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食あたり気味の姫

転生しちゃったけれど、わたしにお姫様は無理っ!~お兄様、婚約破棄はもうおなかいっぱいですの

作者: 月之影

 天井にはシャンデリア、着飾った紳士淑女のドレスにアクセサリーが光を反射して、丸テーブルのすべてには真っ白なクロス、豪華なご馳走には蝋燭の灯り。

 贅を尽くした宴を、ソフィアは一段高い場所から眺めていた。磨いてもらった爪が気持ちよい。王族用に設けられた席について以降、ソフィアは手慰みに、ツルツルの爪を指の腹で撫でていた。


 彼女の仕事はすでに終えている。国王の第三子であるソフィアは、今宵の聖夜祭が始まって間もなく、参加者たちからの挨拶を受けていた。貴族たちは、王、王妃、王太子の順で挨拶をする。

 成人前のソフィアは、隣席の姉が挨拶を受けるのに便乗して、微笑んで頷くのみ。あとのやりとりはすべて姉が行ってくれたから、とくに気負うこともなく、(あら、感じの良い奥様だこと)だとか、(侯爵様はそろそろ頭頂部が心配ね)なんて無責任な観察をしていただけだ。たまにぼんやりしすぎて、上品な笑顔の姉から刺すような空気が飛んできたから、あとでお叱りのひとつはあるかもしれない。


(でも、その心配もいらないようね)


 十七歳のソフィアを実年齢よりも幼く見せているまん丸の瞳が、僅かに眇められる。その視界の端では、国一番の美姫と名高い姉が、細工の細かい扇子で口元を隠している。その足元から冷気が発生しているのは、きっと気のせいではない。

 王族席周辺は、そばに仕える者たちが微動さえ控えるほどの張りつめた空気に満ちていた。

 逆に、一種の興奮状態にあるのは、ホール。

 ダンスホールに移動しようとしていた者たちも、軽食やドリンクを楽しんでいた者たちも、皆一同にある点を見つめている。淑女はみな、姉と同じように扇子を口元にあて、眉を潜めているが、その瞳からは好奇心が隠されていない。


「わたしは、ここにいるボストン侯爵令嬢とこの国を作っていきたいと思っている」


 数分前、ファーストダンスの役目のために、王太子がホールの真ん中に進み出た。その動線上には、王太子の婚約者であるベラル侯爵令嬢が微笑みを浮かべて佇んでいた。王太子が婚約者の手を取り、ファーストダンスを踊る。それが、いつもの流れだ。


 だが今宵、王太子は突如として平素とは違う行動をとった。

 正面を向いたまま、婚約者の前を素通りし、別の令嬢の手を取ったのだ。


(いやー、目を剥くってああいうのをいうのね。近くに立っていたおじさんたち、卒倒しかけていたもの。あの表情はすごかった)


 素通りされたベラル侯爵令嬢と、父親のベラル侯爵はもちろん、会場にいた人間の思考は、あの瞬間一度止まったと思う。

 あくびをかみ殺していたソフィアもそうだ。なにが起こったのか、皆が混乱していた。


 平然としていたのは、皆を混乱させた当の王太子と、真っ赤な口紅がとてもよく似合っているボストン侯爵令嬢の二人のみ。二人はファーストダンスのために、ホールの真ん中にゆっくり歩いて行った。そして手を取り、微笑みを交わしあった。


(え、いやいや、ないでしょ)


 微笑みあう二人をよそに、混乱は解けない。いつまで経っても始まらない演奏に、王太子は肩を竦めて、ホール内を見渡した。そして、主張を始めたのだ。


「わたしは国のために一生を捧げる。わたしは優しさを持った統治者でありたい。そのためには、わたしを真に愛す者、そして、わたしも心からの愛を捧げる相手が必要だと思う。愛を知らない人間の治める国に未来はないだろう」


 静まり返ったホールは、王太子の声をよく響かせた。

 さすがは未来の王、その堂々たるや、カリスマ性に満ち溢れている。予想だにしない行動でこの場を支配してしまったのだから、恐れ入る。


(おかしいのはこっちかな? ってこっちが戸惑うよね。つられて拍手しそうになるから恐ろしい)


 とはいえ、どう見てもおかしな状況であることに変わりなく、王太子の作り出した空気にのまれつつも、侍従や近衛が王の指示を待っている様子がソフィアのそばからも伝わってくる。だが、肝心の王が、指示を出しあぐねている。


(王太子、だもんなあ……)


 これが立太子前の馬鹿王子なら、押さえつけて、会場から引きずりだして謹慎だろうが、残念なことに、生まれてこのかた、優秀で賢く、王や王妃に従順で、近衛や従者たちにも慕われており、民にも人気の第一王子は、先日大歓迎のもとに王太子になっている。


(初めての反抗がこれって。反動すごすぎでしょ)


 ものすごいタイミングで遅い反抗期を迎えた王太子の実の妹である第二王女ソフィアは、ぽっかりと口を開けた。


「ほええ……」


 開けた口から間の抜けた音が抜けるが、いつもなら即座に注意してくる姉からの叱責は飛んでこない。注意されたところで、口元を隠すためのソフィアの扇子は彼女の手元にない。きっと侍女が持っているはずだ。


(あ、でもこれチャンスかも)


 侍従や近衛たちの次に正気に返ったソフィアは、大きな瞳をぐるりと動かして、隣の姉を盗み見た。


(よし、いける)


 ソフィアは胸に大きく息を吸い込んで、ホールの真ん中に向けて声を張り上げた。


「お兄様!」

「ええ!?」

「はっ!?」


 その瞬間のざわめきは、王太子が婚約者の前を素通りしたときよりも大きかった。


 それはそうだ。突如としてホールに反響した成人前の少女の高い声、王城で聞くはずのない大声、極めつけは、声の発生源が、これまで人前で口を開いたことのない王の末姫で、そんな末姫が王族席の真ん中にほど近い場所で立ち上がっているのだ。


「姫様っ!」

「殿下っ!」

「こらっ、ソフィア!」


 ざわめきが大きい分、周りの反応も早い。方々からソフィアを嗜める声が飛ぶ。

 王太子に続いて、まさかの末姫までが反抗期。王族たちはいっそ白目を剥いて倒れたくなった。


「殿下っ、どうか」


 だが、ソフィアは黙らない。きっと今が最初で最後のチャンスだ。ソフィアは人生をかけた大立ち回りをすべく、さらに大きく息を吸い込んだ。


「お兄様! それって浮気ですの!? カタリーナ様はお兄様の婚約者でしょう? 二年も婚約していたカタリーナ様を捨てて浮気ですの? 浮気男が治める国ってなんですの!?」


 ソフィアを座らせるべく彼女の手首を掴もうとしていた第一王女は、一瞬でも行儀を気にしたことを後悔した。座ったままことを収めようとしたのが間違いだったのだ。品など気にせず、すぐさま立ち上がって、愚妹の口を塞ぐべきだった。


 王と王妃は笑みを浮かべたまま静止している。宰相は、二倍に増えた問題のどこから片づけるべきか、聖夜祭を中止させるべく、王の指示を待たずして側近を動かしている。

 方々に散った宰相の部下や侍従たちから退場を促された参加者たちの足取りは鈍い。

 物理的に王太子と末姫の間を歩かされているのだから、ひどく気まずいし、ことの行き先が気になる。


「浮気ではない。そもそもわたしとカタリーナの間にそういった感情はない。だからこそ問題なのだ」

「お兄様、それはカタリーナ様も同じでしょう」

「カタリーナも愛する人と一緒になるべきだ。少なくとも愛がないと分かっているわたしたちが一緒になることは、双方の不幸につながるだろう」


 名前を出されたベラル侯爵令嬢は、ベラル侯爵の陰になるように、小さくなっていた。そんなことで周りから注がれる視線から逃れられるはずもないのに、扇子を精一杯まで広げて顔を俯かせている。その姿は、ソフィアの庇護欲をいたく刺激した。


(カタリーナ様ってかわいいのよね。優しくてきれいだし、なんでもできるのに、いつもビクビクしているの)


 次期王妃になるべくたびたび城に上がっていたベラル侯爵令嬢は、ソフィアにとって、すでに姉のような存在だ。ちょうど二年前、とある事故によって王女ソフィアとして生きることになった彼女にとってはなおさら。


(急に人格が変わったわたしを気味悪がらずに、普通に接してくれた)


「お兄様のそのお考えは、あっちの世界ならありなんだろうけど。政略結婚が普通のこの国じゃあ先進的すぎるかもね」

「あっちの世界って、またおまえは……」

「でもね、お兄様。大勢の人の前で誰かの尊厳を傷つけるようなクズに、愛なんて語ってほしくないわ。カタリーナ様の気持ちも今後の影響もなんにも考えずに、自分とそこのご令嬢さえよければいいって、そんな自分勝手な人が、愛を持った国作りなんてできる?」

「それは……」

「っていうか、もうね、おなかいっぱいなの。異世界転生して、お貴族様の仲間入り……てかお姫様になって、パーティでお約束の婚約破棄。読み過ぎて食あたり気味なの。うんざりなの。だから、わたし、平民になるね」

「ソフィア!?」

「だって無理だって。普通家庭で育って中学卒業しただけの田舎っ子に、いきなりお姫様なんて無理って。お姉様だって、この二年わたしにつきっきりでマナー教育してくれたんだから、分かっているでしょう?」

「ソフィア」

「あー、そんな顔しないで。お姉様のことは大好きよ」


 突如として人格が変わった妹を、姉姫はそれはもう大切にした。ストレスが原因なのかと、メンタルケアも含め、マナーや勉強、社交についてなど、王女として生きていくための教育を、自身のほうがよっぽど大変だろうに、一からソフィアに施してくれた。


「お兄様がやらかしたから、便乗します! わたしは市井で暮らすわ。カタリーナ様も来る? あ、でも物語じゃないんだから、本物のお嬢様がいきなり平民ってないわね」


 中学生のときからずっと読んでいた、婚約破棄から始まるご令嬢たちの恋愛小説。テンプレの読みやすさが好きで、ソフィアはストーリーどころかこの名前もあの名前もテンプレだなあと飽きるくらいに、それはもうたくさんの物語を読み漁ってきた。


 この世界に来てからは、自身の身に起こったことを説明がてら、婚約破棄物のストーリーパターンをいくつも姉姫に聞かせたほどだ。


(だからもう、実際に目の前でやられても、つまんないの)


 王太子と末姫の起こした大騒ぎで、聖夜祭の宴は中止になった。婚約破棄だの市井に下るだの、冗談では済まされない発言を冗談では済まされない場所で、冗談では済まされない立場の人間が宣言しちゃったのだから、お国の重鎮たちは、それはもう上や下やで大変だったらしい。




「お兄様は廃嫡なりなんなり、成人しているのだから責任を問われるわ。責任が取れる取れないに関わらず、責任を追及される。まあ、短絡的なところがあると後ろ指を指されながら、王太子を続けるしかないでしょうね。だけどあなたはどう? 成人をしていないお姫様? あなたの起こした問題は、あなたでは責任を取ることができず、そして責任を追及されるのは王と王妃ね。あなたは無責任なお兄様を責めていたけれど、果たしてあなたに返ってくる言葉はないかしら?」


 問題の対応に追われている両陛下は娘に構う暇などない。騒ぎの夜から数日後、城を出る末姫を見送ったのは、眦を赤く染めた姉姫ただ一人だった。


 自分でやらかしたこととはいえ、人に迷惑を掛けない方法でもう少しうまくやれなかったものかと、どこまでも誠実な姉を前にして、ソフィアは唇を噛んだ。


「まあいいわ。王の末姫はお転婆で有名だもの。前代未聞の王族の家出だなんてどこまでもとんでもないけれど、やってごらんなさい」

「お姉様……」

「それにね、あなたから気がおかしくなるようなオハナシをたくさん聞いていたから、婚約破棄はわたくしもお腹いっぱいなの。ましてや身内でなんて……」


 こうして高校の入学式直前に異世界転生を自らの身で体験することになった少女は、泣き笑いを浮かべる美しい姉姫に見送られて王城を去った。


 この世界で生きていくのであれば、身の丈にあった生活をしなければ早晩メンタルをやられて鬱になる。

(庶民は庶民らしく。お姫様は無理だったけど、町娘ならわたしにだってできるわ!)

 そう考えて市井に下りたソフィアは、やっぱり子どもだった。


「ええっ!? なにしているの!?」

「殿下の命により、わたしが姫様をおまもりいたします」


(えっ!? お姉様、まさかのおもりつけた!?)


 世間知らずの小娘を、しかも国王の実娘をまさか本当に市井に放り出すはずがない。それこそ戦の種を蒔いてやるようなものだ。


 反抗期と捉えられたソフィアには真実を知らせず、姉がという形で国がソフィアに用意した屋敷は、間違っても平民の住む家ではない。

 その上、万事整えられた屋敷には、ソフィアが到着する前から、第一王女付き護衛騎士の青年がなぜか控えていて、四六時中ソフィアのそばから離れないのだから、それからの日々は平民の暮らしとはかけ離れていた。

 この国の平民の暮らしを実際に知らないソフィアは、(これが普通の暮らしかあ)とのんびりしていたが、そのソフィアでさえ、時には首を傾げることがあるほど、穏やかで満たされた日々が続く。


(お姉様、ああ見えて過保護だから……。きっと徐々に市井の暮らしに移行しなさいってことね)


 ソフィアは大人たちの手のひらの上で上手に転がされ、国民たちには第二王女は遊学に励んでいると周知された。もちろん王家から家出したつもりのソフィアにその情報は隠された。第一王女が妹姫に付けた護衛騎士の青年は、そういった面でもどこまでも優秀だったのだ。


 そして優秀なのはその護衛騎士の主である第一王女その人だ。


(王家に忠実で、一人の人間として誠実で、絶対に間違いを起こさずあの子を守り抜ける者)


 成人前で、婚約者も諸事情により決められていなかった王の末娘。なにかがあっては国が荒れるだけでは済まない。そんな中、短期間で妹姫に付けるたった一人の人間を選び出し、重鎮たちを説得した豪胆な姿勢は、ただ美しいと褒めそやされていた第一王女の評価を変えた。


(ところで、彼はいつまでわたしのそばにいるのかしら?)


 いつもそばにいる優しくも頼れる姉の護衛騎士に淡い恋心を抱くころには、ソフィアのほうから環境の変化を申し出ることはできなくなっていたのだから、妹のおもりにこの護衛騎士の青年をつけた第一王女はやはりやり手だった。


 数年後には、そろそろ反抗期も終わったでしょうと王城から迎えがあり、彼と離れたくないと涙を流したソフィアは、成人と同時に実は両想いだったこの騎士に降嫁されることとなる。


 あれだけ大立ち回りしてまでお姫様をやめたがっていたソフィアは、結局貴族社会に戻るのだけれど、それはまだ彼女も知らない未来のお話。


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