表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
〈異界渡り〉と紙片戦争  作者: 犬丸犬
1/7

第一話

 少女の(かたわ)らには白銀の騎士が(たたず)んでいた。

 リタはやわらかな髪を風になびかせながら、自信たっぷりに相手を指さして告げる。

「今日こそは勝たせてもらうわよ、エンリケ!」

 事あるごとに自分に挑みかかってくる幼い少女にうんざりと、エンリケは気付かれないようこっそりため息をついた。

 リタが呼び出した〈パラディン〉は攻防ともに優れた強力な精霊だった。だが強大な精霊であるほど代償となる消費霊力も相応に必要とされ、まだ未熟なリタでは〈パラディン〉を呼び出すだけで霊力を使い切ってしまう。

 他の精霊もスペルによる援護も警戒する必要のない対戦相手。それはエンリケがもっとも得意とする相手だった。

「行きなさい、〈パラディン〉!」

 リタの号令を受けて重厚な大剣をかざした〈パラディン〉が突進する。その全霊を込めた剣の一閃に、正面からまともにぶつかり合えばエンリケの従える〈フェアリー〉ではひとたまりもない。

 エンリケはわずかに目を細め、己の内にある霊力を呪文とともに解き放った。

詠唱(コール)〈風化〉(ウェザリング)

 淡々とつぶやいたその言葉に呼応して〈フェアリー〉が高らかに歌声を奏でる。妖精の歌声はエンリケが解き放つ霊力と共鳴し合い、()けて混ざり合って、神秘の効力を発揮するスペルとなって世界に発現した。

「なにをする気?」

 〈フェアリー〉がかざした手から青白い光が放たれるのを見て、リタの表情に不安の影が差す。

 伸びる光は〈パラディン〉の持つ大剣へと絡みつき、螺旋(らせん)を描いて渦を巻く。すると見る間に大剣の刀身が錆び付いていき、一瞬の間に幾年(いくとせ)も経たように大剣は見る影もなく朽ちてしまった。

 猛烈な勢いで迫る〈パラディン〉の突進は止まらない。朽ちた大剣を天高く掲げて〈パラディン〉は必殺の一撃を放つべく大地を揺るがして踏み込んだ。

「甘いんだよ、脳筋が!」

 酷薄(こくはく)に吐き捨てるエンリケの声は、それもまた霊力を帯びた呪文だった。圧縮された空気が〈フェアリー〉を守る大気の壁となって〈パラディン〉の侵攻を阻む。朽ちた大剣は渾身の力を込めて風の障壁へと振り下ろされ。

 結果、ガラスの砕けるような音とともに〈パラディン〉の持つ大剣は(なか)ばほどから断ち折れてしまった。

「うそっ! ちょ、ちょっと待っ……」

 狼狽(ろうばい)するリタの言葉を最後まで聞かず、エンリケは容赦なく止めの一撃を放つ。

「これで終わりだ!」

 周囲の風が〈フェアリー〉の手元へと収束していく。吹き荒ぶ風はやがて球状に押し込められた嵐のかたまりとなって。

 爆発する暴風が〈パラディン〉と、ついでにリタを吹き飛ばした。


 この召喚術士学院(アカデミア)はその名の示すとおり召喚術を学ぶ者たちが集う場所だ。召喚符を通じて異世界から精霊を呼び出す(すべ)を磨くための(まな)()。リタとエンリケはそこで同じ師に学ぶアカデミアの学生だった。

「容赦ねぇなぁエンリケは!」

 ふたりの試合を観戦していた長髪の少年が快活に笑いながらリタを助け起こした。彼もエンリケやリタと同じ師に学ぶ少年で名をロンという。

 手ひどくやられて転げ回ったリタの背についた土を払ってやりながら、ロンは軽薄な笑顔で取り出した召喚符をかざす。

「エンリケは手加減ってもんを知らねぇからな。次は俺が相手してやろうか?」

 ロンはそういってリタの眼前でからかうように召喚符を揺らした。口元には薄笑いを貼り付けながらもその目には鋭い光が宿っている。

 そんなロンの言葉にリタはまったく取り合わずにそっぽを向いた。

「ロンはヘンテコな連携ばっか狙ってくるからヤダ。絶対わたしのこと実験台にして試してるでしょ」

 ロンはぺろりと舌を出して明後日の方向を向いている。一瞬前に見せた眼光もあっさり消し去り口笛まで吹いて誤魔化(ごまか)していた。

 そんなロンを無視してリタはエンリケに詰め寄ってくる。

「とにかくもう一回勝負よ、エンリケ! 〈パラディン〉は本当はもっと強いはずなんだから、わたしがちゃんとやれれば勝てるはずなんだもの!」

 ふたりが言い争っているうちにこっそり帰ろうとしていたエンリケの上着の(すそ)を掴んで引き留める。エンリケは視線だけで友人に助けを求めるが、ロンはベンチに座り込んですでに観戦する態勢を整えている。

「……もう勘弁してくれ」

 リタは自分が勝つまで納得しないだろうが、手抜きを悟らせずに少女を勝たせてやるのも難しい注文だった。どこまでも澄み渡る青空の下で、エンリケはうんざりと頭を抱えた。


「納得いかないなぁ。なんで勝てないんだろう」

 昼下がりの教室でリタは手にした〈パラディン〉の召喚符に問いかけるようにつぶやいた。

 あの後もエンリケに手ひどくやられ、結局は負け星をさらに増やしただけに終わってしまった。リタも召喚術士としての自身の未熟さは理解している。

「でも〈パラディン〉は聖なる属性の、それも上位の精霊のはずなのに」

 召喚に応じて呼び出される精霊たちには、彼らが元いた世界に応じて各種の属性を持っている。召喚術士にはそれぞれ生まれ持った適性があり、その適正によって属性ごとに呼び出せる精霊のランクに上限がある。

 地水火風の四属性を統べる聖の属性に適性があるだけでも稀有(けう)な素養の持ち主であり、さらに高位の精霊を呼び出せるとなればそれだけで召喚術士としては天賦(てんぷ)(さい)といえる。

 だがそんな才覚を持っていても非力な妖精を相手に一度として勝てない。その事実がリタの表情を(くも)らせた。

「才能ないのかなぁ、わたし」

「そんなことエンリケに聞かれたら、それこそ怒られるわよ」

 ため息をもらし机に突っ伏してしまったリタの髪に優しく振れる手があった。がばと起き上がり振り返ると、黒髪を短くした少女が微笑(ほほえ)みながらリタの頭をなでている。

 リタは涙のにじんだ目元をあわてて拭った。

「アーネ、聞いてたの?」

 教室でも最年長のアーネは微笑みを浮かべたままリタの隣に腰を下ろす。そしてほんの少しだけ眉根(まゆね)を寄せて(たしな)めるような口調になる。

「非力な妖精族にしか適性がなかったエンリケは、それでも戦術を工夫することでアカデミア随一といわれるジェクト教師に師事するまでに登りつめたのよ。そこにいたるまでには血のにじむような努力があったはず」

 にっこりと微笑んだアーネの言わんとするところを察して、リタは顔を赤くしてうつむいた。

「〈パラディン〉を呼び出せるわたしが簡単に才能なんて言葉使ったらダメだよね」

 素直に反省するリタの頭を抱き寄せてアーネはふわふわとした白金の髪をなでた。

「あなたには天性の才能がある。あとはそれをどう伸ばしていくかだけよ」

「……ありがとう、アーネ」

 普段は子供扱いされることを嫌がるリタだったが、この時だけはアーネの優しさに素直に甘えていた。


 ピークタイムを過ぎた食堂でジェクト教師は遅めの昼食をとっていた。まだ残った数人の学生たちが談笑する声を聴きながら、ハムとレタスをはさんだサンドイッチにかじりつく。

 鉄面皮の下でレタスのみずみずしい食感に舌鼓(したづつみ)を打っていた時。その顔にふっと影が差した。

「相席してよろしいかしら?」

 くせのあるブラウンの髪を肩口まで伸ばした同僚が、コーヒーカップを片手にテーブルをはさんでジェクトの正面に立っていた。ジェクトは身振りだけで相席に同意を示す。

 向かいの席に腰を落ち着けて妖艶(ようえん)に微笑んだクレア教師は一口だけカップに口をつけると、頬杖をついてジェクトへと悪戯(いたずら)気な顔を向けた。

「もうじき模擬戦闘試験が始まりますね?」

 生徒間で実戦形式での模擬試合を執り行いその勝敗によって成績を決定する、それがアカデミアの名物といわれる模擬戦闘試合だ。クレアの瞳に挑戦的な光が(あや)しく揺れる。この若年の教師はアカデミアで名声を得るジェクトへの対抗心を隠そうともしなかった。

 唇を指でなぞりながら獲物を前にした猫のように笑う。

「前期の試験ではエンリケやロンに手ひどい敗北を(きっ)したうちの子たちも、今回はそのリベンジに燃えてる。今期こそはジェクト教室の生徒だけで上位の独占なんてことさせませんよ?」

 それだけを告げると残ったコーヒーを一気に飲み干してクレアは満足気に去って行った。

(まぁ、通り雨のようなものだな)

 こちらの都合もかまわずにやってきては迷惑を振りまき、満足すれば勝手に去っていく。ジェクトは涼しい顔でクレアの宣戦布告を受け流して食べ終えた食器を返却しに席を立った。

 食堂を出ようとしたところでアーネと鉢合(はちあ)わせる。教室長としてジェクトの補佐(ほさ)を任される彼女は、午後からのカリキュラムについて相談しようとジェクトを探してくれていたらしい。

「エンリケとロンは自主学習で、リタには私がついて基礎訓練を行う予定ですよね」

 予定表へと視線を落としながら名を(つら)ねていくアーネに。(うなず)きかけてからジェクトは若年の教師の得意気になった顔を思い出して訂正する。

「いや、エンリケとロンには私が実戦訓練をしよう。グラウンドに集合するようふたりに伝えてくれ」

「先生が直接指導されるんですか? 珍しいですね」

 意外な言葉にアーネが目を丸くした。いつも実戦訓練となれば暇そうな若い教師を捕まえて押し付けてきた、このものぐさな教師が自ら実技の指導にあたることは滅多にない。

「私も少し運動したくなっただけさ」

 頭のなかで山積みのデスクワークと生意気な同僚の顔を天秤にかけて、ジェクトは口の端をほんの少し吊り上げた。


 リタはカーテンを開いて大きく伸びをした。デスクに飾られた写真のなかの人物と目を合わせて挨拶をするのは彼女の毎朝の日課となっている。

「おはよう、父さん」

 写真には今よりも小さなリタと、彼女を抱きあげた大柄な男が微笑(ほほえ)んでいた。(いか)めしい顔に無理矢理にしわを寄せたような不器用な微笑みでも、リタの記憶のなかの父はいつも笑顔だった。

 リタの父は聖都騎士団(せいときしだん)に所属していて、家族の待つ辺境の村にはあまり帰れなかった。母はそのことにたびたび不満をこぼしていたが、リタにとってはこの大陸の中心である聖都を守護する父の仕事は誇りであり憧れだった。

 父が殉職(じゅんしょく)し二度と帰らぬ人となっても。リタは父から受け継いだ〈パラディン〉の召喚符を胸に、憧れは自らの目標となる。

「今日から模擬戦闘試験が始まるの。必ず結果を残して、わたしもいつか父さんみたいな騎士になるわ!」

 写真のなかの父と胸に抱きかかえた〈パラディン〉の召喚符に向けて誓う。いま父から受け継いだ〈パラディン〉は彼女の手のなかにある。

 このアカデミアで優秀な成績を納めれば、卒業後には聖都騎士団への推薦状を預かれるかもしれない。実際にそうやって騎士団に勤めていった先輩たちの話も聞いている。

 今日の模擬戦闘試験はその輝かしい未来への第一歩となるかもしれない。

 期待と決意を胸に抱き、リタは宿舎の自室を飛び出した。


 抜けるような晴天の空はどこまでも遠く澄み渡り、今日という日に意気込みを込めた学生たちの熱気が青空の下かげろうを揺らめかせた。

 アカデミアの敷地奥にひっそりとたたずむ礼拝堂。その鐘が荘厳(そうごん)な音を鳴り響かせて模擬実戦試験の開始の合図を告げた。

「先手必勝だ!」

 リタと対峙した大柄な少年は裂帛(れっぱく)の気合とともに獣頭の怪人〈ワー・ボア〉を突撃させた。見上げるほどの巨体に筋肉を盛り上がらせて、イノシシの頭を持つ獣人は大地を揺るがして一直線に駆けた。

 対するリタは悠然(ゆうぜん)と構えて待ち、落ち着き払って傍らに控えた〈パラディン〉へと指示を送る。

「迎えちなさい〈パラディン〉」

 主の声に〈パラディン〉は頑健(がんけん)な大盾を構えて、迫る〈ワー・ボア〉の突進を待ち受ける。アカデミアの校庭に耳をつんざく轟音が響き渡った。

 重戦車の進軍のような体当たりを受けて〈パラディン〉の全身が悲鳴をあげて(きし)む。手しにした大盾が弾け飛び、青空の下に陽光を反射してくるくると舞った。盾を手放した〈パラディン〉はそれでも〈ワー・ボア〉の鋭く伸びた牙を両手でしっかりと掴み、地に深いわだちを刻みつけながらも耐えている。

「負けるわけには、いかないのよっ!」

 両者が動きを止める。〈ワー・ボア〉の突撃の破壊力を〈パラディン〉が受け切った。一瞬だけ均衡した両者のバランスを徐々に〈パラディン〉が優勢に押し返していく。〈ワー・ボア〉は次第にその体勢をのけぞらせていき、ついには〈パラディン〉に抑え込まれて地に伏した。

 〈パラディン〉は素早く身を(ひるがえ)すと大剣を抜き放ち、倒れた<ワー・ボア>の眼前にその鋭い切っ先を突き付ける。

「まいった! 降参だ!」

 敗北を悟った対戦相手は降参宣言とともに〈ワー・ボア〉を回収する。光の描く召喚紋(サークル)を抜けて精霊は元いた場所へと帰っていき、術士の手のなかには元の召喚符だけが残された。

 その様子をうかがっていたロンがにやにやと笑いながらも賞賛の声を送った。

「力押しならチビちゃんも負けないんだけどな」

 そういって軽薄な拍手を送りながらも、目の端では油断なく対戦相手の姿をとらえている。クレア教室のアリエラは前期でロンに敗北を(きっ)し、今回はそのリベンジに燃えていた。

 だがアリエラは握り締めた拳をそっと解くと、口惜(くや)し気に目に涙を浮かべて肩を落とした。

 彼女の繰り出した〈ハーピィ〉は、ロンが大量に増殖させた〈ウッドフォーク〉たちの下敷きになり身動きが取れない状態にされている。天空を舞う〈ハーピィ〉の優位性をくつがえされて、誰の目にも勝敗は明らかだった。

 アリエラは無言のまま精霊を帰還させる。ロンに対してきつい一瞥(いちべつ)だけを残して、(きびす)を返して去っていった。その背中に挑発する仕草を送っていたロンの後頭部に軽く手刀が振り下ろされる。

「みっともないマネはやめなさい」

「姉貴か。そっちも終わったのか?」

 悪びれた様子もなく振り返ったロンはそこにアーネの姿を認めて尋ねた。アーネは軽く(うなず)き、駆け寄ってきたリタを抱きとめてやる。

 勝ち取った勝利に胸を張るリタの頭を()でてやりながら、アーネは記録用紙に勝敗を書き付けていく。

「こちらは三人とも、初戦は勝ち星ね」

「ああ、あとはエンリケだな」

 ロンは心配した様子もなく、散歩にでも出かけるような足取りで友人の姿を探して歩き出した。


 クレア教室のリーンは周囲に〈エルフ〉を展開させて防御の布陣を敷いていた。彼女もまた前期ではエンリケに敗れており、リベンジマッチとしてエンリケを対戦相手に指定してきた。

 野次馬と化したロンが気楽に口笛など吹きながら歓声をあげる。

「相手は〈エルフ〉使いのリーンか。スペル対決だな、こいつは見物だぜ!」

 魔法にも道具の扱いにも長けた〈エルフ〉は、使い手次第で多彩な戦術をとれる種族だ。リーンはそのなかでも特に魔法による戦術を中心に組み立てる戦いを得意としている。

 リーンが腕を振って号令をかけると〈エルフ〉たちは一斉に魔法陣を構えて攻撃を開始した。

〈魔法矢〉(マジックアロー)斉射(せいしゃ)!」

詠唱(コール)〈風壁〉(エアウォール)

 エルフの構えた魔法陣に霊力が宿り、光を放つ魔法の矢となって飛んだ。だが放たれた矢は〈フェアリー〉の生み出した気流の壁に軌道をそらされて彼方へと消えていく。

「まだよ、撃ち続けなさい〈エルフ〉!」

 続けざまにエルフに命令を出し、それを受けた〈エルフ〉たちが追撃の矢を放つ。〈フェアリー〉の周囲に張り巡らされた気流の壁を飛び越えるように、今度は上空からの魔法の矢の雨が降り注ぐ。

 だがエンリケもまた連続して防御のスペルを放つ準備を整えていた。

「狙い通りだぜ!」

 エンリケからの霊力を受けて、〈フェアリー〉の周囲に壁を作っていた風の渦が収束して小規模な竜巻となる。その上昇気流に巻き込まれて降り注ぐ魔法の矢の雨もすべて弾かれて霧散(むさん)した。

(あんな小さな精霊を相手に付け入る隙がまるでない……!)

 リーンが口惜(くや)しげに歯噛みする。攻撃魔法を撃ちきって疲弊(ひへい)していた〈エルフ〉たちにエンリケの反撃が追い打ちをかける。

「今度はこっちの番だぜ、やれ〈フェアリー〉!」

 防御のために生み出された竜巻が、収束させていた風の力を一気に開放した。怒涛(どとう)の勢いで吹きつける風が〈エルフ〉たちをなぎ倒してその陣形を突き崩した。総崩れとなった〈エルフ〉たちの前に、魔法陣を展開した〈フェアリー〉が優雅な羽ばたきを見せつける。

 リーンは肩を落とし消え入りそうな声音でつぶやいた。

「……私の負けよ」

 敗北を認め〈エルフ〉たちをもとの世界へと帰してやる。涙をこらえるリーンのもとへアリエラが駆け寄り、その肩を抱いてやっていた。

 決着がつき安堵のため息をもらすエンリケの肩を気楽な調子でロンが叩いた。

「姉貴やチビちゃんも勝ったし、これでうちは全勝だな!」

「リタのやつも勝ったのか」

 エンリケが少しだけ意外そうな声をあげる。だが未熟さゆえにエンリケにはいつも軽くあしらわれてしまっているが、リタの実力もけして他教室の生徒たちと比べれば見劣りするものではない。

「相手との相性が良かったのもあるけどな。ずいぶん意気込んでたし意外といいとこまでいくかもしれんぜ?」

 言われてエンリケは気合の入った少女の顔を思い浮かべる。騎士団入りを夢見る少女の懸命さは勝負においてたしかに大きな武器となるかもしれない。浮かれきったロンの顔と見比べて、エンリケはお調子者の友人に釘を刺す。

「お前の方こそ少しはまじめにやったらどうだ?」

「俺はいつでも真剣だぜ?」

 いつもの調子で笑いながら答えるロンの様子に、エンリケは呆れ果てた眼差しでその横顔をにらんだ。


 日の落ちた薄暗い教室のなかで彼は頭を抱えた。

 前回の悲惨な結果から死に物狂いで己を鍛えなおし、その成果を見せるべく意気込んで(のぞ)んだ模擬戦闘試験だった。だがその結果はまたしても敗北の二文字だった。

「どうしてだ! なんで勝てない!」

 怒りにまかせて拳を机に叩きつける。髪をかきむしり、歯ぎしりをする。血走った眼には涙が浮かぶ。

「なんで勝てない! なんで! なんで俺だけが……!」

 我を失いうわごとのように繰り返す。そんな彼の肩に手を置いて優しげな声が掛けられた。

「なに、気にすることはない」

 はっと驚いて振り返る。沈みかけた夕焼けの(かげ)に隠れるように、教師服を身にまとった影がいつの間にか彼の背後に立っていた。

「ルーカス先生……! いらしたのですか」

 夕闇に沈んだその表情こそ読み取れなかったが、そこに立っていたのはまぎれもなく彼の師だった。ルーカスはかろうじて見える口元だけに優し気な微笑みを浮かべて、彼の肩に掛けた手に力を込めていく。

「キミには期待しているのだよ。キミの実力なら誰にも、ジェクト教室の連中にだって負けはしないはずだ」

「ですが……」

 師からの過大な評価に彼は言いよどんだ。師に期待を寄せられるのは素直にうれしいが、彼のいまの力では学内トップクラスといわれるジェクト教室の生徒たちの足元にも及ばないのは、彼自身が痛いほどに知っている。

「わかっているよ。キミは本当の実力を出せていない」

 師の言葉にどくりと心臓が跳ねるのを感じる。彼はいまは火に属する精霊を主体として扱ってはいるが、本当に適性を持つのはまったく違う属性だった。

「存じておられるのですか?」

 慎重に、言葉を探りながら尋ねる。ルーカス師はその言葉にはなにも答えず、ただ一枚の召喚符を差し出してきた。

「キミには期待しているのだ。その期待に答えてくれる気はあるかい?」

 それは悪魔の誘惑だった。彼自身、気兼ねなく全力で戦ってみたいという欲求はある。だが彼の真なる適性――魔に属する精霊を呼び出すことは禁忌とされている。

 遠い昔、聖と魔の神々の争いに敗れた魔の精霊たちはその存在を封じられたと言い伝えられている。そして現在でも魔の精霊の召喚符はその入手が限られ、その召喚を行ったものは聖都騎士団によって厳しく罰せられることになる。

 その禁断の召喚符がいま彼の手にそっと手渡された。

「ルーカス師? あなたはいったい……」

「我々は解放者だよ」

 闇に沈んだ男は、三日月のように笑う口元を歪ませた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ