#1984 学生街の喫茶店でアルバイト
結局私は、なし崩し的に赤羽台の団地、タカシさんの家に居候させてもらっている。「子供が一人増えたみたいで楽しいわ、ホントは娘が欲しかったのよ」そう言ってお母さん(実は私の祖母)が毎日ごはんを作ってくれるのが申し訳なかった。掃除や洗濯は手伝ったが、それだけでは時間を持て余してしまう。
そんな生活を三日ぐらいしていたら、タカシさんはアルバイトを見つけてきてくれた。
大学の南門通りにある『ペリカン』という喫茶店のホールスタッフだ。ここでバイトしていたサークルの四年生の先輩が卒論に専念するとかで、後釜を探していたそうだ。
昼食の賄いつきで時給は、今の水準に比べると随分安かったけど、その先輩いわく、「こんな楽なバイト、なかなか無いわよ」とのことだったので、ありがたく引き受けさせてもらった。
お昼時、だいたい十一時過ぎから午後一時半くらいまでは、ランチ営業でそこそこ忙しかったけど、その他の喫茶タイムは、席の埋まりは五割くらい。お客さんも大学生ばかりで特にトラブルのタネもない。ランチメニューは、ハンバーグやフライのミックスランチ、カレーライス(真っ黒なカレーで、これが美味しい!)、ビーフストロガノフ、そしてドリアにピザ。これらにドリンクがついている。メニューもそんなに多くなかったので、すぐに仕事は覚えられた。なるほど、確かに割のいいバイトだ。
一度、背の高いグラスに入ったバナナオレを銀のトレイに載せて運んでいる時、床につまづいてしまった。一瞬宙に舞ったグラスを何とかトレイで受け止めると、「おー!」と客席・キッチン両方から歓声と拍手が沸き起こった。動画に撮ってインスタに上げたらバズったろうけど、普通のお店なら、お小言の一つは言われてもおかしくない。
『トホホの会』のメンバーもこのお店をよく利用してくれる。三年の男子の先輩なんかは、週二三日ぐらいランチから入り浸っていて本やマンガを読んでいる。みんな講義はちゃんと出てるんだろうかと心配になる。タカシさんに聞くと、出席をとらない先生も結構いて『自主休講』しやすいのだとか。私の時代のこの大学は、授業に出席することはかなり重視していて、もう少ししたら、オンラインで出席や課題の管理をするラーニング・マネジメント・システムができるらしい。それに比べると、なんとのんびりしたことか。
店内では、大きなブラウン管のテレビが置かれていて、録画された『ベストヒットUSA』が画面に映し出されている。これが、タカシさんが言ってた番組か。なるほど、サークルの連中はココで感化されていくらしい。小林克也さんという司会者の解説やトークのテンポ感がよく、気持ちいい。午後のバイトの時間はこれを横目で身ながらホール仕事をしている。やっぱり楽だ。
「いらっしゃいませ」
「こんにちは」「ミレイちゃん、頑張ってるね!」
午後二時少し前、そう言ってお店に入って来たのは、めぐみさんとミキさんだ。二人は手をつないでいる。
大きな窓側の席に二人を案内し、ランチの注文をとってキッチンに伝えた。この窓からは学生が行き交うのがよく見える。
「ミレイちゃん、休憩入っていいよ。昼メシ用意するから」とキッチンから店長の声。
「じゃあ、ミレイちゃんもこっちおいで」
二人に誘われるがままに、四人掛けのテーブル席に座る。バイトとしては我ながら随分ユルイなと思うが、せっかく店長が気を利かせてくれので、その好意を甘んじて受けよう。
しばらくして、キッチンから「できたよー、自分で持っていって」と声がかかる。
さすがにこれは自分でカウンターまで取りに行ってテーブルに並べた。
「この間の箱根山のランチ大会、楽しかったねー」とミキさん。
私も時々「トホホの会」に参加させてもらっている。箱根山とは、文学キャンパスのすぐ裏にあって、山手線内では一番標高が高い場所らしい。ここにみんなで登った後、少し降りたところにある戸山公園にお結びやなんか好きな食べ物を持ち込み、ちょっとしたピクニックを楽しんだ。トホホの会の活動は、交通費をなるべく抑えたいのと、大学の授業があっても参加しやすいようにと、だいたい近場でやることが多い。近隣の清掃活動なんかもよく行うそうだ。
「はい、すごく楽しかったです。この会って、銭湯の時のメンバー、だいたい五、六人くらいでやっていると思っていましたが、十五人くらい集まって。こんなにメンバーがいるとは思ってなかったです。みんなでワイワイとランチができてよかったです」
そんな話をしながら食事が終わると、店長が食器を下げてドリンクを持ってきてくれた。
テレビ画面では、小林克也さんがシンディ・ローパーのビデオクリップを紹介していた。
女性が家のキッチンで卵をいくつも割っている。そこにシンディが躍りながら帰って来る。キッチンの女性はシンディの母らしく、朝帰りした彼女に小言を言う。
サビの部分や、ポンポポンポンという電子音の間奏は私も聴いたことがある。
「あ、シンディ! Girls Just Want to Have Fun。私、この曲大好き」
そう声をあげたのは、めぐみさんだ。母さんがこんな曲を聴いていたなんて。ちょっと意外だった。
「そうなんですか。どういうところが好きなんですか?」
「そうね。『女の子は、ただ楽しみたいだけなんだよね、だから自由に思いっきり楽しんじゃおうよ』って呼びかけてくれて、そうそう、それでいいんだなって元気づけられるとことかな」
めぐみさんの家庭、特にお父さんは厳しい人だとタカシさんに聞いていた。だからこういう曲が好きなんだろうなと、なんか納得できた。
彼女はアイスティーをひと口飲むと、バッグからあるものを取り出してテーブルの上に置いた。
ウォークマンだ。
このサークルのメンバーは、ウォークマンの保有率が高い。まあ、歩くことが主な活動目的だから、「音楽を聴きながらウォーキングしたい」と思うのはよくわかる。タカシさんは初代のちょっと大きめのウォークマンを使っているが、他のメンバーは、最近出たばかりのもっとコンパクトなものを使っている。めぐみさんのそれも赤いボディの可愛いやつだ。
彼女は本体をカパッと開けて、カセットテープを取り出した。
「ほら、私が録音して作ったシンディのカセット」
ラベルに手書きの英字で書かれたアーティストの文字に見覚えがあった!
……確かこれ、うちの父、タカシさんの初代ウォークマンに入っていたカセットテープだ。
「あの……このテープ、『Time after time』 って歌っている曲も入ってます?」
「ああ、Time After Timeね。もちろんよ。……大好き」
私の母が、少女のようなウルウルの瞳でそうつぶやいた。
今一度、頭の中を整理しよう。
父、タカシさんは初代のウォークマンを持っている。
母、めぐみさんは、Time After Timeのカセットテープを持っている。
この二つが合わさると、私は元の世界に帰れるかもしれない。
その考えに身震いしていると、ミキさんが言った。
「ハトコ同士って結婚できるんだよね?」
「は⁈」
「あなたとタカシ君のことよ」
「な、なんのことでしょう?」
ミキさんはアイスコーヒーをひと口飲み、ストローから唇を離して、二ッと微笑んだ。
「だって彼、あなたに惚れてるわよ」
「えっ!」
「だってトホホの会の時だってあなたに甲斐甲斐しくしてるし」
「そ、それは私が会に入って間もないからじゃないかと……」
「私もそう思ったんだけど、一応彼に聞いてみたの」
「……なんてですか?」
「ミレイちゃんのこと、どう思ってるの?って」
「……それで?」
「『うん、可愛いと思う』だって」
「それだけですか?」
「だから私も聞いたの。『それって、身内として? それとも女性として?』って」
「……で、どっちって答えました?」
「どっちとも答えなかったけど、ちょっと恥ずかしそうにしてね。あれは本物だわ……あなたはそういう彼の気持ち、気づかなかった?」
「ぜんっぜんです、勘違いですよ!」
めぐみさんは、私とミキさんのやりとりを少し微笑みながら聞いている。
もしこれが本当なら、厄介なことになる。
私は、この時代に迷い込んだ、『異物』だ。今までいなかったはずの異物が混入することによって、『史実』が変わってしまう可能性が高くなる。だいたい、ハトコ同士なんてもんじゃない。親子なら一親等じゃないか。ミキさんの勘が当たっていたら父さん、どうにかしてる!
めぐみさんの『女の子のこと好き』問題よりも、コトは一層深刻だ。
どさくさに紛れて二人に聞く。
「あの……ざっくばらんに聞いちゃいますけど、お二人はおつきあいされているんですか?」
「うん」「はい」
二人は申し合わせたように答えた。
そして二人は見つめあった。
こ、これは本物だ。
少し間を置いて。
「プッ」「プクク……」
二人は見つめ合ったまま、思わず吹き出してアハハと笑い始めた。
なんなんだ、いったい?
「冗談よ、冗談」
そう言ってミキさんは笑い続ける。
「確かにめぐみは妹みたいで可愛いと思うけどさ、私たち、つき合ってなんかいないよ」
「……でも、サークルの男の人はそう思ってるんじゃないですか? タカシさんもそう言ってましたし」
「ハハハ、それは作戦成功ね。わざとそう思わせてるの」
「え?」
「聞いたことあるかも知れないけど、めぐみはちょっと男子に恐怖心を持ってるのよね。だから、むやみやたらと男が近づいてこないように、バリアをはってるってわけ」
「私は大丈夫だって言ってるんだけど、ミキが気を遣ってね」とめぐみさんがつけ加えた。
私はちょっと愚痴っぽくこぼす。
「タカシさんは、それを信じちゃって、めぐみさんのこと、ちょっと距離を置いて見てます」
「それは悪かったね……でも、タカシ君なら、めぐみも怖がらず、相性もよかったかもね……でも、ミレイちゃんがいたんじゃあねえ、惜しかったね」
「だーかーらー!」私は顔の前で両手を左右にパタパタ振った。
「うん、お二人お似合いだものね。羨ましいくらい。だから、いさぎよく諦められるもの」
めぐみさんは、そう言って少し目を伏せ、アイスティーの残りを啜った。
ちょっ、ちょっと待って。めぐみさん……お母さん、そんないさぎよく諦めちゃダメだよ! 私の存亡の危機なんだから!……声を大にして言いたかった。
その時、ドアを開けてお客さんが入って来た。いけない、仕事に戻る時間だ。
私は渋々、自分のドリンクを片づけ、バックヤードに戻ってエプロンを着けた。
〇
その日の夕食。
私とタカシさんと祖母(私の)の三人でキッチンのテーブルを囲んだが、まともに彼の顔を直視することができなかった。でも気になってしまい、時々チロチロ見てしまう。ほんとのところ、私のこと、どう思ってるんだろう……というか、ミキさんやめぐみさんの勘違いであって欲しい。このままでは、ココで居候を続けるのは気まず過ぎる。
「どうした、俺の顔になんかついてるか?」
「い、いや別に何でもないです」
〇
お風呂に入り、パジャマを着て歯を磨き、自分の部屋、四畳半に戻る。
夜が長い。
スマホが使えない生活って、こんなに手持無沙汰になるんだなって実感した。
電灯のヒモを引いて消す。
昼間の慣れない生活で、この時間になると、いつもぐったりと疲れてすぐに寝てしまうが、今日は眠れなかった。
昼間のバイト先でのめぐみさんとミキさんとの会話を思い出す。
タカシさん、つまり私の父が私のこと、女性として可愛いと思っている?
やっぱおかしいよ。私たち、親子だよ。
だからと言って、私があなたの娘だって言えない。言っても絶対信じてもらえない。
でも。
父さんはめぐみさん、つまり私の母さんを好きにならなくちゃいけないんだ。
いったい、どうすれば……
頭の中で、答えの出ない問題がぐるぐる回る。
再び電灯のヒモを引っ張り、部屋を明るくする。
見回すと、整理棚の上にラジオカセがあった。これは、あっちの世界の父の部屋にあったのと同じものだ。
電源コードのプラグをコンセントに差し込む。
適当にいじっていると電源が入った。
ラジオの『AM』のボタンを押すと、ザーーーッとノイズ音が聞こえた。慌ててボリュームを絞り、チューニングと書かれたダイヤルを回す。
ノイズ音が消え、軽快な音楽が聞こえた。
これは、オールナイトニッポンのオープニング曲だ。
あっちの世界で私もたまに聴いていたが、へえ、昔からずっとこの曲なんだ。
「えー、こんばんは、月曜のパーソナリティの中山みゆきです……」
中山みゆきさん? あのNHKの番組の『風の中の……』を歌っている人?
「さっそくお葉書を紹介しましょう。ラジオネーム『赤羽のハガキ職人見習い』さんからです」
赤羽……この辺の人からの投稿か。この時代、メールなんてないから、みんなハガキで投稿するんだろうな。
「みゆきさん、こんばんは。初めてお便りします。これから書くことは、ちょっと妄想が入っているっていうか、突飛な話です。だから、笑い飛ばしてもらっても全然構いません。でも、みゆきさんに聞いて欲しくて書いています。実は、ある日、目が覚めたら自分の部屋に女の子がいたんです。別に連れ込んだとか、幽霊とかじゃありません(笑)」
え⁈
ひょっとして……
「その子は、どこからか家出してきてこの団地に迷い込んでしまったのかと思ったけど、何か違う気がするんです。なんて言うか、ひょっとしたら彼女は別の世界、いや別の時代からやって来たんじゃないかって。なんでそう思うかっって? ただ何となくなんですけど。去年、『時をかける少女』という映画がちょっとしたブームになりましたよね?」
『時をかける少女』って、あのアニメ映画だろうか……でも、あの作品の公開はもっと後のはず。
「その子と会話をしていると、主演の原田知世ちゃんの受け答えに何となく似ているんです。どこか、淋しいっていうか、自分だけがこの世界に独りだけいるんだっていう孤独感みたいなのが伝わってきて。だから、色々と聞いてみたい。相談に乗ってあげたい。でもそっとしておいて欲しいのかも知れない。今の自分には彼女をじっと見守ることしかできないんです。妄想じみた、とりとめのないお話ですが、みゆきさんに聞いて欲しくて書いてしまいました。ではまたお便りします」
原田知世さん……実写の映画があるんだ。
「ラジオネーム『赤羽のハガキ職人見習い』さん、お便りありがとうございました。……そうですね、にわかには信じがたい話ではありますが、淋しそうな女の子がそばにいて、何とかその子の力になってあげたいっていうあなたの優しさは、きっと本物なんでしょうね。別に『見習い』さんは私に意見やアドバイスなんか求めてないと思いますが……そうだな。やっぱり信じてあげることが大切なんだろうね。その子のことを。その子の話を。それができたら、お二人とも先に進めるかも知れない。そうならなくても、信じてあげることによって、その子の気持ちは随分楽になるんじゃないかな」
布団に潜って、涙をぬぐう。
きっと隣りの部屋でタカシさんもラジオを聞いているはず。
彼が信じてくれるなら、私は何でも話せる。
いや、話さなくちゃいけないんだ。
私は、タカシさんとめぐみさんを『トホホの会』に誘った。三人だけの特別活動に。