第六話
また間が空いてしまいました。
よろしくお願いします。
「サイコキネシス……念力ってこと?」
「お、そうそう。よく知っているじゃないか。流石我が妹。昔、韓国映画で急に念力に目覚めた父親の話があったなぁ。まぁ、俺は別に誰かを救おうとか社会のために使おうとか、そういう目的もないけどな」
「見てろ」と一言言うと、音哉は手を車のハンドルを回すようにくるくると旋回させた。その動きに合わせて、宙を浮いている鈴太郎が椅子に座ったままクルクルと回っている。頭から落下しないか、詩子は気が気じゃなかった。
「まぁ、念力は心の中で思い描いたように動かせるから手を動かさなくてもいいんだけど、こういう動作を入れた方が、臨場感が出て面白いだろう?」
鈴太郎を早く下ろしてほしいと思いながらも、疾うの本人は怖がることもなく、楽しそうに回っている。だけど、ちょっとは加減して欲しい。
「兄さん、鈴太郎は車に酔いやすいから、あまりずっと回さないで欲しいの」
「お、そうか、りんに悪かったなぁ」
手を止めると、そのまま定位置のまま鈴太郎がゆっくりと床に着地した。
「お母さん、僕、大丈夫だよ。むしろアトラクションに乗ったみたいで楽しかった」
「流石、我が甥っ子、肝が据わっているな」
腕組みをしてうんうんと頷く音哉に、詩子はおそるおそる見上げた。
「……因みに兄さん、その能力に目覚めたのって、いつぐらい?」
「ん?そうだなぁ……確か、足元のポテチを拾うの面倒だなぁ勝手にこっちに来ないかなぁと思っていたら勝手に浮かんできたから、二年前くらいか?」
「二年前……」
二年前といえば音哉が36歳の時だ。詩子も36歳で能力に目覚めたので、36という年に何かしら意味があるのだろうか。
「詩子、何か思い当たることでもあるのか?」
「―――え?ど、どうして?」
「非現実な事態に普段の詩子だったらもっとこき下ろすかと思っていたから。あまりにも対応が柔軟で、ちょっと俺はびっくりしているよ」
「私、昔からそんな酷い対応取っていた?」
「俺が中学から引きこもりになって、後ろ暗いところはもちろんあったさ。折角入学した中学校でも、俺の所為で詩子にたくさん迷惑を掛けただろう。最初は、詩子は中学での出来事を楽しそうに話してくれていたなぁ。だけど、口角が引きつっていたし、目はやたらときょろきょろしていた。心配かけないように、嘘を言っているんだと分かったさ。だから、俺はそんな詩子を見るのがしんどかった。酷い言葉を掛けた。それから詩子は俺の部屋に近寄らなくなった。だけど、ドアの前で俺への愚痴、更には父への愚痴、一時期ずっと吐き捨てることがあった。だけど、それは仕方のないことだと思っていた。俺の存在が行いが家族全体に迷惑を掛けていることは、重々に承知していたからな。そんな俺が言うことを、詩子が受け入れてくれているのが不思議なんだ」
「……さらっと、私への愚痴が混じっていたわね」
「お母さん、ねぇ、大丈夫なの?」
ドアをこんこんと小さくノックする音が聞こえた。大きな音にびっくりして上に上がったままの詩子を心配して、奏が来てくれたらしい。だけど、音哉を苦手としているためか、ドアを開けて中を確認するそぶりはないようだ。
「奏、こっちは大丈夫よ。鈴太郎が椅子から落ちちゃっただけみたい。怪我もないわよ。下でお祖母ちゃんとクッキー食べてなさい」
「うん、分かった」
とんとんと、奏が階段を下りていく音を確認すると、詩子は音哉と向き合った。
鈴太郎は椅子に座ったまま、二人を静かに見つめている。
詩子は意を決して、すうと大きく息を吸った。
「―――兄さん、私も数か月前から超能力みたいなものが使えるの」
詩子の言葉に音哉はにやりと不気味な笑みを浮かべた。
「やっぱりな、何か一大決心したような顔をしていた。どんな能力だ?」
「……無意識に、人の心の声が聞こえてしまうの」
がたっと鈴太郎が椅子から立ち上がるのが見える。
「鈴太郎、安心して、あなたの心の声は聞こえてこないの。もちろん、奏も。家だと庸介さんのだけ聞こえてくるの」
鈴太郎はほっと安心したように椅子に座る。それを見て、詩子は少なからず傷ついていた。鈴太郎の反応が、きっと世間の反応だ。
「読心術、って奴か。りんと奏の声が聞こえないっていうのは、同じ血の関係性っていうのもあるのかもしれないなぁ」
「どういうこと?」
「あくまで仮定だけどな。詩子は、俺や母さんの心の声は聞こえたか?」
「あ、そういえば聞こえてこないかも……」
「庸介くんは、家族だけど詩子と血は繋がっていないだろ。だから聞こえるんじゃないか。どういう仕組みは分からないが、何らかの制約がこの能力には備わっているのかもしれないな」
「兄さんのサイコキネシスにも、制約はあるの?」
詩子の言葉に音哉は顎に手を添えた。
「外に出ていないから分からないが、多分この家の中の物しか動かせない」
「そう、なの……?」
「な、だから俺のこの能力は社会的に何の役にも立たないんだよ。ニートの俺にプラスアルファされたところで、ニートはニートでしか生きられないらしい」
しばらく歌織と二人で放置されたことに、奏は不機嫌そうに無言でいたが、回転ずしで注文した中トロを目の前にした途端、一気に目を輝かせてた。
「今は回転ずしとかいいながら、回転しない寿司屋さんが主流なのね?」
不思議そうに首を傾けながら歌織は呟いた。
「お祖母ちゃん、知らないの?回転させると取らない客もいるから余っちゃうんだよ。欲しいものだけ注文できる方が画期的だし、フードロスにも繋がるんだから!」
鼻高々と言わんばかりに、人差し指を立てて奏が言い放った。鈴太郎はそんな姉の演説具合をぼんやりと見つめている。
「へぇー奏ちゃん、詳しいねぇ」
「うん、この前、総合の時間でSDGsについてやったんだけど、そこで杉本先生が言ってた」
うんうん、と歌織は嬉しそうに首肯している。
「それじゃあ、たくさん注文しても余らせちゃうだろうから、食べれる分だけ注文してくださいね」
「分かってるよー」
水を差された奏は一気に不機嫌そうに眉をひそめた。
またやってしまった、と詩子は心の中で後悔した。たまに空気を読めずにこういった発言をしてしまうことがある。歌織みたいに、学校で教わっていることをきちんと自分の中で消化していて偉いね、と褒めてあげればいいだけなのに。
「ごめんごめん、奏の好きなサーモン、たくさん食べていいから」
「3皿は食べるからね!」
奏は隣に座る歌織とタッチパネルを見やっている。
詩子は横に座る鈴太郎の様子を窺った。
詩子の視線を感じると、鈴太郎は少しびくっと体を震わせた。その動作に、また詩子は傷ついた。やはり、あの時カミングアウトしなければ良かった。
普段からあまり自分の気持ちを吐露しない鈴太郎から、こうもあからさまに拒絶の反応をされると一気に食欲が落ちてしまう。
「……鈴太郎は、何を食べるの?タマゴが好きだったわよね」
声のトーンが落ちているのが分かるが、今更取り繕ってもしょうがないことだ。
心ここにあらずな状態だったのか、いつの間にか鈴太郎が強く詩子の腕を叩いた。
「―――何?腕痛い」
「お母さん、誤解しないでね。僕は、お母さんを怖がっているわけじゃないよ」
一言一言しっかりと紡ぐ息子に、詩子は思わずまじまじと見つめた。
「もちろん、びっくりはしたけれど、お母さんの前に伯父さんの能力を見せられたし、耐性がついていたのだと思う。あれもこれも食べたいなぁって考えていただけで、まだ注文が決まらないのって言われるのかと思って」
耐性なんて難しい言葉よく知っているな、と思いつつ「そんなわけないじゃない」と早口でまくしたてた。
「鈴太郎が、昔からゆっくりなのはお母さん知ってるもの。急かしたりしないよ。あれもこれも食べたいなら、タマゴ以外もたくさん注文すればいいんじゃない」
「……そんなに食べられるかな?」
嬉しそうにメニュー欄を見つめる鈴太郎に、詩子は胸がいっぱいになった。
普段から、あまり心の内を曝け出さないのは、詩子が仕事でいらいらしていたり、庸介との関係性をきちんと築けていなかったり、ずっと自分の所為だと思っていた。いや、思い込んでいた。
だけど、歌織の言ったとおりだ。
鈴太郎はきちんと自分の中で考えをまとめているし、それを今回は頑張って言葉で伝えてくれた。そのことが、嬉しくて嬉しくて仕方なかった。
「―――お母さん、どうしたの?泣いてるの?」
鈴太郎が心配そうに顔を覗き込んできた。
「ううん、違うの、ワサビで涙が出てきちゃっただけ」
「まだ、お寿司来てないよ?」
鈴太郎のもっともな意見に、今度は自然と笑みがこぼれた。
回転ずしでたくさん食べて、音哉への寿司も買い、4人はゆっくりと家に向かって歩いていた。
前を歩く奏と鈴太郎は二人して鬼ごっこをしながら歩いている。
奏が勢いよく走ると、鈴太郎が慌てて追いかけていく、そして奏がぐるっと回りこちらに帰ってくるという弧を描く形で二人は楽しそうに駆け回っている。鈴太郎が奏と一緒に遊ぶというところを、幼少時からあまり見たことがなかったので何とか温かな気持ちにさせられた。
「……詩子が今日来たのは、何か相談したことがあったからじゃないの?」
隣を歩く歌織からそう話しかけられ、そこで今日実家に帰ってきた理由を思い出した。
「そうだったけど……今日はもういいわ。子供たちのまた新しい表情が見れたから、それだけで充分」
今日実家に来たことで、音哉の開眼したという能力の存在を知らされ、詩子だけではないということを思い知らされた。それと同時に、音哉が言っていたことも心に残っていた。
「お母さん、今更なんだけど、兄さんが引きこもりになったのって、何が原因だったの?」
恐る恐る尋ねると、歌織の表情が一瞬すっと感情が消えた。
「急に、どうしたの?今までだって、そんなこと訊いたことなかったじゃない。音哉と、何か話したの?」
「兄さんが引きこもりになったことについて、話してはいないんだけど……ほら、私はまだ小学生だった時に、急に兄さんが部屋から出てこなくなっちゃったじゃない?学校にも行かないで、ずっと部屋にこもって何をしていたんだろうって」
「そうね……詩子も、あの人も、ずっと音哉のことを疎ましく思っていたものね」
歌織はどこか遠くを見ながら、そう呟いた。
「……うん、あの時の私は、ただただ家にずっといる兄さんが薄気味悪くて嫌で、友達も家に呼べないし、むしろ憎んでいたと思う。何も、知ろうとしないで、酷いことを言っていたと思う」
詩子がそう言うと、歌織は急に勢いよくこちらを振り返った。その目は、ただただ真っ黒な色をしていた。
「あの子はね、もう壮絶ないじめを受けていたのよ。何をされていたのかを言葉にすることすら憚られるくらい。毎日確実に何かされるから、あの子はずっとジャージ姿で登校してた。ほとんど制服に手を通していなかった。でも、あの子から一言も話してくれることはなかった。だから、私は全く気づけなかったのよ」
「……じゃあ、どうしていじめのことを知ったの?」
歌織は口元にふふっと笑みを浮かべた。
「いじめで苦しんでいる音哉が、ある日、視えたの」
「―――視えた?」
母の目は黒々としたままだったが、そこには正常の光が失われていなかった。
「そう、視えたの。教室で、トイレで、下駄箱で、あらゆる場所で虐げられているあの子が。でも、私は音哉に何があったのかとか、訊かなかったの。あの子は、話してくれないと思ったから。だから、明日から学校に行かなくてもいいわよ、家の中に避難していなさい、お母さんが守ってあげるからって、そう言ったの」
歌織はどこか恍惚とした表情で、空を見上げてそう言い放った。