第三話
鬱蒼とした森のなか、エンリケは手にした短剣で足元に絡みつく下草を払いながら進んでいく。
「なんだってこんな辺鄙なとこ通るかねぇ」
エンリケの隣ではロンがぼやきながら同じように短剣を振るっている。
「アカデミアから聖都へ向かう、その道中に襲撃を掛けようと思うのなら、この森は潜伏するのに適している」
道を拓きながら先導するふたりの後を地図を片手に進む少女が答える。クレア教室のフィズを部隊長に、アウレリア学院長を護衛する本隊に先んじて三人は斥候部隊として森のなかを進んでいた。
「魔の信奉者たちなんかに好き勝手させるものか」
拳を固く握りしめて言い放つフィズに対し、彼女に背を向けたロンがこっそり舌を出すを目の端に捉える。彼女の潔癖症は生徒の間でもたびたび話題になるほど度を越える。
ただしエンリケとしては今回に限りフィズの意見に同意する心境だった。アカデミアが受けた被害を思えば、フィズの憤りもわからないではない。〈バジリスク〉の放った末期の猛毒はアカデミア学舎を腐蝕させ、逃げ遅れた生徒たちはいまも宿舎で治療を受けている。
「この世界は聖なる統治のもとに均衡を保っているのよ。自分たちが不遇だからといってそれを壊す権利なんてないでしょう!」
憤懣やるかたない、といった調子でフィズの解放者への不満は続いている。フィズは聖に属するものを崇敬し、また自らがそこに属することに誇りを感じていた。
「均衡ねぇ。そう考えられるのは自分が支配する側にいるからじゃないかね」
ロンのいつもの軽口とも思えた。エンリケはそこに見慣れた友人のいつもの顔があることを確かめようとする。ぼそりと呟いたロンの表情は、彼がうつむいていたために伸ばした黒髪に遮られてエンリケからはうかがえない。
フィズは肩を怒らせてロンの胸元に指を突き付ける。顔をあげたロンの表情はいつもの調子と変わりなかった。
「解放者なんて名乗っていくら気取ったって、結局はただのならず者じゃない!」
「だな。失言でした、お嬢様」
両手を挙げて降参のポーズでロンが笑う。それでおしまいというように、フィズも再び地図に目を落としてルートを確認しだす。
ロンの調子に苦笑しながらエンリケも止めていた手と足を再び動かした。
(解放者の連中の主張なんざ、俺の知ったことじゃない)
あとは黙々と樹々のざわめきの隙間を抜けて進んでいった。街道を通る旅客を襲うために潜伏するなら絶好となる、そんな目星をつけた地点へと背後からさらに潜伏して襲撃を掛けられる地点を目指して。
「ビンゴォ! 大当たりだな!」
「静かにしなさいよ。潜伏の意味わかってる?」
おどけて口笛まで吹くロンの調子をフィズが冷たくあしらう。だがふたりともその眼差しに浮かぶ緊張の色は隠しきれていない。
エンリケが偵察に放った〈フェアリー〉が、解放者のものと思われる野営地を発見した。敵の姿こそ発見できなかったが付近に解放者の刺客が待ち構えていることは間違いない。
エンリケはロンに目配せをする。ロンはにやりと口角を吊り上げて召喚符を引き抜いた。
「バトンタッチだ! 来い〈コダマ〉!」
ロンが召喚符を構え、自らの使役する精霊を呼び出した。淡い緑色の召喚紋から現れたのは半透明の小人たち。呼び出された〈コダマ〉たちは緩慢な動きで森の奥へと散っていった。
事前の打ち合わせ通りにエンリケは偵察の役目をロンと代わり、〈フェアリー〉を街道を走る本隊のもとへ伝令として飛び立たせた。本隊がエンリケの〈フェアリー〉に気付けば、解放者の奇襲に対して事前に警戒する手筈になっている。
エンリケは野営地を発見した場所をロンに伝え、後方へ下がりながら〈フェアリー〉とのリンクに集中した。すれ違う一瞬、フィズの小さなひとり言を聞きとめる。
「どうして血を流してまで、争わなきゃいけない理由があるのかしら……」
答える言葉を持たずエンリケは震える背中を無言で見送った。
土煙をあげながら街道を馬車がひた走る。
アカデミアから走り続けてすでに日は落ちかけている。のどかな田舎道を抜けて森林地区に面した場所に差し掛かっていた。
不意に走る馬車のキャビンに舞い込んだものがあった。エンリケの繰る〈フェアリー〉だ。
「やはり、ここで来るか」
ジェクトの重々しい声に同乗するクレアも無言でうなずく。
アウレリア学院長の護送部隊、その本隊となる教師陣は迎撃の準備を始めた。
エンリケから斥候を引き継いで〈コダマ〉を森に放ったロンは解放者たちの足跡を追っていた。足跡は三人分。それぞれ分散して街道に面した場所へと森を進んでいた。
野営地の跡を遠巻きに観察しながらロンは注意深く周囲を探る。
「思ったより頭数は少ないな。これで全部ってことはないだろうが、意外と少数精鋭なのかね」
顎に手を当て独り言ちるロンの背中に、フィズの呆れ声が答える。
「体制に反逆しようなんて輩がそう多くはないってことよ」
「そんなもんかね」
肩をすくめてロンが嘆息する。フィズの意見はあり得る話でもあるが、勝算も無く挑むわけがないのも道理だ。
「なんにせよ、俺たち使いっ走りは作戦通りに動くだけさ」
気楽な口調でうそぶきながら、ロンは水筒からひと口だけ水を含み。乾いたノドと張り詰めた神経を潤した。
御者が搾り上げられるようなか細い悲鳴を上げた。その姿を笑う者はいない。彼は召喚術士ではないのだから。
疾走する馬車に並走するように、熊と見紛うような灰色の巨狼が獰猛な唸りをあげて駆けている。その数は馬車を包囲するように四方を囲む四体。
「止まるなよ! 速度を落とせば、その瞬間飛び掛かられるぞ!」
キャビンからジェクトが声を張り上げる。叱咤され御者は懸命に手綱を握った。
狼たちが徐々に包囲を狭める。ジェクトとクレアは互いに顔を見合わせてタイミングを計った。
「出でよ、〈イフリート〉!」
「来なさい、〈セイレーン〉!」
開いた召喚紋からふたりの放った精霊が、それぞれに馬車の両翼から飛び出した。
〈セイレーン〉は馬車よりも疾く宙を舞い、前方から手にした金色のハープを鳴らし歌い始めた。聴く者の精神を惑わす妖しい歌声に狼たちの統率がわずかに乱れる。その一瞬の隙に最前列を駆けていた一匹が〈イフリート〉の灼熱の拳を受けて吹き飛んだ。
「ちぃっ!」
木立の陰に舌打ちが響く。遠巻きに馬車の様子を窺いながら、みっつの影が息を潜めていた。
「やられたか?」
「いや、辛うじてだがまだやれる」
バーゼルは顎に手を当ててまばらに生えたヒゲを撫でた。そして満足気に笑う。
「よし、ならば作戦は続行だ。アランの若造は手を出す必要はないなどといっていたが、聖都にまで逃げられれば面倒だ。その前に我々の手で鍵を奪う!」
ジズとラッドの兄弟もバーゼルの言葉に重く頷きを返す。〈グレイウルフ〉はランクの高い精霊ではないが、二体ずつを同時に召喚して高い連携を組めるのはこのジズ・ラッド兄弟にしかできない離れ業だ。バーゼルは彼らのコンビネーションを信頼してこの作戦へと連れてきた。
「鍵は必ず手に入れる。我ら解放者の悲願成就のために!」
バーゼルの指揮のもと、ジズ・ラッド兄弟は巧みに〈グレイウルフ〉を操った。迎撃に会いその包囲は崩れたが、馬車の左右に一体ずつが並走し、後方に二体が追い縋る。
上空を舞う〈セイレーン〉からの攻撃をフットワークでいなしながら、キャビンの上に取り付いた〈イフリート〉の振りかざす拳の間隙を縫い、馬車へと攻撃を仕掛けていく。
「ダメだ! これ以上は車体がもたない!」
森に面して大きく湾曲した街道を半ばほどまで走り抜けた頃。歪んだ車輪の軋みに耐え切れず、御者は転倒を避けるために馬車を停止させた。
ゆるやかに速度を下げる馬車に合わせ〈グレイウルフ〉たちも速度を落とし、馬車の後方を半円状に包囲する。ジェクトとクレアは完全に包囲されないように〈イフリート〉と〈セイレーン〉に牽制させながら、左右に分かれ馬車から飛び降りた。
「お初にお目に掛かる。アカデミアの諸君」
勝利を確信し、バーゼルは潜んでいた森から躍り出た。勝負は馬車が森を通り過ぎるまでにその足を止められるかどうかだった。ジェクトたちは後方を〈グレイウルフ〉に囲まれ、いまその前方にバーゼルが従える真紅の毛並みを逆立てる人狼〈ライカンスロープ〉に抑えられ、挟み撃ちとなる陣形を取られてしまった。
「挟撃の有利は得た。これを覆されるほど我々も甘くはないよ」
〈グレイウルフ〉群と〈ライカンスロープ〉、どちらか一方に対処しようとすればもう一方に背後から襲われることとなる。それを恐れて〈イフリート〉と〈セイレーン〉に互いの背中を護らせれば、包囲されたまま嬲られるだけとなる。
バーゼルは降伏を呼びかけようとし、アカデミア教師たちの表情が戦いを諦めたものでないことに不審を覚えた。
「襲撃を予測していながら易々と挟撃を許すほど、我々とて甘くはないよ」
老獪さをにじませるジェクトの言葉とともに〈ライカンスロープ〉の背に猛烈な勢いで砲弾が突き刺さった。
「ホントに当たっちまったぜ、この距離で!」
硬い体毛と分厚い筋肉の鎧に身を包んだ〈ライカンスロープ〉にさほどのダメージはないようだったが、砲弾は〈ライカンスロープ〉の背に突き刺さったままめり込んでいる。
驚愕に目を見開いたバーゼルが思わず振り向くと、教師たちを挟みこんだバーゼルのさらに背後を取るように、エンリケたちが街道の先に待ち構えていた。
そしてバーゼルは察した。振り向いた先、はるか上空にきらきらと輝くものがある。〈フェアリー〉が手にした袋から光を放つ魔法の鱗粉を撒いていた。それを合図にして仲間との連携を取り、挟撃を逆手に取られたのだと。
「もう一発だ、〈コボルト投石兵〉!」
ロンが愉快げに追撃の指示を出す声が聞こえる。集中するように目を閉じているエンリケがロンへとなにかを囁き、投石機を構えた〈コボルト〉がその位置を修正するのを見る。
(あの妖精に照準を観測させているのか!)
再び飛来した砲弾をかろうじて防御させる。頭部への直撃を避けた砲弾は〈ライカンスロープ〉の右腕に深々と突き刺さった。
「よし、戻れ! 〈コボルト投石兵〉!」
さらなる追撃に備えようとしたバーゼルだったが、ロンはあっさりと呼び出した〈コボルト〉を仕舞いこんでしまった。エンリケも上空に飛ばしていた〈フェアリー〉を傍らへ呼び戻す。
(どうした? 弾切れか……?)
バーゼルは訝るが、ロンが新たな召喚符を取り出すのを見て身構える。
「いくぜ! 〈ジュボッコ〉!」
その召喚は警戒したのとはまったく別の方向――バーゼルのすぐ傍らで行われた。〈ライカンスロープ〉の肉体に食い込んだ砲弾が光を放ち召喚紋を描く。
よくよく見ればその砲弾の正体は巨大な樹木の種子だった。
ロンの呼び出しに応え、その樹木の種子は〈ライカンスロープ〉の肉体そのものに根を張り、その血を吸って真紅の花弁を咲かせる。〈ライカンスロープ〉は全身を苛む激痛に雄叫びをあげてのたうった。
「ふざけた真似を……!」
バーゼルは激昂し後方のジズ・ラッド兄弟へと指示を飛ばす。
「私があのガキどもを片付ける! アカデミアの教師どもに邪魔をさせるな!」
主従ともに激怒したバーゼルと〈ライカンスロープ〉が、エンリケとロンを目掛けて殺到する。
「我が名はバーゼル=マグライト! 戦を虚仮にしたガキどもなど八つ裂きにしてくれるわ!」
猛る戦士の怒号を、どこまでも冷めた心地で聞き流しながらフィズは召喚符を構えた。
ジズとラッドの兄弟はそれでもバーゼルを信頼していた。彼ら兄弟は親を知らない。魔の力を秘めて生まれた兄弟を、彼らの両親はまだふたりが幼い頃にその関係を切り捨てた。孤児だった彼らを拾い上げ、戦士として育ててくれたのは解放者バーゼルだった。バーゼルは彼らにとって親代わりの存在だ。
そのバーゼルに信頼されて今回の作戦に同行を求められた。彼らはその信頼に全力をもって応えたいと考えている。
例え、いかなる犠牲を払ったとしても。
「いくぞ、解放者の」
裂帛の気合でもなく、淡々とつぶやいたジェクトの声に兄弟は背筋を粟立たせる。
煉獄の炎を身にまとう、紅蓮の巨人が腕を振り上げて立ちはだかっている。
蠱惑的な笑みを浮かべた妖鳥が、獲物を品定めするような眼光を輝かせている。
そのどちらもがアカデミアが誇る一線級の教師の繰りだした強大な精霊だ。対するジズとラッドの手札は手負いを含めた四匹の〈グレイウルフ〉と、互いを信頼する連携の練度のみだ。
「やってやろうぜ、兄弟!」
「ああ、俺たちの連携を見せつけてやる!」
揺らめく炎に、幻惑の眼差しに、怯えを隠して兄弟は懸命に〈グレイウルフ〉へと檄を飛ばした。
エンリケとロンを背後に控えさせるように、フィズは召喚符を構えてバーゼルと相対した。
「おとなしく降伏することをお勧めするわ」
そう告げてフィズは召喚符へと霊力を注ぎ込んだ。召喚術士からの霊力を受けて召喚符は光を放つ。描かれた召喚紋からは煌めく翼の天使が呼び出された。
戦乙女〈ワルキューレ〉――白銀の甲冑をその身に纏った麗しき天使は、穏やかな笑みを浮かべたままランスを構えた。聖なる精霊のなかでも上位の存在である天使。それがフィズの切り札だ。
「降伏など、ありえんな!」
バーゼルが、そして呼応するように〈ライカンスロープ〉が吼える。
大地を揺るがすほどの咆哮を受け流してロンが不敵に笑った。
「忘れてもらっちゃ困るぜ! テメェの精霊には〈ジュボッコ〉の吸血根がすでに根を張ってんだ!」
ロンの命令を受けて〈ジュボッコ〉が脈動する。〈ライカンスロープ〉の体内まで侵食した〈ジュボッコ〉の根が、激痛を伴いながら血を吸い上げる。真紅の人狼が苦悶に身を折った。
地に膝をつく自らの精霊を見つめて、バーゼルは手にした〈ライカンスロープ〉の召喚符へと霊力を込めた。
「怒れる魔獣よ、傲慢なる者共にその憤怒を示すがいい!」
天高く〈ライカンスロープ〉が吼える。
フィズが素早く反応し〈ワルキューレ〉を突撃させる。閃光のようなランスの一撃は、しかし〈ライカンスロープ〉を貫くことはなかった。ランスはわずかに刃先を埋めて、爆発するように膨張した人狼の筋肉に絡め捕られてしまった。
「〈ライカンスロープ〉は傷を負うたびに自身を強化する能力を持つ! 我が霊力の続くかぎり何度でもだ!」
さらにバーゼルからの霊力を受けて〈ライカンスロープ〉がその身を震わせる。ランスを突き刺された傷口が見る間に盛り上がり塞がっていく。フィズはとっさに〈ワルキューレ〉を後退させた。強靭な筋肉に飲み込まれたランスは手放さざるを得ず、〈ライカンスロープ〉の体躯はランスを小枝のように手折りながら一回り巨大化した。
強度を増して鋼鉄のようになった表皮から、ロンの放った〈ジュボッコ〉も耐え切れずに足元へと落ちた。〈ライカンスロープ〉は見せつけるように〈ジュボッコ〉を踏みにじる。
「マジでバケモンだな、こりゃ」
うめくロンを下がらせて、エンリケとフィズが陣形を構えた。精霊を破壊されたロンは大きく霊力を削られてしまったため、続けて強力な精霊を呼び出すことができなくなってしまった。生半可な攻撃が逆効果となる〈ライカンスロープ〉への対処は残るふたりでしなければならない。
「手負いの獣の恐怖を教えてやろう!」
バーゼルの号令を受けて〈ライカンスロープ〉が跳躍する。うなる剛腕が危うく身をかわした〈ワルキューレ〉の足元を叩き、踏み固められた馬車道に亀裂を穿つ。跳び退きながらもエンリケとフィズは反撃のスペルを放った。
「詠唱、〈風刃〉!」
「〈光波矢〉!」
〈フェアリー〉の放った鋭利な疾風が〈ライカンスロープ〉の肩口を斬り裂き、そこに〈ワルキューレ〉の光の矢が殺到する。光の矢は傷口をさらに大きく斬り裂き、人狼の左腕は皮一枚で繋がっているような状態でだらりと垂れ下がっている。
「無駄だ! 我が霊力の尽きぬ限り〈ライカンスロープ〉は何度でもその身を強化し続けるぞ!」
その言葉通りに巨躯を傾がせていた人狼の無惨な傷口は内側から血泡とともに膨れ上がった肉に埋まり、その左腕はさらに巨大な鉤爪となって再生した。
「キリがないわね、これじゃ」
フィズが舌打ちとともに吐き捨てる。迂闊に手を出すことができなくなり〈ワルキューレ〉は防戦一方となっている。
(いいや、あいつの再生には限度がある……!)
エンリケは〈フェアリー〉を召喚符へ回収すると、自身の霊力を解き放ちフィズへとつなげた。エンリケの意図を察したロンもにやりと笑うと同様にフィズに向けて霊力を放つ。
「なにをしたところで我が〈ライカンスロープ〉に通用するのものか!」
バーゼルが召喚符を構えて待ち受ける。真紅の人狼の凄まじい連撃が〈ワルキューレ〉を追い詰めていくなか、フィズの声が高らかに響いた。
「裁きの天輪よ、来たれ!」
〈ワルキューレ〉が掲げた手先からまばゆい光の輪が放たれる。〈光輪〉は〈ライカンスロープ〉を捕らえその身を拘束した。フィズが霊力の集中を高めると〈光輪〉から天を突く光熱波の柱が放たれ〈ライカンスロープ〉の身を焼き焦がす。
「無駄だといっている!」
バーゼルが念じると焼け焦げた〈ライカンスロープ〉の表皮を突き破り、より硬質化した肉体が内側から生じてくる。
だが構わずフィズは敵を捕らえた光の輪へと意識を集中させ続ける。
「〈光輪〉は相手を焼き尽くすまでけっして外れない!」
焼かれ、再生し、それを幾度となく繰り返す。
その意図を察しバーゼルは怒りも露わに叫んだ。
「我が霊力が尽きれば〈ライカンスロープ〉の再生能力は使えない、そう考えての持久戦か!」
バーゼルとフィズ、互いに霊力を惜しむことなく自らの精霊へとつぎ込んでいく。全身を疲労が襲い、指先が震えても、最期の一滴まで霊力を振り絞る。
「舐めるなよ、ガキが! このバーゼル=マグライトが貴様などより霊力量で劣ると思うな!」
額に汗をにじませながらもロンが皮肉交じりの声をあげる。
「悪いがこっちは三人がかりだ。ちなみに俺はガス欠気味だが、こっちのエンリケ先生はスペルのエキスパートだぜ?」
属性への適性が低いかわりにスペルによる戦術を磨いてきたエンリケの霊力は相応に鍛えられてきた。それを持久戦を耐えるフィズへと託すことで、バーゼルひとりに対し三人分の霊力で対抗している。
その結果、ついに〈ライカンスロープ〉は再生が追い付かずに焼け焦げた炭の塊となって崩れ落ちた。
「馬鹿な……こんなことが……!」
霊力を絞り尽くしたバーゼルは蒼白な顔でアカデミアの学生たちを見やる。その手が、脚が震え、地に膝をつく。限界を超えて霊力を絞り出した代償は重く、その命の灯まで燃やし尽くそうとしている。
バーゼルは血を吐き倒れた。それは最後まで戦う意志を燃やし続けた男の最期だった。
「どうして、こんなになるまで……」
フィズが哀しげにつぶやく声が街道に吹く風に呑まれて消えた。
「そちらも片付いたか」
エンリケたちが駆け付けた時にはジェクトたちの方もすでに戦闘を終えていた。
辺りには熾烈な戦闘があったことだけを思わせる破壊跡だけが残り、〈グレイウルフ〉の姿も解放者の兄弟の姿もそこにはなかった。
「敵は、逃げたんですか?」
針の入った瓶に指先を差し込むような心地でフィズが尋ねた。青ざめた顔色の生徒にクレアが気づかわしげに答える。
「いいえ。彼らは最後まで戦って、死んだわ」
「そう、ですか……」
ジェクトがエンリケとロンに指示を出し、馬車の破損の点検などを手際よく行っている。クレアは戦闘中ずっと馬車のなかに隠れていたアウレリア学院長を気遣っている。それらの光景を遠巻きに眺めながら、フィズは自分が知らない世界へ迷い込んでしまったような錯覚を覚えた。
「ほんの数日前まで、ただの学生だったのに……。わたし、命を懸けてまで世界を壊そうとしている人たちと戦ってる……?」
世界は聖なるものによって統治されることで平和を保っていた。いままでそう信じてきたものが、安寧の隙間から這い出た魔の存在によってフィズの世界はすっかり変えられてしまった。
「いまの世界を壊しても、その先に理想の世界なんて本当にあるのかな……」
フィズがひとりつぶやいた言葉は吹き抜ける風にそよがれて消えた。
たまたま近くを通りがかったロンだけが、その言葉を耳にしていた。