死人茶
華霖王朝の中期、南東の山岳地帯に「緋雲山」と呼ばれる聖域があった。
その麓に住む茶師一族・蓮氏は、代々“香葉”という幻の茶葉を育てていた。
香葉の茶はひとたび口にすれば、夢に望む者を映し、死者とも語らせるという。
都では貴族たちの間で「死人茶」と噂され、禁忌とされていた。
だが、一族はこの茶を代々、王朝の深奥に仕える密使にのみ供していたという。
ある年の晩夏、都から若き文官・柳 広慎が、蓮氏の茶園を訪れた。
「父の死の真相を知りたい」──それが彼の目的だった。
彼の父は数年前、反乱に加担したとして処刑された。だが、広慎は信じていなかった。父は忠臣であり、なにかの冤罪に違いないと。
「香葉の茶は、死者の夢を見せると聞いた。それが真実なら、父に会えるはずだ」
蓮家の当主・蓮芳はしばらく黙っていたが、やがて静かに言った。
「本当に、見るおつもりですか? 死者が語るのは、必ずしも真実とは限りません。それでも?」
広慎はうなずいた。
夜、月のない晩、茶会が開かれた。
黒漆の小卓に香葉の茶碗が置かれ、その香は人の記憶を揺さぶるように妖しく漂った。
「一服で十分です。飲み干したら、そのまま目を閉じてください」
広慎は茶を啜った。
──気がつくと、目の前に父がいた。
青い官服を着て、庭に立っていた。
だが、顔が歪んでいる。笑っているのか泣いているのか、表情が崩れていた。
「なぜ来た……これは、来るべき場所ではない……」
広慎は問いかけた。
「父上、誰があなたを陥れたのです? 真実を教えてください」
父は指を口に当て、ふるえる声で言った。
「知るな……忘れろ……香葉の茶は、魂の泥だ。すするたびに、人の心を奪う……お前まで……」
その瞬間、父の顔が崩れ、黒い泥となって崩れ落ちた。
広慎は目を覚ました。
だが、なにかがおかしい。
目の前にいた蓮芳の顔が、泥にまみれ、ゆっくりと溶けていた。
「見てしまいましたね……私たちが何を守ってきたか……」
蓮芳の背後に、蓮家の女たちが並んでいた。
全員の顔が、泥のように歪んでいる。目と口だけが、生きているように濡れていた。
「香葉は茶ではないのです。
これは、土に葬られた“声”そのもの。
反乱者、裏切り者、都から消された者の魂が、根となり葉となった」
「夢に死者を呼ぶのではなく、
あの茶は、“死者を養って育てている”。
飲めば、お前も根になる」
広慎は立ち上がろうとしたが、体が動かない。
茶碗の中で、黒い茶がぐるぐると渦を巻いていた。
「すぐに慣れますよ。今夜からは、あなたが香葉の味を深めるのです。
貴方の悔恨と疑念が、きっと美しい香となるでしょう」
最後に見たのは、茶畑の奥に埋められた無数の黒い根──それが人の骨であることに、疑いはなかった。
それからしばらくして、蓮氏の茶園は都に「新しい香葉が届いた」と報せを送った。
その年の香は、ことさら深く、苦く、そして、不思議に甘かったという。