2 『なぜ転生者はトラックに轢かれるのか?』
ジリリリリリリ!!
「う、うぅ……あさ、か……」
目覚ましの音が鳴り響くなか、男は気怠げに体を起こす。ベッドから離れた棚の上に目覚まし時計を置いているため、立ち上がって止めにいく。
「っと!? …………飲み過ぎたか??」
ちょっとふらついてしまった。昨晩は調子に乗って飲み過ぎたかもしれない。足元に転がるビールの缶を見て、ため息をついた。
「はぁ……」
顔を洗って、歯を磨いて、スーツに着替える。
朝食は食べない派。それはなぜか……単純に朝起きれないのと、作るのが面倒なのが理由だ。
「はぁ……仕事めんどうだな」
本日二回目のため息をつき、鏡の前に立つ。そして、ネクタイを結ぶ。目の前に見える男はなんとも疲れた顔をしていた。……たいして疲れるようなことはしていないのに。
以前、誰かが『支度してるときから、もう帰りたい』と言っていたことがある。男はその言葉を聞いて、妙に納得してしまった。仕事の支度をするだけでもこれだけ面倒なのであれば、支度の時間も就業時間に含めてほしいとおもわず願ってしまう。……まぁ、そんな願いがまかり通るわけはないのだが。
革靴を履いて、ドアを開ける。外はどんよりと曇っていた。まるで、この男の心境を映し出したかのよう。
あきらかに一雨来そうな感じだったので、玄関に立てかけてある傘を持って外に出る。
「行ってきます」
当然、返事は返ってこなかった。
家から駅まで歩く。途中にあるお地蔵さんの前で足を止めて手を合わせる。
「…………」
『ん?? おぉ! 昨日の人間か!』
「行ってきます」
『ふむ! 気をつけて行ってくるのじゃぞ!』
「…………」
当然、返事は返ってこなかった。
ーーーーーー
「お疲れ様でした」
「おう、お疲れ」
「あっ、お疲れ様です」
「お疲れ、また明日」
いつもと同じように挨拶を済ませ会社を出る。そして、いつもと同じように電車に乗って帰宅する。今日も自炊をするのが面倒なのでコンビニ弁当の予定だ。
いつものコンビニに立ち寄る。昨日の店員さんはいないようだ。安心して弁当を買う。今日の店員さんの接客態度は程よいだらしなさだった。点数にすると四十五点くらいだろうか。やはりコンビニ店員はこうでなくては。
「…………??」
コンビニを出てすぐに横断歩道があり、いつもそこを通って帰っている。今日の横断歩道も特段変わった点はない。しかし……。
「……あの子、大丈夫か??」
おもわず呟く。
横断歩道の前で下を向いて立ち尽くしている制服を着た少女がいた。
……たしか、この近くの高校の……。
出退勤のときにこの辺でよく見かける制服。そして、その制服を着ている少女。ここまではよくあることなので気にする必要はない……はずのだが、その少女は違った。
着ている制服はシワだらけ、長く伸ばした黒髪はボサボサ。そして、極めつけは少女が醸し出すどんよりとした雰囲気だ。それはまるで、今から…………。
……いや、やめておこう。
男は首を横に振り、少女から視線を逸らす。憶測だけで物事を考えるべきではない。良からぬ想像をしていた自分を恥ずかしく思いながら横断歩道を渡った。
少女は、まだ立ち尽くしていた。
……アニメの見過ぎだな。
何かあれば、何かしらの事件が起こる。それはまるで何かの物語の序章のよう。だが、現実には何かあったとしても、何かしらの事件が起こることはほとんどない。
つまり、良からぬ想像をしてしまったこの男は、常日頃からアニメやラノベなどの創作物に触れすぎてしまっているのだろう。まぁ、自覚はしているが。
もしも良からぬ想像に任せて行動を起こしてしまっていたら、おそらく何かの物語の序章などではなく、つまらない男の物語の終章になっていたかもしれない。
なぜなら、四十歳間近の胡散臭いくたびれたオッサンが、花の女子高生に話しかける。それだけでも危険な感じがするというのに、話しかける内容も『何か悩みでもあるの?』とか『元気ないけど話聞こうか?』などだ。気持ち悪いことこの上ない。通報などされたら、間違いなく終わる。いわゆるバッドエンドというやつだ。
『なぜじゃ! なぜ誰も立ち止まらんのじゃ!』
「はぁ……」
男は今日何十回目かのため息をついて、お地蔵さんの目の前で立ち止まる。あいかわらず、綺麗に手入れされているお地蔵さん。
『むっ!? おぉ! お主か! お主だけよッ! 立ち止まってくれるにんげ………………お、お主……』
「…………」
いつものように手を合わせる。心なしか、今日はコンビニ袋が軽い気がする。
『……今日はまっすぐに帰るんじゃぞ。絶対に! 何があっても! 寄り道などするでないぞ!』
「…………」
男は顔を上げて家の方を向く。そして、一歩足を踏み出して、気づく。
「あっ……ビール、買い忘れた」
ここから近いとはいえ、今からコンビニまで戻るのは面倒だ。それに、これはある意味お酒を我慢しろという神様からのメッセージなのかもしれない……たぶん。
「はぁ……」
昨日、家のビールがなくなるまで飲んだ自分を呪いたくなった。
男は諦めて、もう一歩足を踏み出す。そして、ふと横断歩道で立ち尽くしていた少女のことが頭をよぎった。
……あの子、もう帰ってるかな?
とくに下心があるわけではない。ただ、なんとなく心配になった。それだけだ。ビールを買いに行くついでに、様子を見ようと思う。
「コンビニまで戻るか……」
『なぬ?? …………お、おい、まさかッ!?』
ポツリ。ポツリ。
男は振り返りコンビニの方へ歩き出す。それと同時に雨が降り始めた。
『待て! 待つんじゃ! 行くでない!』
「雨か……」
『行ってはダメじゃ! 止まれ! 止まるんじゃ!』
今日一度も出番のなかった傘をさす。今朝の天気を見て持ってきていた傘。それを使うことなく帰宅すると思っていた。でも、こうして使う機会ができた。
『お主! 死ぬぞッ!!』
……持ってきた甲斐があったな。
少し得した気がした。
雨が降り始めて数分しか経ってないのに、コンビニに着く頃には大雨になっていた。さすがにこの大雨だ。少女の姿はないと思っていたのだが……。
「ぁ…………」
おもわず声が出る。少女は雨でびしょ濡れになりながら、さっきと同じ場所で立ち尽くしていた。
……さすがにほっとけないな。
少女は傘をさすそぶりも見せない。そもそも傘を持ってすらいない。
信号は赤。男は横断歩道を挟んで少女の真正面に立つ。そこまで距離は離れていないが、雨で濡れた髪が顔にへばりついてるせいで表情が上手く見えない。とりあえず下を向いてるのだけはわかった。
……ひとまず傘に入れたげて、コンビニのところまで……。
少女をコンビニまで連れて行き、傘を買ってあげるくらいはしてもいいかなと思った。そして、その程度であれば、不審がられることもないだろうとも思った。
「…………ッ」
今までピクリとも動かなかった少女が少しだけ顔を上げる。へばりついてる髪のあいだから一瞬だけ目が見えた。何も映していないかのような虚ろな目だった。
そして、少女は静かに歩き出す。それを見て少しだけ安心した。おそらく今から家に帰るのだろう。この雨の中、傘を持たずに帰るのは少し心配になるが、わざわざ呼び止めるのも気が引ける。
男は何も見なかったことにして、おとなしくコンビニでビールを買って帰ろうと思った。足を踏み出し、そして、気づく。
……あか??
考えごとをしていたため、目の前の信号の色の意味を脳がすぐに理解してくれない。ただ、違和感を覚えただけ。
そんな男を横から殴りつけるかのように……。
プーーーーーーッッッ!!!
「ッッ!!?」
ビクッと肩が跳ねて、咄嗟に音のした方……今まさに少女に突っ込もうとしているトラックの方を見た。
「あッ!?」
おもわず声が出る。このままではマズイと、脳が警鐘を鳴らす。
……助けないとッ!!
考える時間などない。男は無意識のうちに走り出す。間に合うか間に合わないかなど考えてすらいない。ただ体が動いた、それだけだ。
「ッああーー!!」
傘やコンビニ袋を放り出し、言葉にならない声を上げて目の前の少女を歩道まで突き飛ばす。そして、そのまま男も歩道に倒れ込んでトラックから逃れる……はずだった。
つるッ。
「ぁ……」
ドンッ!
「きゃッ!」
濡れた道路で足を滑らせてしまい、体が前に倒れる。その勢いで突き飛ばすことには成功した。少女はさっきまで立っていた場所にうしろ向きに倒れる。そして、男はその場で膝をついてしまう。
……やば…………ぁ……。
チラッと横を見る。今まさにトラックが男にぶつかろうとしていた。
……間に合わな……。
男は死を覚悟し……
……え……??
その瞬間、男以外の全ての時間が止まった。
まるで世界から色が抜け落ちたように、周りの全てが灰色に見える。
男にぶつかることなく止まったトラック、突き飛ばしたせいで尻餅をついた少女、そして、トラックの目の前で膝をついている男。人、物……自分も含め、全てが止まっている。そんな光景を男は呆然と眺めていた。
不思議な気分だ。目の前にいる自分自身をうしろから見ている。まるで、魂だけの存在になったかのように。
男はトラックの方を見る。必死の形相の運転手が見えた。おそらく、ブレーキを力一杯踏んでるのだろう。だが、この距離だ。間に合わない。
……なんだか申し訳ないな、俺が足を滑らせたりしなければ……。罪に問われなきゃいいけど。
次に少女を見る。さっき見たときと違い、これでもかというくらいに目と口を開いて驚きの表情を浮かべていた。
……そんな顔もできるんだね。
男は今から死ぬとは思えない、なんとも気の抜けた感想を抱いた。そう、今から死ぬというのに心は妙に落ち着いている。
……それにしても、どうしてこんなことを……。
少女の行動……それは男の予感した通り、自ら命を断つ行為だった。だが、いくら疑問を抱いたところで、その理由を聞く術はもうない。
この止まった時間もそう長くは持たないだろう。なぜかそんな予感がした。そして、時間が動き出すと男はトラックに轢かれて……。
もう一度少女を見る。男が死ぬ原因になった少女。本来なら、恨み言のひとつでも言うべき状況なのかもしれない。だが、不思議とそんな気持ちにはならなかった。むしろ……
「もう自殺なんて考えないでくれよ。じゃないと、体を張ったかいがないからさ」
男が抱いた感情は、少女を心配するものだった。
「何があったか知らないけど……生きていれば、きっといいことがあるから」
少女にこの声は届かない。そもそも、声が出ているのかさえわからない。ただ、伝えたかった。根拠はないが、生きていればきっといいことがあると。
『ふむ……自らの死の原因になった者に労いの言葉をかけようとするとは……』
頭の中に声が聞こえてくる。自然と姿勢を正したくなるような静かに響く厳かな声。そして何より、心を落ち着かせてくれる慈しみに満ちた優しい声のようにも感じた。
『なぜじゃ?』
なぜ頭の中に声が聞こえてくるのか。この止まった時間はなんなのか。本来なら疑問に思うことはたくさんあるはずなのに、今は心を落ち着かせてくれるその声をずっと聞いていたいと思った。だから、さも当たり前のように、その『声』に言葉を返す。
「だって、せっかく助けた相手なんだから生きててほしいじゃないか」
『そんなもんなのかの?』
「そんなもんだよ」
『ふむ…………』
考え込むような気配を感じる。だが、長くは続かなかった。そして、『声』の雰囲気が変わる。
『お主は死ぬのにか?』
「それは…………」
『この娘が、自ら命を断とうとしなければ、お主は死なずに済んだのじゃぞ?』
「…………」
ずっと聞いていたいと思った声が、徐々に男を嘲るような雰囲気を孕んでいく。嫌な予感がした。
『愚かじゃな。もしこの娘がいなければ、こんびにでびーる?とやらを買って、何事もなく帰宅していたはずじゃ。そして、明日も明後日も生きていられた。……そのことに気づかぬとは、なんとも憐れよな』
「……ッ…………」
喉がヒュッとなるのを感じる……止まった時間の中で実際に男の喉がそうなっているかはわからないが、少なくとも怒りの感情は湧いてきた。どうやら、さっきから話しかけてくるこの『声』はずいぶんと意地が悪いらしい。
『お主はその事実を受け入れてなお、この娘に労いの言葉をかけようと思うかの?』
「…………」
『声』は、わざと怒りを誘うようなことを言ってきている……そんな気がする。さっきと打って変わって最悪な気分だ。
『なんじゃ、だんまりか?』
「……じゃあ、どうすればよかったんだよ」
売り言葉に買い言葉。こちらの返答も刺々しいものになる。そして……
『見捨てればよかったではないか』
「……ッッ!!?」
さも当然かのように言ってのける。まるで人の命をなんとも思っていないような軽い響きだった。その言葉を聞き、怒りで目の前が赤く染まっていくような、そんな思いを抱えながらおもわず怒鳴り声を上げる。
「そんなことできるわけないだろッ!! 目の前で轢かれそうになってる娘がいたんだ! ほっとけるかよッ!!」
『…………』
「……おい! 今度はそっちがだんまりか!」
さっきまで流暢に喋っていた『声』が急に黙り込んだ。それでも男は怒鳴り続けた。
普段は怒鳴り声を上げることなどまったくない。だが、命をかけて少女を助けたというのに、それを否定されるようなことを言われたのと、軽々しく見捨てればいいと言われたことに、男の怒りが収まらなかった。だいいち今から死ぬのだ。今さら他人に気を使う必要はないとも思った。
『……お主は、それで満足なのか?』
「えっ…………」
再び『声』の雰囲気が変わる。今度は、相手に寄り添うような穏やな声だった。男はその急な変化に戸惑ってしまう。
「……ぁ……その………………満足って??」
『もっと生きていたいと思わんのか?』
「ッッ!? …………それは思う、けど……でも、もう……どうしようも…………」
辿々しく答えながら、走馬灯のように今までの人生を振り返る。幼い頃の自分、大人になってからの自分。そして、今まで関わってきた人たちのことも振り返る。親、友人、知人、同僚。
男は昔から人付き合いが苦手だった。だが、その割にはけっこういろんな人と関わってきたのだなと思い知らされる。それに、人にも恵まれていたのだなとも思う。親からは、けっして裕福というわけではなかったが、何不自由なく育ててもらい。学校でイジメなどにあったこともなく。職場でも同僚とのいざこざに巻き込まれたこともない。
目立った幸せはなかったが、目立った不幸もなかった。それが、男にとってはとてつもなく幸福に思えた。なにせネットニュースを見れば、やれ虐待だの、いじめだのと目を背けなくなるような嫌なニュースばかりが流れてくる。それがなかっただけでも御の字ではないか。
そして、思っていた以上に恵まれていたのだと自覚した男は、ふと呟く。
「…………死にたくないな……」
『…………』
『声』からの返事はなかった。
とくにこの男にやりたいことがあったわけではない。叶えたい夢などもない。ただ、漠然と生きてきた。
でも、今目の前に『死』が迫ってきて、これまでの人生を振り返っていくうちに、まだ死にたくないと思ってしまった。だから……
「死にたくない。もっと生きていたい」
今度は呟きではなく、はっきりと伝える。『困った時の神頼み』というやつだ。どうせ死ぬのなら、無茶なお願いのひとつくらい口に出してもバチは当たらないだろうと思った。ところが……。
『叶えてやろうか?』
「………………へっ??」
おもわず気の抜けた声が出る。一瞬、何を言われたのか理解できなかった。そして、その言葉の意味を脳が受け入れる前に……。
『何を気の抜けた返事をしておる。妾は、お主のその願いを叶えてやろうと言っておるのじゃ』
「えっ!? ……ちょ、まっ、えっ?………………で、できるのですかッッ!!?」
『うおぁッ!?』
思いのほか大きな声が出た……気がした。
『びっくりするじゃろう! 急に大声を出すでない!』
「はっ!? も、申し訳ございませんッ!!」
『お主…………』
『声』は呆れたような雰囲気を纏い始める。申し訳ない気持ちにはなったが、それ以上に話の続きが気になった。もし願いが叶うのなら、ぜひ叶えてほしい。まだまだ死にたくない。
「……ところで、本当に死なずに済むのですか?」
『…………』
「………………なんで何も言ってくれないんですか……??」
急に黙り込んだ『声』に不安を覚える。まさか、期待を持たせて突き落とすようなことを……死なずに済むと思っていたのに、それがなかったことにされそうで藁にも縋りたい気持ちになった。だからこそ……
『……ひとつだけ条件がある』
「な、なんでも言ってくださいッッ!!!」
『うおぁッ!?』
男は気づかなかった。願いを全て叶えてくれるという確証などどこにもないということを。そして、『声』が申し訳なさそうな雰囲気を纏っていることを。
『お、落ち着くのじゃ!』
「はっ!? ……すいません……助かると思うとつい……とくにやりたいこととか夢とかあるわけではないんですけどでもやっぱりこういったことに直面すると死にたくないなぁって思っちゃって……はは、はははッ」
『…………』
助かるのだと思うと自然と肩の力が抜けて、普段の自分では想像できないくらいに饒舌かつ早口になる。
『……と、ともかくじゃ、ひとつだけお主の願いを叶えてやる。あと、敬語もいらんぞ。楽な喋り方でよい』
「あ、ありがとうござ…………ありがとう。助かるよ」
『ふむ……少しぎこちないが、とりあえず良しとするかの』
「はい…………うん」
『うむ、その調子じゃ』
いつの間にか敬語になっていたらしい。だが、それは仕方がないというもの。なぜならこの『声』は、男の願いを叶えてくれる偉大なるお方なのだ。敬意を払わなくては。
……まぁ、さっきは怒鳴り声を上げてしまった手前、自分でも現金なやつだなとは思うけど……。
そんなことを考えながら話し方を元に戻す。
「そ、それで、これからどうすればい……」
『む……どうやら時間切れのようじゃな。詳しい話は場所を変えて話すとしよう』
「……時間切れ? 場所? ……えっと、どこに行けば……??」
『すまぬ。その話も詳しくしたかったのじゃが……そちらに干渉できる力がもう残っておらん。ひとまず、ちょっとだけ死んでくれるか』
「………………へっ……死ぬって…………何?? ……えっ…………助けて、くれないの……??」
『この死からは逃れられん。……じゃ、じゃが安心せい! 痛いのは一瞬だけじゃ!』
そこでようやく男は気づく。『声』が心の底から申し訳なさそうな雰囲気を漂わせていることと、男を怖がらせないようにあえて明るく話してくれていることに。
だが、逆効果だ。そんなことをされれば余計に恐怖心を煽る羽目になる。そして何より……
「安心できるかーーーッッッ!!!!」
死んでくれと言われて安心できるわけがなかった。
ドンッッ!!!
世界が色づき、時間が動きだす。
何かがぶつかる大きな音が聞こえた気がした。
ーーーーーー
そこは白い世界だった。辺り一面真っ白で何もない。……ただ一箇所を除いて。
どうやってここに来たのかわからない。気がついたときにはここにいた。辺りを見回す。白、白、白。上も下も横も、白。
いったい自分はどこにいるのか……建物の中なのか、それとも外なのか。何もわからない。
なので、唯一白じゃないところを見た。男の目の前、そこに椅子がひとつ置いてある。いかにも仰々しい、まるでどこかの国の王様が座るような立派な椅子。それがポツンと置いてある。
違和感だらけだった。まず、もしその椅子が宮殿みたいなところにあるのであれば、何も不思議に思うことなどなかったはずだ。だが、その椅子は何もない空間に置いてあった。次に、そのすぐ周りにはたくさんの書物が乱雑に積み上がっている。まるで、整理整頓という言葉が存在していないかのように。
そして何より、男が一番目を引いたのは……。
「のう」
「えっ……」
聞き覚えのある声に呼びかけられ、おもわず声が出る。
声の出どころはすぐ目の前の椅子……仰々しい、いかにもな椅子の上にちょこんと座っている幼い少女からだった。少女は膝の上に書物を開き、こちらを一瞥もせずに下を向き続け、そして、そのまま問いかけてくる。
「お主にひとつ聞きたいことがあるんじゃが」
とても幼い少女から出たとは思えない、静かに響く優しい声だった。……おもわず、もっと聞いていたいと願うほどに。
「えっと……聞きたいこと??」
「そうじゃ……お主にしか答えられん」
「お、俺にしか……」
少女の視線は書物に向き続けている。
男は思う。真っ白な空間に、仰々しい椅子。そして、その椅子に座り書物を読み耽っている幼い少女。
この光景はまるで……異世界転生系の作品で、今から知らない世界に飛ばされる主人公が、神様的な存在と対峙するワンシーンのようで……。
……いやいや、そんなまさか………………って、あれ??
ふと少女が手に持っている書物に目が留まる。見覚えがあった、というレベルの話ではない。男にとってはとても身近にあった書物。子供の頃から読んでいた物。ラノ……。
「わからん」
少女の顔が上がり、書物に釘付けだった視線がこちらに向く。その視線は力強くて、目を逸らすことができない。逸らしてはいけないとさえ思った。
「わからんのじゃ……」
「えっと……わからないって、何が……??」
とてつもない大きな謎にぶち当たり、どうしようもできなくなったかのように、少女は顔を歪めた。その表情を見て男も身構えた。いったいどんな恐ろしいことを聞こうとしているのか。
「……なぜ、トラックに轢かれたら転生できるんじゃ??」
「…………」
男は一瞬言葉を失った。こんな不思議な空間にいるというのに、最初の質問がそれなのかと。
だが同時に思う。その答えは男にもわからない。なぜなら、男自身も子供の頃から疑問に思っていたことだから。なので……
「あ〜〜〜それ、俺も知りたいな……」
トラックに轢かれて摩訶不思議な空間に飛ばされた男……三宮 朝陽は、素直な気持ちを目の前のラノベを読んでいる少女に伝えた。