#2018 赤羽台
<まえがき>
お話に出てくる楽曲
シンディ・ローパー Time After Time
アース・ウィンド&ファイアー Let's Groove
ワム! Careless Whisper
マイケル・ジャクソン Billie Jean
シンディ・ローパー Girls Just Want To Have Fun
楽曲と一緒に楽しんでいただけると嬉しいです。
#2018 赤羽台
「おじゃま……します」
今はいない部屋の主に、一応断りを入れてドアのノブを下げる。
ほのかに古い紙が放つ独特な匂いが漂っているが、そんなに不快ではない。
本棚に並んだ父の蔵書から、和英辞典を探す。生前の父の几帳面な性格からか、母が定期的にメンテナンスしてくれているからか、大まかな種類に分けて整理整頓されているので、目当ての辞書はすぐに見つかった。
スマホが辞書代わりになるのに、なんでそんなものが要るの? と思われても仕方がないが、大学の英文学の先生が悪い。今度の試験、スマホは使用禁止で、辞書はOKとのこと。とっくに私の辞書は行方知れずになっている。
分厚く感触のいい装丁の辞書を手に取り、部屋の中を見回す。
ここに入るのも何年ぶりだろう。
小さい頃、好奇心に任せて侵入を何度か試みたが、「こらこら、お父さんの邪魔しちゃだめよ」と母に止められ、この部屋は入ってはいけない場所、父さんの聖域、という刷り込みができてしまい、めったにドアを開けることがなかった。
この聖域では、コミック本も結構本棚を埋めていて、生前の父は『お父さんはね、マンガの本からいろいろなことを学んだんだ。だからミレイもどんどん読むといいよ』とマンガ親善アンバサダーみたいなことを言ってた。それを横で聞いていた母が『真に受けちゃだめよ』と不機嫌アイコンタクトを私に送っていたのを思い出す。そんな父に感化され、私の人生の師匠となった作品もいっぱいある。『美少女戦士セーラームーン』のコミック本で愛と正義を学び、『ONE PIECE』で友情と困難に立ち向かう勇気の大切さを知り、『NANA』で恋愛の面倒臭さとか、世の中そんなに甘くないよ、でも自分らしく生きるんだよとか、多くのことを学んできた……それが今の自分に活きているかと聞かれれば、『そう思う……多分』くらいに答えられる自信はある。
AKIRA。全六巻。
数ある父の蔵書の中から、分厚く派手な色合いのコミック本が目についた。確か今の私たち世代でも根強い人気がある。第一巻を手に取る。デカいタイトル文字。ペラペラめくって、その精密で綺麗な(でもグロいものも……)作画に驚いた。
なになに、2019年のネオ東京? 来年の話じゃないの! 東京は荒廃した街になってちょっと怖いけど、AIとか、東京オ〇ンピックとか出てきてくるし、いったいこの作品、いつ描かれたんだろう。一巻の裏表紙を見ると、1984年の第一版となっている。今から三十年以上も前。その頃、もうCGなんてあったのだろうか? だいぶ昔のように感じるけど、2018年の今、その頃とそんなに変わってないのかも……なんてことを思いながら、三巻まで一気読みしてしまった。いかんいかん、試験勉強に戻らねば、と思いつつ、ついつい父の部屋のあちこちに目がいってしまう。
本棚の隣には、底板だけの木棚が壁から出ていて、そこの上には珍しいグッズが並べられていた。
スマホ、じゃなかった、携帯電話が何世代にもわたって陳列されている。『整理好きだけど捨てられない性格』の父のなせる技か。下の棚には同様にゲーム機が並べられている。最近、友だちからもレトロゲームが流行っているとよく聞くので、今度ファミコンを貸してもらおう。
木棚の隣には、レコードプレーヤー付きのステレオセットがデンと構えていて、さらにその隣の棚には……ゲームやらCDやらカセットテープ? やらのソフト類もずらりと並んでいるので、きっと面白いゲームが見つかるはず。
一番下の段には、少し大きめでアンテナが付いた銀色のボディの機械があった。多分ラジカセだろう。
そしてその隣り。青い金属の小さな箱に、ヘッドフォンが差し込まれていた。耳当ての部分は少し色褪せて、すり減っている。
「SONY……これがウォークマンか」
一人、つぶやく。
さらにその隣りに置いてあるiPodは知っているし、使ったことがある。
ウォークマンはその何倍もデカいし重い。
生前、父が言ってた。
『初めて外でウォークマンを聴いたとき、すごい衝撃だった。周りの景色が変わった』
ウォークマンを聴く、というちょっとヘンテコな日本語が耳に残っている。
私が初めてスマホで音楽を聴いたとき、そんな衝撃があったろうか。よく覚えていない。
ボタンの数は少なく、簡単に操作できそうだ。
再生、停止、巻き戻し、早送り、イジェクト。
そうか、カセットテープだから、巻き戻したり早送りしたりの動作が必要なのか。
オレンジ色のボタンが目立つ。でも、何のためについているかわからなかった。
イジェクトボタンを押すと、カセットテープが飛び出した。
シンディ・ローパー。
ラベルに手書き、英字でそう書かれている。
聞いたことがあるアーティストの名前。
親日家で、震災の時も日本で公演しチャリティー活動もやったり、確か今年も来日したとネットで見た覚えがある。
「どれどれ」
私は、カセットテープを再び本体にしまい、再生ボタンを押した。
うんともすんとも言わない。
そりゃそうだろう。もう長いこと使っていないのだから、バッテリーが切れているに決まっている。
棚の上に充電用のアダプタを探したが、そんなものはなかった。
半ば諦めかけて、本体を調べると、乾電池を入れる場所を見つけた。開けても中はカラッポ。もう一度棚の上を見ると、単三の乾電池が四本、ビニールにパックされて置いてある。新品みたいだけど、いつの新品だろうか。ダメ元でビニールを破り、乾電池を取り出してウォークマンの本体に詰めた。
再生ボタンを押す。
奇跡的に、二つの回転軸が回り始めた。
慌ててヘッドフォンを頭から被る。
小気味いいリズムが流れ、やがてそれに女性の歌声が乗る。
ここは部屋の中だけど、父が言っていた『周りの景色が変わった』という言葉が少しわかったような気がする。
残念ながら、英語はそれほど得意な方じゃないので歌詞がいまいち聞き取れないが、何度も繰り返される、『Time after time』という言葉が印象的だ。
あなたを待っている……何度でも
別れた恋人との再会を願う歌かな。
心地よいリズムが眠気を誘い、私の意識は遠のいていった。