7 『死の神』
「信仰の対象になる物には、『神の奇跡』が宿りやすい。たとえば、神の姿をかたどった像などがそれに当たるのぅ。もちろん、アサヒが手を合わせていたおじぞうさんも、そのひとつじゃ」
「…………」
カサネの講義は続く。
アサヒは、それを呆然と聞いていた。
「そして、さっきの話の続きじゃが。力を使い果たした妾は、おじぞうさんのところで眠っていた。それからどのくらいのときが流れたじゃろうか……アサヒがおじぞうさんに手を合わせに来てくれるようになり、目覚めることができた」
「本当に俺が……」
「そう、じゃから本当に感謝しておるのじゃぞ、アサヒには」
「…………」
カサネはまっすぐにアサヒを見つめて、感謝の言葉を伝えてきた。
その言葉を疑うつもりはないのだが……今だに信じることができない。たった一人の人間に神様を目覚めさせるような、そんな大それたことが可能なのか。
……ましてや、俺みたいな何の取り柄もない凡人に……。
「どうした?」
「いや、本当にカサネを目覚めさせたのは俺なのかなって……」
「なんじゃ? 疑っておるのか?」
「いや、疑ってるわけじゃないけど……神の奇跡だっけ? そんな凄そうなものを俺が手を合わせた程度で使えるようになるものなのかなと……。たとえば、俺以外にも祈りを捧げた人がたくさんいたとか……」
「おらぬよ」
「えっ」
カサネは冷たく言い切る。そして……。
「誰一人、あの場所で立ち止まる者はおらんかった。…………わ、妾だって、目覚めたときに期待したのじゃぞ? …………神を目覚めさせるほどの祈りを捧げるには並大抵の時間では足りぬ。じゃから、きっとたくさんの者が、おじぞうさんに祈りを捧げたのじゃ、と…………」
「…………」
言いながら、顔を赤くしていくカサネ。
……なんか、また泣きそう…………あっ。
「でも、誰も立ち止まらんかった!! 見向きもせんかった!!」
「あ〜、なるほど……」
「うぅ……みんな、ひ、ひどい……ひどいではないか……グスッ」
……やっぱり泣いちゃった。
すすり泣きながら言葉を続けるカサネ。なんとも不憫だ。
「えっと……だ、大丈夫??」
「う、うぅ……大丈夫なの、じゃ…………話を続けよう、クスン……。結局、立ち止まって祈りを捧げてくれたのはアサヒだけじゃった」
「そっか……」
「妾が目覚めるくらいの祈りじゃ、おそらく長い年月あのおじぞうさんに手を合わせていたのではないか?」
「確かに……そうかも」
アサヒは社会人になってから、ずっと今の家に住んでいた。そのときから手を合わせている。なので……。
「二十年くらい、かな?」
「おぉ! 二十年も! 人間にとってはかなり長い時間ではないか!」
先ほどまでの涙はどこへやら、ガバッと顔を上げて驚きの表情をする。本当に、忙しい神様だなと思った。
「まぁ、そうかも」
「アサヒには、感謝してもし足りんのぅ!」
「ど、どういたしまして」
なんともむず痒い。アサヒにとっては、とくに考えもなくやっていた行為だ。それをここまで喜んでもらえるとは。
「……なんだか照れ臭いな」
「何を言うか! 良い行いをした者は正しく賞賛されるべきじゃ! アサヒは間違いなく正しいことをした! だからこそ、ちゃんと胸を張るんじゃ!」
「わ、わかったよ」
社会人になって約二十年。人からここまで褒められることは、ほとんどない。前に褒められたのはいつだろうかと思い出そうとすると、それこそ子供の頃に行き着いてしまう。だからこそ、カサネの言葉は新鮮で、なおかつ無性に嬉しかった。
……胸を張れ!か……そんなこと言われたの何十年ぶりかな……。
心の中に温かいものが込み上げてきて、おもわず口元が緩んでしまいそうになる。
「じゃが……」
そんなアサヒを見つめながら、カサネは少し声のトーンを落とす。
「妾を目覚めさせた者がアサヒだとわかったあと、眷属に相応しい者なのかどうか試そうと思い立った……が、まさかその矢先に死んでしまうとは……」
「あ…………」
「あのときの妾はまだ目覚めたばかりで、周りの状況を見ることしかできなくてのぅ。何度かアサヒに声をかけたんじゃが……。死相が見えていたというのに、トラックに轢かれるそのときまで妾の声は届かなかった……」
「……死相??」
「そうじゃ、妾は死が近い者を見抜くことができる」
「…………そ、それって未来がわかるってこと?」
「いや、未来を見るのとは違う。端的に言うと、死が近づいている者からは独特な気配があって、妾はそれを感じ取っておるんじゃ。ちなみに、死因に関係なく感じ取ることができる。たとえば、純粋な老衰や病死、事故、他者からの害意など。原因はどうであれ、死相が見えたらその者は確実に死ぬ……アサヒ、お主のようにな」
「ッッ!?」
カサネが静かに見つめてくる。アサヒは背筋に悪寒が走り、おもわず身構えてしまった。
そんな様子を察知したのか、カサネがフッと目元を緩めて……。
「まぁ、絶対ではないのじゃが」
「……えっ??」
「脅かすつもりはないんじゃ、そんなに身構えるでない」
「あ、えっと……うん、ごめん」
「ふふ、まぁよい」
「…………」
脅かすつもりがないのはわかっていても、真剣な話をしているときのカサネの視線には無言の迫力がある。そして、こうも思う。
……普段からそうしてれば、もっと神様っぽいのに……。
そんなアサヒの思いなど露知らず、カサネは話を続ける。
「つまり、死相が見えた者は確実に死ぬ……何もしなければ、な」
「…………え??」
「わからぬか? 妾は原因はどうであれ、死相が見えた者が近いうちに死ぬことがわかる。であれば、死の原因になりそうなものを遠ざければよい」
「あ……あ〜、なるほど」
「わかってきたかの? つまり、妾たちは死が確定していたはずの者たちを助けることができる、ということじゃ。凄いじゃろ?」
それは確かに凄い。なぜなら、本人たちは何も知らないまま死に向かっていく。それをカサネは阻止することができる。
定められた運命を変える力。それこそ、神が起こした奇跡と言えるだろう。
そして、その力を使えば……。
「本当に凄いよ。それに、死にそうになっている人を助けることができれば、その人たちから信仰心を集めることができる」
「そう! その通りなのじゃ!」
「ちなみに、他の神様もみんな死相が見えるの?」
「いや、死相が見えるのは妾だけじゃ」
「へぇ〜、じゃあカサネって、けっこう凄い神様だったり?」
「そうじゃ! 妾は凄い神様なのじゃ! …………と、言いたいところなんじゃが……」
カサネは気まずそうに頬をかく。何か答えにくいことを聞いただろうか。
「神には、一人一人役割が決まっておった。そして、それにちなんだ力を持っておる。……なんと言えばよいか…………おっ……神が一人一人持っておる『特殊スキル』、と言えばよいかの?」
「特殊スキル??」
「そう、特殊スキル。ラノベで見つけた言葉じゃ。わかりやすいじゃろ?」
「ま、まぁ……そうだね」
「本当にラノベという物は、妾の知らない言葉がたくさんあって面白いのぉ! じゃが、まだまだわからん言葉もいっぱいある! じゃから……」
「わからない言葉はあとでちゃんと教えるから、話を進めようよ」
また関係ない話になりそうだったので、強引に話を遮る。
「なんじゃい、つまらんのぅ」
「ごめんってば」
「む〜、あとでちゃんと教えるのじゃぞ! 絶対じゃぞッ!!」
「わ、わかってるって!」
とりあえず、わからない言葉はあとでちゃんと教えるとして、アサヒは話の続きを促す。さっきから、何度も話が脱線してなかなか進まないからだ。たとえば……
「さて…………………………何の話じゃったか?」
「…………」
……ほらやっぱり!!
こんな風に。
「……カサネの特殊スキルは人の死相を見ることなの?」
「あぁ、その話じゃったな」
カサネはポンっと手を叩き、アサヒの質問に答える。
「そうじゃ。それと、死者の魂に触れることができる」
「死者の魂……」
「トラックに轢かれる瞬間のアサヒに声を届けることができたのも、その力によるものじゃ」
「なるほど……もしかして、それが『死の神』って呼ばれる理由なの?」
「…………」
「……………………カサネ??」
アサヒは顎に手を当て、下を向きながら考える。そして、思いついたことを問いかけてみた。だが、返事はない。
不思議に思い、顔を上げるとカサネは俯いていた。そして、呟くように……。
「……アサヒの死ぬ瞬間……死の気配がもっとも色濃く出ていたあの瞬間でなければ、お主の願いを汲み取ることができなかった…………悔やんでも悔やみきれぬよ……本当は、もっと…………」
「カサ…………」
沈痛な表情。カサネの呟きから、深い後悔、痛みを伴うほどの悲しみ、そういった感情が伝わってきた気がして、おもわず呼びかけるのを躊躇ってしまった。
「……まっ! そんなこんなで、アサヒの言うとおり妾は『死の神』と呼ばれておる! どうじゃ? 凄いじゃろッ!!」
「…………」
フフーンと声を出しながら笑顔で答えるカサネ。満面の笑顔……さっきとは真逆の表情。
その急な変化にアサヒは声が出ない。ひどく痛々しい表情からの急な笑顔……それはまるで、嫌なことや苦しいことを無理やり押し込めたような、そんな表情にも見えた。
アサヒが何も喋らないでいると、カサネはほっぺを膨らませながら……。
「なんじゃ? その腑抜けた顔は? アサヒの問いかけに、せっかく答えたと言うのに。もっと感謝したらどうじゃ?」
「え……ぁ…………ご、ごめん。えっと……答えてくれて、ありがとう」
「ふむ! それでよいのじゃ」
「…………」
「フンフンフ〜ン」
カサネは笑顔で振り返り、鼻歌を歌いながら椅子の方へ歩いていく。アサヒはそのうしろ姿に何て声をかければいいのかわからなかった。