10 『親切な少女とサンドイッチ』
森を吹き抜けていく風が少女の長い髪を優しく揺らす。
清楚な雰囲気を醸し出す撫子色の髪に、神秘的で雅やかな紅紫色の瞳をした少女だった。
「…………」
長い髪を風で揺らすその姿がとても幻想的で、おもわず言葉を発するのを忘れて見惚れていた。
「あ、あの〜、大丈夫ですか??」
「へっ??」
気の抜けた声が出てしまった。少女に声をかけられて、呆けていた頭が必死に冷静さを取り戻そうとしている。
そんなアサヒを少女は不安そうな顔で見つめてきた。何か答えなくてはと焦るが上手く言葉がまとまらない。
「…………あっ、いや! えっと、その……」
「もしかして、怪我をされたんですか?」
「えっ」
しどろもどろになっているアサヒに少女は問いかけてくる。
こちらの心を落ち着かせるような美しく澄んだ声だった。こういうのを『鈴を転がすような声』と言うのだろうかと、問いかけの回答とはまったく関係のないことをアサヒは思った。
そして、徐々に少女の言葉の意味を脳が理解していき……
「………………怪我??」
おもわず呟く。
少女の視線はアサヒの横の方に向いていた。
「あっ、はい。そちらに横たわってる女の子なんですが……」
「あ…………」
……ヤバッ!? 完全に忘れてたッ!!
「怪我ですか? それとも体調を崩されたとか?」
目の前の魅力的な少女に見惚れて、出会ってそんなに時間が経っていないとはいえ、一緒に森の中を彷徨った相手を忘れてしまうとは……いい歳した大人が情けない。
アサヒはそんな恥ずかしさを誤魔化すように、ガバッ!と立ち上がって声をかける。
「あの!!」
「は、はい!」
思いのほか大きな声が出て、少女の肩がビクッと震えた。そして、驚いてる少女に向かってこちらの要望を伝える。
「水と食べ物! 何でもいいんで、持ってませんかッ!?」
「は、はい??」
まったく予想してなかった言葉だったのだろう。少女は呆気にとられた表情で小首をかしげる。その仕草も可愛らしいなと思った。
「ぅ……ぅぅ…………」
そんなアサヒの足元で、存在を忘れられていた神様が苦しそうに呻いていた。
「な!? ななな!? なんじゃこれはッ!?」
「…………」
……またかぁ……。
カサネのオーバーリアクション。これで何度目だろうか。
「これも! それも! むぐッ! そして、ムシャムシャ……こっちも! ゴクンッ! どれも妾の心を満たしてくれる! なんと素晴らしいんじゃッ!! おっ、これは……」
パクリッ!!
「む!?……モグモグ! これも、ゴクンッ! 良いぞッ!!」
「ふふふ。そこまで喜んでもらえると、作ってきた甲斐がありますね」
「なんとッ!? これらは全てお主が作ったというのか!? 天才か!? お主は、天才なのかッ!!?」
カサネは叫ぶ。その勢いに少しだけ驚きながら答える少女。
「あ、ありがとうございます。でも、そこまで難しくないんですよ。昨晩のおかずの余り物をパンに挟んだだけなので」
カサネは今、少女が持参していた食べ物……サンドイッチを食べている。アサヒはその姿を半ば呆れながら横で眺めていた。
なぜなら、両手にサンドイッチを鷲掴みにし、これでもかと頬張り、おまけに口に入れたまま喋る。はっきり言って、食べ方がとても汚い。クチャクチャと音を立てないところだけが、せめてもの救いだ。
そして、このままだと少女の持参していたサンドイッチは、全てカサネの腹の中に収まるだろう。そう思わせる勢いで頬張っていた。
「おい、カサネ! 少しは遠慮しろよ!」
アサヒは、少女に聞こえないようにカサネに耳打ちする。しかし……。
「…………」
「おい」
カサネは何も答えずに、つぶらな瞳でアサヒを見る。まるで、アサヒは何を言っておるのじゃ?と聞こえてきそうな、子供のような純粋さを纏った瞳だった。……スゲェ腹立つ。
その二人の様子を知ってか知らずか、少女がアサヒに声をかけてくる。
「どうぞ食べてください」
「えっ、でも…………このままじゃ、あなたのが全部なくなりますよ?」
「私のことは気にしないでください。家もここから近いですし、いつでも食べれますから」
「そ、そうですか……じゃあ、お言葉に甘えて……」
「どうぞどうぞ」
少女が優しく微笑みかけてくる。その親切心はありがたい。本当に!とても!凄く!ありがたい!のだが……正直、申し訳ない気持ちの方が圧倒的にデカい。
とはいえ、この親切な少女の厚意を無下にはできないため、アサヒは恐る恐る誰かさんのせいでほとんど中身の残っていない弁当箱に手を伸ばした。カサネが一瞬、何をする!?と言いたげな視線を向けてきたが、そもそもカサネのサンドイッチではないので、その視線を無視する。そして……。
……パクリ。
「ほんとだ! 美味しい!」
「ふふ。ありがとうございます」
「だから言ったであろう? 素晴らしい!とな」
フフン!と声が聞こえてきそうなドヤ顔を決めるカサネ。その口元はパン屑やソースで盛大に汚れていた。
「あら?」
「……ん? わっ!? ぷっ……ん〜」
「はい、綺麗になりましたよ」
少女はしゃがみ込んで、ポケットから取り出したハンカチでカサネの口元を拭く。まるで、小さな子供の面倒を見るお姉さんだ。
そんな少女にアサヒは頭を下げる。
「何から何まですみません」
「いえいえ、気にしないでください。それに、小さな子の面倒を見るの、私大好きですから」
……ヤベェ! めちゃくちゃ良い人だ!
せっかく持ってきていたサンドイッチを、見ず知らずの二人組にほとんど奪われたみたいになっているのに、少女は穏やかに微笑んだまま。その清らかで高潔な姿は、どっかの誰かさん以上に神様っぽく見えた。
そんなことを考えていると……。
「なっ!? わ、妾を『小さな子』じゃと!? こ、こここッ、子供扱いするでないわッ!!」
『小さな子』と言われたのが、大層ご不満だったのだろう。カサネが手をブンブン振り回しながら喚き出す。その姿を見て、アサヒは恥ずかしさのあまり両手で顔を覆った。
……ここまで良くしてもらっている相手になんて口の利き方を……。
出来の悪い子供を持つ親は、こんな気分なのだろうか。
「可愛らしい女の子を見るとつい……。嫌な思いをさせてしまってごめんなさい」
少女は駄々をこねる子供をあやすように、穏やかな表情のままカサネに謝罪する。その言葉に気をよくしたのか……。
「わ、わかれば良いのじゃ! それにしても、妾のことを『可愛らしい』とは…………よく見ておるではないか! お主、なかなかにできた娘じゃのぅ! 褒めてつかわすぞ!」
「ふふ、ありがとうございます」
少女は穏やかに微笑みながら、えっへん!と胸を張るカサネの頭を優しく撫でる。その行為自体、子供扱いされていると思うのだが……カサネ的にはセーフらしい。
「わぁ!? 凄くサラサラッ! とっても綺麗な髪ですね! ずっと触っていられそうです!」
「や、やめるのじゃ……くすぐったいではないかぁ……」
少女は驚きの声を上げながら、カサネの髪を優しく触る。当の本人は身をよじりながらも、満更でもなさそうな表情をしていた。
「どんなお手入れをしてるんですか!? 凄く羨ましいですッ!」
「わ、妾の髪が綺麗なのは当然であろう? 妾は全てにおいて優れておるのじゃからのぅ!」
……いや、それ答えになってなくない?
「わぁ、それは本当に凄いですねぇ」
……子供をいなすお母さんみたいになってる……。
「そうじゃろ? そうじゃろぉ? 妾は凄いじゃろぉ?」
……こっちはこっちで腹立つくらいドヤ顔だし。何が凄いかよくわかんないし。
「ふふふ」
少女は再びカサネの頭を撫でながら、アサヒに微笑みかけてくる。そして……。
「本当に可愛らしい妹さんですね」
「えっ」
…………いもうとさん??
少女の言葉があまりにも不意打ちすぎて、アサヒは一瞬何を言われたのか理解できずに首をひねった。
「私にもこんな妹がいたら、沢山可愛がったんだろうなって思いまして」
「…………」
アサヒが何も答えないでいると、少女は不思議そうに首を傾げる。
「えっと…………ご兄妹、なんですよね?」
「……あ、あぁ! そ、そうなんです! 兄妹なんです!」
アサヒとカサネの顔を見比べている少女に、咄嗟に答える。
カサネには、二人の設定のことは村に着くまで保留にしようと伝えていたのだが、ここで何も答えずに怪しまれるくらいであれば、『兄妹設定』を押し通した方がいいだろうと、アサヒは思った。カサネには申し訳ないがここは妹として我慢してもらう。
「ですよね! だって、二人とも目元が凄くそっくりですし。あと、髪の色も」
「あ、あはは…………えっと、兄の三宮 朝陽と言います」
「さんのみや あさひ、さん…………この辺では聞いたことがない響きのお名前ですね。もしかして、遠いところからいらしたんですか?」
「ま、まぁ、そんなところです……。気軽に『アサヒ』と呼んでもらえれば」
「わかりました。アサヒさんですね」
やはり、この世界の人には耳慣れない名前だったようだ。少女は、そんなアサヒのことを『遠くから来た人』だと思ったらしい。いちおう、遠くから来たというのは間違ってないと思うので、そう認識されたままで問題はないだろう。
……さすがに、違う世界から来たとは言えないしな……。
「私の名前は、………………あら??」
「ん??」
少女もアサヒと同じように名乗ろうとしたのだろう。だが、その言葉は途中で止まる。なぜなら……
「わ、わわわ、わら……わらわらわが……いも、いもいもうとじゃと……そそそ、そんな……な、なぜじゃ……」
サンドイッチを両手で鷲掴みにしたまま、震えているカサネがいたからだ。
「わ、妾は……み、皆を導く立場なの、じゃぞ……? む、むしろ、妾の方が、姉では、ないのか……?? そ、そう思わんか? 思うじゃろ?」
「あぁ、わかりますよ。私には姉がいるんですが、いつも優しくしてしっかりしている姉に、凄くカッコいいなって憧れていた時期がありましたから。私もあんな風になりたいなって」
少女はグチグチと不満げなカサネを諭すように、優しく語りかける。微妙に会話が噛み合ってない気もするが、その辺は考えないことにした。
……まったく、どっちが導く立場なのやら。
「でも、妹には妹にしかできない良いことがあるんですよ」
「い、良いこと? そ、それは……なんなのじゃ??」
「それはですね! お姉ちゃんやお兄ちゃんに、たっくさん! 甘えられることですッ!」
少女は力強く断言する。
「え、でも……妾、別に甘えたいわけでは……」
「ねっ! 妹って凄く良いですよね!」
「いや、でも、妾……」
「良いですよね!」
「う、うむ…………妹、凄く良い……のじゃ……」
「でしょッ!」
……圧がすげぇッ!?
少女はニコニコと笑いながら、カサネの頭を優しく撫でる。
「ふふ、せっかくお兄ちゃんがいるんですから、たくさん甘えてもバチは当たらないですよ。ねっ、アサヒさん?」
「え、えぇ……まぁ、そう、ですね……」
アサヒは気まずそうに返事をしながら、チラリとカサネを見る。
「わらわはいもうと、わらわはいもうと、わらわはいもうと、わらわはいも……」
カサネは両手のサンドイッチを呆然と眺めながら、消え入りそうな声で呟いていた。
結局、少女の名前を聞きそびれてしまったが、とりあえずカサネが落ち着いてから再度聞こうと、アサヒは思った。




