とある貴族令息の婚約破棄計画 ~次男視点~
「お呼びですか、父上」
「あぁ、来たか」
使用人たちに連れて行かれる腹違いの兄が叫ぶ声を背に受けながら、現実は緩む頬を押さえることができなかった。もちろん誰かに見られるようなヘマはしていないし、父上の執務室の前に着く頃には普段通りの真面目な顔に戻ってはいたが、それでも内心はまだまだ喜びに満ち溢れているままで。
「計画通り、今後はお前がこの家の跡継ぎとなる」
「はい、ありがとうございます」
そう、全ては私たちの――いや、私の計画通りだった。
そもそも男児のみが跡継ぎとして認められるというこの国の特性上、本妻との間に長く子供が望めなかった場合や生まれても女児ばかりだった場合の救済処置として、妾制度というものが存在している。それは確かなのだが、だからといってはじめから妾を迎え入れるなどと宣言するような愚かな行為、通常の感覚を持つ貴族であればあり得ない。
だというのに、つい先ほどまでこの家の跡継ぎだったはずの人物がなぜそんなことを、しかも婚約者の令嬢に向かって言い放ったのかといえば……。
(兄上の敗因は、実母が調子に乗って息子を甘やかしすぎる人物だったことだろうね)
長いこと男児に恵まれなかった父上が、これ以上母上に負担をかけないようにと断腸の思いで迎え入れた妾が、あっさりと男児を生んでみせたのだ。確かにそれは彼女の役割であったし、正しく父上の期待に応えてみせたことも間違いではない。しかし彼女はあろうことか、男児を産み落とした自分こそが偉いのだと勘違いしてしまった。
本来であれば母上の心的負担を減らすために選ばれただけだった人物が、いつの間にかこの家のために仕事をしたのは自分のほうだと母上を見下すようになってしまい、結果どんなにいい教育を施したところで彼女の息子は根本的な部分が自分勝手でわがままな性格になってしまったのだ。
その片鱗は早いうちから出てきていたようで、幼い頃など気に入らないことがあればすぐに癇癪を起していたのだと聞いている。だが周囲の人々も唯一の跡継ぎである以上は大切に育てなければと考え遠慮していたのか、あまり強く進言できずにいたそうだ。
だがそれも、やがて終わりを迎えた。そう、母上が私という男児を産み落としたことで。
そこからは父上も一時悩まれたと、私が計画を持ち込んだ際に直接お聞きした覚えがある。長男である妾の子を跡継ぎとするか、それとも本妻が生んだ正式な血筋の次男を跡継ぎとするか。
しかしその頃にはすでに兄上にも婚約者がおり、先方の家との約束事である以上はこちら側の一方的な都合で勝手に婚約相手の変更を申し出るのも失礼だろうからと、なにも問題が起きなければこのまま長男である兄上を跡継ぎにしようと決意したそうだ。ただし、今の状態では近い将来必ず問題を起こすことになるだろうという確信もあったうえで、すぐに次男である私に嫡男の変更手続きができるよう書類の手配だけは済ませた状態で、だったらしいのだが。
(つまり父上も、本心では本妻の子を跡継ぎとしたいと考えていたということ)
私が生まれてきてからは兄上に対して以前より厳しく接するようにと、教師や使用人たちにも通達を出したこともあるらしい。だがそれでも本質が変わる様子がないことを見て取った父上は、その時点ですでに一度見切りをつけていたのだ。だからこそ逆に兄上にはもうなにも期待せず厳しく教育することも諦め、けれど私に万が一のことがあった場合のことも考え念のため教育だけは続けさせていたのだとか。
そんな中、ある日私が兄上の愛人の多さと婚約者である令嬢に対する数々の失礼な言動を問題視したうえで、可能ならば婚約相手の変更を先方の家へと願い出ることはできないかと相談したのだ。父上にとっては、まさに運命と言っても過言ではない日だったことだろう。
そこから私たちは具体的な方法を話し合い、徐々に計画の内容を詰めていくことにしたのだった。
(とはいえ、最初から私が計画していた通りに物事は全て順調に進んでくれていたのだけれどね)
兄上の好みに合う女性を見繕って後に引けないような状況へと追いやったうえで、あえて婚約者の令嬢の前で失態を犯してもらう。その方法はなんでもよかったのだが、最も手っ取り早いのは婚約の破棄を宣言させることだろうと考えた私は、使用人たちにも協力してもらうことで兄上を誘導することに成功したのだった。
私にとって幸運だったのは、嫡男だからと長年使用人たちに厳しく当たってきた兄上は彼らに一切好かれておらず、むしろ跡継ぎとしてはふさわしくないと思われていたこともあり、そのおかげで彼らがこの計画を快く引き受けてくれたという点だろう。比較対象の好感度が地の底まで落ちていたことで苦労することはおろか、兄上や父上の妾に計画が漏れるようなことも一切なかったのだから。
とはいえ残念ながら先ほどまで私の腹違いの兄だったあの男は以前から婚約者の令嬢の前で妾の必要性を説くという失礼極まりない言動が多く、実際彼女や先方の家の当主からもそういった理由であまり好かれてはいなかったため、婚約者の変更を求められるのも時間の問題だったのかもしれない。だが私は、一日でも早く二人の婚約関係を解消させたかった。それは、兄の婚約者として彼女を紹介されたあの日からずっと、私が望んできたこと。
(甘いはちみつ色の瞳で優しく見つめられた瞬間、兄上には渡したくないと思ってしまったのだから)
そもそも本来であれば、本妻の子である私がこの家を継ぐべきなのだ。つまり彼女もまた、私の婚約者であるのが正しい姿のはず。
さらには自分勝手な兄上は婚約者に対して気を遣うようなこともなく、自分の意見に賛同しないというただそれだけの理由で腹を立て彼女を置き去りにしてしまうような出来事が、それはもう信じられないほど数多くあったのだ。そのたびに私が代わりに彼女の相手をし、互いに他愛もない会話で盛り上がったり未来の領地経営について意見を出し合ったりと少しずつ距離を縮めていたのだから、これではもうどちらが本当の婚約者なのかも周囲だって分からなくなっていたことだろう。
ならば私が本当の婚約者になることに、なんの問題があるというのか。
計画が漏れてはいけないから、彼女に本当のことを伝えることはできなかった。だが近々いいことが起こるはずだからもう少しだけ待っていて欲しいと、兄上に一方的に婚約の破棄を突きつけられた彼女を慰めながらかけた言葉を、ようやく現実のものにすることができる。
「結局は出来損ないを生むことしかできなかった妾も、もう用済みだな。近々実家へと戻らせることにする」
母上を本気で愛している父上は、私とは違う意味で上機嫌になりながらそう宣言していたけれど。まさか数日後にはすでにいなくなっているとは予想していなかった私としては、あまりの素早さに驚くばかりではあった。
だが、なんにせよ。
(これで、彼女は私の婚約者だ)
完璧な婚約破棄計画によって、私は全てを手に入れることに成功したのだ。今だけは兄と呼んでいた愚かな男に感謝してもいいかもしれないと、はじめて正式な婚約者として目の前の優しいはちみつ色の視線を受けた私は、心からの笑みを浮かべていたのだった。




