#2018 赤羽台
「あらあなた、こんな所で寝てたの? 着替えもせずに。風邪ひいたんじゃないの?」
母親に声をかけられ、むくっと起き上がる。
辺りを見回す。
父の部屋だ。2018年の。
私は、頭からヘッドフォンを外し、ウォークマンを棚に戻した。
「ほら、朝ごはんよ、食べちゃなさい」
母はそう言って部屋を出てドアを閉めた。パタパタと足音が遠ざかっていく。
〇
リビングのテーブルに、朝食が用意されていた。
私の分、一食だけ。
恐るおそる、母に尋ねる。
「あの、父さんは?」
キッチンで洗い物をしていた母が怪訝そうに振り返る。
「なに寝ぼけたこと言ってんのよ、ここにいるわけないでしょ……お父さんは、もうとっくに」
そうか……父さん……結局、約束を守ってくれなかったのか。
「お父さんなら、もうとっくにご朝ご飯を済ませて、いつもの朝の散歩に出かけてるでしょ」
そう言って母は意味ありげに微笑んだ。
え⁈
ドアの鍵がガチャリと開く音がした。
「ただいまー」
父の声だ。
私は慌てて玄関に向かう。
ドアの手前に父の姿があった。
私の姿を認めると、手をあげて微笑んだ。
「お、おかえり……父さん」
「ただいま。あの手術以来、リハビリがてら始めた朝の散歩だけど、今もやめられなくてね」
そう言って、父は耳からオープンイヤー型のイヤホンをはずした。
私は父の胸に飛び込む。
「よかった……ほんとに」
「ああ、命の恩人の誰かさんのおかげだ」
両手で私の肩をつかみ、私を見つめる。
「ミレイも、今帰ってきたんだね、1984年から。……おかえり」
〇
ウォークマンは、父の部屋の棚に戻したけど、『U.S.VAN・VAN』で購入したデニムのパンツのポケットにもう一つ、ゴロンとしたものが入っていた。祖母がくれた、可愛い子猫の刺繍が入った財布だ。
その日の午後、同じ赤羽台の団地の1LDKの部屋で一人暮らししている祖母を訪ねた。
「おかえり」
部屋に入って私の顔を見るなり、祖母からもそう言われた。ニコニコしている。
「ただいま、おばあちゃん……それからこれ返す。一応バイトしてたから、借りた分は入っている」
そう言って私は財布を差し出した。
「あらまあ、懐かしい……でもいいのよ。ちゃんとタカシが返してくれたから」
「そうなの?」
「あの子、そういうとこ律儀だからねえ……そうだ、聖徳太子と福沢諭吉、交換してもらおうかしら」
「あ、残念だけど、あの年の十一月に一万円札、福沢諭吉に代わっちゃったから」
「あら、そうだっけ? だめねえ、ボケちゃったかしら」
「なに言ってんのよ」
祖母は緑茶と伊勢屋の豆大福を出してくれ、少しの間、当時の話をした。私にとっては、つい最近の1984年の出来事。祖母にとっては三十年以上前の昔話。
「あなたがいなくなった日の夜、タカシがね、『あの子、帰ったよ』って言うので、『よかったわね。で、どこに帰ったの?』って聞いたら、『ミレイはミライへ』って答えたのよ。フフフ」
「……びっくりした?」
「そうねえ、そういうもんかもねえって思ったかな?」
「おばあちゃんさ、いきなり私が現れた時もあんまり驚かないで、よくしてくれたじゃない。どうして?」
「どうしてかしら?……そうそう、あなたその子に似てたからよ」
そう言ってテーブルの上に置いてある子猫の財布に目を遣った。
「なんか、迷い猫みたいで放っとけなかったのよ」
「そういうことだったの⁈ ……でも、ありがとう」
祖母は何もいわずニコニコしてお茶を啜った。
〇
その週の日曜、私は母と父を浅草まで連れ出し街歩きをした。
トホホの会の続きだ。
リビングの飾り棚の上に、デジタルフォトフレームが置かれ、その画面は二つの写真が代わりばんこに映し出されている。
1984年の隅田公園をバックに、三人で並んで撮った写真と。
2018年の隅田公園とスカイツリーをバックに、三人で並んで撮った写真と。
(了)