3 『神』
三宮 朝陽。三十八歳、男、日本人。
そして、将来に対して漠然とした不安を抱えつつ生活をしている、どこにでもいる社会人だ。
端的にかつ物語的に言うのであれば、三宮 朝陽はどこにでもありふれているただのモブキャラだ。ゲームの中に出てくる村人みたいな役どころだろう。
そんな男が今、幼い少女の問いかけに答えようとしていた。
「あ〜〜〜それ、俺も知りたいな……」
椅子に座り、こちらを見つめてくる幼い少女。
どこまでも深い闇を連想させる黒く光る漆黒の長い髪。おもわず吸い込まれてしまいそうになる、力強さと禍々しさを兼ね備えた真紅色の瞳。そして、八歳か九歳くらいにしか見えない幼さの残る風貌。
そんな少女に素直な気持ちを伝えた。
「……な……なん、じゃと…………」
少女の表情がみるみる焦っていくのがわかる。ちょっと悪いことをした気分。
「お、お主にもわからぬというのか……」
「まぁ……そうだね」
「じゃ、じゃがしかし! これはお主の記憶から再現した物じゃぞ! そのお主がわからぬわけはなかろう!」
「いやぁ……そんなこと言われても……ていうか、記憶って……」
「いや、待て! どの書物の登場人物もトラックに轢かれて異世界に行っておるぞ! これはどう説明する!?」
かなり気になることを言われた気がしたが……そんなことお構いなしだと言わんばかりに、少女はアサヒの言葉を掻き消して、床に散らばる書物……もといラノベを指差しながら叫ぶ。
「えっと……確かにトラック転生はベタな展開だけど、それだけじゃないよ。異世界系のラノベって」
そう言いながら、目の前の少女を見る。幼い見た目に反して、古風な喋り方をする少女。ラノベやアニメに出てくる『のじゃロリ』というやつだろうか。物語の中だとよく見かける設定ではあるのだが、実際に目にするのは初めてだ。だからこそ、ある意味新鮮というかなんというか……。
そんな感慨を抱いていると、アサヒの言葉を聞いた少女が首を傾げる。
「……ト、トラックてんせい? べた? らのべ? ……わからん言葉ばかりじゃ……」
「えっ? ラノベのこと聞きたいんじゃなかったの?」
「そのらのべとはなんじゃ?」
どうやら、少女はラノベという言葉を知らないらしい。今読んでる本がそうだよ、と伝えることは簡単だが……さて、何と説明したものか。
「えっと……若者を対象にして作られた気軽に読める小説のこと、かな」
「小説……もしや、妾が今読んでる書物もラノベというやつなのか?」
「そうなるね」
「ほう、これがラノベか。なかなかに面白い読み物………………待て」
「えっ……何?」
少女が感心したように手に持っているラノベを見つめる。だが、何か気になることがあったのだろうか。スッと顔を上げてアサヒを見返す。
「お主は今、若者を対象にと言ったな。若者以外が読んだらいけない物なのか?」
「あー、そんなことはないよ。あくまで、若者を対象にしているだけだから、大人が読んでも問題ないかな」
「ふむ……読む年齢にそこまでの縛りがないのであれば、小説と変わらぬではないか。なにゆえ、ラノベと呼ぶ? 小説との違いはなんじゃ?」
「え〜っと、それは…………気軽に読めるのがラノベで、小難しいのが小説……みたいな?」
正直、アサヒにもラノベと小説の違いはいまいちよくわかっていない。なので、以前ネットに載っていた情報をかなり省略して説明した。
……これで上手く伝わるかな?
「なんじゃ? ずいぶんと曖昧じゃのぅ」
「まぁ……そうだね……」
だが、少女はその回答がお気に召さないらしい。少し不満そうな顔になったが、すぐに諦めて次の話題に移る。
「……まぁ、よいか。それで、お主には聞きたいことが他にもあるんじゃ。次はのぅ……」
「えっ、でも……聞きたいことはひとつだけって……」
「細かいことを気にするでない! それに、最初の問いかけにはまともに答えてないではないか!」
少女の言葉を遮り口答えしたのがよくなかったのか。ぷんすかと怒り出す。
「最初の……あぁ、トラックに轢かれたら異世界に行くってやつ?」
「そう! それじゃ! ……お主はわからんと言っておったがの!」
少女はずいぶんとご機嫌斜めなようだ。これ以上怒らせないようにしたいものだが……。
整った顔立ちだからだろうか。怒った顔もとても愛らしく、そして、全然怖くない。怒っている本人には申し訳ないが、小さな女の子が一生懸命背伸びしているようにも見えて、とても微笑ましいとさえ思う。
その滲み出る愛らしさから、この少女は将来とんでもない美人になるだろうとアサヒは思った。
そんなこちらの考えに気づいていないのだろう。少女はどんどん話を進めていく。
「それで、さっき言うておったトラックてんせいとべたとはなんじゃ?」
「えっと……まず、トラック転生はトラックに轢かれて死ぬと異世界に転生することで、次にベ……」
「待て待て待て待て待てーーーいッッ!!!」
「うわッ!?」
少女が叫ぶ。その急な大声におもわず悲鳴に近い声が出てしまった。
「やっぱり!! トラックに轢かれると転生するという法則がお主の世界にはあるではないかッ!! 本当は知っておるのではないかッ!? …………いや待て、まさか妾をたぶらかそうとして……」
「お、落ち着いて!」
「では、どう弁明する!?」
「弁明って……」
アサヒは困り顔で、ぷりぷり怒っている少女に弁明する。とりあえず、たぶらかす意図がないことはちゃんと伝えなくては。
「トラック転生は、あくまでラノベでよく使われるベタな展開のひとつだよ。えっと……ベタって言うのは、お約束の、とか、ありきたりな、って意味ね」
「……そ、それは誠か?」
「嘘なんかつかないよ」
「なんと…………」
少女はアサヒの言葉が信じられないとばかりに、呆然と手に持っているラノベを見る。そして、静かに話し出す。
「……これは驚いたな……あくまで物語上の話なのか……。妾には、このラノベとやらが予言書のように思えたぞ」
「予言書??……どゆこと??」
アサヒの言葉を聞いて、今度は呆れたような表情になる。何を今さら……と言われた気がした。
「何を言うておる。お主もトラックに轢かれてここに来ているではないか」
「……………………へっ??」
……いま、なんて……??
いきなりぶん殴られたかのような衝撃が全身に……。そして、頭が真っ白になる。
「……その様子じゃ、まだ目覚めたばかりで記憶が混濁しておるのかもしれん。お主は、トラックに轢かれて死んだ。そして、妾の力でここに転生したのじゃ。……まぁ、お主の言葉を借りるのならば、ベタな展開というやつじゃな」
「ぁ…………ぇ……」
アサヒは少女の言葉を聞いて頭を抱える。確かに覚えている、気がする。いや、今の今まで忘れていた。
お地蔵さん、コンビニ、ビール、雨、傘、横断歩道、信号、制服を着た少女、そして………………。
「トラックッ!?」
「…………」
アサヒはおもわず声を上げた。わなわなと体が震える。全部、思い出した。トラックに轢かれる瞬間に声がしたことも。そして、その声が目の前の少女と同じ声だということも。
アサヒは震える声で問いかける。
「あ、あなたは……いったい……?」
「神」
少女は、ただ一言そう答えた。