12 『グラムガンド』
まるで飛んでいった風船を目で追いかけるかのように、ポカンとした顔で魔物を見上げていた。
魔物はそんなアサヒを見下ろしながら、再び腕を振る。
「アサヒーーッッ!!!」
「ッッ!? んがッ!?」
思いっきり腕を引っ張られて地面に倒れる。その拍子に頭をぶつけた。すごく痛い。
「カ、カサネ!? 何して……」
「ばかものッ!! 早く逃げるんじゃ!!」
「えっ…………ッッ!?」
アサヒは咄嗟に振り返る。魔物がこちらを見下ろしていた。
おそらくあのまま立ち尽くしていたら、木の枝と同じようにアサヒの体もへし折れて……。
「ぁ…………ぁああ、あああッッ!!?」
無様な悲鳴を上げる。恐怖がアサヒの体を支配した。
「立つんじゃ!! アサヒッ!!」
立ち尽くしていたときと違って、頭ははっきりしている。
そして、その頭で理解した。今から目の前の魔物に殺されると……。
「アサヒッッ!!!」
アサヒの名前を必死に叫ぶカサネの声。無様に悲鳴を上げているのに、その声だけはちゃんと聞こえていた。
心配してくれている。助けようとしてくれている。その思いがしっかりと伝わってくる。
だから……。
ブオンッ。
音を立てながら、魔物の腕がアサヒたちに振り下ろされる。
「ッああ!!」
助けたいと思った。守りたいと思った。
生意気でたまにムカつくけれど、こんな状況でもアサヒのことを見捨てずに助けようとしてくれている心優しい神様を……。
「アサッ!?」
気が付いたときには、アサヒはカサネを庇うように抱きしめていた。
そして、魔物の腕をぎりぎり避ける。ドスンッ!と大きな音が森に響いた。
「グギャーーーーーーッッ!!」
安堵する暇などない。魔物は二度もアサヒたちに避けられたせいか、雄叫びを上げながら腕を振り上げる。
アサヒは振り返り、一瞬だけ魔物と目が合う。
『次は確実に殺す』
ドス黒い悪意の塊……のようなものが見えた気がした。
「離せ!! 妾のことはいいッ!!」
「ッッ!!」
次に腕を振り下ろされたら絶対に避けることができない。そう確信した。
だから、カサネを離すことはできない。
「アサヒだけでも逃げるんじゃ!!」
「嫌だッッ!!!」
「ッッ!!?」
腕の中でカサネが叫ぶ。その言葉を全力で拒絶する。
わかっている。この行為は無意味かもしれない……いや、間違いなく無駄死にになるだろう。
でも……助けたい、守りたい。
だから……離さない。
腕が振り下ろされる。そして……。
「んああッッ!!!…………………………あ、あれ??」
死を覚悟し悲鳴に近い叫び声を上げた。だが、何も起きない。
一瞬助かったのかと思い、再び振り返る。
「ひっ!?」
もちろん、魔物は目の前にいた。
殺意に満ちた目でアサヒたちを睨みつけている。腕を振り上げた状態で……。
「い、いったい何が……??」
魔物の腕に植物の蔓のようなものが絡みついていた。
「グ、グギャッ!? ギャ!?」
魔物はその蔓を振り解こうと暴れるが、上手くいかない。
「アサヒ! 今のうちじゃ!」
「あ、あぁ………………う、うそ、だろ……」
ぶちぶちぶち。
アサヒたちは立ち上がってその場から逃げようとした。だが、絶対に逃さないとばかりに魔物は耳障りな音を立てながら蔓を引きちぎっていく。
あと数秒もすれば魔物を拘束するものが完全になくなり、再びアサヒたちを……。
「ぁ…………」
絶望感に支配されそうになったアサヒは気の抜けた声を漏らした。
辺り一面緑しかないこの場所で、ピンク色の何かが物凄い速さで目の前をよぎったからだ。
そして、それは魔物の顔面まで吸い込まれるように近づいていき……
一閃。
「ギャッ!!?」
ドン!…………スタッ。
そのまま魔物を蹴り、高く跳ぶ。そして、アサヒたちのそばに軽やかに着地する。
「お怪我はありませんか!?」
ピンク色の何か……撫子色の髪をした少女、ラキシアが問いかけてきた。
今のラキシアは先程までの穏やかな印象は鳴りをひそめ、真剣な表情でアサヒとカサネを見つめていた。
「あ、あぁ……俺は、大丈夫……カ、カサネは?」
「妾も……大丈夫じゃ」
「はぁ……間に合って良かった……」
そう言って、ほっと胸を撫で下ろす。だが、表情は険しいままだ。
なぜなら……。
「ギャッ!! グギャ!! ギャーッ!!」
叫び声が聞こえる。魔物は顔を抑えながらのたうち回っていた。
「…………どうして、こんなところに……」
「ラキシア知ってるの!? この魔物のこと!?」
「はい…………『グラムガンド』……」
「グラムガンド??」
「とても凶暴で危険な魔物です。…………本来なら、十人単位の討伐隊を組織して挑まないといけないくらいに」
手に剣を持ったラキシアが、グラムガンドを警戒しながらアサヒの問いかけに答える。
その話を聞いて声が震えた。今この場で戦えそうなのはラキシアだけ。
つまり……。
「そ、それって…………このままじゃ……」
「私も何度か戦ったことがありますが……一人で討伐したときは骨が折れました」
「えっ」
「グギャッ!!!」
「…………アサヒさん、カサネちゃん、下がっていてください」
魔物がゆっくりと起き上がる。顔は血に濡れていた。
残った右目で、もう片方の目を潰した相手を睨みつけている。それだけで人を射殺すことができそうな視線だ。
だが、ラキシアはその視線を真正面から浴びながらも、怯むことなく剣を構える。
「そうです。あなたのお相手は私がします。かかってきてください」
「ギャーーッ!!」
グラムガンドが吠える。まるで、ラキシアの言葉を理解しているかのように。
「あぶないッ!!」
アサヒの口からおもわず声が出る。
グラムガンドの巨大な腕がラキシアを叩き潰そうとしていた。
当たっただけで木が倒れるくらいの力だ。少女の体など耐えられるはずがない。振り下ろされる腕を見ながら、ラキシアが無惨に潰される姿が頭をよぎった。
だが……。
「えっ」
「ギャッ!?」
気の抜けた声が出た。
……ラ、ラキシアが……消えた……??
さっきまでいたはずのラキシアの姿がない。一瞬潰されたのかと嫌なことを考えてしまったが……違う。なぜなら、グラムガンドも戸惑っているように見えたから。
「…………ギッ!? ギギャーーッ!!?」
「なっ!?…………血ッ!?」
急にグラムガンドが叫び出す。そして、振り下ろした両腕から血が吹き出した。
「私はここですよ」
「グギャ!?」
グラムガンドが振り返る。
何事もなかったかのように、ラキシアが立っていた。
「なぜ、ここにいるのかわかりませんが……」
そう言いながら、切先をグラムガンドに向ける。
「あなたは私が倒します」
そして、宣言した。




