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第九話

久々の更新になります。よろしくお願いします。

弟の宗介さんには多分自分たちの結婚式に会ったきりかもしれない。


毎年正月に義実家に顔を出してはいたが、大体奥さんの実園さんだけが挨拶に来ていた。


宗介さんは大手のコンサル会社に勤めているらしく、なかなか決まった休みも取れず大変らしい。実園さんは結婚前は総合職でばりばりに働いていたらしいが、転勤も発生する仕事のため、結婚後は仕事を辞めて家事に専念をして欲しいと言われて辞めざるを得なかったそうだ。


詩子も、本当は結婚後も妊娠後も元の会社で働きたかったが、奏の時の悪阻が酷くて退職せざるを得なかった。いつもいつも、女性側ばかりが未来や希望や夢を諦めなければならない。


実園さんに、確か去年男の子が産まれたはずだ。男の子を欲しがっていた宗介さんが目に入れても痛くないほど可愛がっていると庸介から聞いた。


1歳になったぐらいじゃないかと思うが、実園さんに何があったのだろうか。




焦ったように庸介は宗介さんに連絡をしているらしい。


今更宗介さんたち家族をフォローする暇があるならば、自分の家族をもっと前から顧みていれば、次は自分の番かもしれないと慌てる必要はなかったんじゃないかと思うが、そんなことを今言ったところで目の前の人は変わらないだろう。


夫の姿がとてつもなく滑稽で嫌悪感を抱き始めた時、鈴太郎が目をこすりながら部屋を出てきた。


「……お母さん、おはよう」


鈴太郎は目の前に父親がいるのにも関わらず、少し離れた場所に立っている詩子だけに声を掛ける。息子にスルーされ、スマホを握ったままの庸介が顔面蒼白になっているのが目の端に入った。


「鈴太郎、おはよう。昨夜はよく眠れた?」


「うん、もうぐっすりだった。昨日はおばあちゃん家に行ったり、まわるお寿司食べに行ったり、楽しかったもんね」


普段はうん、とか一言で済ませることが多かったのが、こんなにもすらすらと感想を述べる息子の姿に、詩子も庸介も目を見張った。


「―――うん、そうだね、美味しかったね」


「また行こうね」


「……へぇ、鈴太郎、お母さんとまわる寿司を食べに行ってたのか。いいなぁ、お父さんも一緒に食べたかったよ」


そこにいたの、とばかりにゆっくりと鈴太郎は庸介に視線を移し、


「でも、お父さんは仕事も忙しいし、土日も大体寝ていて起きてこないでしょ?だから、僕たちだけで出掛けたの」


と間髪入れずそう言い放った。


庸介はさらに顔面蒼白を通り越して口を開けたまま硬直している。


その姿に笑いそうになったが、息子にそう言わせることを今までしてきたのだ。詩子は今更庸介のフォローをする気にはなれなかった。


「今から簡単に朝御飯作っちゃうね。顔洗ってきて。あ、いちをお姉ちゃんも寝ていたら声だけかけてみてくれる?」


「うん、わかった」


鈴太郎は踵を返して洗面所に向かった。


詩子も冷蔵庫を開けて中の物を確認し始めた。卵も、ハムもある。ハムエッグと、簡単なサラダを作ろう。


「なぁ、鈴太郎ってあんなにハキハキと喋る子だったっけ?いつものあいつじゃないみたいなんだけど……」


怯えたような目をした庸介を一瞥したものの、「さあ」とだけ返事を返した。


「さあ、って、母親だろう?息子の急激な変化に何とも思わないのかよ!」


『何なんだよ、あいつ。気持ちわりぃ。人格が入れ替わったみたいじゃんか。本当に俺の息子かよ』


「鈴太郎は、正真正銘庸介さんの息子よ」


「―――え?」


「……あ」


思わず庸介の心の声に反応してしまった。


「鈴太郎と、色々と話すことがあって。色々とつかえてたものが軽くなったのかな。最近笑顔になることも増えたのよ」


「ふーん」


自分で訊いておきながら心底息子のことなど興味がなさそうだ。じゃあ訊くなよ、と思いながらも自分の知らないことをそのままにしておくのは我慢ならないのだろう。


無駄にプライドの高い人だから。


朝食を作る前に洗濯機をまわそうと思い、洗面所に移動した。鈴太郎はすでに洗顔を終わらせていた。


なかなか平日だと洗えるものも限られてきてしまうので、シーツや枕カバーなども今日の内に洗っておきたい。確か、昼過ぎには日が陰ってくると昨日のお天気予報で言っていたはずだ。


「鈴太郎、今日シーツと枕カバー洗いたいから取ってきてくれる?あ、お姉ちゃんにも言っといてね」


「うん」


まずは昨夜の汚れ物からどんどんドラム式洗濯機にぶち込む。土日のみだが、節水のためにお風呂の残り湯を使うためにホースを浴槽に入れた。ごうんごうんとホースがくみ上げている間に、リビングに戻る。


「庸介さん、もう大分長い間あなたのシーツとか枕カバーとか洗っていないと思うんだけど。今日洗いたいから出してもらえない?あと、部屋も臭いがこもっていたから換気とかした方がいいと思うよ」


「はぁ?俺の部屋に入るなって前に言ったよな?」


眉を吊り上げてそう言い放つ庸介に、もう何の感慨も浮かばない。


「だって、昨夜会社の後輩さんなのか若い女性があなたを三和土のところに置き去りにしたんだもの。放っておいても良かったけれど、ちゃんと寝室で寝かせてあげた方がいいと思って私が引きずっていったのよ」


詩子がそう淡々と述べると、庸介の目が泳ぎ始めた。


「へ、へぇ、昨夜は会社の同期と後輩たちと飲んでてさ、ちょっと飲みすぎちゃってあまり覚えてないんだよ。琴美……藤本さんは何か言ってた?」


あれが例の琴美か、と思いながらも詩子はにこっと口元に笑みを浮かべた。


「ううん別に、何も言ってなかったわよ」


「そ、そっか」


詩子が笑顔でいることに安心しているのか、庸介は軽薄なへらへらと笑みを浮かべ返した。


「いや、うん、でもありがとう。三和土に置いておかれてたら流石に風邪ひいてたと思うし、助かったよ。あ、シーツと枕カバーだったよな、今出すよ!」


『良かった、詩子の奴怒ってないみたいだ。本当は琴美と二人で飲んでたんだけど、どうせそこまで詮索とかしないよな』


はい、バレてます。


心の声が聞こえてくることは最初は弊害で面倒しかないと思っていたけれど、庸介はぼろぼろと心の声を零してくるので詩子自身の気持ちの整理もつきやすく良かった。でも、もちろん腹立たしさもある。


仕事が忙しいと称して琴美とかいう後輩と会っていたり、家事育児を詩子一人に押し付けて土日だって寝ていたり出掛けたりと自分勝手な人。


最初はもちろん、一緒にご飯を作ったり、散歩したり、楽しい日々があった。愛していたからこそ、毎日幸せに満ち溢れていた。奏が出来て悪阻で苦しんでいた時も、ご飯を買ってきてくれたりとか、家事を少しずつやってくれたりしていた。


でも、奏が生まれて、産後の体の痛みとか気持ちが塞がって泣いていたりとかすると、いつしか庸介はめんどくさそうにするようになった。庸介との子を必死に育てているのに、いつでも詩子一人だけだった。


奏と鈴太郎を育てていく中で、いつしか庸介への感情は無へと昇華した。庸介も、家事育児を促す嫁を疎ましく感じ始めたのだろう。だから、昨夜家に来たような綺麗で若い女性にへと気持ちが移るのだ。


そりゃあそうだ。面倒なことは一切押し付けない存在なのだから。


だけど、詩子と庸介は夫婦なのだ。


夫婦なのだから、嬉しい時は共に笑顔で、苦しい時は共に協力し合って乗り越えていきたかった。


ただ、それだけだったのだ。詩子はそんなに過大な望みを庸介に訴えていただろうか。あれもして欲しい、これもして欲しいと疎ましく思われるくらいの願いを口に出したのだろうか。


振り返るたびに、やるせない苦しみが胸を押し付ける。


過去を振り返っていてもしょうがないと思いながら、未来へ視線を向けても、そこには空虚な思いがのたりと立ちふさがっているだけなのだ。




奏は不機嫌そうに部屋から出てきた。


庸介の姿がリビングにあると分かると、嫌悪感丸出しで睨みつけていたが空腹には勝てなかったのか詩子の作った朝食を食べ始めた。


「あのさ、詩子、俺今日ちょっと宗介のところに行ってきてもいいかな?」


「宗介さんのところ?でも、実園さんのこともあるし、迷惑なんじゃない?」


「それがさ、実園さん、実家に戻っているみたいなんだよ。宗介が仕事に行っている時にこっそりと。それもどうかと思うけどさ、ちょっと宗介が精神的に参ってるみたいで。母さんたちにはまだ言ってないみたいなんだよ」


「祐介さんには?」


長兄の名前を出すと、庸介は片眉を上げた。


「兄貴になんか相談しないだろ。あっちは奥さんの尻に敷かれて、旦那の威厳丸つぶれなんだから。しかも子供もいないし。相談できないだろ」


あなたは子供が二人もいても旦那の威厳皆無だけど、とは思っていても口には出さない。


「うん、こっちは別に用事はないし。大丈夫よ」


「そっか、悪いな。今日はお弁当とか持ってさ、みんなで緑ヶ丘公園とか行ってみないかって提案しようと思っていたんだけど」


そのお弁当は私が作る前提だよな、と思いながらもこちらももちろんおくびにもださない。


デザートのバナナといちごを食べている子供たちの表情も、庸介の不在がわかるとどこか緊張が解けて明るくなっている。家長の不在がこうもあからさまに喜ばれるとは、呆れを通り越して哀れになってくる。


庸介が出掛けた後、詩子は大量の洗濯物を干すことにした。洗濯物を取り込んで片付けるのは億劫だが、意外と洗濯物を干すのは好きだ。


今日は天気がいい。庸介が出掛けた後に、庸介のベットマットも剥がして干した。子供たちは各々部屋に戻って宿題などをしているらしい。


ベランダに立ったまま周りの家々を見下ろす。家の庭でお父さんらしき人とボール遊びをしている子供、犬の散歩をしている女性、公園でブランコをしている小学生たち、カートをゆっくりと引きながら歩く腰が曲がった老婦人。もちろん、日曜に出勤の人たちもいる。平日はまわりを見る余裕がないため、今日のようなゆっくりと時間が流れているこの瞬間が好きだ。


心を落ち着けて目を閉じてみる。


たくさん人がいるからか、特定の人の心の声は聞こえてこない。


でも、それが普通の人だ。


心の声が聞こえてくることなんて普通ではありえないことなのだ。


今となって、この能力のことを考えてみる。何故、この年齢になってこの能力が開眼したのか。それは母も兄も言えることだが、やはり幼少期に目覚めると色々と多感な時期もあって、周りの人たちが信じられなくなって疑心暗鬼に苛まれてしまうからなんだろうか。


最近、そのようなことを考えるようになった。


だからといって、聞こえてしまうことが嫌になることもある。その人の心の内を知りたくなかったのに、ということもある。


だけど、36歳になって人の心の声が聞こえ始めたことは何か意味があるのかもしれない。今後、詩子が為さなければならない何かが待っているのかもしれない。


そんな、小説のような漫画のような展開があるのかは分からないが、今はこの能力の真偽性を考えないことにした。


この能力と共に、子供たちの成長とと共に歩んでいこうと思う。


うーんと伸びをした時に、ピロリンとLINEが鳴った。


詩子は牧絵や薫くらいしか頻繁に連絡を取り合わず、土日などの休みの日はあまり双方から連絡が来ることがなかった。


訝しく思いながらソファーに置いてあるスマホを手に取る。


そこには「廣道 友梨絵」の名前があった。


「―――え?友梨絵さん?」


友梨絵さんは廣道家長兄、祐介さんの奥さんだ。


詩子たちよりも先に結婚していたが、二人には子供がいなかった。友梨絵さんはネイルサロンの会社を立ち上げて、ばりばり働いている。


祐介さん、友梨絵さん夫婦もあまり正月に顔を出すことがなかったので、詩子もあまり会えていなかった。


ただ、友梨絵さんのインスタグラムはフォローしていたので、たまに覗いて元気であることを確かめているぐらいだった。


〈詩子さん、お久しぶりです。急に連絡してごめんなさい。庸介さんを介して実園さんのことは聞いているかしら。実は、実園さんからは大分前から宗介さんの相談を受けていて、私も何度も彼女と会って話をしていたの。詩子さんにもちょっと相談に乗って欲しいことがあるんだけど、今日は空いているかしら?私もお店があるから長い時間空けることは難しくて、午後二時間ランチしながら会えたりしないかしら?庸介さんがいないようだったら、子供たちもぜひ連れてきて構いません〉


お店のURLが貼ってあったので見てみると、家から車で20分くらいのカフェだった。雑誌でおしゃれなカフェと紹介されていて、一度行ってみたいと思っていたのだ。


今日庸介がいないのは有難かった。


詩子は〈大丈夫です、向かいます〉と返信すると、子供たちにランチはおいしいのを食べに行こうと伝えるために各々の部屋へ向かった。



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