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#1984 赤羽台

 

 ぐー…… ぐー……


 何だろう、この音は。


 霞がかかったような意識の中で、音の発生源だけが気にかかる。

 ……えーっと私、何やってたんだっけ?


 目を開けると、ぼやけた視界に掛け布団がゆっくりと上下しているのが認められた。ナゾの音と一緒に。

 布団の上には、さっき私が読んでいた『AKIRA』の一巻が載っていて、これも怪音と一緒に上下している。


 布団? え!


 私はガバッと飛び起きた。

 そこは畳の上だった……


 そして、その隣りに敷いてある布団の主は?

 どうやら若い男の人!

 でも何か見たことあるような……


「うーーーーん」

 寝顔を凝視していたら、その人は目をぎゅっと閉じたり、眉を上げ下げし始めたりした。まさか私の視線を感じた?


 まずい。ココがどこだかわからないけど、とにかくココにいてはいけない。

 私はそろりと立ち上がり、ゆっくりとフスマの方に後退し、そっと引いてみた。


 ガタガタバタバタ……


 立て付けが悪いのか、すごい音がする。フスマから手を話したと時はもう遅かった。

 室内を振り返ると、男の人は上半身を起こしている。


「どわ!」「ぎゃー!」

 同時に変な声を出して、お互いをにらみ合う。


 パジャマ姿の男性は、ちょっとムッとした表情で私に近づく。

 いまいち状況を飲み込めていないが、とにかく謝ろう。

「ご、ごめんなさい!」

「そうだよ! それ、俺のウォークマン」

「え⁈」

「せっかくバイトで金貯めて買ったのに!」


 そう言われて初めて気がつく。私の頭にはめているヘッドフォンと、デニムパンツのお尻のポケットに入れている本体に。


 慌ててそれらを身から離し、彼に手渡す。


「ああよかった……ところでキミは誰?」

 順序が逆なような気もするが、結局のところ、その質問に行き着いた。


「わ、わたしは……迷ってココに来て」

「赤羽台の団地の子?」

「え! ここ赤羽台なの?」

 私は赤羽台の団地に住んでいる。

「変なこと聞くなあ。じゃあ何でここにいるんだよ?」

「……だから迷って」

「そうだよな、この団地、みんな同じ形してるから迷うよな。……そういえば昨日の夜帰ってきて鍵開けっぱなしだったかも」

「なんと不用心な」

「君に言われる筋合いはない」

「す、すみません」

「この団地の住人?」

「そのような、違うような……」

「どっち?」

 約一メートルの至近距離で私を見つめ、尋問する。

 その視線から目をそらすことができない。

 ん? 左目の下のホクロ、そしてとんがリ眉毛……これは。


「なにか人に言えない事情でもあるのかな?」

 彼の表情と口調が少しだけ柔らかくなり、私に問いかける。

「名前を聞いてもいいかな?」


「さ……佐伯 美玲」

「佐伯? さてはウチの表札見たな」

 また目つきがきつくなった。

「まあいいや、母さんに言って朝メシ作ってもらうから、食ったら帰ってくれ」

「え、いいんですか? お母様おどろくんじゃあ……それに私帰るところがないかも……です」

「何か事情があって飛び出してきた家出娘か。まあ時々、サークルの子がウチに遊びに来て泊まってくから。男女問わずね。少しくらいここ居てもらっても、母さんびっくりしないと思うよ」

 なんと自由な家庭なんだろう。


 それよりさっき、彼は気になることを言った。『さてはウチの表札見たな』……どういうことだ? それに、ホクロと眉と顔立ち。


「じゃあ、母さんに頼んでくるわ」

 そう言ってパジャマの男性は部屋を出て行った。

 廊下を歩く足音が遠ざかるのを待って、私が部屋の中の捜索を始めた。

 彼の名前のわかるもの……小学生なら、ノートとか筆箱なんかに書いてあるだろうが、なかなかそんなものは見当たりそうにない。


 フスマがトントンとノックされた。

 ガタガタと開き、女性が部屋を覗く。ちょっと……この人は⁈

「あなたもタカシのサークルのお友達? どういう事情だかわかんないけど、朝ご飯用意したから食べてって」


 タカシ……佐伯 孝……父の名前だ。そして、ドアの外に立っている人は?

 その人は、私の知っている、というか今も私と同じ赤羽台の団地で一人暮らししている祖母に似ていた。その姿は、祖母が自慢げに『私、昔はこんなに美人だったのよ』と見せびらかしていた写真に写っていた人物そのものだ。


 えーと、状況を整理しよう。


 この部屋で目が醒める前。

 私は父さんの部屋で辞書を探し、マンガに読みふけり、興味本位で置いてあったウォークマンを聴いた。曲は、シンディ・ローパーのTime After Time。そうしたら眠りこけてしまい、この部屋で目が覚めた。部屋の主は、佐伯 タカシ。その人のお母さんは、私のおばあちゃんの若い頃にそっくりだ。


 結論として考えられることは。

 私は、父や祖母が若い頃にタイムトラベルしたことになる。

 でも、ほんとにそんなことあるのだろうか? 今いる世界があまりにもリアル、というよりごく普通に当たり前に存在しているので、疑わしいというよりキツネにつままれたような妙な気分だ。


 ぐう。


 お腹が空いた。

 一旦ややこしいことを考えることを止め、(多分)祖母のお言葉に甘え、朝食をいただくことにした。


 キッチンに、小さなテーブルが置かれ、食事が並んでいた。

 低い食器棚の上に、小さなブラウン管のテレビが置いてあって、NHKのニュースが流れている。

 テレビの上には、可愛い子猫が大写しになっているカレンダーがかかっている。


 1984年 10月!

 カレンダーがそう示している。

 ここは、1980年代、昭和の世界⁈


 テーブルの上の朝食は、焼き魚に厚揚げと野菜の煮物。三日に一度、祖母がわが家に来て作ってくれるメニューそのものだ。


 父さん、いやタカシさんはすでに朝食を半分くらい食べ終わっている。


「いただきます」

 手を合わせ、箸をとる。


 タカシさんは口をもぐもぐさせながら、じっと私の顔を見る。

 眉のとんがり加減が、あまりにも父のそれと同じだったので少し笑ってしまった。

 思わず顔を伏せる。


「あのさ、どっかで会ったことがある?」

「はっ、はい。いや、多分初めてお会いしたかと」

「そうかな? まあいいや……で、これからどうすんの?」

「い、いやどうすんのって言われても、特に予定なんかないですし」

「じゃあさ、一緒に大学行かない? 色々と気が紛れると思うよ」

「は、はあ……じゃあ、そうさせてもらいます」

「君、手ぶらなんだよね?」

「ええ、スマホくらいしか」

「スマホ?」

「あ、いえ何でもないです」

 直感的にここでスマホを見せない方がいいような気がした。


「女の子が使うものなら、たいてい洗面所と風呂場と四畳半の部屋に置いてあるから、適当に使っていいよ。さすがに着替えはなかったかな」

「四畳半?」

 この後、タカシさんと家中を周りながらざっと間取りを教えてもらったが、居間にキッチン、六畳の部屋がタカシさん用とお母さん用に二部屋、そして四畳半の部屋が一室あり、サークル仲間が泊まるときはそこを使っているようだ。要は3LDK。間取りは私の家と変わらない。だけどちょっと狭いし古っぽい。赤羽台には『まちとくらしのミュージアム』という団地の博物館があって、以前そこで見た昭和の団地の部屋にそっくりだ。


 ○


 赤羽台にズラリと並んだ同じ形の団地。


 駅から乗った電車は、池袋止まり。


 山手線は、『JR』じゃなくて『国鉄』。車両全体が真ミドリ。


 どこからともなく、タバコの匂いが漂ってくる。


 外に出てみると、違和感だらけの風景。

 極めつけは、高田馬場のランドマーク、ビッグボックスだ。


「何で建物全体真っ赤っか? 何で巨大なオッサンが走ってるの?」


「えっ、前っからそうだろ?」

 いつもブルーの壁面を横に見ながら通学していた身としては、インパクトありすぎる。


 そうだ、父の通った(通っている?)大学は私と同じだ。というか母の母校でもある。そこで知り合って愛を育んだと遠い目をした母から何度も聞かされた。

 この『刷り込み効果』で私もこの大学に入るんだと決めた。その願いはかなったが、運命の出会いは、まだない。


 残念ながら、財布は持っていない。スマホはあるが、まさかPayPayなんて使えないだろう。だいたいアンテナマークには一本も電波が立っていない。仕方がないから電源を切って温存しておく。


 出かける前に、無一文であることをタカシさんに打ち明けた。すると、彼のお母さん、(多分私のおばあちゃん)が四畳半の部屋にやってきて、可愛い子猫の刺繍の二つ折の財布を渡してくれた。

 開けると、聖徳太子、つまり一万円札が二枚収まっている。


「あの……折角ですけど、これは受け取れません」

「そんな水くさいこと言わないで……それに、ミレイちゃんにあげるんじゃなくて、ちゃんと返してもらうんだからね」

 ミレイちゃんと呼んでもらって、何だかジワンと嬉しかった。

「でも、返すと言われましても、そのアテは……」

「あら、あなたからじゃないわよ。タカシが返してくれるって」

 そう言って、タカシさんのお母さん……私のおばあちゃんは、紙切れをヒラヒラと振って見せた。そこには『借用書、金2万円也』と手書きで書かれてあった。


「おと……タカシさん」

「このことは、あの子に黙っといてね。ああ見えてすごい照れ屋なんだから……あらあら、どうしたのかしら?」


 涙がポロポロこぼれる。

 そう、きっと私は心細かったんだ。訳のわからない世界に迷いこんで……でも、そこにはお父さんがいて、おばあちゃんがいて、『不審者』の私なのに、よくしてくれる。寂しくて嬉しい。

「おば……佐伯さん、本当にありがとう」

「帰りたくなるまで、ここにいてもいいんだよ」

「え……はい」

 祖母は、私のこと、何か問題があって家出してきたと思っているのかもしれない。申し訳ないけど、でも違うよって言えない……自分でも本当のことがよくわからない。


 靴は、祖母がサイズを間違えて買い、ほとんど履いていない新品同様のものを貸してくれた。

「ここまであなたはどうやって来たのかしらねえ」と彼女はつぶやいたが、それ以上は追求されなかった。


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