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本当に、少しだけ。

 翌日、私は自分が計画した練習予定通りに、吹奏楽部の部室を訪れていた。

 下校途中の出来事が何度か思い出され、中々寝付けなかったせいで睡眠不足気味ではあるが、自分で予定を立てておいて私が遅刻する訳にも行かない。

 練習開始予定の時間より30分程早めに部室へ出向き、譜面台を出して来たり椅子を並べたり、すぐに練習を始められるよう準備を整える。

 時間になって集まったのは20人程度。

 欠席の連絡も数件聞いているので、3年生の5人を除けばこれで全員だ。

 その後、5分程待ってみたが、先輩方が現れる様子も無いので、先に練習を始めることにする。

 やる気のない人達をいつまでも待っていられるほど、私も他の部員も暇ではない。

 演奏プログラム、譜面の配布、今後の練習予定を軽く説明してから実際に曲を演奏しての練習を開始する。本番では先生が指揮をすることになると思うが、今は私が代理で指揮棒を振る。初めて演奏する曲に四苦八苦している者が大半だが、まずは全体の雰囲気を掴んでもらうことが目的なので、上手く出来なくても問題は無い。

 不慣れな曲に少しずつ適応して来た頃合いで、多少なりともまとまり始めていた曲に割り込んだのは扉を開く音。

 そして能天気な声。


 「ごめーん、遅刻しちゃったぁ」


 遅れてやって来た先輩に、私は声を返す。


 「おはようございます。何かあったんですか?」


 「うん、昨日遅くまで勉強してたから寝坊しちゃって。えへへ」


 寝不足なのは私だって一緒なんだが、そんな事を口に出すはずもなく、当たり障りのない台詞を吐く。


 「そうなんですか、受験生は大変ですね」


 「ホントだよぉ」


 「ところで、他の人たちの事は何か聞いてないですか?」


 「あ、そだ。裕美ゆみは今日休むって。なんか体調悪いみたい」


 友達に連絡を入れるのは構わないが、私にも教えといて欲しいな。

 心の中で溜め息をきながら笑顔を作る。


 「わかりました、ありがとうございます。さ、先輩も一緒に練習しましょうか」


 「えー、私今来たとこだし。走って来たからちょっと疲れちゃった」


 何しに来たんだろう、とは思うが、それを咎める権利も義務も私にはない。


 「そうですよね、すみません。こちらは先に進めとくので、少し休んでから参加してください」


 「はーい」


 全体での練習は一旦切り上げて、楽器ごとでの個別練習に移る。

 私も自分の担当する楽器を練習しておかないといけない。

 30分程度の練習を行ったあと、小休憩を挟む。

 部員に声を掛けてから、楽器をおいて部室の端に視線を投げると、4人の先輩方が談笑していた。


 「おはようございます」


 私はその4人に歩み寄って声を掛ける。


 「ああ、おはよう。遅刻してしまってすまなかった」


 と、現部長。


 「ほんっとごめんっ!」


 大仰に両手を合わせて頭を下げる先輩と、その横でもう一人が静かに会釈する。

 遅刻した上に部屋の隅に椅子を並べて談笑するだけの胆力があれば、入試で緊張して実力が出せない、なんて失敗をする心配は無さそうだ。

 受験当日に遅刻しなければ、の問題だが。

 そんな嫌味は一旦忘れて、先輩方に笑顔を向ける。


 「いえ、大丈夫ですよ。皆さん受験で忙しいんですから、無理しないでください」


 私の言葉に、部長が眉をひそめる。


 「珍しいな。いつもならもう少し練習に参加するよう促してくるのに」


 一応部長というだけあって、人の事は見ているらしい。というか、自覚はあったんだな。

 確かに、私は先輩方にもなるべく練習に参加して貰えるよう働きかけて来たが、それは彼女らも本番に参加する以上、多少は練習して貰わないと演奏の質に関わるからだ。

 副部長として演奏の質に関して責任を感じていたし、部員や吹奏楽部の舞台を楽しみしてくれいてるお客さんの期待を背負っていると思っていたからだ。

 今日は意識的に『そう』しなかった訳ではないけれど、やはり多少は肩の荷が下りているのかも知れない。

 彼女らが真面目にやらない事で、演奏全体の質は確かに落ちるのかも知れないが、それは別に私だけの責任ではない。

 私は精一杯、練習しやすい状況を整えて、練習に支障が無いようサポートをしている。

 その上で練習を怠るのは、本人たちの責任だろう。


 「そうですか?」


 私は言葉を返す。


 「まぁでも、何を重要視するかは人それぞれですからね。無理強いは出来ないかなって思って」


 そんな事を言われるとは思っても見なかったのか、先輩方は互いに顔を見合わせる。


 「そろそろ休憩も終わるので、気が向いたら参加してくださいね」


 言い残して、部員たちが待っている方へと足を向ける。

 背中の方で誰かが立ち上がり、声を上げた。


 「ま、私たちも今年で最後だしさっ。少しはやる気出さないとねっ」


 それに続いて何人かが立ち上がる。


 「そぉだね。がんばろっかぁ」


 「……うん」


 「最後の最後、後輩に任せきり、という訳にも行かないからな」


 昨日の夜、私を襲った突拍子もない出来事。

 夢か幻かと思うほどの体験だった。

 それだけの思いをして、私の中にどれほどの変化があったのかと言えば、きっとそれはどれほどの物でもないのだろう。

 だけど、そのほんの少しの変化が、また周りの人間にほんの少しだけ影響を与えることもあるのかも知れない。

 はたから見れば、何が変わったのかさえ分からないような変化かも知れない。

 人生を変えるような大袈裟な物なんかじゃないかも知れない。

 それでも、そのほんの小さな変化のおかげで、ほんの少し、本当に少しだけ、生きていくのが楽になった気がする。

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