6 『祈り』
アサヒは普段、人に怒鳴ったりするような人間ではない。人からもそう思われていただろうし、アサヒ自身もそう思っていた。だか、それは勘違いだったらしい。
「う、うぅ…………ごめん、なのじゃ……」
「…………」
目の前に、正座をしてシクシク泣いている幼い少女の見た目をした神様がいる。アサヒはその神様……カサネを仁王立ちで見下ろしていた。
「……他の神様よりも、ちょっとだけ少ないんじゃなかったの?」
「うっ!? ……そ、それは……その……」
今カサネと話している内容は、もちろん『信仰心』について。アサヒの問いかけに対して、カサネは目を泳がせていた。
「……どうして嘘なんかついたの?」
「……う、嘘なんか…………」
「怒らないから言ってみて」
と、あきらかに怒っている人間が口にするだろう常套句をアサヒも口にする。カサネはガバッと涙に濡れた顔を上げて……
「もう怒っておるではないかッ!!」
抗議してきた。
……そりゃあ、怒りたくもなるだろッ!
アサヒは心の中で怒鳴り声を上げ、表面上では笑顔を作る。もしかしたら顔がひきつってるかもしれないが、それはご愛嬌ということで我慢してもらおう。
「…………怒ってないよ」
「目がまったく笑っておらぬぞ!?」
……おっと、それは失敬。
上手く笑顔を作ったつもりだったが、失敗したらしい。……まぁ、今はそんなことよりも。
「……それで、どうして嘘を?」
「うっ…………」
再び同じ質問をぶつける。狼狽えるカサネ。不思議なことに、今のアサヒに罪悪感はない。
「……その、えっと、じゃな…………さ、さすがに、信仰してくれる人間が一人もいないって、妾の口から言うのは、ちょっと…………は、恥ずかしぃ……」
……おい。
「それに、それにじゃな……そんなことを知られてしまったら……その、わ、妾の…………神としての、威厳が……」
……おいッ!
「じゃ、じゃから……ちょ、ちょっとだけ、数を盛ろうかと……」
「おいッッ!!!」
「ひっ!!?」
おもわず声が出た。
つまり要約すると、見栄を張ったということらしい。……もっと怒ってもいいのではないだろうか。
「そもそも一人もいないのに、数の盛りようがないだろ! それに、なんで今まで何もしてこなかったんだ!?」
「うぐッ!?」
至極真っ当な質問。信仰心を集めるために、人々に働きかければいいのだ。なんてったって、神様なのだから。それを、なぜ今までしてこなかったのか。
「……もしかして、信仰心を集めるのって難しいのか?」
「ま、まぁ、簡単ではないが……できないことも、ないぞ……」
なんとも歯切れの悪い答えだ。カサネの言う通り、集めるのが難しいのか。それとも、ただ単に……。
「サボってたとか?」
「ひぇッッ!!?」
……マジかぁ…………。
『目は口ほどに物を言う』という言葉があるが、今のカサネは目だけではなく、その小さな体全部で驚きを表現してくれている。
というわけで、今の質問の答えはYESで間違いないだろう。
「な、ななな、なぜじゃ!? なぜ、わかったのじゃ!!? アサヒは心が読めるのかッ!!?」
「いや、なんとなく……」
「なんとなくでわかるものなのかッ!?」
「まぁ……」
怯えた表情で叫ぶカサネ。そこまで驚かなくてもいいのにと思ってしまう。
もちろん、アサヒは他人の心を読むことなどできない。だが、ここまでのカサネの言動を見ていて、なんとなく人となりはわかってきたつもりだ。そして、それに照らし合わせれば、おそらくサボっていたのだろうと容易に想像がつく。……当たってほしくはなかったが。
「とりあえず、話を進めようよ…………いや、逃げなくてもいいから」
「うぅ!? べ、別に逃げようとしておらぬぞ! ……ちょ、ちょっと距離を空けようと思っただけじゃ……」
「おいッ」
「ひぃぃ!? もう怒らないでくれなのじゃ!」
「……もう怒んないから」
……なんか疲れたし……。
露骨に距離を空けようとするカサネ。アサヒの方はなんだか怒るのにも疲れ、そろそろ話を進めたい気分だった。
とりあえず、今気になっていることを聞いてみることにした。
なんだかんだでまだ答えてもらっていない、アサヒが選ばれた理由や、信仰心はどうやって集めればいいのか。そして、『死の神』とはいったいなんなのかを。
ようやく落ち着きを取り戻したカサネは静かに話し出す。
「じゃあ、答えようかの」
「よろしく」
「うむ。まずは、アサヒを選んだ理由じゃが……眷属というのは本来であれば、妾の世界にいる信仰心の強い者から選ぶものなのじゃ」
「なるほど。でも、今回はわざわざ俺のいた世界から探したと……」
「そうじゃ……この世界には、妾を信仰してくれる者が……一人も、おらんかったからのぅ…………」
「なるほど……」
説明しながら、項垂れるカサネ。自業自得とはいえ、なんとも不憫だ。
「じゃから、『神の奇跡』を使って世界の壁を越え、こことは理の違う世界へと向かった。そして、この世界と同じように知的生命体がおり、なおかつ、宗教などの概念がある世界……地球を見つけたのじゃ」
「な、なるほど……」
「……先ほどから、なるほどとしか言っておらぬぞ。ちゃんと聞いておるのか?」
「ご、ごめん。ちゃんと聞いてるよ」
訝しむような眼差しを向けてくるカサネにいちおう謝罪するが……正直、話を咀嚼するのにいっぱいいっぱいだ。
……世界の壁? 神の奇跡? ……話の内容が壮大すぎて、いまいちピンと来ないよ……。
「まぁ、よい。話を続けるぞ」
「よ、よろしく」
「それで、地球で眷属を探そうと思ったのじゃが……妾の力が底をついての。とある場所で眠りにつくことになったのじゃ」
「とある場所……??」
「そう。アサヒ、お主が毎日祈りを捧げておった石像じゃ」
「俺が祈りを……??」
……そんなの身に覚えが……。
「それに、石像……」
何かに祈りを捧げる行為など、ここ数十年ほとんどやっていない。少なくとも、社会人になってからはゼロだ。
それっぽい行為としては、せいぜい初詣とかで手を合わせるくらいだろう。
……まぁそれも、ただやってるだけでとくに祈ったりしてないし、そもそも初詣にも当分行ってないし。あとは、家の近くにあるお地…………。
「…………って、まさかッ!? あのお地蔵さん!?」
「おじぞうさん?? あの石像のことをそう呼ぶのか?」
「あ、あぁ……そうだね」
「なるほど、おじぞうさんか。ふむ、可愛らしい名前じゃのぅ。……ところで、そのおじぞうさんとはどういったものなのじゃ?」
「えっと、確か……人々を救済し、苦しみから救うもの、だったかな? とくに日本……俺が住んでいた国で信仰されていたんだっけか……たしか?」
「なんじゃ? そのあいまいな答えは……」
以前、何気なくネットで検索して出てきたであろう文言を思い出しながら、辿々しく答える。だいたいこんな感じだったはずだ。……正直、あってるかどうかさえ怪しいが。
そして、それを聞いたカサネは不満そうな顔になる。明確な答えを求めていたのだろうが、それは無理な相談だというもの。なんてったって、アサヒはそこまで信心深くないのだから。
「仕方ないじゃん。普段、こんな話をすることなんてないし。それに今まで神様とか仏様とか、そういう信仰的なものをまったく信じてなかったんだしさ」
「な、なんと!? アサヒは神を信じておらんかったのか!?」
「まぁ、俺は、というよりも、みんなが、かな」
「まさか……アサヒの世界では神を信じないのが普通なのか!? …………いや、じゃが宗教という概念はあったはず……」
「もちろん全員じゃないよ。信じてる人たちもちゃんといると思う。ただ、俺がいた国ではほとんどいないかな。少なくとも、俺の周りにはいなかった」
「そうか……神を信じない国か……。こことは理の違う世界。そういった国があっても不思議ではないのかのぅ……」
神を信じない国がある……そのことが余程ショックだったのか、カサネは天を仰いだ。
他の国はわからないが……今時、宗教の話をする人はほとんどいない。そんな環境で育ったアサヒにとって、カサネの今の気持ちを理解することは難しい。
ただ、信仰心によって神が力を得て、奇跡を起こしたりできるらしいこの世界にとっては、宗教はとても重要なものなのだろう、とは思う。
そんなことを考えていると、カサネが何かを思い出したようにこちらを見る。
「待て。…………神を信じない国に住んでおったのに、なぜアサヒは毎日おじぞうさんに祈りを捧げてたのじゃ?」
「いや、別に祈りを捧げてたわけじゃ……えっと……」
なんと答えたものか……。アサヒは別に祈りを捧げるためにお地蔵さんの前で手を合わせていたわけではない。
では、なぜなのかと言われると返答に困る。とくに理由はない。いわば、癖や習慣みたいなものだろう。例えるなら、朝起きたときや寝るときに歯を磨くとか、トイレに行ったら手を洗うみたいな、わざわざ理由などを考えずに行うこと、だろうか。アサヒにとってはその程度のもの。心を込めて手を合わせたことなど一度もない。
「まぁ……いつもやってる癖とか習慣?みたいなもんだよ」
「…………」
「なんとなく、お地蔵さんの前で手を合わせてただけ」
「本当にそうか?」
「えっ?」
確信を持ったような目でこちらを見据えるカサネ。まるで、その瞳に縫い付けられたかのようにアサヒは目を逸らすことができない。
「アサヒは本当に、何も考えずに手を合わせていただけなのか?」
「え、あ……そ、そうだけど?」
カサネの見透かすような目。そして、静かに響く厳かな声。とても、先ほどまで泣きじゃくっていたとは思えない威厳が、今のカサネにはある。アサヒはその迫力にタジタジになってしまった。
「……ふむ、気づいておらぬのか」
「えっと……??」
「手を合わせるというのは、特別な意味を持つものなのじゃ」
カサネは両手をうしろに組み、アサヒから視線を逸らして語り出す。その仕草はまるで、講義をする大学教授のよう。見た目の幼さとのギャップがかなりあるが、不思議とおかしいとは思えなかった。
そして、アサヒはというと、視線が逸れたおかげでフッと肩の力が抜けた気がした。
「もちろん、その行為には他者への感謝や敬意の意味もあるじゃろうて。じゃが、おじぞうさんのような信仰の対象に対して手を合わせるのは『祈りを捧げたい』、『願いを叶えたい』という想いの表れによるものなのじゃ」
「…………」
「まぁ、アサヒは無自覚のようじゃたがのぅ」
カサネが目元を緩めてチラリとアサヒを見る。ちょっとだけ、ばつが悪いと思った。
そして、カサネの言葉に妙に納得した自分がいた。
「……とくに気にしたことなかったよ。ただなんとなく手を合わせてた」
「そんなこともあるじゃろうて。案外、無自覚に手を合わせる者は少なくない。でも、それでいいんじゃ」
「えっ、いいの?」
「ん? いいの?とは?」
カサネは不思議そうにちょっとだけ首を傾げる。その動作は幼い少女そのものだ。
「いや、だって……そういう祈りを捧げたりするのって、なんかこう、心を込めた方がいいとかじゃ、ないの?」
「そんな毎回心を込めたりしよったら、くたびれてしまうじゃろ? それに、何事もやることに意味があるのじゃ。そうすれば、おのずと心も込もってくる」
「……そんなもんなの?」
「そんなもんじゃ」
……祈りを捧げるって、そんな簡単なもんなの?
なんとなく、腑に落ちない感じがした。
「ふむ……。アサヒ、お主は難しく考えすぎじゃ。もっと気楽に考えたらよい」
「うっ……」
カサネの言葉に気まずさを感じた。まるで、今のアサヒの心の中を見透かされたような気がして……。
「お主の祈りはちゃんと妾に届いておるぞ」
「えっ?」
今度はアサヒが首を傾げる。その様子がおかしかったのか、カサネは微笑みながら……。
「……なんじゃ? まだ気づかぬのか?」
まっすぐにアサヒの目を見つめる。
優しさに溢れる視線……そんな気がして、心が温かくなるのを感じた。
「妾を目覚めさせたのは……アサヒ、お主の『祈り』じゃ」
「…………えっ!!?」