とある貴族令息の婚約破棄計画 ~長男視点~
「家同士のつながりということの本当の意味合いを、お前は理解していなかったようだな」
「ち、父上……!」
冷たい視線で見下ろしてくる私と同じ青の瞳が、失望以上に怒りを宿していることに気づいてしまった。だが次の瞬間には興味を失ったかのように私からその視線を外し、感情の乗らない声とゾッとするような切り替えの早さで、父上はこう告げたのだ。
「望み通り例の娘との結婚を許してやろう。だがその代わりに、二度とこの屋敷に足を踏み入れることは許さん。なにせ我が家の長男は不慮の事故で突然亡くなってしまったため、その遺体も回収できないまま仕方なく弟を跡継ぎとして、急いで先方の令嬢と新しく婚約を結び直すのだからな」
「そんなっ……! お待ちください父上! どうか私の話を聞いてください!」
「そこの誰とも知らぬ男はつまみ出せ。それから、しばらくの間喪に服す準備を」
「かしこまりました」
貴族としての私の存在を完全に消すのだと案に告げられたのだと気づき父上に急いで縋りつこうとしたが、その前に側に控えていた使用人へと父上が指示を出したことで私はあっさり押さえつけられ、部屋の外へと連れ出されてしまったのだった。
「なぜだ! 私がなにをしたというのだ! 間違っているのは、あの女のほうだろう!」
体格のいい男二人に両脇を抱えられてしまっては、私に成す術などない。だが口だけはまだ自由なので、私の正当性を彼らに説明する。真実を知れば父上も考え直してくださるかもしれないと思ったからだ。
「本妻が跡継ぎを生めない可能性を考えて、あらかじめ多くの妾を迎え入れておくことは理にかなっているはずだ! それを受け入れられないような女が嫡男の婚約者の座にいるなど、おかしな話ではないか!」
だから私は「それは認められません」などと生意気にも口答えしてきたあの女に、婚約の破棄を告げてやったのだ。
そもそもこの国で跡継ぎとして認められているのは男だけだというのに、本妻として迎え入れられた女が男児を生めないという事態が多発していた。だから妾という制度が存在し、必ずその家の血を継いだ男児を跡継ぎとするよう国から定められているというのに、あろうことかあの女はその制度を否定したのだ。最初から妾を大勢迎え入れられては妻の立場がなくなってしまう、などという下らない理由で。
だが現実は、私自身が妾の子なのだ。本妻がいつまで経っても男児を生めないからと、呆れた父上が母上を迎え入れてすぐ、私を身籠った。そして父上の跡継ぎとして、今日まで育てられてきたのだ。事実、母上も幾度となく私に教えてくれた。私こそが嫡男であり、この家を継ぐべき人間なのだと。
そもそも本妻とは、ただ家同士のつながりのためだけに選ばれた相手にすぎない。そこにあるのは愛ではなく、ただの義務だけだ。ならば将来この家の家督を継ぐ私にとって、もっと条件のいい相手を選んでもいいのではないか。そう母上に不満をこぼせば、その通りだと嬉しそうに頷いてくれた。
だというのに、この扱いはいったいなんだというのだ。私は決して間違ったことは言っていない。家の未来のためにも必要なことを口にしただけであって、それを否定してくるような女と夫婦にはなれないのだと宣言することの、なにが悪いというのか。
「おや? 兄上、どうかされたのですか?」
一向に私の話に耳を傾けようとはしない使用人たちに、いい加減本気で腹が立ち始めた時だった。前方から歩いてくる私と同じ青の瞳を持ちながら、さらには父上と全く同じ金の髪まで受け継いで生まれてきた憎き本妻の息子である弟が、まるで不思議な光景を見たとでも言いたげにこちらに声をかけてきたのだ。
(私は母上と同じ栗色の髪だというのに、こいつはあとから生まれてきたくせに完璧なまでに父上と同じ色をしているなど……!)
それだけでも許せないというのに、そこにさらに周囲の人間たちからの「さすが本妻の子だ」という腹違いの弟ばかりを褒めちぎる言葉が私の自尊心を深く傷つけてくるのだから、もはや存在していること自体が許せないほど憎い相手だった。
「……お前こそ、どうしてここにいる?」
だがそれをここで喚いたところで、なにかが変わるわけではない。それは私も嫌というほど経験してきて、よく理解しているのだ。母上は本妻が当てつけのように産んだ子供だと今でも時折叫んでいるが、だからといってその事実がなくなるわけでもないのだから。
「父上に呼ばれているのです。今後について大切な話がある、と」
「っ……!」
だが今、私は本気で目の前のこの男が生まれてこなければよかったのにと心から思った。腹違いの弟など生まれなければ、きっと父上が私を見限るようなこともなかったはずなのだ。
母上のように叫び出したい気持ちを下唇をかむことで必死に抑え込んではいるが、怒りと憎しみで体は小刻みに震えてくる。もはや視界に入れるのも許せそうになくて、私は思わず目の前の人物から視線を逸らした。
だが、こいつは私のそんな様子になにを思ったのか、突然近づいてきて。そうして私の耳元で、他の誰にも聞こえないほど小さな声で、こう呟いたのだ。
「兄上、お疲れ様でした」
と。
その瞬間、私は唐突に理解した。それもこれも全て、私から跡継ぎの座を奪うために目の前のこいつが仕組んだことだったのだと。事実その瞳は、こちらを蔑むような視線を向けてきていたのだから。
「お前ぇっーー!!」
思わず、なにもかもをかなぐり捨てて目の前のこの憎い顔を殴りつけてやりたいという衝動に駆られ叫んだのだが、そんな私の両脇を抱え込んだままの使用人二人がこの場から立ち去ろうとするように引きずり出す。まるで、この男を守ろうとしているかのように。
「ふざけるな! 私はこの家の跡継ぎだぞ! 弟の分際で!」
だが私の心からの叫びもむなしく、憎き弟は一度も振り返ることなく廊下の向こう側へと消えていってしまい、二度とその顔を見ることも殴ることも叶わなかった。
そうして、玄関扉から外に放り出された私は。
「おめでとうございます。私どもといたしましても、あなた様の願いが叶わぬのではないかと常に心を痛めていたのです。旦那様からお許しをいただけたようで、本当にようございました」
なぜか大勢の使用人たちに、にこやかに見送られるという状況に置かれていて。
「例の女性にも、本日よりご自宅で共に生活できるということをお伝えしておりますので、どうぞご安心ください。あなた様と共にあれることを、大変喜んでいらっしゃったそうですよ」
そして同時に決して私の名前を呼ぼうとはしないその徹底した態度に、父上からの指示がもうここまで浸透しているのだという現実を突きつけられていた。
「い、いや……私は……」
「あちらに馬車を用意してございますので、どうぞお乗りください。女性のご自宅まで、しっかりとご案内いたしますので」
「っ……」
玄関扉の前に大勢の使用人たちが揃っているのは、決して私の見送りのためではない。おそらく人の壁を作ることで、私がもう一度屋敷の中に入ろうとするのを完全に阻止しているのだろう。
そして同時に、私は彼らに一切好かれていないようだった。
引きとめる者もおらず、むしろ全員が心から嬉しそうな表情を浮かべ喜んでいるようにも見える目の前の事実こそが、そのなによりの証拠だろう。
今さらながらそんなことに気づいて父上の本気度合いに絶望し、さらにはつい先ほどまで私がいる限り跡取りになることはできないのだと見下していた人物にまんまとはめられていたのだという現実が、心からも体からも抵抗する気力を奪っていく。
「さぁ、どうぞ。愛する女性とお幸せに」
「っ……。あぁ、当然だ。私は彼女といられるだけで、幸せなのだからな」
もはやそれ以外に取れる道など存在しておらず、言われた通りに家紋すらない馬車に乗り込み、私は屋敷をあとにした。遠ざかっていく見慣れたその姿に、深い絶望と後悔の念だけを抱きながら。