいる訳で。稔に何かあったのなら、まず彼女達が異変に気が付いているはずである。

「そうですか……ふむ……」

「何か分かったっすか、雅さん?」

「確かにおかしいですね。取り憑いたのに悪霊が何も行動を起こさないのは今までにない事です……やはり情報が足りませんね」

「情報っつったってな。動画の確認は全部終わらせただろ? 不気味な連中が映った動画だったが、所詮それまでだ。動画自体にはなんの魔力も感じられなかった」

「マジっすか凡場さん!」

「俺ら、別に呪われたわけじゃなかったんだな!」

「やった! やったぞ! 俺達はやったんだ!」

 手に手を取ってはしゃぎ回る強面三人。しかし、続く雅の言葉に凍り付く。

「まだ試していないことがありますよ。北川様達が異変を見出した例の動画です」

「ああ、あの横顔か。そういや、じわじわと正面を向いていったって言ってたな」

「はい。他の動画と違って明確な動きを見せたのはそれだけです」

「繰り返し見て、真正面を向かせようって訳だな」

「マ、マジっすか!」

「やめましょうよ凡場さん! わざわざ呪われに行くべきじゃないですよ!」

「雅さん! 雅さんも何とか思い止まって下さい!」

 不良共の意見を捻じ伏せ、凡場は件の動画の再生を始めた。例の横顔が映るシーンを何度も何度も繰り返す。

 不良達の顔が青ざめていく。きっと自分も同じような顔になっているのだろうと、パソコンの画面に釘付けになりながらも稔は感じていた。

 北川達の言う通だった。真横を向いていた少女の横顔が、段々と正面を向き始めている。

 そして遂に。稔は真正面を向いた少女の顔と目が合った。


「あ、あれ?」

 稔はぱちくりと瞳を瞬かせる。半身に伝わる床の感触。倒れ伏していた体を持ち上げて辺りを見回してみると、散らかった室内が目に入った。

「お、気が付いたか」

「体に異変はございませんか?」

 散乱する雑貨を整理しながら、凡場と雅が語りかけてくる。

 倒れていた目覚まし時計が元の位置に収まった。十分程時間が進んでいた。

「……私、気を失っていたの?」

「ああ。直前までの事、ちゃんと覚えてるか?」

 混乱する頭の中を落ち着かせ、稔は頷く。

 あの横顔の少女が、この世のものとは思えない凄絶な笑みを浮かべてパソコンの画面から這いずり出てきた。そして、彼女の瞳が赤く光ったところからの記憶が無くなっていた。

「邪視ってやつだな。大して強力な魔術じゃないんだが、防御手段を持たない一般人相手には効果抜群って訳だ」

 凡場が顎で指し示した方向では、北川達がよろよろとした様子で体を起こしている最中であった。どうやら、稔同様に邪視の餌食になっていたらしい。

「……えっと、かざのんとの話は耳に届いてたっすけど……邪視っての、凡場さんには効かなかったんすか?」

「邪視除けってのは魔術師としては基本魔術らしくてな。俺も爺さん共に一番初めに叩き込まれた」

「雅さんは? 雅さんって魔術使えないんでしょう?」

「邪視は目と目を合わせる事で初めて効果を発揮しますからね。邪視除けの魔術がなくとも、発動する瞬間に目を逸らせばいいのですよ」

「そんな芸当ができるの、雅さんだけじゃないか? で、凡場さん。あのお化け、どうなりました?」

「ほれ」

 凡場が北川に手渡した物。それは手のひらに収まる程度の大きさの鏡であった。蝙蝠の羽が生えた蟇蛙。そんな印象を受ける奇妙な怪物の縁取り。大きく開かれたその口に、丸い鏡がすっぽりと収まっている。

 覗き込む稔達は見た。鏡の中、動画から抜け出たあの少女が、ここから出せと言わんばかりに何かを喚き散らしていた。

「見ての通り、こいつは封印させてもらった」

「じゃあ、事件解決って事ですかい?」

「そうもいかん。忘れて貰っちゃあ困るが、風野に取り憑いている悪霊は一体だけじゃないんだ」

「あ……そうだったっすね」

「最も、そう焦る必要はない。封印した奴から聞き出したんだが、どうにも取り憑いている悪霊連中、風野の肉体の支配権を巡って互いに牽制しあっているみたいでな。風野の体に異常がないのも、悪霊共が対立関係にあるせいで干渉を行う余裕がない為らしい」

「すぐに危険があるって訳ではないって事っすか。でも一体は退治できたんっすから、凡場さん達に任せれば他の連中も楽勝っすよね!」

「そうだな! 他の奴らもこの鏡で封印しちまえば……」

「そういう訳にもいかないのですよねえ」

 凡場と雅が溜息をつく。

「期待させて悪いがな。その鏡は御一人様用なんだよ。一度誰かを捕えたら、そいつを開放しない限りは再利用できねえんだ」

「そもそも、この鏡は力量差無しで相手を封印できる凡場様の切り札なのですよ。早々にそれを切ってしまった訳でして」

「あれ? 私結構ヤバい?」

 渋い顔をしている凡場と雅に、稔は危機感を覚えて焦り出す。

「そ、そんなにヤバい相手だったんすか?」

「いや、正直な話、魔力も動きも大した事はなかった。なかったんだがな……」

「流石は悪霊と言ったところでしょうか。実態を持たないせいで我々では対応できませんでした」

「俺らが使える攻撃手段と言ったら、物理一辺倒だからな。そのせいで封神鏡を使わざるを得なかった」

「そうなんすか……その鏡、もっとないんすかね?」

「どうだろうな。そもそもこれ、拾い物だからな……やっぱり、宝嶺寺の爺さん達に力を貸してもらうべきか?」

「いえ。宝嶺寺の皆様には手に余る案件かと」

「そうなのか? 単に物理攻撃が通用しなかっただけで、魔力自体は大した事なかったぞ? 爺さん達なら悪霊を成仏させる事なんて朝飯前かと思ったんだがな」

「一言で悪霊と言っても、様々な存在がいるのです。それに合わせた対処方法もまた様々。ただ、悪霊は大別すれば二つに分けられます。則ち、死せる悪霊と生ける悪霊です。厄介な事に、彼らは後者に当たる様でして」

「生ける悪霊? 何だそりゃ?」

 死せる悪霊ならば理解ができた。死してなお恨みを晴らさんとする存在が悪霊と化す。怨霊とも呼ばれるそれは、魔術に馴染みのない稔にも容易くイメージできる存在だ。

 だが、雅の言う生ける悪霊とは、そういった存在とは異なっていた。彼らは死して悪霊になった訳ではなく、生まれながらの悪霊……物質的な肉体を持たずに生まれてくる霊的な生命体なのだそうだ。

 死せる悪霊は恨み辛みからくる感情で、相手を呪い破滅させる為に取り憑く。故に、その暗い感情を浄化してやりさえすれば、成仏させる事ができる。宝嶺寺の面々が請け負っている悪霊祓いはこのタイプの怨霊を相手にしたものであった。

 ところが、生ける悪霊はそうではない。彼らが人間に取り憑くのは憎しみからくる負の感情等ではなく、物質世界で活動する肉体を求めての行為である。現世での器を欲する彼らは依代の肉体そのものに執着しており、憎しみ云々を抱えている訳でもない為に成仏させる事もできないのだ。

 依代は悪霊が活動する為の肉の器である。それが強大な力を持てば持つ程、悪霊にとっては都合がいい。だが、膨大な魔力を有する人間というのは、得てして魔術の心得があるものだ。当然、肉体を支配しようとしてくる悪霊への対策方法も持ち合わせている事が多い。

 その点、常人の五倍もの魔力容量を持ちながら、魔術を知らぬが故に支配に抗えない稔は、悪霊にとってはまたとない依代であったのだ。

「この手の悪霊は、西洋においては悪魔と呼ばれています。怨霊祓いが専門の宝嶺寺の皆様にとって悪魔祓いは管轄外なのです」

「成程ね。同じ悪霊って名前でも畑違いって訳か……で、どうするよ雅? そこまで悪霊に詳しいんなら、解決方法も知っているんだろ?」

「はい。こういった案件は、やはり専門家に任せるべきでしょう」

 雅はそう言うと、携帯電話で何者かと連絡を取り出した。


 閑静な住宅街。そこに建てられているのが雅の連絡先である聖寿庵教会であった。

 オカルティスト御用達の鯖江道。そこに立つ星の智慧派教会の飾り気のなさとは対照的な見事な装飾の数々。色とりどりのステンドグラスの輝きが、日の光を通して荘厳な祈り場を彩っている。

 悪魔祓いは教会で。成程、雅の提案は理に適っている。

 魔王でありながら教会にも顔が利くとは。そう、雅の交友関係の広さに感心していた凡場達だったのだが。

 今、彼らの前に立ち塞がるのは一人のシスター。整った顔立ちのその少女は、親の仇でも見るような目で一同を迎え入れ、そして。

「現れましたね、この地を蝕む憎き魔王! まさかこの神の御膝下にすら土足で立ち入るとは思ってもいませんでしたよ! しかし、その度胸だけは褒めて差し上げます! 神の威光に平伏し、地獄で反省する覚悟はできましたか?」

 ぺらぺらと一方的に捲し立てるそのシスターを相手に、しかし雅は普段の様子を崩す事もなく返す。

「こんにちは芳音様。今日も元気そうで何よりです。ところで萩生神父は何処に? 連絡は既にそちらに行っているはずなのですが……」

「ふふん。流石は魔王! 私のような木っ端等相手にならないから叔父様を出せと! しかし、見くびってもらっては困ります! この悪徳に満ちた地を悪魔から取り戻すべく、この私もあなた方の研究を欠かした事はないのです! そして見なさい! あなた達武藤なる悪魔を調べ上げたその成果がこれです!」

 そう言って芳音なるシスターが天に高々と掲げた物は。

「悪魔には塩! 吸血鬼には大蒜! そして武藤の魔王にはこれ! 納豆です!」

 三パック一セットのセール品であった。

 まさかこんなものが雅の弱点? 雅に集中する凡場達に視線に対し、しかし雅はいつも通りの涼やかな顔を崩さない。

「ふっふっふ……恐ろしくて声も出ないようですね! さあ、教会から立ち去りなさい! ここは魔王が来ていいような場所では……アイタッ!」

 再び視線をシスターに移すと、頭を抱えている彼女と、軽い拳骨を振り下ろしたのであろう、どことなくやさぐれた雰囲気を感じる中年神父の姿があった。

「何をするのです叔父様! 我らの神の家が恐ろしき悪魔の王に侵略されているのですよ!」

「芳音……敵意のない奴に見境なく噛みつくな。大体そこの魔王殿は悪魔の王ではなくて魔女の王だ。今の理性の時代に魔女狩りなんざ流行らねえっての」

「魔女は火刑台へシュート! ええい! 臆しましたか叔父様! 例え地獄行きになろうとも、一人でも多くの悪魔を道連れにしようとするあなたの覚悟はどこへ行ったのです!」

「どこへも行っちゃあいねえよ。悪魔祓いはどんな手段を採ってでも解決するのが俺のポリシーだ。今回の悪魔祓いにはそこの魔王殿達の協力が必要なんだよ」

「むう……なら仕方ありませんね……」

「分かればよろしい。それじゃあ芳音。悪魔祓いの準備を仕上げてきてくれ」

「了解しました叔父様! 魔王! 甚だ遺憾ですが、一時休戦です! 我々の足を引っ張ったりするなら容赦しませんからね!」

 慌ただしく教会の奥へと消えていくシスターを見送り、神父は溜息をついた。

「悪かったな、魔王殿。アレでも幾分かはマシになったんだが……」

「いえいえ。もう慣れましたから。それに芳音様が大人しいと、寧ろ心配の方が先立ちます」

「はは、違いない。で、そこのお嬢さんが悪魔憑きか?」

 急に話を振られた稔は、声も出さずにこくこくと頷いた。

「自己紹介しとこう。俺は萩生流。さっきの喧しい奴は桐生芳音っていって、俺の従姪だ」

「あ、はい。よろしくお願いします」

「それにしても雅、随分と敵視されてんな。何かあったのか?」

 凡場の疑問に答えたのは、神父の方であった。

「ああ、それか。別になんもないさ。あいつは悪魔だの魔女だのといったものに一方的に敵愾心を持っているだけだ」

 萩生神父の語るところによると、芳音の母親……即ち萩生神父の従妹は宗教狂いだったらしく、芳音は厳格さが度を超えた母親から虐待紛いの育て方をされていたそうだ。

 自分の生活費はおろか娘の教育費すら教会への献金に纏めて使うその様を見咎めた父親に対して自ら離婚を決意。

 物質世界は悪に満ちていると娘に言い聞かせ、常に洗脳じみた方法で接し、肉親としての愛情が示されるのは母親の意に沿った行動をした時に限られる。

 そんな母親は天に至る方法として過度な断食を実行した結果餓死。断食に付き合わされていた芳音が、骨と皮ばかりになりながらも生き残れたのは奇跡に等しかった。

 毒親から解放された芳音であったがしかし、宗教的情熱で歪みきった育成方法は彼女の人格を確実に捻じ曲げていた。 

 人間は神の為に生を捧げなくてはならない。そんな強迫観念に無意識に支配されていた芳音は、彼女の境遇を哀れに思った親族達を大いに振り回したのだ。

 結果、自分達では手に負えないと根を上げた親族達に代わり、いとこの近況を彼女の葬式場で初めて知った萩生神父が引き取る事になったのだという。

 相も変わらず暴走しがちな芳音ではあったものの、例え自分が地獄に堕ちても他の人間達は天国に引き上げてみせると豪語する萩生神父の生き様には敬意を表しているらしく、現在は以前程の暴走を見せるような事はなくなったのだそうだ。

「……あんたも大変だな。幾ら血縁だからって、全く無関係な不良物件を引き受けるなんざ、俺からすればお人好しすぎる」

「全くの無関係ならば、或いは無視していたのかもな」

「は?」

「あいつの母親が宗教狂いに走ったのは俺に原因があるって事だ。今はこうやって放蕩三昧の不健康生活を満喫してる訳だがな。俺は昔、不治の病に侵されて成人するまで生きられないと周りからは諦めの目で見られていたんだよ」

 どこか醒めた子供時代だったと萩生神父は語る。

 病床から出られない哀れな子供を元気づけようと、親族達が何度も病院に見舞いに来たものだった。しかし、表面上はきっと治ると語るその裏を、萩生少年はそれとなく察する事ができた。

 この子は大人になるまで生きられない哀れな子。いつしか、萩生少年も自分の人生はそんなものなのだと受け入れていた。

 唯一、諦めなかったのが父親であった。カトリック教会の神父であった父親は、毎日必死になって神に息子を救ってくれと祈り続けたものだった。

 それに対して、萩生少年はどこか他人事のように父親の嘆願を眺めていた。滑稽だとも思ったという。今更祈ったところで何になる。そも、神が全能ならば初めから自分をこんな病弱な体で現世に送ったりはしないはずだ。

 父親は決して萩生少年に信仰を強いたりはしなかった。強いられた信仰では真に神を敬う心は身に付かないと考えていた為である。だから、萩生少年は神に祈るでもなく、神を恨むのでもなく。あとどれだけ生きて入れるのかな、等という漠然とした心で日々を過ごしていた。

 ある日、少年の様態が急変した。今夜が山場。もう助からないだろうと諦める医者や従妹を含む親族達の顔。枕元で必死になって十字架に祈る父親。この光景も見納めか、と少年は目を閉じた。

 だからこそ、翌朝目が覚めたのは正直言って驚いたと神父は語る。枕元に父親の十字架が転がっていたのが、やけに印象に残っていた。

 その日から、萩生少年の様態は徐々に快方に向かい……数ヵ月と経たぬ内に、これまでの寝所であった病院を後にする事ができたのだ。

 萩生少年の退院は、地元の新聞等でちょっとした話題になった。萩生少年としても、父親の祈りが神の下に届いたのでなければ説明がつかないと思っていた。

 しかし、困った事になった。自分は大人として生きていく事ができないと思っていたのだ。急遽神から手渡されたこれからの長い人生を、果たしてどのように生きていけばいいのやら。

 結局、萩生少年は父親の跡を継ぐ事にした。神によって救われた命だ。それまで信仰していなかったとは言え、このまま恩を返せないのではどうにもバツが悪い。ならば、降って湧いたこの命、迷える子羊の為に燃やして生きてやろうではないか。

 このように、不治の病からの奇跡の回復は萩生神父の生き様を決定付ける切欠となったのだが……もう一人の人生に影を落とす事にもなった。

「あいつの母親はな。俺が不治の病から一晩で回復した奇跡を見た事で神の存在を信じ切ってしまった。それも厄介な事に、神の慈悲の面ではなく、畏怖の面に屈してしまったんだ。咎人は地獄に堕ちる。罪人は神の怒りで永遠に罰せられる。それを恐れた結果、神に許しを得るべく過剰なまでに教会に入れ込む結果となった。だからだよ、あいつを引き取ったのは。俺が間接的にあいつを不幸にしてしまった以上、自分なりにけじめをつけようと思ってな」

「律儀なこったな……それにしてもだ。あいつ、悪魔だの魔女だのを嫌ってるんだろ? その割にはあいつ、人間止めてないか?」

「あー……やっぱ気付いたか……」

 魔術の修業を経て、周囲の魔力の流れを認識できるようになった凡場。そんな彼には、芳音の魔力の巡り方が人のそれとは違う事に気が付いていた。

 雅が苦笑する。

「芳音様、この町について早々に私の知り合いの魔女の方に喧嘩を売ってしまったらしく……」

「そのお仕置きとして魔女にされちまったんだよ。初めは落ち込んでいたんだが、今では妙な方向に吹っ切れてな。魔女と化して地獄行きが決まったんなら、俺を見習って一人でも多くの悪魔を道連れにしてみせると開き直っちまってるんだ」

 何とも迷惑な奴に目を付けられたものだと雅に同情の視線を送る凡場であったが、当の雅は別段気にした様子はない。来客の弱点を調べ上げた挙句、それを本人の前に突き出すような非常識な少女に対して、何とも寛容な事である。

「しかしまあ、魔王殿も意外な物を苦手にしていたものですな。まさか納豆が弱点とは」

「何言ってんだおっさん? 雅の奴、全然動じてなかったぞ? なあ」

「ええ、まあ。別に納豆は嫌いではないですよ」

「そうなのですか? 堅洲じゃ納豆を見かけた事がないし、町の皆も揃って武藤が禁じたと口にするものですから、てっきり苦手な物かと」

 神父の言葉を聞いて、凡場達は思い起こす。そう言えば、堅洲で過ごすようになってから確かに納豆を見ていない。凡場も別段好物ではなかった為に気にしていなかったのだが。指摘されてみれば、学食はおろか食料品店やスーパーですら納豆を置いていないのはいささか異常な事ではなかろうか。

 雅が言うには、それは堅洲の過去に原因があるとの事だった。

 世は戦国時代。魔王の誕生によって飢饉からようやく脱した堅洲村であったが、かつての荒地が豊富な食糧を生むようになったと知られると様々な勢力から狙われるようになった。

 堅洲村の自治を貫くには、独自の戦力が必要となる。そして、その戦力を生かすには様々な物資が必要となった。

 最も重要なのは兵糧である。人は最悪、武器がなくとも身一つで戦えるが、空腹ばかりはどうしようもない。補給線を断たれる事を考えるならば、外部から輸入する訳にもいかず、できる限り村内で兵糧を生産できるのが理想的であった。

 そんな糧食の中でも特に重要視されたのが味噌である。その栄養価の高さから味噌に注目した武将も数多い。

 味噌を作る為には麹が必要となる。麹の取り扱いにあたって、納豆菌の持ち込みは御法度であった。

 当時の堅洲はただでさえ小さな村。魔王である雅の魔力で不毛の大地から立ち直りつつあったとは言え、飢饉にて減少した村民の数はそれほど回復しておらず、村の内で作れる味噌の量は限られていた。となれば、必需品とも言える味噌を台無しにしかねないリスクを背負ってまで納豆を作る余裕はない訳で。

「自然と皆さん、納豆作りを自重してくれたんですよ。戦の世が遥か昔になった今でも慣習として根付くくらいには、町の方々も納豆に対して忌避間を持っているようでして」

 時代が進んだ現在では町をあげての味噌作りを行う必要性も無くなったのだが、武藤家が神事に必要という理由で昔ながらの酒造りを続けている事もあり、今でも堅洲民の間では納豆が厳禁という認識が有るのであった。


 祓魔室。萩生神父がそう呼ぶこの部屋は、教会の地下の広い空間を様々な呪物で埋め尽くしていた。

 前知識もなしにこの部屋に担ぎ込まれたのならば、信心深い者は教会の地下とは思えないに違いない。地面に描かれた魔法陣や、怪しげな怪物を模した小像や仮面の数々。どう見ても怪しげな悪魔崇拝者の拠点にしか見えない。一応此処は教会なのだと、壁には正位置の十字架が掲げられていたが、正直焼け石に水。部屋の持ち主が逆十字にするのを忘れたのかな、程度の感想しか覚えないだろう。

 こんな教会関係者が激怒しそうな装いの部屋の中、さも当然という様子で本棚から聖書を取り出す萩生神父。ちなみに本棚には悪魔学の書物が大半を占めており、それに交じって魔導書と思われる怪しげな書物がちらほら見えた。

 神に祈った事はあっても教会に祈った事はない。神父をやっているのも病気だった自分に付き合ってくれていた父親の顔を立てる為でしかない。そう豪語する萩生神父を、教会側はさぞ苦々しく思っている事であろう。しかし、世が世なら火刑に処されても仕方のないこの不良聖職者を教会が追放しないのには訳があった。

 一つは神への信仰心が本物である事。そしてもう一つが、類稀なる悪魔祓いの実力によるものである。

 これまで、萩生は精神疾患では片付けられない本物の悪魔憑きを幾つも解決してきた。しかも、教会に属する祓魔師と、この不良神父のやり方には明確な違いがあったのだ。

 祓魔師達があくまでも自分達の神の力のみを借りて悪魔祓いを行うのに対し、萩生神父は悪魔に取り憑かれた者を救う為ならば例え異教の神々の力であろうとも躊躇なく行使する。

 悪魔と対峙するには、まず悪魔を知らねばならない。敵を知り、己を知れば百戦危うからず。それを実行するが如く、教会では禁書とされるような魔導書にすら目を通していた。善悪問わぬ様々な神々の力を用いて、迷える子羊を救い続けてきたのである。

 とは言え、悪魔憑きに苦しみ教会に駆け込むような者は、大半が教会の信者である。助かる為とはいえ、異教の神の力など借りてしまえば神の怒りに触れ、地獄に堕とされるのではないかと不安に思う者も多かった。

 しかし、不良神父は笑ってこう答えたものだった。「異教の神の力を用いたのは俺なのだから、地獄に堕ちるのは俺自身。あんたはそんな心配しなくていい」と。

 悪魔に苦しむ者の為ならば、例え自分が地獄行きになってでも救ってみせる。その覚悟は患者達の心を強く惹き付けた。

 萩生神父を命の恩人だとして慕う者は世界中に数多くいる。彼に憧れ教会の扉を叩く者も少なくないのである。そんな彼に危害を加えれば、教会にとっても好ましくない結果になるのは明白であった。

 教会に対する敬意を微塵も持ち合わせていない萩生神父であるが、かといって腐敗を嘆く宗教改革者のように敵意を抱いている訳ではない。教会も所詮人間が作り上げたものなのだから、完璧な事などありえないと口にする彼を腹立たしく思う者は多くいたが、立場としては中立なのだ。ならば、下手に破門等の手段をとるよりも、彼の悪態を受け流しつつ利用した方が教会にとっては益が多い。大多数の善を救うべく、多少の悪を容認する事ができる程度に、現代の教会は寛容であった。

 さて。今、患者である稔は部屋の真ん中に設置された簡素な椅子に座っていた。その体は縄で縛りあげられている。萩生神父曰く、これは保険であった。稔が体の自由を奪われていないのは、複数の悪霊が所有権を争っているからに他ならない。故に、稔の人格が支配されないようにするには、悪霊達を同時に祓わなければならないが、万一祓いきる事ができずに一体の悪霊が残存した場合、それに支配された稔が暴れ出しかねなかったのだ。

「でもよ、本当にまとめて祓うなんて事できるのか? あんたを疑いたくはないが、今日が初見で実力が分かんないしな」

「まあ、一体ずつ祓っていくのならともかく、まとめてとなると一人でやるにはしんどい数だ。幸い人手はあるんでな。君達にも手伝ってもらおう」

「俺達に? 俺は魔術師としては見習いもいいところだし、北川達は怪異慣れしていない。雅に至っては魔術が使えないんだぜ?」

「君達、荒事には慣れているんだろう? なら、そう難しい事ではない。姿を現した悪魔共にこいつを叩き込むだけだ」

 萩生神父はそう言って、黒い布に包まれた何かを両手で抱えた。布が剝がされるとそこには、飾り気のない四本の剣が姿を現す。

「洗礼を施した霊剣だ。こいつならば実態を持たない霊でも斬る事ができる。最も、これで悪魔共を滅ぼす事は出来ない。だが、お嬢さんと悪魔共の繫がりを断つ事はできる。後は俺が連中を然るべき場所に送り返して悪魔祓いは終了って訳だ」

「へえ……で、剣は四本だけだが……誰が持つ?」

「雅さんって色んな武器に精通してるんすよね? ポン刀が一番得意らしいっすけど、西洋の剣ってのは扱えるっすか?」

「嗜む程度には」

「じゃあ後三本か」

「俺らに扱えるっすかね? 俺、鉄パイプとか釘バットとかしか使った事ないっすよ」

「ドスの経験はあるけどステゴロの方が得意だなあ……」

「自転車のチェーン捌きなら自信があるんだが……」

 誰が霊剣を使うのかを話し合う不良少年達の下に、シスターが声を上げる。

「私! 私が悪魔を叩き斬ってやります!」

「お前は俺の補助だ」

 興奮する芳音の首根っこをつかむ神父の姿を凡場が苦笑しながら見ていると、袖口を引っ張る感触が。藤だった。

「へ……蛇です叔父様! 悪魔の使徒が紛れ込んでます!」

 喚く芳音を無視して、凡場は藤に問いかけた。

「どした?」

 ゆらゆらと揺れる藤。蛇人間の知り合いがいる雅が、彼女の意を汲み取って凡場に伝える。

「それは朗報ですね。霊剣の魔力の流れを真似られるかもしれないそうです。うまくいけば刀に化けた藤様でも霊体を断つ事ができるようになります」

「マジでか?」

「使える剣の数が増えるという訳か。これで五本。全員に霊剣が行き渡るな。よしよし、蛇のお嬢さん。こいつをしっかり真似てくれ。切れる札は多いに越した事はないからな」

「ちょっと叔父様? よりにもよって悪魔の使徒に神の秘跡を授けるなんて……!」

「あーあー聞こえない聞こえなーい」

 どこの世界に神の力を神の敵たる蛇に手渡す信徒がいるのだ。そう抗議する芳音の言葉を適当に聞き流す。何とも型破りな神父であった。


「準備は万端。じゃあお嬢さん、始めるぞ」

「は、はい」

 緊張の面持ちで頷く稔。その目の前には聖書と十字架を手にした萩生神父と脇に控えるシスター芳音。雅と凡場、そして不良三人組は床に描かれた五芒星の頂点にそれぞれ剣を手にして構えている。

 悪魔祓いが始まった。地下室に朗々と響き渡る神父の聖句。それに合わせて芳音が円を描くように聖水を床に撒いていく。

 聖水による円陣が完成したその時であった。神父の聖句に合わせて稔の体の中から、黒い煙のようなものが四つ、立ち上がり始める。まるで自分の魂が引き抜かれているような錯覚を覚えるが、そんな心とは裏腹に体の方に違和感がないのは奇妙な感覚であった。

 煙によって繋がれた先。黒い影がしかとした形を取り始めた。人間を滑稽に戯画化したかのような悪霊達が、姿を露にする。

「現れましたね悪魔共! 名を名乗りなさい!」

 稔と煙で繋がれた四体の悪魔は、十字架を手に啖呵を切る芳音に見下すような笑みを浮かべる。

『我が名はカイヌス』と靄のような怪人が。

『吾輩はアドルフス』と鍵十字を掲げる怪人が。

『儂はヴァレンティヌス』とセピア色の怪人が。

『朕はドミティウス也』と焼死体を思わせる怪人が。

 各々名乗りを上げる悪魔達に、芳音は堂々と真正面から立ちはだかった。

「神の名を汚そうとする呪われし者共! 早々に地獄へと立ち去りなさい!」

『くくく……小娘、呪われた身ながら未だに神への信仰心を捨てきれないとは……』

『何とも滑稽! 何とも無様! 魔女である貴様に神が寵愛を向けると思っているのか?』

『いかに十字架で武装した所で、神は魔女たる貴様に力など貸したりはせぬ!』

『しかりしかり。未だに神が全能の支配者等という幻想を抱く者には、現実というものを教えてやらねばならぬ』

 悪霊達はせせら笑いながら、互いに目配せしあった。

『この娘の所有権の有無は、一旦横に置くとしよう』

『よかろう。まず、そこで聖句を唱えている忌々しい神父をどうにかせねば、なんの成果もなしに魔界に戻らねばならなくなりそうだからな』

『しかりしかり』

 一時の休戦を受け入れた悪霊達。その姿が、徐々に薄まっていく。

「む! 透明化してのステルスアタックですか! 汚い悪魔流石汚い!」

『くくく、汚いは悪魔の誉め言葉……って、ちょっと待て。透明化?』

『な! どうなっておる? 儂らの体が薄れていくぞ?』

『消える消える! 魔界に引っ張られる!』

『一体何がどうなって……ってオイイイイッ!』

 振り返った悪魔達が同時に絶叫を上げた。稔と彼らを繋いでいた紐状の煙がいつの間にか断ち切られていた。そんな彼らの真後ろで、いつの間に近づいていたのか、雅と不良三人組がハイタッチを交わしていた。

『貴様らアアアアッ! 名乗り口上中は攻撃してはならんという暗黙の了解を知らんのアアアアッ!』

『汚い流石人間汚い! 交わした約束はあっさり保護にする! 証拠として契約書を残せば盗み出して勝手に廃棄! 契約を結ぶ際に出した条件には土壇場になって覆す! あげくの果てには神に頼み込んで我々を加害者に仕立て上げる始末! 何が羊だこのヤクザ共が! 契約も守れない屑共が聖人面してんじゃねエエエエッ!』

『ハルマゲドンになったら真っ先にお主らボコッたるから覚悟しとけよオオオオッ!』

『しかりしかりイイイイッ!』

 仰々しく登場しておきながら、なんの行動も起せず。現世との繫がりを断たれた四体の悪魔達は、萩生神父の唱える聖句によってあっさりと魔界へと送り返された。

 しかし、彼らの残した呪詛と怨嗟の残響も、霊剣の戦士達には何の感傷も呼び起こす事がなかったようで。

「うまくいったっすね! 奴らに気付かずに近づけたのは雅さんが合図してくれたおかげっす!」

「いえいえ。皆様も初めてにしては中々良い太刀筋でした」

「ったく、俺とした事が出遅れるとはな。おかげで藤での試し切りができなかった」

 和気藹々と健闘を称えあう男達を、十字架を構えたまま手持無沙汰となっていた芳音が不満気な様子で見つめていた。

「相手が悪魔とはいえ名乗りの最中に堂々と不意打ちを行うとは……汚い魔王流石汚い」

「そうは言うがな。ほれ、こいつ」

 悪魔との対決を邪魔されて何か文句を言いたげな芳音に対し、凡場は封神鏡を見せつけた。中には捕らわれの身となった悪霊共の片割れが『クッコロクッコロ』と喚いている。

「こいつとやりあった際、俺らは部屋の中を随分と荒らされたぞ? まだ掃除も終わっちゃいねえし」

「この部屋には色々と物品が積み重なっていますからね。悪霊の皆様が暴れ出す前に事を済ませてしまった方が、後片付けの手間も考えずに済むと思ったのですが……」

「むう……」

 部屋の中を見回す芳音。散乱しているとまでは言えないが、無造作に置かれているとしか思えない異教の呪具の数々。これらが荒らされた際の手間を考えたのか、芳音は渋々口を噤む。

「え~と……これで悪魔祓いは終わったんですよね?」

「確認できていた悪霊は五体だったな」

「全員無事にお帰りいただけましたね」

「よかった~」

 ほっと一息つく稔。だが、神父は首を横に振った。

「残念だがお嬢さん。まだ終わっちゃいない」

「へ?」

「とっとと姿を現したらどうだ? 長年悪魔祓いをやっていると鼻が利くようになってな。隠れていても悪魔の臭いはすぐわかるんだよ」

 神父が稔に向かって言い放つと、稔の体から再び煙のようなものが漏れ出した。その量は先の四体の悪霊の比ではない。

『中々侮れんな、人の子よ。邪魔者共が消し去ってくれたのは有難いが、隠れ潜んでいた我の存在まで嗅ぎ付けるとは思ってもいなかったぞ?』

 煙が姿を形作る。三対の翼を備えた赤い蛇。

 それにしても何という大きさか。決して狭くはない祓魔室を埋め尽くすように幾重にも撒かれる蜷局。

『お初にお目にかかる人の子よ。我が名はルシフェル……』

「ルシフェルですって?」

 芳音が驚愕の声を上げた。無理もない。ルシフェルといえばキリスト教を学ぶ者なら知らぬ者がいない程の大物悪魔。またの名をサタンとされる、神の最大の敵の名であった。

 そのような悪魔王の登場に、しかし芳音は臆した様子がない。むしろ闘志が燃え上がった様子で。

「とうとう人間界に乗り込んできましたか神の大敵ルシフェル! 唐突なハルマゲドンの勃発でも私は退いたりしません! 塩を食らえ! 大蒜を食らえ! ついでに納豆を食らえエエエッ!」

『待て待て待て! まだ我が喋ってる途中でしょ! 名乗り口上中は邪魔しちゃならないという先程までの高潔な心根を思い出せ人の子よ! ってか臭い臭い臭い! 何そのネバネバしたの! 我にそれを近づけるでない!』

 塩と大蒜に塗れながら凄まじい勢いでかき回される納豆を捌き続けるルシフェル。激しい攻防の中、途端にその姿が薄くなっていく。悪霊が信仰心が暴走するシスターから目を移すと、そこには日本刀を構えた凡場の姿が。

「おお~! うまく斬れたっすね、凡場さん!」

「よしよし、よくやったぞ藤。これで今後悪霊が出てきても物理的に対処できる」

 刀の姿から蛇に戻った藤の頭を軽く撫でてやると、この小さな蛇は嬉しそうに体を燻らせた。

 一方で大きい方の蛇はと言うと。

『……あのさ少年。凝りもせず懲りもせず、名乗り口上中にアンブッシュって……我もどうかと思うのよ』

「隙を見せたお前が悪い。それに天丼は基本って言うだろ?」

『そりゃそうだけどさあ……まあ、今回は負けを認めよう。正直、これ以上人の世に留まっているのも限界が近いのでな』

「割かしあっさりと敗北を認めるんだな」

『いや……そこの神父殿の聖句や聖水は単に気合で耐えてただけでな。一人だけ最後まで隠れている事で小娘の肉体を独り占めしてやろうと目論んでいたんだが、もう体力的にも魔力的にもいっぱいいっぱいで……その上でそこのシスター殿の塩の投擲が重なったとあったらもう。今の我には小娘の肉体を支配する力すら残っておらぬのだ。これ以上現世にしがみついているのもしんどいし、大人しくお家に帰るとしよう』

「それでいいのか悪魔の王様よ」

 呆れたような凡場の言葉に、しかし赤い蛇は不思議そうな表情を浮かべた。

『人の子よ……我は別に王ではないぞ?』

「はい? どういう事ですかルシフェル! まさか地獄でクーデターが? 悪魔王を超える悪魔王が人知れず誕生していたと?」

 納豆を放り出して詰め寄る芳音に、ルシフェルを名乗る悪霊は合点がいったとばかりに頷いた。

『何か勘違いしておるようだな。お主らが言っているルシフェルとは魔王サタンの事であろう? サタン殿と我とは血の繋がりも何もない。ほれ見ろ。サタン殿は六対の翼を持っているが、我の翼は三対しかないであろう?』

「な? あなたはルシフェルではないと? 私を騙したのですかこの悪魔!」

『騙してはおらぬよ。我が名がルシフェルというのは紛れもない事実。人の世でも別に珍しくなかろう? ミカエルだのガブリエルだのラファエルだの、親が我が子に有名人にあやかった名前を付けるなどという事は……』

「あ~……成程ね……」

 要はこの赤蛇は悪魔王と同名なだけの別悪魔。道理で凡場達でも容易く撃退できた訳である。

「一応聞いておくが、ルシフェルって名前の悪魔ってお前の他にもまだいるのか?」

『なんせ魔界で一番人気のある名前故な。どれ程の数のルシフェルが存在するかは我でも分からん。時折人の世に契約書が残される事もあろうが、そこに署名しているのはまず間違いなくサタン殿とは無関係の悪魔だな。一々個人相手につまらぬ契約を取りに行ける程、魔界の王とは暇な存在ではない。と言う訳でだ小娘』

「あ、はい。私ですか?」

 突如として話を振られた稔が慌てて蛇に返事を返す。

『うむ。例え我を退けたとしても、お主が無防備な限り、第二第三のルシフェルがお主の前に現れるであろう。それが嫌ならば何らかの対策をとるのだな。ではさらばだ』

 自身を撃退した者へのエールなのだろうか。赤蛇ルシフェルは助言を残して、素直に魔界へと帰って行った。

「何か対策を取れと言われても……」

 途方に暮れる稔。彼女の戒めの縄を解きながら、凡場は突如として非日常に放り込まれた少女に自分の境遇を重ねて同情するのであった。

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